土木建設業に従事していますが、専門分野のことは少なくて、昭和のこと、故郷・徳島のこと、延岡のこと、雑多なことを自分の記録として日記代わりに書いています。St.3bの「がんサバイバー」でもあります。
 日々(いや、気のむくままに)読み書き
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かわいそうな娘
2008-05-30-Fri  CATEGORY: 未分類
午前5時30分起床。天候は雨。室内温度24度、屋外気温? 確認しなかった。 
 
 今年は、庭の梅がたくさん結実した。昨年は、なぜかミツバチが少なくて「少なかった」ということを聞いたが、今年は、そうでもなかったのかもしれない。 
 
 ではまたあとで。 
 
..5月30日(金) 6:56
 
 
■今、上空の雲の流れをみたら、濃い雲が、西のほうに流れている。つまり、川上をめざして登っている。昔、年寄りが「雲がのぼっていっきょる。雨が降る」それを思い出した。東南から太平洋の湿った空気が流れこんでいるのだろう。 
 
 
..5月30日(金) 7:01
 
 
■明日は経営策定会議がある。宮崎、熊本、本社と全社員が集まり、今期の反省と来期の計画をきめる弊社にとっては、年度の終わりとスタートの日でもある。 
 
 午前中は、明日、発表する「今期の反省」と「来期の計画」の説明資料を作まとめていた。 
 
 午後からは、市役所で自社開発物件の打ち合わせ。市のほうは、協力的に対応してくれている。大きな問題点が解決すれば、あとは、細かいことの積み重ねになり、決定しだい、着手というはこびになる。 
 
 
■帰宅する前ごろから、再び、雨がふりはじめた。なので、本日の自転車乗りは休止した。 
 
 
 昔、ヘンリーというシンガーソングライターが居た。

 ほんのちょっとだけヒットした歌があった。

 「かわいそうな娘」という唄である。 

 なぜか、それを思い出して、ギターを弾きながら、口ずさんでみた。 

     
 C    F C G7 
 春の  ある日 たずねてみたら 
 C C7 F 
いまだに 友達  いなくて 
 C G7 C 
ひとり ぼっちな 娘(こ) 
 
C     Em 
かわい かわいそうな 
 F      C 
今にも   泣きそうな    
 C D G7 C 
涙  うかべる かわいそうなこ 
 
 
歌詞とコードをうまく配置しようと試みたが、出来ない。 
 
 もし、この歌をご存知で、弾き語りしたい、へんちくりんな人は、多分、このコード進行でいいと思いますので、適当に、歌ってくださいな。 (笑)


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動物性たんぱく質
2008-05-29-Thu  CATEGORY: 昭和の話
 
 帰宅してから、自転車に乗った。
 富美山の坂越えしてやろうと富美山に向かったら、知人に会って、こ一時間ばかり立ち話をしていた。

 山越えはしないで、帰宅した。



  私が子供の頃の動物性たんぱく質の摂取は、なかなか大変だった。

 牛肉のことは単に「肉」と云っていた。これは、1年のうち1回か2回ぐらい食べれたら、いいほうであった。

 肉の代用として食べていたのは「魚肉ソーセージ」である。

 そのほか、比較的、よく食べたのは「肉」と「鶏肉」である。

肉は、今はめずらしさもあって美味しいと思うが、当時は、貴重品の牛肉のほうが、やはり、美味かったものだ。

 ついで魚。魚といっても、山間部ということもあって刺身をあまり食べたことがなかった。魚といえば、秋刀魚のほかは、目刺とか味醂干しなど干物ばかりであった。

 鶏のは貴重品で、入院患者のお見舞いは が定番だった。菓子折りの中に、籾殻を入れてを6個とか8個とか入れて蓋をしたのを持参すると、喜ばれたものだ。

 牛乳もあるにはあったが、そんなに飲めるものではなかった。よく、飲まされていたのは「ヤギの乳」である。母から、どこからかもらってきて、ちょくちょく「温めたヤギの乳」を飲まされたものである。味や香りは忘れたが、牛乳よりは淡白だったように思う。

 私が、書きたかったのは「肉」のことである。今は、商業捕は禁止されている。調査捕に対しても、グリンピースみたいな団体が船を乗り付けてきて反対行動をするし「無断で肉を持ち出した」といって「捕鯨」を目の仇にしている。

牛を育てて殺して食べるのと、何が違うのだろう。

 生きとし生きる我々は、他の生物の生命を奪って体内に摂取していかないと生きてはいけない。いくら人間が宇宙に乗り出そうと、DNAを解読しようと、他の生物の命をいただかないと生きられないのである。

 もちろん、乱獲やゲームとして「命」を奪うことはいけない。

 食べ物に感謝しながら、無駄にしないできちんと食べる。

・・で、あれば捕鯨もいいと思う。

 ああ、鯨の肉が食べたい。




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自転車に乗って。
2008-05-28-Wed  CATEGORY: 地域社会
自転車。


