Author:G3(じーさん)
孫が居るので、そのまんまG3(じーさん)です。
徳島県で生まれ育ち、宮崎県に住んでいます。
地場中小建設業に勤務する、自称土木技術屋です。最近は、永く現場を離れているため、培われた「技術」も、かなりあやしくなっています。
●たかが資格、されど資格。
普通自動車免許
自動二輪免許(ただし400CCまで)
衛生管理者
労働安全コンサルタント(土木)
宅地建物取引主任者(ペーパードライバー)
乙種火薬類取扱保安責任者(実際に爆破作業に従事していたのは二十年以上も前なので、ペーパードライバー気味かな・・)
技術士(建設部門「施工計画、施工設備及び積算」)
技術士(総合技術監理部門)
一級土木施工管理技士(これで仕事していたものだ)
一級造園施工管理技士(ペーパードライバー)
二級管工事施工管理技士(これも、ペーパードライバー)
VEリーダー (これもぺーパードライバーだな・)
コンクリート技士(コンクリートと地質が好きです)
好きなもの、嫌いなもの。
【好きなもの】盆踊り、渡し舟、縄文時代、近代の土木構造物、食べること、河川、非・合理、フォークソング、加川良、高田渡、書物、落語、講談、映画、Web・・・・・
【嫌いなもの】脱脂粉乳、蛇、卑怯な人、理不尽な人、薬、注射、合理、弱肉強食。。。。。。。。

タグ : コンクリート








昭和30年代とは、なんだったのだろう、と時々思う。
回想すると気持ちが暖かになる。
いい思い出しか、頭に浮かんでこないといってもいい。
それは「当時は子供だった」からかもしれない。
または「よくないことなど思い出したくない」といった、自己防衛本能とかいわれるものが、そうさせているのかもしれない。
それとも「よくない出来事」も、昭和30年代フィルターを通して振り返ると「よかったよなあ」と思うようにさせるのかもしれない。
「今」は、格差社会だといわれているけど、昭和30年代にも格差はあった。
イジメも差別もあったし、それは、今と同じか、ひどいぐらいだったのかもしれない。
現に、私も、数名の特定の子供をいじめていたし、反対に、いじめられたことだってある。
私の育った家庭は「貧乏世帯」だったけれど、もっと貧窮した家庭はあった。
近所に住んでいた「松原さん」というおばさんなどは、電気も水道もなくて、土間の上に板を敷いただけの狭いところに一人で間借りし、失対の作業員として収入を得ていたようだ。それだからといって生活保護というのもなかった。(・・と思う)
学校では、赤痢、疫痢、日本脳炎などで亡くなる子供も居て、誰かが赤痢で亡くなると、学校の便所などをあわてて消毒していた様子が目に浮かぶ。
衛生状態はもちろん、食料事情もよくなかった。
事故も多かった。車が少ないため交通事故というのはなかったけれど、山で転落したり、川でおぼれたりして亡くなる生徒も少なくなかった。
社会全体も荒削りだったように思う。
当時の環境汚染なども、ひどいものだった。 今のように規模が大きくなかったというだけで、当時「環境」とか「自然保護」を訴える人はごくわずかで、そういう人は変人扱いされていたものだ。
それでも、 私は、昭和30年代がいとおしい。
「今」よりも、いい時代だったと確信できる。
あの時代に「子供」として育ってよかったなあとつくづく思える。 子供の頃に育った環境が、その後の人生に大きな影響を与えているとしたら、私の子供時代は、恵まれていた、と思える。
その後の人生、つまり現在の私の過去・現在に、100%満足しているわけではないが、そう思えるのである。
それは、今の社会と比べて、相対的にそう感じるのだろうと思う。
でも、それはなぜなんだろう。
あの時代は、活気があった。熱気もあった。
今のままで昭和30年代に帰られないかなあ。
中心市街活性化とかコンパクトシティなどの言葉があちこちで散見される。
我が市においても、市街地を活性化しようとか駅前をなんとかしよう、という論調が目ある。
昔の市街地が活性化されることは大賛成だ。夢よもう一度、である。
しかし、どのようにすれば活性化するのか、という大きな課題がある。
都会は、電車、地下鉄、バスなど公的交通インフラが整っている。都会では、クルマで行動するほうがコストがかかるのではないだろうか。(多分)
しかし、公的交通機関の乏しい地方は、完全なクルマ社会である。
一家に一台は昔の話で、今や、一人に一台になっている。500mぐらい離れたコンビニに行くのにも、ハンドルをにぎる人がほとんどだ。地方に住んでいる人のほうが運動不足なのはまちがいない。
地方ではクルマなしでは、まともに仕事もできない。クルマなしでも仕事が出来るのは公務員ぐらいである。
とにかく、生活の基本が「クルマ」なのである。
なので、駅前や中心市街地に、突然、大きな建物を建てても、大きな駅ビルを造っても、結局は「クルマを停めるところがない」とか「駐車場が不便だ」ということになるのだと思う。
なら、どうすればいいのか。
乱暴な話でいくと「リセット」するのがいちばんいいけれど、人命財産を失うのは困るのでそうもいかないのである。
これは、どうしようもないのである。
ここで思考は、閉塞してしまうのである。
ただ、これだけは云える。(と思う)
地方は、住みやすいということである。多分、都会よりも住みやすいと思う。
少なくとも、延岡にはBMWを乗り回しながら生活保護を受けている人はいない。
住みやすい、その利点を活かして、もっと、もっと住みやすいような環境を、みんなで作り上げていくのが、いちばんいい方法だと思うが、いちばん難しいことなのだと思う。
でも、そうしようとしている人や団体は、居る。少ないけれど居る。
「そのとおりだ、そのとおりだよ」と太造がべそをかくような顔で云った、「木を伐ったあとに苗木を植える、こんなちっぽけなやつをな」彼は両手でその大きさを計ってみせた、「このっくれえの苗木だ」と彼は云った、「こんなものがなんになるって、人は云うだろ、こんなものがなんの役に立つってな、こいつが役に立つまでにゃあおらあ死んじまうってさ、けれども、小屋頭はせっせと苗木を植えてるじゃねえか」
「それとこれとは話が違わあ」
「実際の役に立つ、誰かがしなければならねえこと」と太造は独り言のように云った、「こう云うと青っ臭え、子供じみたことのように聞こえるかもしれねえが、おらあこの世は、それでもってるんだと思うぜ」
「けれどもな、祭りの世話人だって、笑いごとじゃねぇ、銭をばら撒いてもなりたがるやつがずいぶんいるもんだ、ことにふだん人から軽く扱われ、ばかにされている人間ほど、みんなのめえで羽織袴を着て、いばったようなまねをしたがるものさ、−−−−−成り上がり物ってなあ、そういう人間のことをいうんだ、貧乏人から長者になり、草履取りから大名になったのをいうんじゃねえ、てめえが長者になると急にそり返って、貧乏人を見くだすような野郎のことをいうんだ」

