土木建設業に従事していますが、専門分野のことは少なくて、昭和のこと、故郷・徳島のこと、延岡のこと、雑多なことを自分の記録として日記代わりに書いています。St.3bの「がんサバイバー」でもあります。
 日々(いや、気のむくままに)読み書き
うるるんを観た。
2007-09-30-Sun  CATEGORY: 地域社会
 うるるん、を観た。
 いちばん興味がわいたのは「アマゾンの少数民族」だ。

 8年前は、固有財産というのがなくて、すべてが民族の共有だった。

 しかし、今回は、民族の人口が増えたのと、獲物が少なくなったきたことにより、いくつかの集団に分かれて生活していた。
 集団同士は、争いはないが、仲はあまりよくないようになっている。

 食料が少なくなってきたことによる環境変化で、共有資源が個別化している上、貯める、という生活の知恵が生まれてきていた。
 貯蓄は、農耕民族の生活の知恵だ。
 しかし、貯めることにより、人と人の関係がギスギスしてくる。

 こうやって、退化(進歩)していくのだろうなあ。

 しかし、アマゾンに暮らしている人たちも、イギリスで生活している家族も、中国の奥地で日々厳しい生活をしている人たちも、もちろん、自分たちも、物質的な豊かさや利便性、文化などの違いはあるにしても、根本のところは、みんな、同じだ。

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ふるさとの話をしよう。
2007-09-29-Sat  CATEGORY: 音楽

 この、歌大好きだ。





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マイブーム
2007-09-27-Thu  CATEGORY: 未分類
 このごろの私のマイブームは「半身浴」だ。
 仕事から、早めに帰宅した場合は、半ズボンとランニングシャツを着て、自転車で走っている。
我が家の近所は、田んぼ道、堤防なとがあるので、ペダルをこいで飛ばすにはもってこいなのだ。ギアは、ほとんどトップギヤに入れて「えいこらえいこら」とこいで走る。風が気持ちがいい。

 汗をかいて帰宅すると、そのまま風呂場に行く。熱めのお湯でシャワーを使う。汗を十分に落として、浴槽につかる。
 みぞおちから下お湯につかるのである。

 風呂から上がると、下半身と上半身が明らかに違う。アンバランスなのだ。この、アンバランス感、気持ちがいいとは思わないが、この、温度差が、いい。
 
 人は、もしかして、安定しているよりも、不安定なほうが、いいのかもしれない。


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加川良ライブ。
2007-09-25-Tue  CATEGORY: 音楽
 土曜日の夜は、宮崎市で行われた「加川良withすぎの暢」のライブに行った。

ポスター

 のべおか異業種サミットのお仲間と三人で各駅停車に乗って出かけた。
 ライブ


加川良2


 加川良さんのライブは昨年に続いて二回目だが「追っかけ」の気持ちがわかるような、いいコンサートだった。
 加川良の歌は、こころにしみいる。
 なんで、あんないい歌がヒットしないのかと思う。でも、ご本人は、そんなことどうでもよくて、体の健康と気力の許す限り、 吟遊詩人のように、旅をしながら歌い続けていくのだろう。

 ライブ終了後、観客が三々五々と帰り、会場には係員と私たちだけしか残っていない。お仲間の「牧師さん」が「待っていたら、加川良は必ずきますよ。だって、楽器を片付けなくてはいけないから」とおっしゃったので、二人で待っていたのだ。

 すると「すぎの暢さん」が現れ、ラップスティールギターを片付けはじめ、ついで加川良さんが現れた。
 私は「また、延岡にもきてください」と話し、持参しているパソコンにサインをしてもらった。
加川良のサイン


 ミーハーそのものである。(笑)
 でも、いとうれしなのである。

 今度のライブでよかったのは、昨年と同じように「アイ&アイ」という歌だ。

 ♪ボブマリーがいっちゃった。
  ガンジャ・マウンテンの いただきへ
  ボブマリーがいつちゃった
  アフリカマウンテンのてっぺんだ。

  水  水  水  水 欲しいのは水

  ・・・・・ざっくり

それから「高知」「生活の柄」「駒沢あたりで」「教訓Ⅰ」「贈りもの」ほか、たくさんの歌を、汗を飛び散らせながら、歌ってくれた。

ひとつひとつの歌に、加川良の魂がこもっているように思えた。

 聞けば、今年で還暦。私より五歳年上か・・すごいなあ、となんとなく、思った。




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映画館の話。
2007-09-16-Sun  CATEGORY: 昭和の話
 貞光会館と貞光劇場。