  また、自転車に乗りはじめた。

 仕事から帰ると、半ズボンとTシャツに着替え、スニーカーを履いて、ウエスとポーチを腰に巻き「ひなた」に見つからないように、そっと家を出て、走りに行く。

 一昨日は「まんざらでもないぞ。これなら、ちょっとトレーニングすれば日本一周ぐらいなら可能かもしれない」などと思いながら帰宅してきた。

 昨日は、自転車用の「油」が欲しかったし、タイヤにも空気をたっぷりと入れたかったので街の自転車屋さんまで行ってきた。

 長い間、軒下に放置していたせいでチェーンもギアもさびだらけで、へダルを踏むとギシギシと音がするのである。

 タイヤの空気圧も、私の体重をやっと支えているみたいで、歩道の段差を降りるときに尻への衝撃も大きいのである。

 10分ほどで、自転車屋さんに着いた。

 「こんにちわ」と奥に声をかけるとおばさんが出てきた。

 どうやら、私の顔を見忘れている様子だ。

「油もらえません?」というと、おばさんは工具箱の中から取り出し、注油する素振を見せたので「いえ。新しいのをもらいます。いくらですか?」と聞くと「三百円です」と答えた。

 財布から小銭を取り出しながら「桜ヶ丘のいとうです。久しぶりです」というと「あれ。いとうさん。忘れていました。お得意様からはお金をいただくわけにはいきません」という。

 私は困ってしまって「名前、云わなければよかったですね」と云いながら、この、自転車は友人から、もらったものなので・・とこの店で買ったものではないことも強調したのだが、とうとう、受け取りは拒否され、小銭を財布に戻した。

 おばさんは、工具箱の油を再び取り出して「これではいかんね。ギーギー鳴るでしょ。どれ」と、主要な回転部分に、たっぷりと注油してくれた。

 私は「すみません」「ありがとうございます」と云うばかりで、もうひとつの目的であるタイヤへの空気入れは、私の気がすまないのと、気の毒な気がして、空気入れはあきらめて、300円の油をプレゼントしてもらって、そのまま、市内のほうに走らせたのである。

油をたっぷりと差してもらった自転車は、見違えたように快調に走る。



 普段はクルマで走る道を自転車で走る。

 些細なものまで眼に見える。路面のちょっとした凸凹や勾配も体感できる。 オートバイが鋼鉄の馬なら、自転車は人力の馬だ。



 いろいろな匂いがする。惣菜店の美味そうな匂いから畑の肥料の匂いまで、クルマの中ではわからない香りがわかる。

 しかし、今日は、あいにくの雨。自転車は休みだ。

 雨がやんだら、明日、走ろう。
 


 

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市長に会った。コンクリート打込のPPTを作った。
2008-05-27-Tue  CATEGORY: 建設
  午前5時35分起床。天候は晴れ。 
 
 
 午前中は、久しぶりに市役所に行った。そして、久しぶりに首藤市長にお会いした。二言三言会話をした。以前から、顔見知りのせいか、市長なのに、市長のような気がしない。 

 お会いして「のべおか夢らいぶ2008,」の冒頭挨拶をお願いした。
 
 こころよく、お引き受けしてもらった。

 
 午後からは、下請け工事をさせてもらっている現場の安全協議会に参加した。ここ、数日、暑い日が続いている。鉄筋工の職長が「シャツに塩が吹いています」と云っていた。もう、熱中症の対策をしないといけないようである。 
 
 そのあと、自社開発物件の打ち合わせをした。 



コンクリートのPPTをつくってみた。  
 
何のためのPPTかというと「よいコンクリートを造るには」という内容のものなのだ。  
 
これを、次の現場で使ってみることにしている。  
 
コンクリート工事の着手前に、生コンクリート製造者も含めてすべての関係者を対象に、基本的な知識をもう一回おさらいするのである。  
 
 実際に施工する職人の立場からすると「そんなのわかっている」と思われるかもしれないし、はじめて知る人もいるかもしれない。  
 
今までの長い経験で体得していることの「理由」がわかるかもしれない。  
 
「理由」と「目的」がわかって仕事するのと、わからないで仕事をするのなら、前者のほうが「いい」と思う。  
 
 
 
 いいコンクリートというのは「製造」「運搬」「施工」この三つで決まる。  
 
 いい材料を使っても、施工が駄目なら「よいコンクリート」はできない。何かが一つかけても、いいものは出来ないのだ。  
 
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母校。
2008-05-26-Mon  CATEGORY: 建設

 来年から、貞光工業高校土木科は、建築科と統合し「建設科」になる、ということを知った。

 私は、美馬商業工業高校土木科入学し、貞光工業高校土木科を卒業した。在学中に校名は変わったけれど「土木科」は土木科だった。

 校歌も、その頃に作られ、音楽の授業もない高校であったが、体育館で、録音したテープにあわせて、全校生徒で練習したことを思い出す。

 聞くところによると、土木科の生徒の定員は20名で、この頃は定員割れするようになっていたらしい。
 建築科も同様で、今回、一緒に統合することに決めたという。

 私がお世話になった当時は40人の定員に対して43人とか44人とかが志望していたのに、様変わりするものだ。

 建築と土木は、似て非なるものである。いったい、どうするのだろう、と思っていたら1年生で「建築」土木」の共通部門を学習して、生徒に進路を決めさせて、2,3年で、専門を習うようなシステムのようである。

