貞光劇場に映画を観にいきたい。
貞光劇場は、昭和7年に造られ、今でも現役で映画を上映している日本でも屈指の古い映 画館だ。
現在、徳島県内には、徳島市にある「徳島ホール」と北島町にある、いわゆるシネマコンプレックスと「貞光劇場」の三軒しかない。孤高の映画館だ。
子供の頃には、この映画館で「市川右太衛門の旗本退屈男」や「月形龍之介の水戸黄門」などが上映されていたものだ。
中に入ると、右側と左側に館内に入る出入り口がある。左側に進んでいくと「売店」もあった。一階席と二階席があり、二階席は10円ぐらい高かったような記憶がある。
一階は、打ちっぱなしのコンクリートの床に長いすが何列も並べられている。正面は回り舞台つきのスクリーンがあった。
今は、ピンク映画専門館になっているが、それでも観てみたい。
貞光町(合併して、つるぎ町という安易な名前に変わっている。)が誇るべき、そして、後世に残してほしい文化財だ。
【貞光劇場 徳島県美馬郡貞光町宮下 電話088(362)2111】
朝、起きて外をみると、あたりいちめん真っ白な雪が積もっていた。
うれしくて、うれしくて「わーー雪だ」と声をあげた。
真向かいの谷さんの屋根にも、道にも、荷車にも雪が積もっていた。
庭の木々にも、ゴミ箱ににも積もっていた。
幼なじみの逢坂のノブ君の屋根にも、遠く見える「ひがっしゃま(東山)」にも雪は積もっていた。
家の裏の五段ほどの石段にも、腰をかけているようにして雪が積もっていた。
軒先には、透明な氷柱が下がっていた。
両手いっぱいに伸ばした竹棒の先を、氷柱に入れて、ちょっと力をこめると「ポキッ」と乾いた音をたてて氷柱が折れた。
ゆっくりと、竹の棒を手元にたぐり氷柱をとる。これに、白砂糖をちょっとまぶして「ガリガリ」と食べる。
そうこうしているうちに、子供たちがいつとはなしに集まり、雪で遊ぶ。雪合戦、雪ダルマ。
また、そういう正月をすごしたいものだ。
「いい仕事」をしている職人と話をしていると楽しい。
ひとつひとつの言葉が「いい仕事」をする、という一点に向けられている。
いい仕事をしなければ仕事がもらえない、という。
腕のいい職人は「いい仕事」をするためなら絶対に妥協しない。
「ま、これぐらいにしておくか」ができない。
そういう職人を知っている。
今日も、楽しい会話をしてきた。
コンクリートを打つ、という作業ひとつとっても、見識が深い。
コンクリートの専門書などは読んだことないはずだ。しかし、出てくる言葉は、いちいち理に かなっている。知人の大学教授が言うような言葉がすらすらと出てくる。
これは、ずっと、いい仕事をすることを心がけてきた職人が豊富な経験で得た、活きた知 識だ。
ひとつひとつの言葉が「いい仕事」をする、という一点に向けられている。
いい仕事をしなければ仕事がもらえない、という。
腕のいい職人は「いい仕事」をするためなら絶対に妥協しない。
「ま、これぐらいにしておくか」ができない。
そういう職人を知っている。
今日も、楽しい会話をしてきた。
コンクリートを打つ、という作業ひとつとっても、見識が深い。
コンクリートの専門書などは読んだことないはずだ。しかし、出てくる言葉は、いちいち理に かなっている。知人の大学教授が言うような言葉がすらすらと出てくる。
これは、ずっと、いい仕事をすることを心がけてきた職人が豊富な経験で得た、活きた知 識だ。
無料経済。
自宅のディスクトップパソコンや予備のノートパソコンに入れている「ノートン」の更新が切れた。
どうしようかなと思って、あちこち探していたら、使いかってがよくて高性能の奴が見つかった。アンチウイルスソフト、ファイアウォール、アンチスパイウェアなどの各種セキュリティ機能が統合されていて、私の使っているノートンよりも高機能だ。しかも、無料である。
キングソフト。
ネットでは、無料のものが多い。
代表格はグーグルだ。ワード、エクセル、パワーポイントと同じようなソフト。
