土木建設業に従事していますが、専門分野のことは少なくて、昭和のこと、故郷・徳島のこと、延岡のこと、雑多なことを自分の記録として日記代わりに書いています。St.3bの「がんサバイバー」でもあります。
 日々(いや、気のむくままに)読み書き
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ひなたと私、そして父。
2007-11-29-Thu  CATEGORY: 未分類
ひなたの写真です。
ひなた


私の小さい頃の写真です。
私。

 左側は、父です。多分、父が48歳ぐらいだと思います。
 背景の土壁の家が、私の生まれ育った生家です。
 もちろん、今は、まったく別の家屋が建っています。

 私と、ひなた。我ながら、似ているなあと思います。

 死んだ父と私も似ています。天然パーマ、二重まぶた、性格、健康な体、こういった遺伝子をもらって、子へ、孫へとつないでいるのですね。

 こうしてみると、不思議な縁を感じてしまいます。



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はじめての現場。
2007-11-28-Wed  CATEGORY: 建設

  はじめての現場。
 はじめて本格的に現場を担当したのは、入社して二年目の秋であった。
 内容は、小さな樋管工事。堤防、護岸、河川工事のほとんどの工種がすこしずつ、計上されていた。
 もらった図面は、枚数が30枚ぐらいあった。

   入社するまでの私は、舗装会社に二ヶ月居て、そのまま自転車で一人旅。旅から戻ると、いわゆるプー太郎暮らし。自転車に乗ってあちこち。時刻表とバッグを持って各駅停車に飛び乗り、あちらこちらの旅。
 そのあと、縁あって、創業したばかりの小さな測量会社に入社。この、会社で1年とちょっとお世話になり、今の会社に。
 なので土木工事の実務経験はゼロに近かった。

 それが、建設省発注の図面30枚の現場を一人で担当させられた。
できること、といえば測量ぐらい。
失敗につぐ失敗。
今から思えば、会社も、私も、無謀極まりない、と思う。素人同然で仕事をしたのである。

当時は、直営作業。
鋼矢板の打ち込みも自分でやった。
十数本の水中ポンプの設置も自分でやった。
ブルドーザーやバックホウも操作した。
釘袋を下げて大工の応援もした。
鉄筋組み立てもやった。
帰宅し、布団に入っても、次から次に現場の情景が浮かび、眠られない日々が続いた。
当時の私は、現場をやっていくことだけでいっぱいいっぱいだった。
家庭など、振り返る余裕もなかった。

よう、やったものだ。今なら、考えられない。
今は、バックホウの操作もできない。第一、免許を持たない。
ひなた以上の重いものは持てない。
まるで別人だ。

徹夜、突貫で、なんとか完成させたものの、熱血先生から、しこたま怒られたものだ。

 今でも、その構造物は、現役で共用されている。
 近くに行くと、なにかを感じる。
 当時の「不安」「夢中」「一生懸命」「完成した満足感」「熱血先生の厳しい怒り」すべてが、ないまぜになって、ふっとよみがえってくる。

 そのあと、同じように経験をいくつも積んだ。
 現場に出る前と完成したあとでは、体重が10キロも減っていた。

やがて、現場を管理しても体重が減らなくなり、布団の中で目を閉じても、現場のことを押しやって眠れるようにもなった。

 そして、今。
 そして、これから。




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書けない。
2007-11-25-Sun  CATEGORY: 未分類
 
 書けないのか、書かないのか、自分でもわからない。

 なので、今日は、これで失礼いたします。(^^)/~~~

  
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昭和と今。
2007-11-22-Thu  CATEGORY: 昭和の話
 【郷里、貞光町 昭和30年代の子供たち】

昭和の貞光の子供たち。


 【郷里、貞光町(つるぎ町)、今頃の様子】
貞光町並み


 上の写真は、ほぼ同じ場所で撮影した写真です。
 場所は・・・・・・

拡大地図を表示
 
グーグルマップにも、この路地は掲載されていません。そんな、細い路地で、昭和の子供たちは遊んでいました。

今は、少子化の影響と、外で遊ぶすべを知らないこともあって、路地はひっそりとたたずんでいます。
子供たちの笑い声が帰ってくる日はあるのでしょうか。


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はっちゃん弁当。
2007-11-21-Wed  CATEGORY: 未分類
私の友人、やぎさんの顔を久しぶりに拝見した。もちろん、写真である。
 友人、ひぐまさんのブログに掲載されていたのを、無断引用させてもらった。
やぎさわさん