 土木科で学び、土木という仕事に従事してきたものとしては寂しい気持ちがする。

宮崎県においても「土木科」の科目があるのは、全県で延岡工業高校一校しかなくなっている。

 開発の時代が終わりを告げ、「土木」の必要性が、昔ほど求められてないということである。

 「土木」は「農水産業」や「林業」と同じように、無くしてはならない部門だと思う。

 農林水産が食を支え、林業が木材を支え、山を守るものとしたら「土木」は、文化(よいわるいは別にして)を支えるものだと思う。



 建設科に名前が変わっても「土木」の仕事がなくなることはないので、頑張って運営してほしいと願う。


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熱い。
2008-05-25-Sun  CATEGORY: 建設

 午前6時40分「ねえ、起きて。起きて」とひなたから起床させられる。
 天候は曇り。前の道路のアスファルトは白く乾燥している。気温は、ランニングシャツ1枚でも丁度いいぐらい。

 炊き立てご飯と味噌汁と納豆という「正しい」日本の食事をいただいたところだ。

 さて、昨夜は、いままで部署を支えてきてくれた社員。弊社といえば「彼」を指すといってもいいぐらいの社員の送別会があった。

 彼とは、いつも、一緒だった。


 しかし、弊社の社員はいい。

 いい男たちだとつくづく思う。

 退社していく社員も、実にいい。こういう理由で退社する社員は他社には居ない。



 とにかく、熱い。

 CCPMもしていない。

 でもCCPMの本質は体得している。

 今のところ、ワンレスはしていない。

 特別なことなどはしていない。

 

 不器用で要領のよくない、職人みたいな社員どもである。

 でも、素晴しい。どこにも、負けないと思う。

 多分、宮崎県でいちぱんの現場軍団だと思う。

 何より熱い。

 こういう社員たちは、会社の宝だ。

 社員あっての会社であり、会社あっての社員である。

 心底、そう思う。


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査定。そして、柔道で投げられた日のこと。
2008-05-23-Fri  CATEGORY: 建設

 ■今日は、賞与の査定をしていた。

  ある同業社では、給与を一律削減した、とかいう話があるにも関わらず、この時期、賞与の査定ができる、ということは、うれしいことである。
 
 しかし、査定は、私には似合わない。でも、それも仕方ないのである。


■ 私は、柔道をしていた頃がある。

 中学の三年間と高校時代の二年間だ。

強くはなかったけれど、特に弱いということもなかった。

 中学時代は、団体戦では選手として出ていた。前から4番目、副将として試合に出ていた。

 強くはなかったが、試合で投げられたことはあまりなかった。負けるときは、寝技とかのほうが多かった。

 勝利するときは「一本勝ち」が少なく、優勢勝ちのほうが多かった。

私の得意は、足技。

 特に「小内がり」とか「支え釣り込み足」が多かった。 支え釣り込みで相手を崩してそのまま袈裟固め、というパターン。

組み手は「右」。「左」に組むと何もできなく、引き分けにもっていくしかなかった。

 投げ技は「体落とし」か「変形の背負い落とし」をよく使った。変形の背負い落としは、はじめて対戦する相手には有効であった。この背負い落としは、先輩から「はね巻き落とし」で何回も畳に叩きつけられとき、右ひじを強打して覚えたのだ。

 右ひじに負担をかけないで投げるようにしていたら、自然に出てきた、姑息な技であった。

 技自体が大きくないので「一本」にとられることが少なく「技あり」が多かった。それでも、二回連続して投げると「技あり。あわせて一本!!」と審判から云われると、うれしかったものだ。

 結局は「右ひじ」の故障で、柔道をやめたのだが、私にとって「柔道」をやったことは、よかったと今でも思っている。

ところで「何が言いたかったか」というと、私の柔道経験をだらだらと述べたかったのではない。

 つまらないことだけど「達人に投げられると痛くない」ということを書きたかったのである。

 以前、弊社に居た社員でGという柔道の達人が居た。彼は、私とかわらないぐらいの背格好だが、高校生のころの県のチャンピオンになった実績を持っている。

 延岡に来て、彼が指導している中学校で、彼と一戦まじえたことがあった。

 お互いに「お願いします」と挨拶して組み合った。

 組み合った瞬間「これは、強い。はるかに上だ」ということがわかった。

 そんなこと思うまもなく、体をぐいと引かれたと思ったら、宙を飛んでいた。

 そして、青畳に「バーン」と思い切り叩きつけられたのだ。

 投げられてから「気持ちがいい」と思ったのは、はじめてだった。

 断っておくが、私は「マゾ」じゃない。痛いのは、大嫌いだ。病院が嫌いなのも「痛い」からなのだ。

 しかし、大人と小児ぐらい実力のかけ離れた達人から、投げられると痛いどころか気持ちいいものなのだ、ということがわかった。

 今でも柔道は好きだ。投げられても、負けても好きだ。

 いつか、また、やりたいものだ。


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高田渡。
2008-05-22-Thu  CATEGORY: 音楽

 高田渡が好きだ。
 加川良もいい。

 加川良のサイン


 そして、加川良の「下宿屋」。いいなあ。
  

 京都の秋の夕暮れは、コートなしでは寒いくらいで・・・・・・か。





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諸行無常。
2008-05-21-Wed  CATEGORY: 未分類
 
