
天気は、降りそうでいて降らない、理想的な日和だ。
上空の雲の動きをみれば「降る」「降らない」の、ある程度の判断はつく。
地元ゆえの「観望天気予報」だ。
作業員9名は、ポンプ圧送屋さんが3名。残りの6名は型枠大工さんたちだ。
型枠大工さんは「いいコンクリート」を打設してくれるのだ。
内部振動機4台。予備の振動機2台。
低いところから、コンクリートをできるだけ流さないように、教科書どおり、いや、以上に打設していた。
養生
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先日、打設が終わったブロックは、コンクリートの養生が行われていた。
気泡マット、養生シート、ブルーシートの三枚重ねだ。
シートをめくってコンクリート面を確認したら、充分に濡れていた。
では。
イエス、ノオは、はっきり言って、人に迷惑をかけないようにしたいものである。妙な話だが、諾否の明言は、無論徳義の問題であると同時に、また練習の問題でもあるように思う。水泳の飛び込みや野球の滑り込みを、躊躇しながら、愚図愚図試みると、よく怪我をする。思い切って敢行すると、存外安全に成功する。イエス、ノオの言明にも、ややこれと似た趣があるようである。人の気をかねて曖昧なことを言うものが、存外よく思われず、却って他の思惑を顧みずに、思ったとおり言うものが、必ずしも嫌われない。人の気ばかりかねて、左右を見廻していることが、存外引き合わないものだということは、知っていて損のない話である。飛び込みや滑り込みと同様、諾否の明言も、心がけと練習により、上達するものだと言えると思う。・・・・・・・「小泉信三 平生の心がけ 講談社学術文庫より」
この一文を読んで、膝をたたいた。(実際には、打たなかったが・・)
こういうことは、今まで、幾度も、経験してきたし、苦い思い出もある。
ほんと、そうただなあと思う。
しかし、普段の心がけと練習、これが必要だと思う。
「釼岳 点の記」。
陸軍陸地測量部の技官柴崎芳太郎が剣岳周辺の山々に、三角点を設置し測量していく話だ。
剣岳には「長次郎谷」という地名があるが、地名の元になった「宇治長次郎」は、柴崎芳太郎のガイドを務めている。
私は「新田次郎」の小説が好きで、ひところ熱中したことがある。
強力伝、蒼氷、富士山頂、孤高の人、剣岳点の記、八甲田山死の彷徨、聖職の碑、栄光の岩壁、芙蓉の人、槍ケ岳開山・・・それに武田信玄を読んだ。
特に、孤高の人、剣岳点の記、栄光の岩壁は、今でも、焼きついている。
それが、映画化されている。
見たいけれど、わが町での上映予定はなさそうだ。
DVD化を待つしかなさそうだ。
ひなたと外で遊んだ。
暑くて、日差しが強いと、熱中症のリスクが増える。