グーグルアース、グーグルマップ、グーグルスケッチアップ、Picasa2、G-male、グーグルカレンダー、Youtubeその他いろいろと無料の便利なツールがある。
私は、Gmall グーグルカレンダーは、毎日、使っている。
ただより 高いものはない・・・・・は昔よくいわれた。
今は、ちょっと違う。
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ただより 高いものはない・・・・・は昔よくいわれた。
今は、ちょっと違う。
「優柔不断」とは。。
気が弱く決断力に乏しいこと。また、そのさま。「―な(の)態度」
ぐずぐずしていて、判断するのに迷いが生じること。また、そのような性格の人。
と、意味合いがある。
どちらにしても、あまりよくない。
私は、どちらかというと「優柔不断」だ。
白とか黒とか、なかなか決められないのだ。
Aの言い分もわかるし、Bの言いたいこともわかる。
どちらかにしろ、ということになり、考えたあげく、「白だ」と判断を下さざるをえない場面になったとしてもだ。
はっきりと「コレだ!!」と、なかなかいえないことのほうが多い。(・・と思う。)
でも、自分の優柔不断は、嫌いではない。
開き直っているわけではないが、白とか黒とか決めることじたいが、間違っていることだって、かなりあると思う。
これからも、曖昧な自分、優柔不断で生きていきたいと思っている。
気が弱く決断力に乏しいこと。また、そのさま。「―な(の)態度」
ぐずぐずしていて、判断するのに迷いが生じること。また、そのような性格の人。
と、意味合いがある。
どちらにしても、あまりよくない。
私は、どちらかというと「優柔不断」だ。
白とか黒とか、なかなか決められないのだ。
Aの言い分もわかるし、Bの言いたいこともわかる。
どちらかにしろ、ということになり、考えたあげく、「白だ」と判断を下さざるをえない場面になったとしてもだ。
はっきりと「コレだ!!」と、なかなかいえないことのほうが多い。(・・と思う。)
でも、自分の優柔不断は、嫌いではない。
開き直っているわけではないが、白とか黒とか決めることじたいが、間違っていることだって、かなりあると思う。
これからも、曖昧な自分、優柔不断で生きていきたいと思っている。
公と私と。
公私混同という言葉がある。
仕事上における公私混同はできるだけ避けなくてはいけない。
会社は、公だ。会社は個人のものだけではない。社員のものでもある。
公私混同が大きくなると、どうなるのか。
①士気やモラルが低下してくる。
②社員の間にも「公と私」の混同が出てくる。
公私の区別は明確にすることは難しいかもしれないが、その人自身の哲学で「ここまで」と区別をつけて、それを実行していけば、それはそれでいいと思う。しかし、私の部分が段々とエスカレートし、広がってくると、①や②で懸念されるようなことが起きるかもしれない。人は自分のことはあまりわかっていない。人のことばかり気にしすぎてもいけないが、人が、私のすること見たらどう思うだろうか、というぐらいの想像力を働かせ、それを自分の中の物指しにあてがってみるぐらいのことは必要だと思うのである。
①や②になれば、その会社自身のモラルが下がり、ゆくゆくはだめになってしまうのだと確信している。① や②にならないように、いきたいものだ。
公私混同という言葉がある。
仕事上における公私混同はできるだけ避けなくてはいけない。
会社は、公だ。会社は個人のものだけではない。社員のものでもある。
公私混同が大きくなると、どうなるのか。
①士気やモラルが低下してくる。
②社員の間にも「公と私」の混同が出てくる。
公私の区別は明確にすることは難しいかもしれないが、その人自身の哲学で「ここまで」と区別をつけて、それを実行していけば、それはそれでいいと思う。しかし、私の部分が段々とエスカレートし、広がってくると、①や②で懸念されるようなことが起きるかもしれない。人は自分のことはあまりわかっていない。人のことばかり気にしすぎてもいけないが、人が、私のすること見たらどう思うだろうか、というぐらいの想像力を働かせ、それを自分の中の物指しにあてがってみるぐらいのことは必要だと思うのである。