 「貞光町」でGoogle検索をかけてみると、このブログが1ページ目に検索されるようになっている。

 ユーザータグの仕業か、それとも「貞光」のことを、時々書いているからなのか。

 たいした意味はないし、何でもないのだけれど、なんとなくうれしい。



 ヌーナ大陸。

 ロディニア大陸。

 パンゲア大陸。

 ゴンドワナ大陸。

 これらは、かつて地球上に存在したとされる「超大陸」である。こういった大陸は、約四億年の周期で離合集散を繰り返してきているらしい。

 そして、現在も移動し続けておりハワイは、年間8~9センチの速度で日本列島に近づいてきている。10年間に1m近く接近しているのである。

 太平洋は着実に狭まっていて、あと二億年ぐらい先には、オーストラリアとアジア大陸がくっついて、アジアに超大陸が出現するといわれている。

 自分たちが住んでいる大地。この大地は不動ではない。

 地球自身も自転しながら太陽の周りを周回している。
 その太陽系そのものも、銀河系の中で毎秒200キロの速度で移動しているらしい。

 昔の人が云った「万物流転」とか、仏様の言葉「諸行無常」は真理だなあ、と思う。

 それに比べると、人間とは、芥子粒よりもちっぽけな存在だ。

 しかし、G3(じーさん)やひなたという命は、どこを探しても、今のところ「ひとつ」しかないのも事実だ。


 一瞬を大事なしなければ、と思いつつ、無為に過ごしている自分がいる。

 それでも、それだからこそ、今を一生懸命に生きていきたい。




 

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貞光町  貞光小学校
2008-05-20-Tue  CATEGORY: 昭和の話
  私の通った小学校は「貞光小学校」である。明治5年(1873年)の9月に開校とあるので今年で135年の歴史がある。

今は、少子化の影響を受け、全校児童数200名ぐらいの規模になっているようだ。

 

 私は昭和33年4月から昭和40年3月までの六年間をここで過ごした。

  当時はすべて木造校舎で、生徒数は、一学年が3クラスと特別クラスが1クラスあったので、一クラス40名として、全校児童は800人前後の規模であったろう。

 校門の正面には、円形の植え込みがあり、かつては、両側に、ミモザ(アカシア)という背の高い木が植わっていた。記念写真というと、この植え込みの前で、各学級ごとに集合写真を撮影していたものだ。
講堂


 実は、このミモザ、私の父が植えた木で、向かって左側の木は落雷で、右側の木は、そのあと邪魔になって撤去された。

 円形の植え込みの後ろには、講堂がそびえたち、講堂の北側と南側に校庭があった。北の校庭には、ブランコ、鉄製の滑り台、竹のぼり、大きな自然石、コンクリート製の三角形の障害物などが置いてあり、南の校庭には、何もなかった。

北校舎
正門と北校舎

 校舎は、講堂をはさむ形で、古い南校舎とま新しい北校舎わけられ、南校舎は平屋。北校舎は二階建てであった。 講堂の後ろ(西側)にも独立した校舎があった。

 一年生、四年生、五年生、六年生の頃は北校舎。そういえば、北校舎の西の端には、薄暗い理科室があった。

 二年生、三年生当時は南校舎で過ごした。 六年生の頃、南校舎の3年生の教室に、自習の監督のために行ったこともある。南校舎の西端には「こども銀行」があり生徒が運営していた。私は、一回も銀行を利用したことはないが・・。

同級生


 講堂の一階は、職員室、保健室、図書室、視聴覚室、用務員室、校長室などがあり、二階が広い講堂になっていた。

 東京オリンピックのときは、ほぼ、毎日、視聴覚室でオリンピックを観戦していた。当時の担任の藤川先生という方が「オリンピックが日本で開催されることは、お前たちの人生ではないだろう。一生に一回のことだから、みんな、見なさい」と見せてくれたのだった。

 講堂では、入学式、新年式、卒業式といった式典から、人形劇、学芸会、映画から、手品や曲芸などの見世物も行われていた。千人を越える 生徒でも収容できるくらいの広さがあった。

 当時、町には、体育館などはなくて、多くの人が収容できる、広い施設は、貞光劇場と講堂しかなかった、ように思う。

 町の商工会がよんだ「若原一郎ショー」や「大津よし子ショー」などは講堂だった。

 講堂の正面は一段高いステージ、大きい漆黒の古時計、そしてピアノがおいてあった。

 窓には、表が黒、裏が朱色の分厚いカーテンがあり、カーテンを閉め切ると真っ暗闇になった。ゴジラとアンギラスが対決する「ゴジラの逆襲」は、講堂の木製の長椅子に腰掛け、手に汗を握ったものである。

 北校舎の北側には、町道をはさんで池があった。(今は埋め立てられている。)

 学校の西側は熊野の森があった。そこに「ごみ焼き場」があって、ここに学校のゴミを捨てにいって燃やしていたものだ。

 南校舎の南側には、ちょっとした空き地をはさんで、隣接する中学の体育館があった。体育館の窓の外には、数本の大きなプラタナスの木があり、その向こうは運動場が広がっていた。運動場の北側と西側を囲むような形で、中学校の校舎が建てられていた。
小学校図