思い起こせば、愛宕山の除草の二日目は35度まで上昇し、頭がぼっうとなった。
「これは、やばい」と、小休止を入れて、仕事そっちのけで木陰で休み、梅干を食べ、アクアエリアスを、ごくごくと飲んだ。
飲んだそばから「汗」にかわる。
循環そのものだ。
あれで続けていたら倒れたかもしれない。
水分ミネラルの補給、涼しい場所での休憩。
「おーい、お茶」だけを飲むよりも、ポカリスエットやアクアエリアスなどを飲もう。あれは効く。
熱中症の危険は、来月、翌々月とピークになる。
夏場は作業能率は落ちて当たり前だ。効率が落ちることを恐れてはならない。経営者も、働く者も、管理者も、時々の休憩する勇気を持とう。
今日は、午後から、「応用地質研究会」の総会に参加してきた。
総会よりも、談話会といって、研究者たちの中身の濃いプレゼンがおもしろい。
地質や岩石の専門家が、それぞれの持論や、新しい地質情報を話してくれる。
と、いっても、私のような不勉強な者にとって、内容はわからないことのほうが多いのだ。
だいたい、私は、わからないくせに「マニアック」な話を聞くのが好きだ。
今日も「宮崎層群中の厚層砂岩の液状化」「気候変動と沖積平野埋没段丘」「がけ崩れの二つの要因」「四万十累層群中における砂岩ボール」「大規模崩壊に関与する粘土層の重要性」などの話を聞いてきた。
半分以上、わからない。
コンクリートの話なら、ある程度わかるかもしれない。
でも、地質は、聞いたことの無ないような専門用語や横文字が出てくる。
二億年前から古墳時代までの変動や、海底地すべりとか、意味はあまりわからなくても、おもしろいのだから、仕方ない。
幸いにも、ずっと、今まで「性善説」で、生きてこられた環境に居られたおかげかもしれない。
2:6:2の法則がある。
どんな組織でも「よい」「普通」「よくない」人材の率が2:6:2の比率を示すといわれている。
このなかの「よい」の2が退社すると、残った人材の中で、また2:6:2の比率で再組織化してしまうらしい。
何の疑いもなく「そうか」と鵜呑みにしてしまっている。
でも、本当にそうなのだろうか。
この率は核心をついた数値なのだろうか。
例えば、5:4:1は? 1:8:2は?・・・・・・・・・。
そもそも「よい」「普通」「よくない」の判断基準なんてあるのだろうか。
あるとしたら、それは何なのだろうか。
Aは、これだけは余人を許さないほど優れている。Bは、あれが凄い。CやDは、あれをさせたら、常に、トップだ。
人は、一人ひとり違う。ほんと、多様だ。
そういう人たちが集まって組織を 構成している。
なかなか、しぼれない。
自部署の事例で考えてみた。
優秀とは、何に対して優秀なのか。
全員といっていいぐらい、みんな、真面目で誠実だ。
2:6:2が、5:4:1にも思えるし、8:2:0にも見える。 0:10:0にも思えるのだ。
少なくとも 2 : 6 : 2 ではないように思える。
気の強いやつも居れば、気の弱いのもいる。
すぐに、カーッと燃える者も居れば、冷静に考えて行動する者も居る。
書類を作らせたら、他社から教えを乞いに来る者も居るし、建設機械操縦がプロ並みの者も居る。
段取りのいいのもいれば、地元交渉では右に出るもののいないものもいる。
それぞれが、よく見える。みんな、いい人材のように思える。
だいたい、こういうことが分類できないこと自体、私が、2:6:2の 下位の2に入っているのかもしれない。
明日は、宮崎に行く。
応用地質研究会の総会だ。
暑かった。
汗、だくだくになった。
木の下の木陰で休憩していたら、私の足元に「ぽたり」と何かが落ちてきた。
「うおっ」
体長15センチもあろうかという、大ムカデ。
こちらが何もしなければ、ムカデも何もしない。
見ていたら、路側の草むらの中に消えていった。

私たちの持ち場は今日で終わった。通算して5日かかった。
登山者のひとたちから「おつかれさん」「暑いねぇ」「きれいになりました。ありがとう」と口々に声をかけられる。
無駄な汗をながしているのではない。
週末は、弊社、間接部門が除草予定。
建築部は、来週からとりかかるとか。
除草前

除草完了

きれいになった。
明日は、福岡市へ。日帰り出張。
愛宕山除草3日目で、今日が、いちばん暑かった。汗が顔から、したたり落ちる。軍手でぬぐいながらであった。

ポカリスエット。
部署の事務Nさんがつくってくれた「カツオ梅干」。
これがなかったら熱中症になっていた。
私の部署の守備範囲は、あと二日か三日で終わるだろう。
デスクワークが、溜まっている。
除草が終わるのを待っている。
ところで、 社蓄度を判定するのがあった。
いったい、どんなのだろうと、判定してみた。

私の「社蓄度」は15%とか。
割と健全な会社に勤めている・・・・とか。
この15%は、給与が上がらないという選択のせいだろう。
この、厳しい経営環境のなか、自分たちの給与が上がらなくてもいい。
若い人たちの給与は上がってほしいが・・。
社蓄。
かわいそうな言葉だ。
この、暑い最中に草を刈るのは、社長から指示されたわけでもないし、発注者から依頼されたわけでもない。
自分の仕事上での都合が調整できる者たちが、やっているだけである。
現場も同じである。
みんな、自分の現場をきちんとした仕事をする、その思いで、自主的にコントロールしながら、仕事をしているのである。
休日出勤もあるだろうし、深夜残業もある。
でも、社蓄じゃない、これだけは言える。
公共工事主体の土木屋には、社蓄化している者は、少数だと思う。
そうじゃないと、いい仕事をするのは、なかなか困難だ。
では。
貞光町から一宇村、釼山に向う街道沿いに建てられている。
【百間長屋】