①や②になれば、その会社自身のモラルが下がり、ゆくゆくはだめになってしまうのだと確信している。① や②にならないように、いきたいものだ。
別ブログ「日々読み書き」と同じ内容で、お茶をにごす。
現場の朝は早い。多くの現場では7時前後には出勤している。早いものになると6時過ぎぐらいに出ている社員もいる。
私たちが、昔、現場を担当していた頃は、そうではなかった。作業をしてくれる人たちよりも、ちょっと早いか、ひどいときはその人たちと同時になることや、少し遅れて入ることもあった。
今、考えてみると「ほんと、だめだったなぁ」と思う。甘えがあったとしか思えない。いまさらながら、なさけないなあと過ぎ去った過去の自分を責める気持ちになる。
朝、余裕をもって早めに現場に行き、当日の準備などを整えながら、作業をしてくれる人たちが出勤してくるのを待つ、そうでないと「いい仕事」などは絵に描いた餅になるように思う。
工事という一大プロジェクトを「いい仕事」で完結するためには、仕事に対する「姿勢」とか「心構え」といった目に見えないものが、いちばん重要なのだ。
それは、ひとつの工事の経営者としての立場、技術者としての立場だけではなくて、一緒に「いい仕事」をすすめていく、といったリーダーとしての考え方が必要なのだと思う。
その点、今の、中堅から若手の多くの技術者たちは、素晴しいと思う。自覚と責任とプライドをきちんともって臨んでいる。
こうした技術ミームが途切れないように、伝えていきたいものである。
現場の朝は早い。多くの現場では7時前後には出勤している。早いものになると6時過ぎぐらいに出ている社員もいる。
私たちが、昔、現場を担当していた頃は、そうではなかった。作業をしてくれる人たちよりも、ちょっと早いか、ひどいときはその人たちと同時になることや、少し遅れて入ることもあった。
今、考えてみると「ほんと、だめだったなぁ」と思う。甘えがあったとしか思えない。いまさらながら、なさけないなあと過ぎ去った過去の自分を責める気持ちになる。
朝、余裕をもって早めに現場に行き、当日の準備などを整えながら、作業をしてくれる人たちが出勤してくるのを待つ、そうでないと「いい仕事」などは絵に描いた餅になるように思う。
工事という一大プロジェクトを「いい仕事」で完結するためには、仕事に対する「姿勢」とか「心構え」といった目に見えないものが、いちばん重要なのだ。
それは、ひとつの工事の経営者としての立場、技術者としての立場だけではなくて、一緒に「いい仕事」をすすめていく、といったリーダーとしての考え方が必要なのだと思う。
その点、今の、中堅から若手の多くの技術者たちは、素晴しいと思う。自覚と責任とプライドをきちんともって臨んでいる。
こうした技術ミームが途切れないように、伝えていきたいものである。
富田常男の「姿三四郎」を、夢中になって読んだ頃がある。TVでもドラマ化されてヒットした。
三四郎にしか出来ない必殺技「山嵐」を引っさげて、柔術、空手、ボクシングなどの他流試合に挑戦し勝ち続けていく三四郎。
矢野正五郎(三四郎の師)が、いままでの柔術では駄目だ、として新しい武道「柔道」を創始する。そこに、天才、三四郎が入門し、メキメキと腕上げて、トリックスターとなって、柔道が全盛になってしまう。
江戸時代から、明治に代わり、時代が大きく変化し、古くから伝わってきた武道も変化をよぎなくされていた。
それまでは、各流派の柔術があった。しかし、柔道がそれにとってかわり、スポーツ柔道に変わり、今になっているとしたら、日本人が金メダルを取れなくなっても、なんの不思議もないなあ、と思うのである。
作詞 荒木良治 作曲 大泉逸郎
1 なんでこんなに 可愛いのかよ
孫という名の 宝もの
じいちゃんあんたに そっくりだよと
人に言われりゃ 嬉しくなって
下がる目じりが 下がる目じりが えびす顔
2 もみじみたいな 小さな手でも
