Author:G3(じーさん)
孫が居るので、そのまんまG3(じーさん)です。
徳島県で生まれ育ち、宮崎県に住んでいます。
地場中小建設業に勤務する、自称土木技術屋です。最近は、永く現場を離れているため、培われた「技術」も、かなりあやしくなっています。
●たかが資格、されど資格。
普通自動車免許
自動二輪免許(ただし400CCまで)
衛生管理者
労働安全コンサルタント(土木)
宅地建物取引主任者(ペーパードライバー)
乙種火薬類取扱保安責任者(実際に爆破作業に従事していたのは二十年以上も前なので、ペーパードライバー気味かな・・)
技術士(建設部門「施工計画、施工設備及び積算」)
技術士(総合技術監理部門)
一級土木施工管理技士(これで仕事していたものだ)
一級造園施工管理技士(ペーパードライバー)
二級管工事施工管理技士(これも、ペーパードライバー)
VEリーダー (これもぺーパードライバーだな・)
コンクリート技士(コンクリートと地質が好きです)
好きなもの、嫌いなもの。
【好きなもの】盆踊り、渡し舟、縄文時代、近代の土木構造物、食べること、河川、非・合理、フォークソング、加川良、高田渡、書物、落語、講談、映画、Web・・・・・
【嫌いなもの】脱脂粉乳、蛇、卑怯な人、理不尽な人、薬、注射、合理、弱肉強食。。。。。。。。
「宇宙大戦争」を観た。
東宝の特撮映画である。
1959年に造られている。
洋画にも「宇宙戦争」があるが、こちらのほうが勝っている。 (・・と思う。)
「スターウォーズ」は「隠し砦の三悪人」の影響を大きく受けているということだが、ひょっとしたら、この「宇宙大戦争」の影響もあったのかもしれない。
宇宙人の乗るUFOと、地球軍のバトルシーンは、当時のことを思えば、すごいものがある。
メカニックのデザインは、あの小松崎茂だ。
これも、先日の「妖星ゴラス」に引き続いて観てみたが、約、五十年経過した今でも、あまり、古ぼけていない。
これは、当時、リアルで観ている。父が映画館(貞光劇場)に連れていってくれたのだ。
私は、この映画で、主演の「池辺良」の大フアンになった。
70年頃には「高倉健」と一緒に「昭和残侠伝シリーズ」に出ていて、高倉健もいいけれど、池部良の迫力には、圧倒されたものだ。
「宇宙大戦争」当時からのフアンのせいだけでなく、凄みのある、存在感のある俳優だなあ、と思う。
久しぶりに「妖星ゴラス」を観た。

以前、観たのはいつのことだったろう。
多分小学校5.6年生の頃だったと思う。
あらすじは、突如、質量は地球の600倍、大きさは地球の三分の二の黒色矮星が太陽系に接近してくる。
「ゴラス」と名づけられた星は、このまま進めば、地球と衝突する。
あまりにも質量が大きすぎて、破壊もできない。
人類は絶滅か。

しかし「東宝」は、突拍子もないアイデアで、未曾有の危険に対処していく。
南極大陸に巨大な重水素の噴射エンジンを設置して「ゴラス」と地球が衝突するまでに40万キロ以上、地球を移動させて衝突をかわすのである。
与党対野党の国内政治や各国のナショナリズムなども出てくるが、案外、スムーズに国連主導で南極に大プロジェクトが進行していく。
前作の「宇宙大戦争」に引き続き池辺良が大活躍する。
「ゴラス」が地球と最接近のとき、海水が引力で北極と南極に集まり、東京などは高潮で水浸しになるものの、人類は「ゴラス」の衝突を免れて生き残っていくことになる。

洋画でも「ディープインパクト」とか「ハルマゲドン」が上映されたが、とぢらも惑星を破壊する、であった。仮に、惑星が破壊できたとしても、小片が地球に降り注ぎとても助からないだろう。
欧米の人たちが考えたことに対して、われらが「東宝」のアイデアは「破壊」」でなく、すたこらさっさと「逃げる」ことを選んだ。
荒唐無稽ではあるが、素晴しいアイデアと思う。
地球が40万キロも移動したら、気候変動ぐらいで済まないような大きなリスクが生じるだろう。しかし、それでも衝突よりはマシだと移動するのである。
すごいなあと思う。
最後で、クライマックスのときに、突然「怪獣マグマ」が出現して、順調なプロジェクトの進行を阻害する場面が出てくるる。