百軒長屋に、長浜君という同級生が居て、小学校、中学校時代は、よく遊びに行った。長浜君は、中学を卒業して大阪のほうに就職していった。当時、何軒の住まいがあったのか分らないが、同じ間取りの家が連綿と続いていた。
長浜君の棚の引き出しには、貸本屋から持ってきたような古い桃色雑誌が沢山あった。他の同級生が遊んでいるのを尻目に、熱心に読んだことを、なつかしく思い出す。
【今(平成21年)の百間長屋】

チルトに加工してみた。
車をゆっくりと走らせながら、表札を注意深くながめていたら、空き家が多く見られたが、「長浜」という表札を確認することができた。
いったい、誰が住んでいるのだろうか。誰も住んでいなくて表札だけが残っているのだろうか。いろいろと想像をめぐらせながら、、そのまま車を走らせたのだ。
結果だけ書くと93社が一斉に参加し、10社が最低制限価格以下。弊社は、落札した会社より55.920円も高かった。55,920円の中に70社がひしめいている。落札できる日は、訪れるのだろうか。
・・・というようなこと。
今、マイブームになりつつある「チルトシフト」を、いろいろと作成している。
【弊社の造成工事現場】

【昭和30年の貞光町の路地裏】

【平成21年4月の貞光町の路地裏】

チルトは、おもしろい。
追記 比較写真を見ての感慨。
同じ路地で撮影している。昭和30年の路地には9人の子供が遊んでいる。道は、当然、未舗装で凸凹。雨が降るとぴしゃぴしゃと泥が跳ねる。
これを見ていると、子供たちが大勢居る、というとは、やはり、いい。
よほど自信がない場合をのぞき「わかりました」と返事するようにしている。
昨日、電話で「あのー、プールが漏水しているようなのです。二日間で15センチ下がりました。そちらでなんとかできるでしょうか」
相手は、私たちの会社に期待し、信頼した上で、当社を選んで、電話をかけてきてくれたのだ。
「わかりました。それでは、明日、お伺いします」と回答したのだ。
自分で解決できなければ、他部署や専門家にお願いする。
今回の件は、私は、土木なので、コンクリートや地盤沈下ならわかるかもしれない。建築的なものであれば建築部に頼めばいい。他の欠陥なら、メンテナンス部門に頼めばいい。たいがいのことは「なんとかなる」のである。多分。
朝、出かけようとしたら、相手から電話。いつ、見えられるかという問い合わせだったので「今から」とお答えして「できたら、当時の図面と施工会社を調べておいてほしい」旨を伝えて、現場に向った。
漏水の原因は断定はできないが「ここが怪しい」というのを発見して、現地でも説明し、破壊調査が必要なので返事がほしいことを伝えて帰ってきた。
これは、メンテナンス部門で、なんとか対応できる問題のようであった。
今日の、チルトシフト。
「岡富地区の、廃線になった旧・高千穂鉄道敷き」

明日からは、恒例の、愛宕山公園清掃に着手する。
では。
団子汁(すいとん)、うどん、蕎麦、ラーメン、冷麺、素麺、ちゃんぽん、焼きそば、焼きうどん、冷やし中華、たこ焼き、たい焼き、大判焼きそれからパスタもいい。
今日は、久しぶりに「私の、お好み焼き」を焼いた。人数は5人分。
いつも少し足りないので、一人当たり50gを70gに増やした。
まず、鰹節で出汁をとる。
明日の味噌汁にも転用できるので多めにつくる。
小麦粉を70g×5、350gを計量してボウルに入れる。
すりゴマ、クリープを適宜いれる。 (クリープは隠し味のつもり)
山芋は15g×5、80gぐらいをすっておく。
出汁は、350ccを計量する。
これらをすべて混ぜ合わせる。
しかし、今回は、これで終わりではない。
ヨーグルトを適宜(100g程度)を混ぜてみた。
そして、しばらく寝かせる。
これでお好み焼きのルーの出来上がりだ。

あとは、キャベツと卵と天かすを入れて焼く。卵は一人一個だ。
その上に、豚肉、海老、好きなものを乗せる。
表6、裏4で、ホットプレート200度で焼く。
イカリソースを塗って、青海苔粉、削り節粉をちらして出来上がり。