 私は、小さい頃から映画が好きでした。当時、無職だった父に、街の映画館に連れていってもらっていたせいかもしれのせん。その頃は、小林旭、石原裕次郎、そして東映の時代劇が全盛の頃で、我が貞光町には二つの映画館がありました。


 小学校三年生のある日、どうしても映画が観たくなり、お金を持たないで、忍び込んで観たことが1回だけあります。(小さい頃の私は、今と違って正真正銘の悪ガキでした。)

 まずは、貞光劇場(映画館)に行き、係員の居ないすきをみはからい、小さい体をさらにかがめて、見つかりはしないかとドキドキしながら、館内に入りました。いちばん後ろの長椅子の隅に座りました。
 スクリーンに上映されていたのは「月光仮面」でした。途中から観てエンドロールが出てくるまで観ました。

 そのあと、調子に乗った私は、もうひとつのの映画館(貞光会館)へ行くことにしました。東宝の「日本誕生」が上映されていました。貞光劇場よりも、都会的なたたずまいで、入り口は両開きになっていて、右側が切符売り場、広いロビーの向うに館内に入る扉がありました。貞光劇場よりも侵入は難しいはずですが、ここも、なんなく、館内に入ることができました。
 扉を細めに開けて入ると、スクリーンでは髭だらけの三船敏郎が目を見開いていました。やがて、目が慣れてきて回りを見渡すと、なんと、観客は子供ばかりではないですか。そして、みた事のある先生がところどころに立っているのです。
 「今日は、4年、5年、6年生だけの映画だ」ということを思い出して、周りから見つからないように、そっと抜け出しました。


拡大地図を表示

 (地図は、縮小してご覧になってください。)

 貞光会館は、まつのはん(松尾神社)の前にありました。映画は、日活系で、ときには洋画がかかることもありました。「グリル会館」といった名前の食堂が併設されていて、食べたことはありませんが、当時の最高料理ビフテキがありました。
松尾神社





 貞光会館で観た映画で印象に残っているのは、エノケンの孫悟空でした。千葉信夫が八戒でした。三木のり平も出ていたように思います。
 会館には、スクリーンの前に畳が敷いてあり、あぐらを組んで観ることもできました。幕間には、手品などの大道芸もありました。もちろん、椅子も並んでいましたし、二階座席もありました。

 一方の貞光劇場のほうは、貞光会館と貞光駅の中間ぐらい位置しています。東映時代劇がよくかかっていて「旗本退屈男」や「中村錦之助」がスクリーンで動いていました。ここは、場末の芝居小屋といった風情で、会館が「陽」なら劇場は「陰」、会館が「乾いたイメージ」としたら劇場は「湿ったイメージ」、会館が「洋」なら劇場は「和」、という感じでした。

 貞光会館は、残念なことに火事で半焼し、営業を休止し、それからあとは「貞光劇場」だけになりました。一館になってからは、日活、東宝などの映画もかけられ、5年生の頃に「モスラ」を観た記憶があります。
 当時、小学生は、学校許可映画以外は観てはならない、という厳しい校則がありました。講堂で映画を上映するほかは、夏休み期間中などに1回ぐい、街の映画館で「許可映画」が上映されていました。学校から「許可証」もらって帰り、映画に行くときは、再び学校に立ち寄り、押印をしてもらって観にいく、といった制度でした。私の場合は「怒られてもいい」と覚悟して無断で観に行っていました。

 貞光劇場は、昭和9年に建てられた、全国でもいちばん古い部類の現役映画館です。今も営業しています。こういう施設は、貞光町が誇る重要文化財として、いつまでも、大切に残してほしいと思います。
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総裁。
2007-09-16-Sun  CATEGORY: 政治
 自民党の総裁選挙があります。

 無党派を自認している「私」ですが、これでも、れっきとした(?)自民党員です。宮崎県は、今回の総裁選で、党員投票を実施することになっています。

 と、いうことは「私」も選挙権が生まれてくるわけです。

 二人とも、差異がありません。争点がみあたらない。どちらも、政治家という代々の家業を継いでこれらた方たちです。

 で、決めました。麻生太郎氏という氏名を書こうと。

 理由。
① どちらかというと、麻生氏のほうが、より、地方にも目を向けそう。
② 福田氏は、当選するのが、ほぼ間違いないと言われている。
③ なんとなく。

 ・・・・といったところです。

 
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愛犬の死。
2007-09-13-Thu  CATEGORY: 未分類
今日は、別ブログ「日々読み書き」を、コピペしました。。。。。