当時も、子供こころに「なんで、出てくるの?」という唐突な怪獣の出現に「これは、東宝のサービスかな」と思いながら観た記憶があるが、今回、久しぶりに観て、怪獣マグマ出現が、妙に、つじつまがあっていたのに感心した。
特撮のほうも、今から半世紀近く昔の映画とは思えないほど、すばらしい出来になっている。
機会があれば、ぜひ、観てみてください。
「どんなに賢くっても、にんげん自分の背中を見ることはでくないんだからね」・・・・・・さぶ。
「人間が集まってかたちづくる世界には、必ず善と悪のせめぎあいがありね、善だけに統一することも、悪だけに占められることもない」・・・・・さぶ。
「--形のある物は頼みにはならない。 母はよくそう云ってた。金でも物でも、使えば減るか無くなってしまう、形のある物はいつか必ず無くなってしまうのだ。大切なのは減りもせず無くなすこともできないものだ。人によってそれぞれ違うけれど、みつけようとすれば誰にでも、一つだけはそういうものがあるはずだ」・・・虚空遍歴。
若い頃に本屋で求めて読んだのもあるし、読みもしないまま本棚の奥で埃をかぶっているのもある。
そいつを何気なく、引っ張り出して読んでみたら、これが「おもしれぇ」。「おもしろい」でなくて「おもしれぇ」なのだ。
手始めは、積ん読状態であった「青べか物語」だった。「青べか物語」は時代物ではない。しかし、これが、なんともいえず、おもしろかったのだ。
その勢いのまま『山本周五郎』を本棚から探し出してきては「煎餅でもかじるように」次から次と読んでいる。
現在は、数冊を平行読みしている。
【虚空遍歴】や【ひとごろし】【人情裏長屋】である。虚空遍歴だけ長編小説で、あとは、短編小説集だ。
ひさしぶりに、小説らしい小説を読んでいる。
【虚空遍歴】は、ずっと昔、読んだはずだ。当時は、別段おもしろいとは思わなかったようだ。
でも、今は、おもしろい、というより、すぐに小説の中に入っていける。
若い頃の自分と今の自分、多少は、違うのかもしれない。
私は、知らない人に会ったとき直感的に「この人は好きだ」とか「この人は嫌いだ」とか、感じることがある。
それを決定づけるのは「人相」であったり「口調」であったり「態度」であったりする。
最初に「いやだな」と思うと、その印象がずっとあとまで引っ張ってしまい、その「先入観」のせいかどうかはしらないが、無理して付き合ったとしても、うまくいかないことが多い。
でも、今まで、生きてきて、その「第一印象」は、おおむね正しかった。(・・・ような気がしている。)
インターネット持仏堂を見ていたら、内田先生が、以下のように答えられていた。
「第一印象はだいたい正しい」ということがあります。人間についての判断を下す場合、情報が少ないときにこそ私たちの無意識的なセンサーの感度は最大化します。わずかな非言語的なシグナルを解析して、「この人は自分の生存にとって有利な個体か不利な個体か」ということを私たちは瞬時に判断してしまうのです(すごいですね)。でも、そういう能力が備わってなければ、人間は原始の時代を生き延びることができたはずもありませんし、ここまで生き延びてきたということは、そういう能力にとりわけすぐれた個体の子孫なわけですよ、われわれは。 ですから判断に「迷う」というのは無意識的=非言語的なレベルで下した「判断」と意識的=言語的なレベルでの判断のあいだに齟齬がある、ということですよね。
・・・・・ということは「第一印象」でもいいんだ、と考えてもいいのかもしれない。
ただ、無意識的なセンサーは、どのようにして作られたかが、気になる。人それぞれの価値観が違う。その価値観は、どのように形作られてきたまでさかのぼると、根拠があいまいで「果たしてそれでいいのか」と自信がなくなる。
無意識センサーが、どのようにして形成されてきたか。これは、重要だと思うのである。
昨夜、家人が外出したため、私一人になった。
手持ち無沙汰なので「いつか観よう」と 思っていた「アラバマ物語」を取り出して観た。
グレゴリーペック扮する弁護士が、黒人の容疑者のために弁護をするという話しで、誠実な弁護士や、その子供たち、人種差別などを描いたモノクロ映画だ。