本当は、鉄板を引っ張り出して焼いたほうがうまいのだが、鉄板は錆ついている。。。。。
では。
故・桂枝雀さんをはじめ、多くの方が演じられている。元々は上方の咄らしいが、江戸落語でも「青菜」で語られている。
桂ざこばさん。桂枝雀さん。柳家権太郎さん、笑福亭仁鶴さんほか大勢の芸人が話しされる。
個人的には「桂ざこば」の青菜が好きだ。
幾度となく聴いているので、筋書き、落ち、台詞がわかっている。
しかし、ほぼ同じところで笑う自分が居る。
私の好きな場面は、植木屋の女房が「はあい、旦さん」と押入れから飛び出してくるところだ。汗だくだくになって出てくるところは、実に、いい。
桂ざこばさんの「青菜」は、桂ざこばさんのガラガラの大阪弁と咄とマッチしているのだ。これしかない、という咄をしてくれる。
同じ、ざこばさんが「首提灯」を演じるときは、ちょっと暗くなり、おどろおどろしくなる。
これを枝雀さんが演じられると「爆笑」に変る。
落語は、同じ咄でも、演者により、全然、違ったものになる。
だから、同じ咄でも、何度でも、聴きたくなるのだな。
そのなかで私の収入は、どの辺りにに位置しているのかを調べてみた。
グローバルリッチリスト
自分の年収yen単位で入力すればいい。
感想は、人それぞれだと思う。
私は「世界が100人の村だったら」という本を思い出した。
ちょっとしたミスが、沢山の人命を奪うこともある。
経済的に多大な損害を引き起こすこともある。
「あってはならないこと」なのだ。
「人は考えずに行動する」(芳賀繁『失敗のメカニズム』、角川ソフィア文庫、2003年)、その結果、見間違いや思い違いによるエラーが起きます。このエラーを減らす方法に "指差呼称" があります。 これは "何もしない" に比べて、エラーを6分の1に減らす効果があります。
鉄道で昔から実施されている「指差し呼称」。
「右よし。左よし。前よし。」と指差しながら声をあげて安全を確認する。これは、鉄道総合技術研究所の膨大な実験データから「何もしないとき」と比べてミスの発生が1/6に抑えられるという効果があるとのこと。