いまにつかむよ 幸せを
仕事いちずで 果たせなかった
親の役割 代りの孫に
今は返して 今は返して いるところ
この前、TVで、大泉さんの歌う「孫」が流れていました。
この歌、もちろん、知ってはいましたが、今までは、右の耳から左の耳に流れていく、といった具合でした。
はじめて、じっくりと聞きました。
ひなたという目の中に入れても痛くない「孫」の実物を目の前において聞くと、共感いや共鳴してしまいます。
特に二番のピンク色の歌詞の部分では、思わず、家人と顔を見合わせて苦笑してしまいました。膝を叩く、というのはこういう場面かもしれません。
世の中のジジとババは、みんなこういう感慨にひたるのだろうなあ、としみじみ感じました。
1 なんでこんなに 可愛いのかよ
孫という名の 宝もの
じいちゃんあんたに そっくりだよと
人に言われりゃ 嬉しくなって
下がる目じりが 下がる目じりが えびす顔
2 もみじみたいな 小さな手でも
いまにつかむよ 幸せを
仕事いちずで 果たせなかった
親の役割 代りの孫に
今は返して 今は返して いるところ
この前、TVで、大泉さんの歌う「孫」が流れていました。
この歌、もちろん、知ってはいましたが、今までは、右の耳から左の耳に流れていく、といった具合でした。
はじめて、じっくりと聞きました。
ひなたという目の中に入れても痛くない「孫」の実物を目の前において聞くと、共感いや共鳴してしまいます。
特に二番のピンク色の歌詞の部分では、思わず、家人と顔を見合わせて苦笑してしまいました。膝を叩く、というのはこういう場面かもしれません。
世の中のジジとババは、みんなこういう感慨にひたるのだろうなあ、としみじみ感じました。
子供の頃から映画が好きだった。
東映時代劇。東宝の特撮。日活のマイトガイ。みんな好きだった。
なかでも、東宝はいちばんだった。
東宝特撮で、特に印象が残っているのは「ゴジラの逆襲」「モスラ」「キングコング対ゴジラ」「地球最大の決戦」「宇宙戦争」「海底軍艦」「妖星ゴラス」「フランケンシュタイン対バラゴン」である。
このほかにも「モスラ対ゴジラ」などの「いい映画」もあるが、脳裏に焼きついているといえる特撮映画は、この八作品である。
ひとつひとつに思い出がある。
今のCGを多用した作品も、悪くはない。
しかし、安易すぎる。リアル過ぎる。
ゴジラなど、簡単に、熱線を吐く。
そして、ついには、モスラやラドンまで光線を出したり熱線を吐いたりしている。
数十年前のゴジラたちは、そうではなかった。
きちんと、体と体をぶつけ合って戦っている。
ゴジラの熱線などは、刺身のつま、みたいなものだ。
脚本も、しっかりしている。怪獣映画でありながら、人の悲哀、喜び、むなしさ、そういったものが背景に流れている。
ゴジラの逆襲はモノクロ映画だ。アンギラスが登場しゴジラと戦う。はじめて怪獣同士が戦う映画だ。
モスラは総天然色映画だ。ゴジラとは違う怪獣が登場し暴れまわる。
フランケンシュタイン対バラゴン、これも、いい映画だ。
能書きは書けないが、機会があれば観る価値はあると思う。
妖星ゴラス。惑星が地球に衝突。人類は南極にロケットエンジンを設置して、惑星が衝突する前に、地球を移動して激突を回避する、といった素晴しい(?)アイデアだ。
こういう映画、また作るといいのになあ、と思う。
東映時代劇。東宝の特撮。日活のマイトガイ。みんな好きだった。
なかでも、東宝はいちばんだった。
東宝特撮で、特に印象が残っているのは「ゴジラの逆襲」「モスラ」「キングコング対ゴジラ」「地球最大の決戦」「宇宙戦争」「海底軍艦」「妖星ゴラス」「フランケンシュタイン対バラゴン」である。
このほかにも「モスラ対ゴジラ」などの「いい映画」もあるが、脳裏に焼きついているといえる特撮映画は、この八作品である。
ひとつひとつに思い出がある。
今のCGを多用した作品も、悪くはない。
しかし、安易すぎる。リアル過ぎる。
ゴジラなど、簡単に、熱線を吐く。
そして、ついには、モスラやラドンまで光線を出したり熱線を吐いたりしている。