 運動場は、小中が共有していた。運動場の南のはずれに、平屋で出来た幼稚園の園舎があった。

 こうしてみると、幼稚園から、小学校から中学校まで、一貫教育のような形であった。今の時代を先取りしていたのかもしれない。

 私は、このような小学校で、大切な少年時代を過ごしたのだ。



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二十三年も経ったとは思えないなあ。
2008-05-18-Sun  CATEGORY: 食べ物
  午前6時45分、いつもの休日の朝のとおり、眼の中に入れても痛くない「孫」から強制的に起こされた。
 天候は晴れ、日中は暑くなりそうな、気温。少し湿っぽい。台風が接近しているせいか。 
 
 今日は、義母の23回の法要で日の影にある菩提寺に行く。 
 
 ではまたあとで。 
 
..5月18日(日) 8:14
 
 
■23年か。もう、23年になるのか。

 いや、いや、かなり昔のことのように思っていたが、数字にすると「わずか二十三年」しか経ってないのだなあ。 
 
 菩提寺の真新しい本堂で、若和尚の唱える「修証義第二章」を聞きながら、そう思った。 
 
 義母がなくなった二十三年前当時は、宮崎市に泊り込んで、現・宮崎大学の造成工事を担当していた。工期の厳しい現場で、一日中、測量に追われ、広い構内を駆け回っていた。 
 
 下水道、排水路、構内道路、舗装、仮排水路、グラウンド造成、校舎敷地造成などを施工していた。 
 56-23= 33。 
 
 三十三歳の頃か、、、、若かったなあ。

 
 あわただしい施工のなか、家から危篤の電話があり、すぐに帰宅したけれど、間に合わなかった。

 思えば、父が他界するときも、昼は建設省の堤防工事、夜間は延岡駅構内の陸橋工事を担当していて、臨終には間に合わなかった。


 
 
■お昼は、三人で「洋食亭」で食事をとった。 
 
 ひなたは「お子様オムレツ」。 
お子様オムライス

 
 家人は「タンスジ オムレツ(?)」。 
 
タンスジ オムライス

 
 私は「スープカレー」。 
 
 スープカレー


 
 【洋食亭】 
 宮崎県延岡市大貫町4丁目2089-3 
 電話 0982-34-6243 
 
 様々な創作のオムレツがある。ここのカレーとオムレツは、うまいっ。 
 
 
大きな地図で見る








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昭和30年代。
2008-05-17-Sat  CATEGORY: 建設

昭和30年代とは、なんだったのだろう、と時々思う。

回想すると気持ちが暖かになる。

いい思い出しか、頭に浮かんでこないといってもいい。

それは「当時は子供だった」からかもしれない。

または「よくないことなど思い出したくない」といった、自己防衛本能とかいわれるものが、そうさせているのかもしれない。

 それとも「よくない出来事」も、昭和30年代フィルターを通して振り返ると「よかったよなあ」と思うようにさせるのかもしれない。

 

 「今」は、格差社会だといわれているけど、昭和30年代にも格差はあった。

イジメも差別もあったし、それは、今と同じか、ひどいぐらいだったのかもしれない。

 現に、私も、数名の特定の子供をいじめていたし、反対に、いじめられたことだってある。

 私の育った家庭は「貧乏世帯」だったけれど、もっと貧窮した家庭はあった。

 

 近所に住んでいた「松原さん」というおばさんなどは、電気も水道もなくて、土間の上に板を敷いただけの狭いところに一人で間借りし、失対の作業員として収入を得ていたようだ。それだからといって生活保護というのもなかった。(・・と思う)

  学校では、赤痢、疫痢、日本脳炎などで亡くなる子供も居て、誰かが赤痢で亡くなると、学校の便所などをあわてて消毒していた様子が目に浮かぶ。

 衛生状態はもちろん、食料事情もよくなかった。

 事故も多かった。車が少ないため交通事故というのはなかったけれど、山で転落したり、川でおぼれたりして亡くなる生徒も少なくなかった。

社会全体も荒削りだったように思う。

 当時の環境汚染なども、ひどいものだった。 今のように規模が大きくなかったというだけで、当時「環境」とか「自然保護」を訴える人はごくわずかで、そういう人は変人扱いされていたものだ。

それでも、 私は、昭和30年代がいとおしい。

「今」よりも、いい時代だったと確信できる。

 あの時代に「子供」として育ってよかったなあとつくづく思える。 子供の頃に育った環境が、その後の人生に大きな影響を与えているとしたら、私の子供時代は、恵まれていた、と思える。

 その後の人生、つまり現在の私の過去・現在に、100%満足しているわけではないが、そう思えるのである。

 それは、今の社会と比べて、相対的にそう感じるのだろうと思う。

でも、それはなぜなんだろう。

あの時代は、活気があった。熱気もあった。

 

今のままで昭和30年代に帰られないかなあ。

 

 

 

 

 

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中心市街地活性化に思う。
2008-05-16-Fri  CATEGORY: 建設