【指差し呼称の効果検定実験結果(平成6年(財)鉄道総合技術研究所)】
しかしである。
いくら注意を払っても0.38%のエラーは発生する、ということも同時に物語っている。
つまり、ヒューマンエラーの発生はゼロにはならない、ということである。
この0.38%という数字も、おもしろい数字だ。
わが国では「せんみつ」という言葉がある。千のうち三つしか本当のことを言わないとか、何かを賭けたとき、うまくいくのは千のうち三つぐらいだ、みたいな使われ方をしてきた。
0.38%というのは、ほぼ「せんみつ」だ。
それから、有名なハインリッヒの法則。1:29:300というやつ。重大事故の発生確率は1/300となっている。1を300で徐すると0.3333%になる。
鉄道総研の実験データの0.38%。
日本の古くからの言い伝えの「せんみつ」の0.3%。
ハインリッヒの法則の0.333・・・・・%。
こられの数値に、どのような関連性があるのかは知らない。
共通して言えることは「ヒューマンエラー」は、どうやら確率に関係していそうだ、ということだ。
人とモノが介在する限り「ミスやエラー」は無くならない。
運・不運の世界だ。
これは自分たちもよく分っている。
例えば、同業他社さんなどの事故事例などを耳にすると、真っ先に「明日は我が身」と思ってしまう。
あらゆる手段を用いて事故や災害を防止する、というような押さえ込みではなくて、事故や災害の発生する確率をいかにして少なくするか、というような「謙虚さ」が大切ではないのか。
安全管理というのは「努力しても、人はミスをする」ということを前提にしないと成り立たないということだと思う。
ゼロにできなくても、ゼロに近づけていくことはできる。
また、事故の要因は「ひとつ」ではない。
直接的要因のほかに、風土、考え方、設計仕様、工程、材料、複合的な要因が重なったとき、事故や災害となって表出してくる。 要因をひとつひとつ追跡していって、教訓とするような仕組みがあるといいと思う。
事故を引き起こした当事者だけの責任や、引き起こした当事者が所属する組織の責任を、追及して、「厳罰」を与えるだけのやり方は、功を奏しないのではないか。
あの事故は「運が悪かった」ので起きた・・というのが原因になると、いつまでたっても、事故は減らないと思う。
しかし、処罰して「おわり」になっている事例が多いように見受けられる。
今日も、明日も、明後日も・・ずっと無事故無災害でありたいものだ。
天候は晴れ。土木屋にとっては、工程どおり進めることができるので助かる。
ところで、わたしは中学時代に柔道をはじめた。高校2年で左肘を痛めてやめるまでは柔道をやっていた。
小学校の頃、TVで「暗闇五段」という盲目の柔道家が活躍するドラマがあった。たしか、千葉真一が出てたように思う。歌謡曲では村田英雄の「柔道一代」「柔道水滸伝」が唄われていた。
すぐに影響を受ける私は、柔道をやりたくなったのだ。
柔道で最初に習うのは「受身」である。
畳に叩きつけられ方を徹底的に覚えさせられるのだ。そして、同時並行して筋力をつけるためのトレーニングもやらされる。
受身は「大怪我をしないため」にやらされる。 後方受身、側方受身。前回りの受身。前回りの受身最初は難しい。
前回りの受身の練習は、畳の上に四つんばいになった人間を飛び越えて、くるりと回転して畳に落ちる練習をした。一人から二人、二人から三人と最後は六人ぐらいを飛び越えても対処できるぐらいに練習したものだ。六人ともなれば飛ぶときはスーパーマンみたいに水平に飛ばなければならない。それでも、最後は「くるっ」と回りながら受身を取るのだ。
実生活でもこの練習は役に立った。測量会社時代に崖から落ちたときも、運動会の徒競走で転倒したときも、無意識に体が反応し、受身の姿勢をとり、無事だった。
受身は、試合で「負け」になっても、死んだり、大怪我をこうむったりしない、つまり「大ダメージを受けない」稽古を積むのである。
ちょっと痛い目にあって、それ以上「大きな痛い目」にあわない練習を体で覚えるのだ。
川で泳いで溺れて死にそうになったことが何回かある。今、思い出すと、こういうのは死と隣り合わせだった。でも、多分、今、深みに落ちても、立ち泳ぎでかわし、溺れない自信がある。
体で覚える。
これも、受身の練習に通じるものがある。
受身は「負けないため」の練習だったのだ。多分。
それだけの話である。
試験日まで二ヶ月を切った。試験準備をぼちぼちやらないといけない。
生意気かもしれないが、技術士の筆記試験は、試験に合わせて勉強するのではなくて「準備」するものではないかなどと思ってしまう。
技術士の勉強というのは、この仕事をしていれば、普段が勉強だ。
建設部門なら建設部門で、真摯に仕事をしていれば日常が勉強になるはずなのだ。
なら、何を準備するかというと、今までに体得してきた知識や経験そして日進月歩の技術や知識を、それらに対して自分はどう考えているか。これらを、どうやって文章に系統だてて整理していくかだと思う。
系統だてて整理するということは、第三者の目線で自分を見ることだと思う。
しかし、言うは易く、行いは難し。
さて、どうなるか。
「お前には主体性があるの?」と自分に問いたいぐらい、受ける。
今まで、いろいろな人や書物に影響を受けてきた。
最初は、やはり、父か。
父は、地方新聞の記者していたことがあり、記者になりたいと思った。幼い子供が、記者の意味もしらないのに、そう思っていた。
次は、兄である。
私が、土木に進路を決めたのは兄の影響が大きい。
長兄は工業高校土木科を出て、電源開発公団に就職し、高知県の奈半利でダムを造る仕事に携わっていたことがある。
盆・正月に帰省してくる兄は都会の香りを漂わせていた。兄と父母の会話には幼い私は理解できなかったのだが、なんとなく土木の仕事に憧れるようになった。
その折、影響を受けた写真がコレ。↓↓