まめの死

 まめが、昨夜、入院先の山口獣医病院で永眠しました。

 それを聞いた、お隣の川並さんの奥さんが「まめ。ありがとう」と、声をあげて泣いてくれました。

 そして、今、荼毘に付して帰宅しました。

これからは。。。。。。

 私が帰宅すると、見えない尻尾を大きく振って、家族の誰よりも先に走って迎えにきて、飛びつき、足元にまつわりつく、といったこともなくなりました。

 「まめ、散歩」と声をかけると、庭のどこかから飛んで走ってきて、体全体をぐるぐると回転して喜びを表すことも思い出話となりました。

 一緒に歩いていて信号が赤のとき、私が「まて」というと「よし!」という許可が出るまでは、いつまでも、じっと座って待つこともなくなりました。

 「ひなた」というライバルが登場したときは、少し精神的に不安定で落ち込んでいた時期もありましたが、すぐに立ち直り「ひなた」の遊び相手として、一緒に遊んでくれました。

 家人が洗濯物を干している足元で、物干しの邪魔をすることもなくなりました。


 なにか、ぽっかりと穴があいたようです。


 元々、体に何か不具合があって、食道が何かの原因で膨れて食物が停滞するようになったのか、それとも大きな異物を呑み込んで食道が膨れたのか、医師は前者ではないか、という診断で、14日に大学病院での精密検査を受け、もしものときには「手術」という手はずになっていました。

 ここ、二三日は、元気がなくなり、ぐったりとしていることが多くなりました。まめに言わせると「私は、生には執着していないからね」といった感じで、きつそうな様子も、不平不満も、苦痛の声もあげることもなく、すべてをあるがままに受け入れている姿に、たかが動物ということでなく、あの潔い姿を、同じ動物としての人間も見習いたいものだと思いました。

 14日の精密検査までに、体力が持たなかったようで、昨夜、死去してしまいました。家人と娘が面会に行ったときは立ち上がったといいます。
 獣医さんは、早く連れてきていたら、かえってきつかったろうし、家で最期をゆっくりといられて、まめにはよかったと思います、と言ってくれました。

 たかが、ペットと言われるかたも居ますが「まめ」は、家族や隣人の普段の生活に、大きな役割をはたしてくれて、単なる愛玩動物ではありませんでした。

 いままで、ありがとう。そして、お疲れ様でした。


 私は、まめに最後の指示をします。

「まめ。よし!!」
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安倍首相が辞めた。
2007-09-12-Wed  CATEGORY: 政治
 安倍総理が、途中で辞めてしまった。

早く辞めろ!! 無責任だ!! 辞めて当然だ!!

いろいろと非難の声が聞こえている。

 
 しかし、私は、この方は、きらいではなかったし、今もきらいではない。

 小泉さんは(私も、自民党員として、最初の総裁選挙で一票を投じた口だが)

 きらいだ。

 安倍総理は(多分)やさしい方だ。前任者の小泉さんみいに、非情なことは

 できない方だった。(・・と思う。)

 ただ、(多分)苦労を知らない。苦労するような立場になれなかった。

 首相になるのが、ちと、早すぎた。もっと、あとでもよかった。

 小泉さんの残した「ババ」をひいてしまった。そうとしか思えない。

 さて、政治の行方は、いったい、どうなってしまうのだろうか。

 小沢さんが、政権を取るかもしれないが、小泉さんと似た考えの人だから

 どうも、いやである。

 それに、二世、三世の政治家。ぼんぼん育ちの政治家。強いものが好きな政治家。

 庶民の私には、そんな政治家の姿しかみえてこない。



 強い者は、ほったらかしても強い。弱い人たちに手を差し伸べるのが政治

 だ、と言った政治家が居る。

 そういう政治家が居るのだろうか。

 安倍さんは、ひょっとしたら、そういう一面を持っていたかもしれない。

 この方は、小泉政治の改革路線を踏襲するといいながら、昔の自民党政治

 の雰囲気のする人だった。

 
 辞めて、ほっとしているだろう。楽になったなあと思っているだろう。

 まあ、今は、とにかく、お疲れ様でした・・・といいたい。

 また、いつか、活躍できる場面が出てくるかもしれない。




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母の歌。
2007-09-10-Mon  CATEGORY: 未分類
 