 中心市街活性化とかコンパクトシティなどの言葉があちこちで散見される。

 我が市においても、市街地を活性化しようとか駅前をなんとかしよう、という論調が目ある。

 昔の市街地が活性化されることは大賛成だ。夢よもう一度、である。

 しかし、どのようにすれば活性化するのか、という大きな課題がある。

 都会は、電車、地下鉄、バスなど公的交通インフラが整っている。都会では、クルマで行動するほうがコストがかかるのではないだろうか。(多分)

 しかし、公的交通機関の乏しい地方は、完全なクルマ社会である。

 一家に一台は昔の話で、今や、一人に一台になっている。500mぐらい離れたコンビニに行くのにも、ハンドルをにぎる人がほとんどだ。地方に住んでいる人のほうが運動不足なのはまちがいない。

 地方ではクルマなしでは、まともに仕事もできない。クルマなしでも仕事が出来るのは公務員ぐらいである。

 とにかく、生活の基本が「クルマ」なのである。

 なので、駅前や中心市街地に、突然、大きな建物を建てても、大きな駅ビルを造っても、結局は「クルマを停めるところがない」とか「駐車場が不便だ」ということになるのだと思う。

 なら、どうすればいいのか。

 乱暴な話でいくと「リセット」するのがいちばんいいけれど、人命財産を失うのは困るのでそうもいかないのである。

 これは、どうしようもないのである。

 ここで思考は、閉塞してしまうのである。

 ただ、これだけは云える。(と思う)

 地方は、住みやすいということである。多分、都会よりも住みやすいと思う。

 少なくとも、延岡にはBMWを乗り回しながら生活保護を受けている人はいない。

 

 住みやすい、その利点を活かして、もっと、もっと住みやすいような環境を、みんなで作り上げていくのが、いちばんいい方法だと思うが、いちばん難しいことなのだと思う。

でも、そうしようとしている人や団体は、居る。少ないけれど居る。

 

 

 

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リンク
2008-05-15-Thu  CATEGORY: 未分類
 このページで「リンク」している方を数えてみたら、62名ほど居られる。

 九州から北海道まで、津々浦々の方にリンクさせていただいている。


 この中でお会いしたことのない方は、あまり居ない。片手であまるほどだ、ほとんどの方と、一回以上は「F2F」で飲んだり、語らったりしている。

 みんな、素晴しい方ばかりである。


 私としては、不思議な、そして凄いことだと思っている。

 これからも、よろしくお願いします、、、である。


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青臭い・・・・・。
2008-05-14-Wed  CATEGORY: 建設
  昨日ぐらいの地元紙に、県の建設業協会加盟の業者が、ピーク時と比べて60%程度までに減少した、というのがあった。 
 
  当然の帰結である。  
 
 目的が維持できなくなれば「何の意味もない」と退会していく方や、近年の公共工事を取り巻く環境の厳しさに耐えられなくなり、淘汰(淘汰→いやな言葉だ)されての自然退会などで減ってきたのである。それは、今後も増加していくものと思われる。  
 
 それでも、私は、建設業協会は必要だと思う。  
 
 受注調整のための協会ではなく、違う目的の協会を再構築していく必要があると思う。  
 
 それは、青臭いと思われるかもしれないが「地域をよくする」といったような「地域に立った」目的が必要だと思うのである。  
 
 あ、青臭い・・・で、思い出した。 
 
今よんでいる「ながい坂(上巻)」には、こんな会話が出てくる。 
 

「そのとおりだ、そのとおりだよ」と太造がべそをかくような顔で云った、「木を伐ったあとに苗木を植える、こんなちっぽけなやつをな」彼は両手でその大きさを計ってみせた、「このっくれえの苗木だ」と彼は云った、「こんなものがなんになるって、人は云うだろ、こんなものがなんの役に立つってな、こいつが役に立つまでにゃあおらあ死んじまうってさ、けれども、小屋頭はせっせと苗木を植えてるじゃねえか」 
 
「それとこれとは話が違わあ」 
 
「実際の役に立つ、誰かがしなければならねえこと」と太造は独り言のように云った、「こう云うと青っ臭え、子供じみたことのように聞こえるかもしれねえが、おらあこの世は、それでもってるんだと思うぜ」 


 
青臭いかもしれないが、こういった目的で、再構築するのが、筋だと思う。 
 
 
■帰宅途中、本屋に寄った。新書コーナーではなく、文庫本コーナーを物色していたら「向田邦子」の本が眼に入った。 
 向田邦子の著作物は読んだことがないのだが、手にとって立ち読みしたら「いいなあ」と思った。 
  
 何にするか、しばらく迷って「思い出トランプ」というのを求めてしまった。 
 
 ああ、これでは、専門の勉強が、また出来なくなるなあ。 
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ながい坂と虚空遍歴
2008-05-12-Mon  CATEGORY: 本、読書
このごろ、家で読む本は、小説のほうが多い。つい、この間までは、もっぱら新書だったのが、文庫本になっている。 
 
 今、読んでいるのは「虚空遍歴の下巻」。尾篭な話だが、これは、トイの本棚に置いてあり、毎朝、少しずつ読んでいる。 


 
 夜になると「ながい坂の下巻」を読んでいる。

 
 どちらも山本周五郎の長編小説だ。 
 
 朝は、大身の旗本の跡取りから、浄瑠璃の芸人の世界に飛び込み、なにもかも捨てて、芸術を追及していくが、最期は挫折し、ついには場末で力尽きる、という生き方。 

 
 夜は、下級武士から身を起こし、学問と武道にはげみ、逆境をはねかえして、藩の重職にまでのぼりつめる生き方。

 どちらも、厳しく、けわしい生き方だ。

 「ながい坂 上巻」から、少し引用。

 