中央が、兄。
いろいろな人たちに影響を受けながら、今も、こうして生きている。
※高知県の奈半利といえば、まだ見ぬ知人がCCPMで活躍されているところだ。
昨夜、寝しなに歯磨きしながらTVをつけたら、盲ろうあ者の東大教授が出ていた。
眼が見えない。耳も聞こえない。
教授の傍ら女性が指点字という方法でサポートしながら「爆笑問題」とコミュニケーションをとっていた。
テーマは「障害学」。
私は、番組内容そのものよりも、大きなハンディを背負いながら東京大学先端技術の教授をしているということに感動して最後まで観てしまった。
そして思ったことは、番組のことでもなく、また教授のことでなくて、私の母のことである。
私の母も障害者だった。耳が全く聞こえなくて、眼も視力が0.0以下の弱視であった。母が、事故で聴力を失った頃は、裕福な環境だったこともあって、京阪神の病院で当時の最先端の治療を受けた。しかし、回復はできなかった。母の場合は三半規管も悪かったらしく、あっちにこっちにふらつきながら歩いていた。
母は、生まれつきの聴覚障害ではなかったので、会話が出来た。でも、聞こえないので話す声は大きかった。
母とのコミュニケーションは、手の甲に指先で文字を書いて通じあった。母は、手の甲を見ないまま、感触だけで理解した。今から思えば、漢字まじりのひらがなでもコミュニケーションがとれたことは、番組の指点字と同じで「すごい」ことだと思える。
今、思うと、母に対しては「障害者」という感覚は全くなかった。ただ、耳が聞こえない、というだけであった。 母も、ごく自然であった。てらいも気負いも卑下もなにも無くて、健常者と変らぬ普通の人であった。
そんなことを思い出しながら番組を見終わった。
ただ、それだけの話。
それらしく、今は、小雨がぱらついている。明日は、本格的な雨の予報だ。
今日は、左腕上腕部の痛みがだんだんと強くなっているので近くの整形外科医に診てもらった。
以前も似たようなことがあったが、ここの院長の見立てとリハビリ室の診立ては違う。そして、リハビリ室の診立てのほうが合っているように思える。
私は「五十肩」だそうだ。以前、五十肩になったことがあるので、もう、五十肩はないと思っていたが、何回でも再発するそうだ。
原因がわかり、納得。
昭和の食べ物。
小学校4年、5年生の頃になると、学校から「ミルク」を支給されるようになった。
落としても割れないアルミ製の器に入った脱脂粉乳だ。
ほかほかと湯気の立つ白い液体。口元に持っていくと、全身が拒否をする。口に入れないのに「うっ」と、吐き気を催す。
教師が「残すな!!」「体にいいから飲みなさい」と云うので、仕方なしに口に含む。無理して嚥下すると、匂いが鼻から頭に駆け抜けていく。
「うっ」。
僕は、脱脂粉乳は飲めなかった。いくら強制されても、飲めないものは飲めない。せめて、冷たかったら、勢いで飲んだかもしれないと今になって思う。
あまり評判がよくなかったらしく、学校は、ココア風味の脱脂粉乳を出してきた。色は薄いココア色。
でも、飲めない。いくら風味をつけても脱脂粉乳は脱脂粉乳でしかない。
そのあとは、小さなパンも出た。一人当たり1個。パンは食べた。でも、脱脂粉乳は飲めなかった。
しかし、捨てるものあれば拾うものありで、同級生の辻君が、数名の脱脂粉乳を一手に引き受けて飲んでくれた。
彼は、給食のたびごとに五六杯の脱脂粉乳を飲んでくれる、有難い存在だった。
いつだったか、さすがの辻君、飲みすぎて戻し、机の上が脱脂粉乳だらけになったことがある。
脱脂粉乳。あれは、ユニセフからの贈り物だったらしい。
Wikipediaの記事によると・・
学校給食に用いられたのは主にユニセフからの援助品である。戦後間もない頃の日本の食糧事情を知った善意のアメリカ合衆国市民の団体が、日本の子供たちの為に実行した支援だった。しかし日本が急速に経済復興し、支援を開始した時点では遅すぎたという話もある。
アメリカからの善意の贈り物か。
しかし、私にとっては「牛乳嫌い」のきっかけをつくってくれた飲み物だ。
今は、牛乳もなんとか飲めるようになったけれど、あの「脱脂粉乳」だけは飲めそうもない。
今朝は、炊き立てご飯、豆腐とワカメと、あと忘れたの味噌汁、納豆と刻み海苔、烏賊キムチ、濃茶でいただいてきた。
出かける直前、家の中から「いっただきまーす!!!」という元気な声が聞こえて、それに送られるようにして出てきた。
ではまたあとで。
■今日は、朝から二箇所の現場に行った。
コスト縮減は必要だと思うが、この頃の「コスト縮減」というのは、目先のコストしか考慮してないように思える。LCC(ライフサイクルコスト)という考え方もあるが、実際に機能しているのか、疑問を感じるところである。
出生率と所得水準は反比例している。
出生率全国1位は沖縄県。そして、わが宮崎県。
所得水準ワースト1は沖縄県、その次が宮崎県。
つまり、所得水準の低い地域で子供を生み育て、やがては所得水準の高い東京や大阪に人材を輸出するということか。
しかし、なんで所得が低いと出生率が高くなるのか。
「貧乏人の子沢山」・・・・・・か。
この関係がわからないなあ。
南日本の人たちは、おおらかで子供を産み育てることが好きなのか。
僕らが小さい頃は「取水制限」なんていう言葉はなかった。(・・と思う。)
4月に帰郷したときの吉野川の流れの細さに危惧していたが、こういう取水制限を耳にすると、危惧が本物になったようにも思える。
貞光川も、かつて背の立たなかった淵も、歩いて渡れるような箇所に変り、いちめん砂利だらけの川原は、草原になっていた。
変電所。どいの岸。一本松。しもがん。おくがん。夏休みになると子供たちであふれかえった貞光川の「遊泳場所」は、浅くなってしまっていた。
【変電所】