やぎさんは、今、東京で弁当を作って販売している。
やぎさんの弁当は、ご飯にこだわっている。

ご飯は、昔のように、釜土にまきをくべて、は釜で炊いている。
そんな手の込んだご飯、想像するだけで、腹がへりそうになる。

 やぎさんとは、何回、お会いしただろう。数えてみた。
桃知さんの「桃論出版記念パーティ」が最初だ。桃知さんからいただいた本に、サインをしてもらった。一緒に「☆なをたさん、1トンさん、まにあ2号さん、高橋さん」からもいただいている。ご本人たちは、どう思われるかもしれないが、今でも、私の宝物である。
そのあと、セミナーでお会いし、そのまま栃木までお邪魔した。
次は、法政大学のセミナーで二回。
暑気払いで一回、新年会で1回お目にかかっている。
技術士の口述試験の前夜にもお世話になっている。
数えてみると、5~6回以上はお会いしている。

 そして、会うたび、お世話になっている。お世話になりっぱなしである。

 不思議なご縁だ。
 これも、広くて薄い紐帯のおかげである。
 このWebというのがなかったら、広くて薄い紐帯という言葉も知らなかったろう。

もし、東京に行かれる方があれば、やぎさんの「はっちゃん弁当」を食べにいこう。
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贈与が交換に変わりつつある。
2007-11-20-Tue  CATEGORY: 建設
 今日は、別ブログ「新・日々読み書き」から、転記。

 今日の午前中は、民間の造成の見積もりをした。明後日中に提出するようになっているので、急いで仕上げねばならない。 
 途中、中断して、建協会へ。弁当をいただいて、午後からの国交省との会議に備えた話をする。お膳立てはすんでいて、私は特に意見はない。 
 
 そして、午後から、国交省で質疑応答。あらかじめ質問・要望事項は文書にして提出している。それを、国交省側が、ひとつひとつ回答していく、といった会議である。 
 
 こういうコミュニケーションの場は、あったほうがいい。そう、思った。 
 会議の内容については、予想していたとおり、大きな成果はない。しかし、 こうやって、協会の役員や現場配置技術者が国交省の幹部と議論する、ということは、とても、いいことだと思う。 
 今後、四半期に一回ぐらいは、こういう場を作りたいという発注者側の意見であり、今後に期待していきたい。 
 
 業者側の意見は、身につまされるものが多かったが、中には「??」というような質問もあった。 
  
■その中で、業者の評価として「地域貢献」や「ボランティア」が出ていた。 
 帰りの車中で、同席した社長と議論した。 
 
 高い評価をもらうために「地域貢献」や「ボランティア活動」をする。そして、発注者にPRする。 
 
「うーん」。どうも、気に食わない。うさんくささを感じてしまう。 
 
 発注機関も「評価」を魚のえさみたいに業者を釣るのは、いかがなものだろうか。 
 きれい事だ、といわれてしまうが、地域貢献はそんなもんじゃないだろう。 見返りを求めないことが貢献だ。評価は「あとからついてくる」でいいと思う。 
 「秘すれば花」という言葉もある。 
 
 なんで、うさんくさいか。 
 それは、貢献は贈与だからだ。贈与が交換にすりかわっている。贈与は、贈与でおいておくのが正しい。交換になるから「うさんくさく」なるのだ。 
 
 しかし、現実には、そういうわけにはいかないのだろう。 
 
 流れ、というのかもしれないが、なんかなあ、と思わざるにはいられないのである。 


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社内報。
2007-11-19-Mon  CATEGORY: 建設
 社内報に書いたものをそのまま引用。

 このごろの仕事は、受注しても、不安な要素のほうが強い。
 仕事が出る。「取るぞ」と目標を定める。受注するために、総合評価で高い評価を得ることなどはじめ、細心の注意をはらって資料を提出する。「適切」と思われる入札額を検討し、決定し、応札する。 
 目標どおり受注すると、以前なら、100%うれしいものがあった。
今は、違う。まず、不安がよぎる。
 