数十年前のゴジラたちは、そうではなかった。
きちんと、体と体をぶつけ合って戦っている。
ゴジラの熱線などは、刺身のつま、みたいなものだ。
脚本も、しっかりしている。怪獣映画でありながら、人の悲哀、喜び、むなしさ、そういったものが背景に流れている。
ゴジラの逆襲はモノクロ映画だ。アンギラスが登場しゴジラと戦う。はじめて怪獣同士が戦う映画だ。
モスラは総天然色映画だ。ゴジラとは違う怪獣が登場し暴れまわる。
フランケンシュタイン対バラゴン、これも、いい映画だ。
能書きは書けないが、機会があれば観る価値はあると思う。
妖星ゴラス。惑星が地球に衝突。人類は南極にロケットエンジンを設置して、惑星が衝突する前に、地球を移動して激突を回避する、といった素晴しい(?)アイデアだ。
こういう映画、また作るといいのになあ、と思う。
弊社の社訓は「一流の企業に一流の社員。企業の安定成長と社員の生活向上」となっている。これは、現・会長が、考えた社訓で、34年前に入社したときには各室に社訓を書いた額が飾られていた。
この「一流の企業に一流の社員」というフレーズは、今になって、考えてみると、なかなか含蓄に富んでいる、いいフレーズだな、と思う。
我々地場の建設業は、いわゆるドメスティック産業だ。
第三者から一流の企業と思われるように、自分たちがそう思えるようになるためには「贈与的」なものが必要だし、それを目標とする、という意味もある。一流の社員がそろえば企業も一流になる。
目的を取り間違ってはならない。目的と目標は違う。
的に向かって突き進んでいくためには「標し(しるし)」があったほうがいい。いわば、マイルストーンだ。目指すのはあくまで「的」だ。それを間違った企業は経営を危うくさせる。
この「一流の企業に一流の社員」というフレーズは、今になって、考えてみると、なかなか含蓄に富んでいる、いいフレーズだな、と思う。
我々地場の建設業は、いわゆるドメスティック産業だ。
第三者から一流の企業と思われるように、自分たちがそう思えるようになるためには「贈与的」なものが必要だし、それを目標とする、という意味もある。一流の社員がそろえば企業も一流になる。
目的を取り間違ってはならない。目的と目標は違う。
的に向かって突き進んでいくためには「標し(しるし)」があったほうがいい。いわば、マイルストーンだ。目指すのはあくまで「的」だ。それを間違った企業は経営を危うくさせる。
映画「十三人の刺客」を、途中まで観た。あまり夜が遅くなると、朝が眠たいので「ちょっとづつ」観ることにしたのだ。
「十三人の刺客」は、昭和38年つまり1963年に封切られたモノクロ映画だ。
主演は「片岡千恵蔵」。
片岡千恵蔵は存在感のある俳優だ。さすが「主役」である。
冒頭部からぐんぐんと作品の中に引き入れられる。重厚なつくりで「これは、おもしろうそうだぞ」と思わさしめる作品である。面白さが、このままエンドエールの「終」だか「完」まで持続されていることを期待したい。
私は、片岡千恵蔵を見ていると、全く関係ないのに、なぜか、プロレスの「豊登」を思い出してしまう。
子供のころは、何気なく見ていたが、今、こうして観ると、このような「迫力」があり、存在感のある役者はあまり居ないように思える。
さて、今夜も、観てみよう。
「十三人の刺客」は、昭和38年つまり1963年に封切られたモノクロ映画だ。
主演は「片岡千恵蔵」。
片岡千恵蔵は存在感のある俳優だ。さすが「主役」である。
冒頭部からぐんぐんと作品の中に引き入れられる。重厚なつくりで「これは、おもしろうそうだぞ」と思わさしめる作品である。面白さが、このままエンドエールの「終」だか「完」まで持続されていることを期待したい。
私は、片岡千恵蔵を見ていると、全く関係ないのに、なぜか、プロレスの「豊登」を思い出してしまう。
子供のころは、何気なく見ていたが、今、こうして観ると、このような「迫力」があり、存在感のある役者はあまり居ないように思える。
さて、今夜も、観てみよう。