強い共感と感動を覚えた。
しかし、同時に、違和感も持った。
西洋人と「私」の違いかな、と思った。
違和感。
父親である弁護士が子供たちに語る。
「ツグミは撃ってもいい。しかし、マネツグミは撃ってはならない。マネツグミは、悪いことをしない。きれいな鳴き声で人をなぐさめてくれる」・・・・・・という言葉。
人間に害するものは「殺してもいい」。人間に害をしないものは「殺してはならない」。
狂犬病にかかったと思われる野犬が、街を、よたよたと歩いている。
弁護士は、その犬をライフルで撃ち殺してしまう・・・・・・・・というシーン。
私なら、撃たない。まだ、誰にも危害を加えていない。なんとか、生け捕りにして、治療を考える。
貧しく、虐げられた、無実の黒人を誠心誠意守ろうとする弁護士が、襲っても来ない犬を危険防止のためとはいえ、ためらいも無く撃つ、これが、共感できなかった。
最後のほうで、第一審で有罪の判決を受けた黒人が、絶望のあまり逃走し、撃たれて死ぬ。
弁護士は、黒人の死を知らせに、家族のもとに行く。
そこに、酔っ払った「被害者の父親」が来て、主人公を呼び出して、顔に「ペッ」と唾を吐きかける。
次の展開は「被害者の父親を殴り倒す」か「同じように唾を吐きかける」かと思っていたのに、弁護士は、ゆっくりとした動作で、ポケットからハンカチを取り出して、顔を拭いて、何も言わず、立ち去る。
このシーンが、この映画でいちばん感動的だった。
いちばん「かっこいい」ところだ。
しかし、私なら、きっと、大声を上げて「こらっ、何するのか」と言いながら、何らかの仕返しをしたと思う。
この映画は、勉強になった。
子供みたいに、すぐに「カーッ」なることのある「私」。
「私」も、グレゴリーペックみたいに、冷静な対応をできるようになりたい、と思った。
また、いつか、観よう。
私が、生まれそして育った徳島県の「貞光町 (さだみつちょう)」。
本当は市町村合併で「つるぎ町」に町名が変更になっているのだが、私には「貞光町」でしかない。
【貞光町】
この頃は「うだつの街並み」をPRしている。「うだつの街並み」というと、貞光町の北東に位置する、お隣の「脇町」が有名だ。
徳島で「うだつの街並み」といえば、この「脇町のうだつ」を指しているほどだ。
「脇町のうだつ」は、計画的に美しく整備された「公園」みたいになっている。 美観地区、風致地区、といった感じで、歩行者専用道路の両脇に「うだつの街並み」が整備されている。
清潔感が漂い、とてもきれいだ。
でも、ここは、かつての汗の匂いは失われてしまって、泥臭さもみえない。
それに対して「貞光のうだつの街並み」は、生活空間と一緒になっていて「人と建物の歴史」が、今も、息づいている街的空間なのだ。
私は、昔から、貞光町が「車寅次郎さん」の旅先としては、いちばん似合う街だと思っていた。
寅さんは、ついに、この街を訪れることはなかった。その代わり山田洋次監督が貞光を訪れ、気に入れられて、徳島県で唯一の「映画小屋、貞光劇場」で、全国に先駆けて「息子」の先行上映を行ってくれた。
この「貞光劇場」は、東国原ブームで一躍有名になった、あの「宮崎県庁」よりも古い。昭和7年に建てられた木造の芝居小屋だ。今も、現役で映画を上映しているなんて、ほとんど奇跡に近い芝居小屋だ。
一度、貞光町を訪れてみてほしい。 何もないけれど、何かがある町だ。
うだつで有名な、脇町に行くのなら、ついでに足を伸ばしてみてはどうか。車だと、20分ほどで行けるし、高速道路に乗ると10分ほどで「貞光町」に入ることができるであろう。
徳島本線に乗って「貞光駅」で降りてもいい。徳島駅から急行に乗ると、50分ぐらいで着く。駅舎も、昔ながらの木造だ。狭い街並みなのでタクシーに乗る必要もない。駅を出て、東の方向にぶらぶらと歩をすすめればいい。ちょっと歩くと、左側に「貞光劇場」が出てくる。
貞光の街並みは「昭和」が手つかずのまま残され、今も息づいている街だ。
昔ながらの商店街も商売をしている。商店街を歩きながら、五十年以上、営業を続けている「飯田食堂」の暖簾をくぐって「うどん」を食べてみるのもいい。