 もちろん、目標が達成できた分、うれしいのであるが「取ってよかったのだろうか」という不安がよぎるのである。とは、いっても、目標としていた工事が受注できないと、たまらなく悔しくなる。粗の実行予算を組んでいるものの、推測やわからないものが多いのである。

 そのことの、いろいろな理由はあるが、いちばんは、設計価格よりもかなり安く応札したせいである。売上が伸びても付加価値がとれなれば、どうしようもない。なので、「よかったのか、これで」という考えがよぎるのである。 
 仕事を取りに行くための判断基準は、売上高だけでなく「施工能力や施工体制」そして「付加価値額がどのくらい確保できるのか」「発注機関」など、目先のことや、もっと先のことなど、いろいろな要因を全体的に見て判断することが大切だと思う。売り上げ高は、参考程度でいいのだと思う。

 実に、いやな言葉だが、我々業界はフルイにかけられているのかもしれない。フルイにしがみつけられるか、落ちるか。 
 
 推測だが、来期、地場の建設産業の決算は、よくないだろう。赤字を出す企業がかなり増えるだろう。かくいう、弊社とても例外ではない。 
 
 そして、廃業、倒産などの事例が多くなり、オンブズマンの思惑どおり、業者数が減っていくのだろう。 
 しかし、減ればいい、というものではない。善良な会社が無くなり、不良不適格業者が残ることもある。 
 
 もっと、われわれ業者も、赤字覚悟みたいな馬鹿な数字で応札しないような、そういう、自己抑制は働かないのだろうか。
 冷静に考えれば、工種によって「損益分岐点額」の相場がある。その、相場を無視して受注しようとするし、一方では、受注しないとどうにもならないという現実もある。 
 囚人のジレンマという話にもあるように、誰か、一人でも、馬鹿をすれば、システムは崩壊する。それを、今や、一人ではなく、ほとんどの業者がやっているのだから、閉塞するばかりだ。 
 
 落語に、「黄金餅」という咄がある。 
 くわしい話は、志ん生の「黄金餅」をお聴きになるとよい。 

 その中に、「他人(ひと)にするんじゃねえ。みんな、自分にするんだ」という大家の台詞がある。 
 
 普段から使われている何気ない言葉だけど、こうやってせちがらい暮らしを支えあって生きてきた、庶民の知恵が語られていると思う。 
 談合、というのではなくて、何か、古くても新しい、もっと「庶民の知恵」を生かしたいものだ。 
 自分たちの業界は、体力勝負みたいな様相を呈し始めている。我が社も、他社もフルイに落とされないように、生き残っていかなくてはならない。そのためには、付加価値を出せることと、施工能力の向上、あとは、今までのように、愚直にこつこつと「いい仕事」をしていくことではなかろうか。



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神無き月十番目の夜
2007-11-17-Sat  CATEGORY: 本、読書

 ・・・という本を読んでいる。

 この頃、あまり小説の類を読まないのだが、久しぶりに、毎日、少しずつ読んでいる。

 なかなか、読み応えのある面白い時代小説だ。

 アジールのことが書かれた小説で、網野善彦の歴史観が連想される。

 
 


※ 神無き月十番目の夜
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何も書かない。
2007-11-16-Fri  CATEGORY: 未分類

 今日は、特に書くことはないので、
   無理をして書かない。

 今日は、これまで。失礼いたします。

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いつか、きっと。
2007-11-15-Thu  CATEGORY:
先日、家人と確認し合った。
何年先か、何十年先かわからないけれど
仕事やめたら、二人でバイクに乗って日本一周しよう、と。
 (以前は、自転車だった。しかし、今は、お互いに自転車で走り回るのは自信がない。)

  そのためもあって、
家人は小型自動二輪免許を取得している。
私は中型自動二輪免許を取得している。

 家人は125ccのスクーター、私は250ccのスクーター。それぞれのバイクにまたがり津々浦々、隅々までたずねて歩く。

 おもしろいだろうなあ。
 雨の降る日は、どこかで「じっと」している。天気のいい日に移動するのだ。
想像するだけで、わくわくしてくる。

 全国の、広くて薄い紐帯の皆様、その節は、よろしくお引き回しのほど、お願いいたします。(笑)

  それまで、二人とも健康で居なくては。。
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落札率。
2007-11-14-Wed  CATEGORY: 建設
今年、弊社が受注した工事の落札率を計算してみた。