【どいの岸付近】

【一本松付近】

【おくがん付近】

すべては、自然の営みなの結果なので、どうしようもないことなのだが、人にとっては「よくない」ことのほうが多いように思える。
このように川の環境が激変してしまうと、水生生物にも、大きな変化があるのだろう。
こうなったのは、河川工作物の建設や、降水の変化など、いろいろな要素が複雑にからみあってのものだろうけれど、人が山々から足を遠ざけたことも大きな要因のような気がする。
私@本社執務室である。今日は社休日。本社は休みでも、現場は稼動している。
土木の仕事は、晴耕雨読が基本だ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
私には五歳になったばかりの「孫」がいる。
男の子で名前は「ひなた」。
「眼の中に入れても痛くない・・」と云うが、昔の人は実にうまい表現をするものだ、と感心する。
物理的に眼の中に入るわけはないのだが「痛くない」というのは本当だなと思う。
五歳にもなると、少々、生意気でもある。
ひとつも言うことはきかない。言うことをきかない子が悪がきなら、ひなたは悪がきだ。
本当の事いうと「言うことなんか、きかなくていい」と思っている。
ひなたは元気である。
2,3歳ころまでは、高熱を出したり、喘息になったり、深夜に病院に連れていったり、救急車でも1回運ばれたし、入院も2回ほど経験している。
しかし、今は、医者とは無縁になっている。
足、手、腕、切り傷、擦り傷だらけで絶え間がない。
話す声も、テンションが高くて大きい。声が大きいことは、ひそひそ話すよりもはるかにいい。
今朝も、洗面所で一生懸命になって手を洗い「じいちゃんに、おにぎりをつくってあげる」と云って、小さな塩おにぎりを一つこさえてくれた。
塩が多かったが、おにぎりは、塩気が少し多いぐらいが、いちばん、うまいのだ。
拓郎の「まァ、取り敢えず」を聴きながら、生き方とか考え方に影響を与えた歌もあるのに気づいた。
※ 「まァ、取り敢えず」の歌詞
童謡、三橋美智也からフォークソングまで、いろいろな音楽を聴いてきた。
子供の頃はTV主題歌。月光仮面、怪傑ハリマオ、まぼろし探偵、白馬童子、風小僧、アラーの使者、七色仮面・・・・・・・。これで「正義」を知った。
子供の頃の「正義」は、あれでよかった、と思う。
今は「正義」とはいったい何なのか。正義の意味が曖昧でわからなくなっている。
拓郎の歌に戻る。。。。。。。
たかが「流行り歌」なのに、その後の考え方や生活態度に影響を与える、そういうことは、誰しもあるのではないだろうか。
私の場合は70年代のフォークソングといわれる音楽だ。
岡林信康からはじまり、フォーククルセダースを経て、吉田拓郎ほか、沢山・・・・・・・。
彼らの歌う歌詞は、少なからず、若かりし頃の自分に影響を及ぼしている。
影響を受けて今の自分がある。
たわいもない話でした。