貞光のうどんは、讃岐うどんのそれではない。
私などは、やたら弾力のある讃岐うどんよりも、徳島の、貞光のうどんが、いちばんうまい。 出汁は、鰹節や昆布などは使っていない。「いりこ」だけだ。「いりこ」と薄口醤油をあわせる。これで出来上がりなのだ。
うどんのようなシンプルな食べ物には、やはり、シンプルなつゆがよく似合う。このつゆに、貞光町に古くからある「製麺所」でつくられた優しい「うどん麺」が加わると、何杯でも食べられる「貞光のうどん」になるのである。
「うどん」を食べたら、うだつの街並みをゆっくりと歩いてみるがよい。両脇に、ちょこちょこと細い道が現れては消える。油断すると見逃してしまうほどの細道だ。
「天神小路」「祇園小路」「永井小路」というように「○○小路」という名が付けられている。
その小路にも、足を向けてみよう。
貞光町は、貞光町を全く知らない人も「、昭和を知らない若い人にも「なつかしいなあ」と思わせしめる街である。 (・・と思う。)
わたしは、今年、いつになるかわからないが、帰れるものなら、久しぶりに帰郷してみようかと、今、真剣に考えているところだ。
貞光劇場を現役のうちにたずねてもみたいし・・・・・・・・・。
突然だが「ソウルフード」を調べてみた。
ソウルは魂。フードは食物。魂の食べ物。。仰々しい言い方だな、と思う。
とにかく、調べてみた。
ウィキペディアによると「ソウルフードとは、一般にその地域や集団に属するの人々アイディンティティーに直結し、強い郷愁を喚起させる食材・あるいは食物を指す言葉である。」と、ある。
・・・・・・・なら、私にとって、「ソウルフード」とよべるものは何だろう。
答えは、簡単に上げられる。
まずは「そば米雑炊」だろう。
今は、徳島の郷土料理として割合有名になっているので、ご存知の方も居られるだろう。
当時は、お祭りの日、つまりハレの日に食べる代表的な料理だった。
お茶漬けみたいに「ザザー」と食べられる。そば米独特の風味があり三杯ぐらいは、軽々と胃袋に入ってしまう。
具は、鶏肉、人参、大根などが入っていた。
出汁は、鶏の出汁が「いちばん」と言っていたのを、よく聞いたものだ。

そして「餅」か。
「餅」は、新・正月と旧・正月に搗いていた。やはり、非日常の食べ物だ。
「たかきび餅」「あわ餅」「よもぎ餅」「白餅」。
「餅」を加工して作られる「へぎ餅」「あられ」もソウルフードと呼べるだろう。
ついで「うどん」だ。
うどんは「そば米雑炊」など、と違って日常の食べ物だ。
貞光のうどんは「讃岐うどん」や「たらいうどん」みたいに、やたら腰の強いうどんではない。
やわらかくて、つるつると、うどんのほうから喉に飛び込んできてくれる、そんな「うどん」だ。
出汁は「いりこ」のみ。鰹節や昆布などは使ってなかったようだ。
具は、薄く切った「いたつけ(蒲鉾ともいう)」と油揚げ、そして青ネギが少々。
薄い上品な色合いのだし汁の中に、うどんが横たわり、その上に具材が乗っている風情だ。
うどんは、シンプルな食べ物だ。
シンプルにはシンプルが似合う。
ところで、延岡のソウルフードは何なのだろう。
少なくとも「冷や汁」ではない。 (多分、冷や汁は、宮崎市周辺のソウルフードだ。)
「チキン南蛮、かな ?」 。強いて言えば、チキン南蛮かもしれない。でも、そうでないようにも思える。
うーん、思いつかない。
何だろう。
延岡は、山も海も川もある。なんでも、ある。
ありすぎて、これといったものがないのかなあ。
それとも、子供の頃から住んでないからなのかなあ。
今日、弊社の手形が不渡りになった、という「うわさ」が流れたらしい。
二年先、三年先のことなら、どうなるかは予想もつかない。
しかし、今年は、なんとか利益が出る見込みがついている。
なので、不渡りを掴むことはあっても、今のところ、不渡りを出すことは、あり得ない。
いったい、誰が、どんな目的で流すのだろう。
たしかに、建設業なら、どこがどうなってもおかしくはない、情況ではある。
毎年のことだが、今は、今期の決算予想や、来期の情況や目標などが、脳みその中で錯綜する時期である。