設計価格を100とした場合、今年の落札率の平均はだいたい82%になっている。従来よりも、 15%ぐらい低下していることになる。と、いうことは付加価値が15%落ちた、ということだ。

  弊社の場合、受注は、総合評価方式をとっている国交省が主体なので、このあたりの数字 ですんだ。一概にはいえないが、県などは大変だ。県の平均落札率は77%前後という数値が並ぶので、落札率だけをとれば「まだ、マシ」なのかな、と思う。

 しかし、仕事というのは「落札率」だけではない。
 早く、着手して、早期に完成させることができる、というのも重要だ。

 県の場合、発注時においてすべての施工上の問題は、ほとんど解決されていることが多い。
 反対に、国の場合は、県ほどではないので、何か問題があると仕事が停止する。なので、長引いたりする。
 場合によっては、予算の関係で打ち切りになることもある。

 県は、業者に対して相対的に「優しい」。つまり、県そのものは厳しいかもしれないけれど「国」と相対的に比べれば、地元企業には優しいのである。

 どちらにしても、15%という数字は重く厳しい。例えば10億の15%は1億5千万円である。

 一般的な地場中小建設産業は、税引き前利益は3~4%ぐらいだ。(・・と思う。)
 県内の、ほとんどの地場建設業の今期における実際の決算は、赤字になるような気がする。

 このままいくと、数年後には、地場の建設産業は、絶滅危惧種どころか、本当に姿を消してしまうかもしれない。

 絶滅しないためには、原価低減努力をやりながら「平均落札率を上げる」ことが大切だ。これは、オンブズマンの方たちとは逆の意見になる。
   平均落札率を上げるためには・・・・・・

 よろこばれるような「いい仕事」をしつつ、高い評価を引き出す。
 事故や災害を限りなくゼロに近づけていく努力をする。

ほかにもいろいろあるが、基本は、この二つにつきるのではないだろうか。

そのために、会社も社員も一緒になって努力していく、これしかない。

しかし、上に書いたことは「まだ、仕事がある」ときの話だ。

  社会的インフラが整備されていくと、厳しい財政事情(本当に厳しいのかは別として・・)と、あいまって「仕事」は大幅に減ってくる。(・・といわれている。)

 そうで、あるとすれば、我々の仕事は「自然災害の復旧工事」と「社会資本ストックの維持工事」の工事しかなくなる。

 それからが、本当の正念場だ。


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ペナルティ。
2007-11-13-Tue  CATEGORY: 建設


 法律や社会的倫理を犯すとペナルティが下る。
 ペナルティとは何だろう。 罰?
 
  なんで「罰」を下すのだろう。

 「再発防止のため」と仮定してみる。

 国交省の「入札談合防止対策検討委員会」の取りまとめた報告書の中に「建設業者が今後入札談合を行なうことのないように、不正行為を行った場合のペナルティを強化すること」という一文がある。つまり「ペナルティ」は、再発防止のため、と考えることが順当のようどある。
 たしかに、こういう重いペナルティが下されるとするならば、これだけでも「もう、談合はしない」と、ほとんどの業者は決意するだろう。

 自らの意思で「やらない」という決意だけで再発は防止できるのである。

 しかし、事故とか災害は、業者の自らの意思だけでは、無くならない。人はミスを犯す生き物だ。畳の縁にけつまずいて転倒し足の骨を折るとこもあれば、風呂場で足を滑らして大怪我をする人もいる。事故や災害は、関係者が、いくら細心の注意をはらっても、自らの意思だけで無くすことはできない。(・・と思う。)

 事故や災害は、いろいろな条件が重なり合って発生する。

 それに対して、重いペナルティを下すのは、酷じゃないか、といいたい。
 事故や災害を限りなくゼロにするため、未然に防ぐために、現場担当者が懸命に努力していても、ちょっとした不注意によって起こされたトラブルに対しては、再発防止のためにも、今少し、寛容にできないものだろうか。こういう処罰だけでは、再発防止にはつながらないと思うのだが・・・。

