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土木建設業に従事していますが、専門分野のことは少なくて、昭和のこと、故郷・徳島のこと、延岡のこと、雑多なことを自分の記録として日記代わりに書いています。St.3bの「がんサバイバー」でもあります。
 日々(いや、気のむくままに)読み書き
川で遊んだ。
2009-03-07-Sat  CATEGORY: 昭和の話
  まだ、川に、澄んだ水が滔々と流れていた頃、私たちは、川原で遊んだ。

 山間の小さな町だったので、広場というと、学校の校庭以外では川原しかなかった。

 川原は、広場がわりだった。
 【貞光川河川敷】
貞光川川原

 川原での野球。相撲。焚き火。凧あげ。 川に架かる潜水橋の上でのローラースケート。

 浅瀬をバシャバシャと走りながら、小魚を追いかけて生け捕りにしたこともある。

 「そろ」とよばれていた竹製の網で小魚をすくったりもした。

 はえとりビンで小魚を獲った。

 はいなわで小魚やなまず、うなぎも獲れた。

 竹竿の先に、テグス、浮き、釣り針をつけて、ご飯粒やうじ虫を餌に魚釣りした。

 ♪日曜日には、日曜日にはあの小川まで のんびりと魚釣りにでも
   朝、早くから、夕暮れまで、糸をたれて一日過ごします
   脇にゃ酒でも一本抱きかかえ あの小川まで魚釣りに
   日頃のうっぷんを餌にして 糸をたれて一日過ごします

   あの爺さんは魚釣りの名人だ・・・・・

   あとは略・・      【高田渡 魚つりブルースより 」

 夏になると、水浴びだ。大勢の子供たちが、貞光川のあちこちで水しぶきを上げた。

 貞光川には、泳ぐポイントがあった。下流から「変電所」「どいの岸」「一本松」「しもがん」「おくがん」と名前が付けられていた。「おくがん」の上流には「ゆうま橋」というポイントもあったけれど、なぜか、そこで泳ぐ子供は少なかった。
 【おくがんとゆうま橋(クリックすると拡大)】
 貞光川 奥岩とゆうま橋

 この中で「どいの岸」は、流れが速く、水深が1mぐらいで、初心者の泳ぐ場所。 私も最初の頃は、ここで泳いだ。

 他のポイントは、大きな岩があって深い「淵」になっていた。岸辺から川の中に入っていくと、段々と深くなり、膝、へそ、胸元、喉首・・だんだんと背が立たなくなる。私たちは、バタバタと泳いで、岸の岩に取り付いて上がる。そして、川面を睥睨するように見ていた。

 こういう場所は、浮輪が無くても心配ない上級者が泳ぐ場所だった。

 でも、そういった場所で溺れて亡くなる子供も居たりして、楽しいけれど恐いところでもあった。当時の子供たちは、命がけで遊んでいたのかもしれない。身をもって、危険を回避するすべを学んでいたのだ。

 ○○ちゃんが溺れて死んだ・・。昨日まで一緒に遊んでいた友達が急に居なくなることは子供にとってはショックだ。 明日は我が身かもしれない、いう恐怖心も生まれた。

 しかし、それでも、暑い日が続くと、川は子供たちの歓声と水しぶきの日々だった。

 川原には、きまって、ヨモギが生えていた。ヨモギの葉を石で叩いて水中眼鏡の曇りよけにしたり、ちょっとした切り傷や擦り傷は、ヨモギの葉で手当てをして治療していたものだ。 今でもヨモギの匂いをかぐと、真っ盛りの真夏がよみがえるほどだ。

 当時はプールなど無かったので、学校では、先生が引率して「一本松」に泳ぎに連れていってくれた。 当時の教育長から、水泳での呼吸法などを教えてもらい、体操をして川に入ったものだ。

 川に入るときは、蒲鉾の板にマジックで氏名を書いたものを置いて一斉に入る。先生の合図で蒲鉾の名札を手にとって一斉に出る。

 今なら、とても、考えられないことだ。当時の、引率の先生も大変だったなあと思う。



 水泳でにぎわった川も、お盆が過ぎると、泳ぐ者は少なくなり閑散としてくる。お盆を過ぎて泳ぐと「引きずり込まれる」と親たちの言葉を信じていたのだ。

 今は、ほとんど川には行かない。たまに近寄ると「ここで泳いではいけません」や「危険です」という看板が立てられている。

 たしかに川は危険だ。でも、危険を体験しないと、学べないものもある。

 これも、仕方ないことかもしれないが、川と遊ぶことを、今の子供たちに伝えることも必要な気がする。

  
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技術士試験。(その2)
2009-03-07-Sat  CATEGORY: 技術士二次試験
 口頭試験で提出が義務付けられている技術的体験論文のテーマは、頭の中でもやもやしていたけれど、徐々に形が見えはじめてきています。

 何を書くか検討してきましたが、今までやってきたこと、今していること、これからやろうとしていること、これらを概観して決めました。

 二つに絞りました。

 ひとつは「コンクリートの維持」。これは、最初の技術士筆記試験で記述したテーマです。

 あと、ひとつは「コンクリートの施工」です。もちろん、論点を絞って書くつもりです。

 どちらかといえば、前者はすでに「合格」という実績があるので無難だと思います。しかし、前回と同じことを書くのは、おもしろくないので、今のところは後者で書くつもりです。

 この二つを意識しながら、経歴書を詳しく書いていきましょう。

 体験論文の文字数は3000字以内と、少なめなので要点をうまく整理する必要があります。でも、筆記試験に合格することが大前提なので、今は、ぼやかしたままにしておいてもいいでしょう。

  建設一般。そして専門科目。

 建設一般については、去年から今、今から少し先までの「建設分野」の全体の動向についての情報の確認や情報の取得からはじまる。そして設問を予想して、どういう設問に対しても回答できるように準備する。設問は10ぐらいは予想しておいて、ひとひとつについて書いていく。書いては見直し、書いては見直しを繰り返して、最終回答(ファイナルアンサー)を決める。そして、書く。この場合は、丸暗記ではなく、筋書きをつくり、自分の意見を明確にする、ことだけを考える。これを、何回もやる。

 専門科目については、過去の設問から、自信を持って回答できるもの、少し学べばなんとかなるものを、回答していく。ここで5問くらいを想定する。建設一般と同じように、何回も書いては見直し、書いては見直しを繰り返してファイナルアンサーを決める。あとは、同じ。



 記憶能力の減退もありますが、いちばんの問題は「モチベーション」です。これさえ、高めたままにおければ、なんとかなるかもしれないと高をくくっています。

 仕事の状況や社会的状況、そして、自分自身の気持ちの問題・・。ややもすれば、うしないがちらなりそうな「やる気」。これが無くならないようにコントロールしなくてはなりません。

 モチベーションが無くなれば、努力もおろそかになりますから。

  では。

 
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