今期は、安い価格での入札の連続で「赤字転落か」と覚悟していたが、部署も、会社全体も、利益を計上できそうである。
内容をみてみると、大きな利益を計上した物件もあれば、そうでもない物件もある。しかし「○○工事が受注できてなかったら、こうはなってなかった」の積み重ねが、予想を上まる結果となってきている。
これは、毎年のことで、いつも、はらはらドキドキの繰り返しである。
すべては、現場である。
会社の機能は、沢山ある。何かひとつ欠けると、大変なことになる。しいて、甲乙を論ずるとすれば「現場」なのである。
その「現場」は、現場を担当する社員が居て、工事をしてくれる協力会社の職人が居て、成立している。
すべては、人である。
そう、思う。
今日のお昼は、Mixi日記で知った「レストラン向洋」の、南蛮ラーメンというのを食べに行った。
レストラン向洋は、市内でも老舗のレストランの一つである。今回、はじめて「レストラン向洋」の店内に入った。いかにも「老舗」という雰囲気のファミリーレストランであった。
私と家人は「南蛮ラーメン」。
ひなたは「お子様定食」。
南蛮ラーメン(680円)は、ごく普通の醤油ラーメンの上に「チキン南蛮タルタルソース」が乗っかっている、というラーメンだ。
チキン南蛮は、老舗のレストランなので安心して食べられる。ラーメンも、醤油ラーメンとして、うまい部類のラーメンだ。
タルタルソースとラーメンスープが混じると、どんな味になるのか。お互いに、邪魔をしない、いい味になっていた。
今度は「チキン南蛮」だけを食べに来たい、そう思った。なかなか、いい南蛮であった。
【レストラン向洋】
場所は ここ。
9時過ぎから、出社した。
前のパソコン(レッツノート)の動きを早くするために、OSを再インストールしてみようと思い、リカバリーCDを探しに行った。
なかった・・。(自宅にあった)
出社したら「鉄筋探査器」が届いていた。早速、器械の扱い方を、社員が習っていた。来週、予定が入っている。
この探査器、鉄筋だけでなく、他の用途に使えないかと、思案している。例えば、モルタル吹付の空洞の厚さなどが、わからないかと・・。
そのあと、川の真ん中で橋脚を造っている現場に行き、民間の擁壁の現場に行って打合せをした。
約40年前に造成した宅地。開発行為の許可など、関係ない頃に、無造作に開発された地区だ。擁壁の強度や、道路幅員など、今の時代には、適合していないのがほとんどだ。
少しでも、安心して生活できるように、もし、何かあっても、被害が少なくなるように、お手伝いできないか、思案している。
ひとつあるのだが、もう少し、調べて検討して、提案してみたい。
・・・・・・ということで本日はこれで失礼いたします。
医療崩壊が、叫ばれている。 医師不足・・・・。
その「医療崩壊」とは、まったく関係ないけれど、私が子供の頃の「お医者さんたち」は凄かったな、と思う。
小さい頃、「虫歯を抜いてもらったり」「トラホームに罹った目を洗ってもらったり」「食あたりの治療をしてもらったり」は、すべて同じ先生であった。
私の母など、凸凹道で転んで膝に裂傷を負ったときも、同じ先生から、5針も縫合してもらった。
親戚のおばさんなど「盲腸炎の手術」までしてもらった。
内科も眼科も歯科も外科も、こなす。
当時の医者は、総合医だ。 街的医者だ。
なんでも出来る「赤ひげ」を連想させる先生なのである。
私の育った小さな街には、北から「永尾医院」「北川医院」「谷医院」「古城医院」と、4人の街的医者が居たし、産婆さんも何人も居た。
看護婦さんをスクーターの荷台に乗せて、往診している姿もよく見られた。
それでいて、医療ミスもなかった。 (・・と思う)
今みたいに、専門化されてなく、投薬の調合も先生がしていた。
だから、今よりも昔がいい、とはいわない。当時の医師も、凄かったといいたいのである。
専門に特化するのは「いいこと」だと思う。反面、なんでも診れる先生も必要なのだといいたい。
メタボだと、社会保険料を多く支払うようになる・・・というのは本当の話だろうか。
男は85センチ以上。女性は90センチ以上で、半年後に改善されてなければ、保険料を上げる、なんていう話がまことしやかに、話されている。