 本気で事故や災害をゼロに近づけたいなら、ただ単に罰を下すというのではなく、事故の発生に至った、様々な要因を調べて、対策をたてることが、いちばん大切だと思う。

 いたずらに罰ばかり下していては、事故が起きた要因が、わからないまま、同じようなトラブルが再発すると思う。

 ひねくれた考えかもしれないが、いまの方法だと、こういったペナルティ主義は、多すぎる業者を十把ひとからげにして数を減らす、という目的が、再発防止の後ろに見え隠れしているようにも思えてしまう。

 

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とろろ乃湯。
2007-11-12-Mon  CATEGORY:
 
昨日、大分は耶馬溪の山中にある「とろろ乃湯」に行ってきた。

 【とろろ乃湯】
 
拡大地図を表示


 この温泉は、耶馬溪ダムの左岸側の細い道をのろのろと上り詰めたところにある。
  私たちの乗った貸し切りバスは、道路沿いの樹木に車体をこすられながらも、慎重に進んでいく。山々が迫り、段々畑が広がっている。下には小さな小川が流れている。そこに温泉「とろろ乃湯」があった。

  温泉から先は、荷車が通れるぐらいの、草、ぼうぼうの農道があるだけだ。

 
 
 駐車場のそばに、引き入れられたパイプから、温泉がどぼどぼと出ていた。手を入れると、かすかに暖かい。
 


 この温泉は、地鶏の料理をメインにしている。

 炭火焼。からあげ。さしみ。ひなたには、特別につくってくれた。

 私は、まよわず、さしみ定食を注文した。
 同行の人たちが食べている、七輪からもうもうと立ち昇る地鶏の炭火焼もうまそうで「炭火焼がよかったかな」と、ちょっとだけ後悔した。

 しかし、新鮮な地鶏の砂肝やささ身を、すりおろした生姜を溶かした醤油につけて、食べると、ちょっとした後悔も忘れてしまった。
とろろ乃湯 さしみ

 ひなたも、私と一緒で「生肉」が好きだ。あとからサービスで出てきた、さしみを手づかみで醤油をくぐらせて、夢中に食べていた。 

 食事のあと、温泉に入った。ヒノキ風呂と露天風呂と五右衛門風呂がある。
 体を洗い流し、まず露天風呂につかった。温度は、ぬるめ。体がふやけてしまうまで、入っていられる温度だ。このまま、寝てしまいそうになる。
露天風呂

 そのあとヒノキ風呂に移動。ここは、露天風呂より熱い。適温だ。
ひのき風呂


 温泉で、ほてった体をバスの座席にあずけたまま、本耶馬溪に行った。
 絵葉書で見る、紅葉の耶馬溪を思い浮かべていたが、紅葉は、そこかしこしか見られず、本番はまだ先のようである。
本耶馬渓

 「恩讐のかなたに」の禅海和尚が掘った、青の洞門を見た。凝灰岩をくりぬいて造られた隧道を歩いた。ノミの跡が残っている。

 耶馬渓は、9万年前の阿蘇火砕流が浸食されて形成されたと勝手に思っていたが、ぜんぜん違うようだ。100万年前に九州中部で巨大噴火があり、そのカルデラが今の耶馬溪付近にあったらしい。今は、カルデラが埋没して痕跡も見えない。猪牟田カルデラ(ししむたカラデラ)という。

 つまり、耶馬溪の地質は、100万年前の噴出物で出来た溶岩台地が永年にわたり侵食されて形成された。

 禅海和尚は青の洞門の通行料を徴収していたとか。有料道路の草分け的存在かもしれない。

 再び、バスの座席を倒して、うつらうつらしながら帰宅した。
 
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黄牛の滝。(あめうしの滝)
2007-11-07-Wed  CATEGORY: 未分類
この前の日曜日、大分県竹田市にある「黄牛の滝」に行った。

 あまり人には知られていない、滝だ。個人的には、ミニナアイガラの原尻の滝より、好きだ。

 【黄牛の滝】

拡大地図を表示

 7万年前に大噴火した阿蘇の火砕流が流れ下った、渓谷の中に、轟音を響かせている。
 
 

 

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 昭和30年代、徳島県貞光町の職業事情に思う。
2007-11-06-Tue  CATEGORY: 建設

(移動店舗編)