ひさしぶりに夢をみました。
久しぶりに母が出てきました。
 不思議なことに、親父が出てくる夢はあまりみたことがありません。親父っ子の私なのに、夢に登場するのは母ばかり。

 母は、私を過保護的に育てていたようなので、今でも気になって私の夢の中に出てくるのかもしれません、(笑)

「母の歌」

梅干の 花が咲いたと幼な孫の 告げ来し夜の白梅の花

溝を覆う 枯れ草にさす陽のぬくし ほつほつと青き草もまじれる

あらあらと 言(こと)かえしたれ おんな気の 一人となれば泪にじみ来(く)

からころと鳴るや聞こえね 凍土(いでつち)を 下駄で歩めば ず(頭)に響くなり
 (母は、幼い頃から、まったく耳が聞こえませんでした。いわゆる「聴覚障害者」でした。)

「おやじの歌」
 草は草に 木は木にいのちよりあひて 青々と朝の雨にぬれいる

胎内の日の習性か 足ちぢめ拳(こぶし)固めてゐてゐし吾は

たよるべきもののあらねば被支配の 百姓が立てし小さき石仏

厨にて、ものの砕くる音がする とがむべからず 耳しいの妻よ

陸橋を渡りて どこか割り切れぬ憤りあり 二つ目にかかる


 父と母は、短歌が縁で知り合い、結婚しました。二人とも明治の生まれなので、電話も、ましてや交通手段もなく、結婚するまでは文通による遠距離恋愛でした。母は、幼い頃から耳が聞こえなくなるというハンディキャップを持っていました。父が母に意思を伝える手段は、筆談と身振りと読唇術でした。

 母は、ご飯のよそおいかたも知らないお嬢さん育ち。父は、木こり、山岳ガイドなどで生活をしていた野生児で正直一途の男。
 世間知らずと世渡り下手な夫婦であったことと思われます。
 
 父と母の間に、男ばかり四人が生まれ、長男と四男が現存しています。その四男が「私」です。

 
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いい仕事。
2007-09-09-Sun  CATEGORY: 仕事
 いい仕事のできる人

 仕事のできる人に共通していることが、少しばかりある。


 まず、朝が早い。


 先手、先手で仕事をする。


 集中力がすごい。


 職人から好かれる。


 頭の、回転が速い。


 自分の仕事に誇りをもっている。


 適当に、明るい。


 説明がわかりやすく、説得力がある。


 段取りがいいとひとから言われる。


 人をたよらない。人からたよられる。


 

 ・・・・ほかにもあるかも知れないが、思いつくままに書いてみた。


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渡し舟。
2007-09-06-Thu  CATEGORY: 昭和の話

 小さい頃、吉野川をはさんだ川向こうの隣町に親類がいた。以前は美馬町宗重。近くには段の塚穴という古墳があった。今は、合併に伴い、美馬市美馬町と名を変えている。

 親類の家には祭りがあるたびに遊びに行った。学校も、秋祭りなどの早退や休みは許可されていたものだ。

 親類の家にいくには「徒歩」が唯一の交通手段である。自宅から、歩いて、貞光駅の前を通り、現・貞光工業高校の方向に右折する。踏み切りをわたると、焼き場が見えてくる。焼き場の横の鬱蒼と茂った竹林の中の道をとおり、吉野川の河川敷きに出ると急に明るくなる。砂利や玉石を均して突き固めた道を歩いていくと、渡船場がある。そこが「喜来の渡し」だ。
 ここで、大勢の客や自転車が木造船に乗り込み、対岸まで渡る。吉野川は、このあたりでは「大川」と呼ばれ、とうとうと流れていた。上流には、新しい橋(今の美馬橋)の工事中の橋脚が、水の流れの中に建っていた。
 船から見た川面は、青々として深く、子供こころに、恐い思いがあった。

 対岸に着くと、船を下りて、また、徒歩である。河川敷、田んぼの中の道を、ずーーーーーっと歩いて、親類の家に着く。

 

powered by 地図Z



 新しい橋(美馬橋)が完成したのは、私が幼稚園か小学1年生の頃だったと思う。と、同時に、渡し舟もなくなってしまった。
 それからの祭りは、乗り合いバスが交通手段にとってかわった。

