
指折り数えてみると・・・・三十年ぐらい前になるか。
今は、延岡から大分に抜ける、国道326号に架かる、第一番目の橋「恵比寿橋」として、社会の役に立っている。
地図にも載っている。
場所→http://
A1橋台、P1、P2、P3、P4、P5橋脚、A2橋台、合計7つの構造物の施工を配置技術者として担当した。
橋脚、橋台、すべての構造物に、それぞれのエピソードや思い出が詰まっている。
途中で、台風による出水で資材が流されたり、せっかく造成した築島が流失したり・・・・。
不発だったダイナマイトが目の前5mぐらいのところで爆発したり・・・・。
掘削中のケーソンが大きく傾いたり・・・・。
コンクリート打設中に、支保工がメキメキともう少しで倒壊しそうになったり・・・。
こちら側のA1橋台と手前に写っているP1橋脚は鋼管杭の基礎。その向うのP2からP4まではオープンケーソン基礎。残りのP5橋脚とA2橋台は直接基礎であった。
今なら、なんというとこともない構造物だが、当時は、このような大型構造物は初めてで、試行錯誤を繰りかえしながら、施工をしたものだ。
昔は、専門工事業者などは居なくて、半分以上、直営みたいな形で施工をしたのだ。
足場を自分たちで組み立て、オープンケーソンの掘削も、参考書や施工事例の本を頼りに、クレーンをチャーターして自分たちで掘り下げていったのである。
外注したのは、型枠組み立てと鉄筋組み立てぐらいで、それも、型枠材料も自分たちでひらって、購入し、支給していた。
測量も、今みたいに、GISはもちろん、パソコンも無ければ、光波測距儀も無かった。20秒読みのトランシット、50mの鋼巻尺と関数計算機と数学の教科書で位置を出したものだ。直線なら簡単だけど、大きく左にカーブしていて、苦心惨憺の思いをした。
P2橋脚とP3橋脚の間は50m以上離れていた上、真ん中に川が流れていて50mの巻尺では直接に距離は測れない。完成検査に合格するためには、橋脚の位置は設計値とのズレを、延長方向で2センチ以内、横方向で5センチ以内に収めないと、橋が架からないのである。
そこで川原に、一辺の長さ約40mの、ほぼ正三角形のポイントを設置し、そこから、関数電卓で計算し、P3方向の見通しを出し、対岸のポイント からは反対にP3方向の見通しを出す。見通し線と見通し線が交わった場所がP3の位置となる。そういった方法を採用したり、大変だった。
工事が完成してから、測量会社に依頼して、位置を当時の最新式の光波測距儀で測定してもらったら、全ての構造物の位置が、規格内に治まっていて、ホッとしたことも記憶に焼きついている。
とにかく、いろいろな思い出の詰まった、苦労した現場である。今日は、写真が見つかったので、こういうことを懐かしげに書いているが、いつもは、知らない間にさっと通り過ぎている自分である。