この頃、デジカメで撮影するとき「動画モード」で撮影することが多くなってきた。
YouTubeやグーグルビデオなど投稿サイトが便利になったのも理由のひとつだ。
ひなたの写真を撮ろうとしても、動き回るひなたの写真は、なかなかいいものが撮れない。
いきおい、動画モードにしてしまうのだ。
たとえば、こんな(↓↓)具合だ。
動画は、静止画像よりも情報が多く伝えられる。いや、多すぎるようにも思える。
ちょっとズルしているなぁ、楽し過ぎだなぁ、と思ったりもする。
静止画像は、動画ほどではないにしても「想像」がかきたてられるし「含蓄」というのもある。
本当は、静止画像でとどめておくべきだったのかもしれない。
YouTubeやグーグルビデオなど投稿サイトが便利になったのも理由のひとつだ。
ひなたの写真を撮ろうとしても、動き回るひなたの写真は、なかなかいいものが撮れない。
いきおい、動画モードにしてしまうのだ。
たとえば、こんな(↓↓)具合だ。
動画は、静止画像よりも情報が多く伝えられる。いや、多すぎるようにも思える。
ちょっとズルしているなぁ、楽し過ぎだなぁ、と思ったりもする。
静止画像は、動画ほどではないにしても「想像」がかきたてられるし「含蓄」というのもある。
本当は、静止画像でとどめておくべきだったのかもしれない。
私の音楽。
三橋美智也。春日八郎。
西郷輝彦。橋幸夫。舟木一夫。
そして、グループサウンズ。
タイガース。ブルーコメッツ。ジャガーズ。ワイルドワンズ・・・・・・・・・。
そのあと洋楽のフォーク。
PPM。ジョーンバエズ。ブザースフォア。キングストントリオ・・・・・。
日本のフォーク。
高石友也、岡林信康。高田渡。吉田拓郎。加川良。フォーククルセダース・・・・・・。
私の音楽シーンは、このように続いてきた。
中でも、フォークの神様こと岡林信康は、憧れだった。
そのライブをBSで観た。
現在の、演歌や民謡っぽい歌も素晴しいが、あの頃の歌もいい。
山谷ブルース。チューリップのアップリケ。
「♪なんとでもいうがいいさ。良い子でいたいおりこうさん。あんたにゃわかるまい、今日乗り越えて明日に生きることなんか」の今日乗り越えて。
自由への長い旅。
26番目の秋。
流れ者。
あの頃がよみがえってくるではないか。
思わず、なぜか焼酎の瓶を取り出し、生のまま飲む。
焼酎を飲みながら岡林の歌を聴く。
当時の岡林と比べて力が抜けている。明るくなっている。まるくなっている。声がきれいになっている。歳を重ねたフォークの神様は、風格が出てきている。
やはり、当時の音楽、いいなあ。懐かしさだけでなく、いいなあ。
三橋美智也。春日八郎。
西郷輝彦。橋幸夫。舟木一夫。
そして、グループサウンズ。
タイガース。ブルーコメッツ。ジャガーズ。ワイルドワンズ・・・・・・・・・。
そのあと洋楽のフォーク。
PPM。ジョーンバエズ。ブザースフォア。キングストントリオ・・・・・。
日本のフォーク。
高石友也、岡林信康。高田渡。吉田拓郎。加川良。フォーククルセダース・・・・・・。
私の音楽シーンは、このように続いてきた。
中でも、フォークの神様こと岡林信康は、憧れだった。
そのライブをBSで観た。
現在の、演歌や民謡っぽい歌も素晴しいが、あの頃の歌もいい。
山谷ブルース。チューリップのアップリケ。
「♪なんとでもいうがいいさ。良い子でいたいおりこうさん。あんたにゃわかるまい、今日乗り越えて明日に生きることなんか」の今日乗り越えて。
自由への長い旅。
26番目の秋。
流れ者。
あの頃がよみがえってくるではないか。
思わず、なぜか焼酎の瓶を取り出し、生のまま飲む。
焼酎を飲みながら岡林の歌を聴く。
当時の岡林と比べて力が抜けている。明るくなっている。まるくなっている。声がきれいになっている。歳を重ねたフォークの神様は、風格が出てきている。
やはり、当時の音楽、いいなあ。懐かしさだけでなく、いいなあ。
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