もし、本当の話だとしたら、どうなるのであろう。
まず、相撲取りはどうするのか。棟田や井上や鈴木はどうするのか。そして、この私は・・・。
身長が185センチもあれば、胴回りは90センチぐらいないと「骨皮筋右衛門」になるだろう。
85センチ以上と以下で差別するのは、おかしいと思うのである。
私など、多分、85センチ以上はある。
言い訳かもしれないが、社会保険料は、支払うばかりで、これまで、私自身は、ほとんど、健康保険のお世話になっていない。つまり、今まで、病気らしい病気は経験したことがない。
ついでに言うと、禁煙してから二十年近くになっている。
85センチという胴回りだけで税率を上げるなんて、五代将軍の生類哀れみの法とあまり変わらない発想だ。
それよりも、喫煙者に税金を上げるか、タバコを一箱500円ぐらいにして、インフラの整備や医療費に回す方が、いちばん理にかなっていると思う。
これは、何かの企みだ。きっと、そうだ。
フィットネット産業と厚生労働省がグルになっているのだ。
しかし、これを機会に「ちょっとだけでも、体重を軽くしようか」と思うのは、いいことかもしれない。
断ってやくが、私は、メタボではない。胴回りはメタボそのものだが、血圧、血糖値、コレステロール、異常なしなのである。
昼は、ひなたのリクエストに応えてラーメンを食べに行った。
「再来軒」にしようか。
「磔磔」にしようか。
「しばらく」にしようか。
「げんこつラーメン」にしようか。
いろいろ、あちこちと考えた結果、今日はあっさり系が食べたいと「らあめん 風や」に決めた。
久しぶりに来たのだが、メニューが増えていた。ここは、塩ラーメンのうまい店と決め付けていたが「塩でも豚骨でもない。チキンラーメン」という新メニューが目に入り、私と家人は「べらくりチキン」。ひなたは「ミニラーメン豚骨」。そして「チャーシュー飯」というのを頼んだ。
「べらくりチキン」のべらくり、というのは延岡の方言で「全部、すべて」といった意味で使う。つまり、チキンラーメンのすべて乗せ、みたいなものだ。
【べらくりチキン】

スープは、あっさりしているように見えるが、意外に「こってり」としている。
これは、好きだ。私の好みだ。
半熟卵をスープに溶かしながら食べると、また、いい。
どのように「うまいのか」、どのように「いいのか」それを、うまく表現する語彙も文章力もない。
いえるのは、今度、来るときは「また、ここにしよう」である。
内部は、清潔で、食べやすい雰囲気がある。
高田渡っていいなあ、と思う。
以前は「フォークソング」といえば、南こうせつ、フォークル、吉田拓郎・・・・・・などであったが、今は違う。
私のイメージするフォークは、今のところ「高田渡」と「加川良」しか知らない。
高田渡。実際、どういう人だったのかはわからない。
「タカダワタル的」を観ると片鱗がうかがえる。
加川良の「下宿屋」を聴いても「いっぱい飲み屋を出ていくあんた」のあんたは、高田渡なのか、それとも、ひょっとしたら加川良本人なのかも、わからない。
落語で言えば「志ん生」みたいな感じだ。そういえば、志ん生さんも、高座で居眠りしたらしい。やはり似ている。
こんど、筑摩書房から「バーボンストレートブルース・・by高田渡」が出る。
少しは「高田渡」が、わかるかもしれない。
今日は、久しぶりに県の機関に挨拶に行った。ほんと、久しぶりだ。
で、、「この頃は、県の仕事を取らないですね。国ばかりですね」といわれた。
「県の仕事は、ぜひ、したいのですが、なかなか受注できません。何回も、挑戦はしましたが、運が悪くて、取れませんでした。今年は、また、挑戦させていただきます」と、答えた。
県とか市など、地方自治体の仕事がしたい、ずっと思っているのだが、取れない。今年は、総合評価もはじまるので、ひょとしたら取れるかもしれない。
がんばろう。
さて、今夜は、部署の会議がある。場所は、焼肉屋の二階である。部署の会議を焼肉屋でするのも、久しぶりだ。
大いに、喰らおう。
私は「漫画」が大好きで「少年」「ぼくら」「冒険王」「少年画報」「少年ブック」「漫画王」「日の丸」などの月刊漫画、そして、貸し本屋に並べてある、無名の漫画家の書いたものまそんな少年だった。