 「けれどもな、祭りの世話人だって、笑いごとじゃねぇ、銭をばら撒いてもなりたがるやつがずいぶんいるもんだ、ことにふだん人から軽く扱われ、ばかにされている人間ほど、みんなのめえで羽織袴を着て、いばったようなまねをしたがるものさ、-----成り上がり物ってなあ、そういう人間のことをいうんだ、貧乏人から長者になり、草履取りから大名になったのをいうんじゃねえ、てめえが長者になると急にそり返って、貧乏人を見くだすような野郎のことをいうんだ



 主水正のことを「成り上がり者だ」と決めつける小屋頭の平作に、主水正のことが好きな山の番人の太造が「そうじゃねえ」と反論するときの会話。 

 
 
 
 同時に、読み進めているのだが、まったく矛盾しないで、頭の中に、はいってくるのである。 
 
 似ていないようで似ている。矛盾しているようで矛盾していない。 
 
 
 こういう読み方も、いいものだ。 


 つぎは「樅ノ木は残った」を読もう。


 しかし、こういう本ばかり読んでいると、専門の勉強がおろそかになってしまうなあ・・・・・。


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宅建講習。
2008-05-09-Fri  CATEGORY: 仕事
  午前5時35分起床。耳を澄ますと、カラスが、雀が、ウグイスが、名の知らない鳥などの鳴き声が聞こえてくる。 
 室内温度21度、天候曇りの延岡だ。 
 
 今日は、出社しないまま、宮崎市に宅地建物取引主任者講習に行ってくる。取得してから、何の役にもたってない資格だが、若い頃、勉強して取った資格なので、流すのももったいなくて・・。 
 
 ではまたあとで。 
 
..5月9日(金) 6:07
 
 
■5年に一度の更新講習を受講してきた。 
 まる6時間、約300名の中の受講生の一人として、居眠りすることなく、真面目に受講したのである。 
 午前中 
   紛争事例と関係法令および実務の留意事項 
 
 午後 
   改正税制 
   都市計画法による開発行為許可・・・云々 
   建築基準法の改正 
   瑕疵担保・・なんたらかんたら 
   犯罪収益移転防止法 
 
 ・・・・・といった内容だ。 
 
 おもしろかったのは午前中の「紛争事例と・・・」だ。若い弁護士が、自らの体験をまじえての話。わかりやすくてよかった。 
  
 裁判は裁判官次第。裁判官は給与は安いというけれど手当てが多くとても恵まれているので一般人の気持ちのわかる人は少ない。 
 
 裁判官から「和解」を提示されて断って、かえって不利になることもある。裁判での「和解」なら、作成書類も簡単で裁判官の負担も少ない。それを断ると「不利」になるような判決を出してくる裁判官も居るとか・・。 
 
 聞きながら、映画「ボクはやっていない」を思いだした。 
 裁かれるのも人なら、裁くのも人だ。人が人を裁く・・・・・。仕方ないにしても、割りきれないものを感じてしまう。 
 
 
 
 宮崎のヤミ金でも、なぜか大阪弁をしゃべる。彼らには「大阪弁」の講習がある。宮崎弁だとやさしいので、脅しにならない、らしい。 
 
 
 クーリングオフは20日間以内とかなっているが、書面などに不備があればクーリングオフは無期限になる。 
 
 大阪では、ベンツを乗り回しながら、生活保護を受けているひとがいる。 
 
・・・・・・などといった話も、憤りを感じながら「延岡は、住みやすいところなのだなあ」と改めて思ったりしたものだ。 
 
 そのほか「消費者契約法」は、民法よりも使いやすくて重要な法律になる、とか「法テラス」などが広まり、これからは、お金を持たない人も訴訟しやすくなる、といった話であった。 
法テラス→ http://www.houterasu.or.jp/ 
 
 午後からは、苦手な税金の話や都市計画法だとか確認申請だとか、これらは、面白くなくて、時々、眠気をこらえながらも「うつらうつら」することもなく、6時間、辛抱したのである。 
 
■列車の行き返りは「山本周五郎 長い坂(上)」を読んでいた。これも、本棚の奥から取り出してきた「積んどく」の本であったが、なかなか、読み応えのある、おもしろい本であった。 
 
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来期計画。
2008-05-08-Thu  CATEGORY: 建設
   部署の来期計画を考えていた。