【こうもり傘の修繕のオヤジ】
傷痍軍人。右腕の肘から先が無かった。銅の色をした丸い筒をはめていた。移動は
歩行である。

【鍋や釜の修理のオヤジ】
移動は徒歩。穴の開いたなべ釜を歩いて集めて、自宅に戻り修理していた。

【魚売りのオヤジ】
自転車の荷台に魚の入った箱を載せ、売り歩く。箱の蓋をまな板代わりにして、目の前で三枚におろしたりしてくれた。買った記憶はない。

【ウサギなど獣肉売りのオヤジ】
自転車の荷台に、ウサギを入れたカーゴを乗せて、売り歩く。ウサギは、生きていた。もちろんペット用ではない。食用である。買ったことはない。

【紙芝居のオヤジ】
定番。説明は略す。

【リヤカーを改造した屋台の店】
(かき氷、ところてん、たこ焼き、お好み焼き、わらび餅)
春夏秋冬にあわせて、町中を売って歩いていた。たこ焼きは、おばさんだった。

【アイスキャンデー売りのオヤジ】
自転車と徒歩で移動。半袖シャツに麦わら帽子を被って「ガランガラン  」と鐘を振って「キャンデー、キャンデー」と叫んで歩いていた。

【汲み取りのオヤジ】
リヤカーに肥桶を6つほど乗せて移動。子供からは嫌がられた。

【ロバのパン】
ご存知、ロバのパン。値段が高いので、近寄って見るだけ。買ったことなし。

 なぜ、こういった職業は消えたのだろう。
存在理由がなくなったからではない。この世には、存在理由の無いものはない。どういうものでも、存在理由は(多分)ある。

 時代が変わり、世の中が変化したことによって、価値観も変化したのだ。
 それは、効率化と合理化のせいだ。

 でも、効率化、合理化だけでは、割り切れないものがある。

 今日のNHKお昼のニュースでは「宮崎県内の10月度企業倒産件数。建設業29件、サービス業9件、小売業9件」とアナウンサーの声。全体の62%が建設業の破産だ。県内建設業の破産、倒産は、歯止めがかからないといった状況。

 いつのまにか消えてしまうのか。

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身近にいた、やくざ。
2007-11-01-Thu  CATEGORY: 昭和の話

 別ブログをそのままコピペしました。^^;

 身近にいたやくざ。 
 先日、東映映画「人斬り唐獅子」を観たせいか、やくざのことを思い出している。やくざといっても、理不尽な人とは違う。暴力団ではないほうのやくざである。 
 
 私の生まれ育った町、貞光町にも居た。ヤクザではなく任侠の徒といいたい。私の兄の友人の父が元・親分であった。阿波踊りの名人で、真夏の真っ盛りでも長袖を着て、肌の刺青をひとに見せることはなかった。当時の任侠の徒は「堅気さんに迷惑をかけない」という決まりごとをストイックに守る、そういう人たちであった。 
 
 この、元・親分はおとなしくてやさしい好々爺で「子供には、とくにやさしかった。思えば、ヤクザ者」の匂いのする人ではなかった。父の友人でもあった。 
 
 また、街の銭湯に行くと、背中一面に彫り物をしている人に、よく出会った。Uという方で、とっくに足を洗って、町議をしていたようだ。最後は、議長にもなられたような記憶がある。多分、地元のために尽くす、人格者だったのだろう。で、なければ政治家には選ばれないであろう。 
 
 しかし、風呂場で見る、背中一面の刺青は、子供心には、ちょっと近づきがたいものがあった。おそる、おそる、上半身に彫られた「絵」を見ていたりしていたものだ。 
 
 この方の彫り物は「透かし彫り」といって、普段は見えないのだけれど、お湯などにつかって暖めると、総天然色の図柄浮き上がってくる、というふうに聞いていたように思うのだけれど、一回もそのような場面には出くわさなかった。タオルで前を隠し、風呂場に入ってくるときから総天然色だった。 
 
 小さい頃は、身近に、任侠の徒が居て、あまり違和感もなく、普通に生活していたのだ。 
 
 そのせいか、どうかはわからないが、私の同級生には、その道に進んだものが数名ほど居るらしい。「ええっ?まさか、あの奴が」という子もいるし、「うんうんと納得できる」のも居た。あの世界で30年以上もつとめているのなら、今は、大幹部かもしれない。 
 
 そういう時代だったのであろう。 
 
・・・・・・ということで本日はこれで失礼いたします。
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