「少年マガジンと少年サンデーが、今年で、発刊五十周年になる。 」
我が家は「びんぼー」世帯だったけれど、「漫画」とか「本」などは、母親は、借金してまで買ってくれていた。
私は、発刊して間もない頃から「マガジン」を愛読していた。今、いくらするのか知らないが、当時は、マガジンもサンデーも30円で買えた。
友人は「サンデー」を買っていたので、読み終わると、お互いに交換して読んでいた。記憶に残っているのは、やはり購入していた「マガジン」に連載されていた作品になる。
脳裏に焼きついているのは「怪傑ハリマオ」「マッハ三四郎」「にいちゃん戦車」「ちかいの魔球」「勇気くん」「風の石丸」「黒い秘密兵器」「紫電改のタカ」「エイトマン」「ハリスの旋風」「まる出だめ夫」・・・・・・・・・・ほか、いろいろ。
「ちかいの魔球」が書かれなかったら、星飛雄馬も花形満も左門豊作も生まれてなかっただろう。
「マッハ三四郎」などは、モータースポーツの草分けみたいな漫画だった。
「サンデー」だと、「伊賀の影丸」「おそ松君」「サブマリン707」・・・・・・・などが、思い起こされる。
こうしてみると、マガジンもサンデーも、日本の漫画文化を牽引し続けてきたのだと思う。
振り返ってみると、私も「漫画文化」の影響をかなり強く受けてきたように思える。
50歳を過ぎた私の、今の「正義感」や「倫理観」「考え方」など、こういった漫画から、なんらかの影響を受けていることは否定できないように思える。
創刊50年、すごいなあと単純に思う。
今日は、定例の「部署の会議」の日だ。私が入社した当時から、毎月2日の夕方から部署の会議をしている。なぜ、2日かというと、給料日だからだ。当時は、今と違って、現金入りの給与袋をもらっていた。なので、必然的に全員が参加することから2日にしたのだ。
その歴史ある部会を私は、急遽、中止にした。その代わり、明後日の金曜日、アリランという焼肉屋で「お疲れ様会」と「これからも頑張ろう会」を兼ねた会議にしたのだ。
<HR>
東京や福岡などの都会に行くと、電車や地下鉄を利用する。その際、気をつけていることがある。
ひとつは、電車を待つ間に後ろから突き飛ばされるかもしれない。
もう、ひとつは、箱の中で「痴漢」の疑いがかけられるかもしれない。この二点である。
前者の場合は、挙動不審の人物の前には行かないこと、そして、仮に押されても、踏みとどまれるようにホームの端から距離を置いて立つようにしている。
後者の場合は、女性に接近して立たないように心がけている。どうしても側に位置しなければならないときには、床に置いたカバンを両足で挟んで、両手で吊革を持つようにしている。
都会には、たまにしか行かないので、こういう対応が出来るのだと思う。
ささやかなリスクマネジメントである。
でも、今は「田舎」でも気をつけなければならない世になっているのかもしれない。
しかし、それにしても、電車や地下鉄は、恐いものがある。猛スピードで暗闇を疾走しているとき脱線でもしたらトンネルの壁に叩きつけられてペシャンコになってしまうだろう。
猛スピードで、電車と電車がすれ違うとき、接触すると、大惨事になるだろう。
都会の乗り物は、飛ばし過ぎだと思うのは、田舎に住む私だけか。。あんなに飛ばさなくてもいいのに。
道路特定財源が失効した。
そのせいで、同業他社が、落札したばかりの「道路保全工事」がご破算になってしまった。
道路を造る工事でなく、傷んだ箇所を治したり、安全に車が走られるようにするために改良したりする仕事だ。
傷んだ箇所が原因で事故が起きでもしたら、誰が責任を取るのだろう。
こんなことでいいのだろうか。
新年度予算は成立したものの、財源が不足することから、多くの懸案事項がフリーズされたり、中止になったりする。
どうも、今の政治は「次の選挙で勝利する」といった、党利党略ばかりが目立ち、本当に、日本をよくしようとしているのが見えてこない。
そして、次の選挙があったとして、どちらに入れたらいいのかも見えてこない。地域のことを考えそうな政治家を、消去法で選んで投票するしかなさそうだ。