 現在、来期へ繰り越す工事と新規に受注した物件をあわせると今期よりは、いいスタートにはなっている。

 とはいうものの、落札額が低いことや、物価の高騰などから、厳しいものがある。

 組織が存続し、法人税を支払い続けていくことは、なかなか、やっかいなものだなあと思う。

 遠いのか近いのかわからないけれど将来は本格的な維持修繕の時代になるといわれている。そのためには、維持工事の経験を積むことは大切だし、やってみたいとも思う。

しかし、維持工事は、いろいろな意味でリスクが高い。リスク度が高いと、どうしても敬遠しがちになる。

また、「今」のような時代になると、どうしても「目先」しか見えなくなる。

そして、少しでもリスクの低い工事を選択して受注していくようになる。

わかっていても、なかなかできないのである。

遠い将来と近い明日をくらべて、「明日」しか選択できないような環境におかれている。



今年は、焦って「早く受注」したり、中身を照査しないで「額の多寡」だけを見てやみくもに受注したり、「おもしろそうだ」と好奇心だけで受注していくことは避けたい。結果として、赤字になったということにもなりかねない。

 施工内容を確認し、自社の施工能力を確認し、ひとつひとつ実行予算を確認したう上で、落札額を決めるといった正当な方法しかないように思える。

  また、来期は、工事の受注だけでなく、長い眼の視点で「やっておきたい」ことや「投資したい」こともある。

 そういった方針で、より、具体的な計画を作成したいと思っている。


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半生。
2008-05-07-Wed  CATEGORY: 建設
 思い起こしてみれば、現在の会社にお世話になって今年の9月4日で35年になる。半分以上の時間が仕事だとすれば、35年の人生の二分の一以上の時間、会社と一緒に過ごしてきたわけになる。

 今の私は、仕事で、仕事以外で、沢山の人の影響を受け、多分、私なりにそういう方々の真似をしたり、また、逆らったりして、今の私が形作られているのだという実感がある。

 そういう中で、私と同年代の社員が退職した。今まで、原動力として尽力をしてくれた社員だ。

 退職を決めた理由は、私も、わからないでもない。

 これからの建設業の厳しい環境と、これからは若いものの時代だ、といったような理由。

 わからないでもない。

 しかし、なんで、今なのか。

 まだ、いいじゃないか、と思う。

 でも、彼の意志は固い。
 まだ居てくれ、といっても自分の考えは曲げない。
 元々、生粋の頑固者だし・・。

 私も、時々思う。
 もし、私が、会社の若い者の足を引っ張ったり、邪魔をしたりするようになったり、向上心(?)が萎えたりしたら「辞めなければ」と・・。

 こういう想いというのは、他の会社に勤めていたら、けっして持たないであろう。

 弊社だからこその想い。



 性格、性質は違うけれど、同じ環境で育てられてくれば、似たような想いを持つものかもしれない。

 でも、早すぎる、と私は思う。



 第二の人生が、充実したものになりますように。





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2008-05-04-Sun  CATEGORY: 未分類
今日は、午前中、現場に行ってきた。クレーンが設置され、休みの日にも関わらず、大勢の人たちが仕事をしてくれていた。 

現場

 弊社の配置技術者たちも、本来なら、家庭サービスであるはずなのに、現場への責任感で仕事をしていた。 
 
 川の中の仕事なのだがら、本当は、もっと早く、しておればいいのだが、いかんせん、発注者がなかなか決めてもらえず、しわ寄せがきている。 
 仕事というのは、早め早めに、先取り先取りしていくのが、工程管理の急所なのだが、発注者と施工者との感度は違うようだ。 
 
■昼からは、ひなたを連れて「北浦町の道の駅」に行った。GWなので、駐車場が満車で、苦労したが、なんとか林道の端に留めることができた。 

【道の駅 北浦】

大きな地図で見る

 ここで塩アイスを食べた。
塩アイス


 うまかった。


 
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無題。
2008-05-02-Fri  CATEGORY: 未分類
今朝は、昨夜の残りの「五目寿司」と「豆腐とワカメと筍の味噌汁」「濃茶」をいただいてきた。 
 私は、家人のつくる「五目寿司」には目がない。母がつくっていた五目寿司に、近づいてきた、という感じだ。 
 
 今日は、来週提出する「簡易な施工計画」と「エコアクション21」と、午後から自社開発物件の打ち合わせがある。 
 
 明日からは、とりあえず、休むことにする。いつでも出社できる態勢ではあるが。 
 

 
..5月2日(金) 7:03
 
 
■簡易な施工計画を添削しようとしたら、思わず、全面的に書き直していた。今回は、ちょっと冒険をしてみようと思った。どういう反応を発注者が見せるのか、興味がわいた。 
 いつものようなスタイルではなく、私としては「ちょっと斬新」なものを書いてみることにした。少しだけれど、お金がかかるようなことも書いた。 

 これで、どういう評価されるのか。どうなんだろう。 
 
■iso14000ではなく、エコアクション21にしてみようと思っている。それで、宮崎市から、おいでいただいてアドバイスを受けてみたのだ。しかし、いくら簡易だといわれても、やるからには、きちんとやりたい。今回、話を聞いて、中途半端じゃ駄目だな、と思った。 
 来月から、構築、運用に向けてやってみたいと思う。 
 
■開発物件の現地に行ってきた。今回の私の方針は「出費を抑える」ことである。民間でも公共でも同じだが、できるだけ出ていくものは少なくしたい。ただ、少なくすることによって品質や利便性の低下は絶対に避けたい。 
 
 使い古された言葉ではあるが「いいものを安く」である。 
 
 明日からは、休みに入る。今年は、できるだけ遠出はしないつもりでいる。途中、現場にも行くことになっている。 
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