 橋が架かると、洪水のときでも川向こうに行ける。車に乗ると、いままでよりも短い時間ですむ。

 便利になった。楽になった。

 こういった「便利」「安全」を次から次へと手にして、今に至っている。今や、橋やトンネル、広い道路、このような社会資本がない暮らしは想像できない。しかし、たかだか五十年ぐらい前はそうではなかったのだ。

 便利は素晴らしい。しかし、軟弱になった。軟弱になりすぎた。

 さきほど、家人と一緒に、近くのコンビにまで買い物に行った。普段なら、車で行ったところかもしれない。でも、私が飲んでいるので「歩いていこ」と往復10分ぐらい歩いていった。
 こんな近くでも、田舎ゆえか、すぐ、車に依存するようになっている。


 ただ、漫然と便利や安全を享受するのではなく、失った大切な「何か」も、意識する生き方が必要ではないか、そういう想いがするこの頃である。

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誕生日。
2007-09-03-Mon  CATEGORY: 未分類
 9月3日は、ドラエモンの誕生日だそうですが、私も、今日が55歳の誕生日となっています。
 だから、どうっていうわけではありませんが、Mixiでは、沢山の方からお祝いのメッセージや日記に対して、お祝いのコメントをいただいています。
 ありがとうございます。

 ウィークタイト、広くて薄い紐帯。

 これが、ネットというつかみきれない世界に、何らかのメッセージを発信してきて、得ることができた、とても、大切な紐帯なのです。
 
 55年前の今日、私は、徳島の貞光町という片田舎で生を受けました。
 道幅は狭く、家々も入り組んでおりました。各家庭の庭に、垣根や塀などのある家は多くはありませんでした。

 貞光の街並み2


 なので、ちょっとした用をたすために、よそ様の庭を道路代わりに利用していた。

 私の住んでいた家も、建ぺい率は50%以下で、わりと広い庭がありました。母は花が好きで、庭の手入れをよくしていました。庭には、花壇があり、季節季節の花が色とりどりに咲き、柿、無花果、枇杷、木イチゴ、蕗、茗荷、サクランボなどの「食べられる」木々も植えられていました。

 そのなかにも通路があり、そこを近状の子供や親が、世間話をしながら、通っていました。

 なので、子供たちも、勝手によその庭で、かくれんぼしたり石蹴りしたりチャンバラして自由に遊びました。そのことに、怒るものは一人も居ませんでした。

 今なら「人様の庭に無断で侵入するとは」と目くじらを立てて怒鳴り散らしたり、警察に電話をかける人が居るかもしれません。でも、当時は、それが、普通の生活だったのです。

 昔は、人様の庭も道路と同じ共有地という感覚を全員が持っていたのではないでしょうか。

 庭を通行しても、ことさら「お世話になっている」ということも「お世話している」ことも、全く無くて、そのことが「当たり前」だったのです。

 しかし、数年前に故郷を訪れたとき、昔と同じ様に、岡本さんの庭から津司さんの庭を通って西側の通りに出ようと歩いていたら、岡本さんと津司さんの庭の境界に、立派な塀が造られていて通り抜けが出来なくて不便になっていました。

  時代の流れとはいえ、少し、淋しい想いがしました。

 いつからか、人様の庭を通るときに「遠慮」みたいな気持ちが働くようになり、現在のように、なったのでしょう。

 合理、便利、財産、車、家、そられを得る代償として、こういった伝統(?)を失ってきたのでしょう。



 
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アクセス数。
2007-09-01-Sat  CATEGORY:
 このブログは、リサーチしてみると、平均して一日10ぐらいのアクセスがあります。もうひとつの「新・日々読み書き」の方は、一日、70から90ぐらいのアクセスをいただいています。
 どちらも、たいしたことは書いていませんが、それでも、訪問していただき、ありがとうございます。

 今、宮崎は、東国原知事のおかげで、全国的にも、有名な県になっています。県庁が県外からのお客さんの観光スポットになったり、特産物が売れたり、知事のおかけだと思います。
 知事は、TV番組だけでなくて、県内もあちこちと飛び回っているようです。行動力はすごいと思います。


 あとは、公と私のけじめをきちんとつけて、今の信頼を絶対に失わないようにがんばってもらいたいと思います。もし、何か、信頼を失うようなことがあったりすると、その、反動も大きいと思われます。

 そして、我々、地場の建設会社にも、暖かいまなざしを向けてもらえれば・・と願うばかりです。

 アクセス数、というブログの題名から、とんだところに、文章が飛びました。本日はこれにて失礼いたします。



  

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