土木建設業に従事していますが、専門分野のことは少なくて、昭和のこと、故郷・徳島のこと、延岡のこと、雑多なことを自分の記録として日記代わりに書いています。St.3bの「がんサバイバー」でもあります。
 日々(いや、気のむくままに)読み書き
盛土劣化。
2009-09-29-Tue  CATEGORY: 建設
 盛り土劣化

 駿河湾を震源とする8月の地震で、東名高速道路の路肩が崩落した原因は「盛り土劣化」であることが判明したようです。

「盛り土劣化」。

 記事の内容から推測すると、多分、泥岩のスレーキング作用により、軟弱化したものと思われます。また、現地は「谷地」であることから、水の集中しやすい「谷埋め盛土」であったことも指摘されているようです。

 このニュースを見て思うことは、このような盛り土箇所は、全国至るところに現存しており、何かの引き金で、同様の災害がいつ起きてもおかしくはない、ということです。

 その引き金は、今回は「地震」であったわけですが、長雨やゲリラ豪雨も引き金になりうることを覚悟しておく必要がありそうです。

 盛土は、人為的にしかも短時間で造った地盤です。沖積層のように、地球が、ゆっくりと永い時間をかけて造り上げた地盤ではありません。
 一般的に言えることは、盛り土部は、盛り土部ではないところよりもリスクが大きいと考えるべきでしょう。

 今、施工中の「盛土」も、長期劣化を考慮して設計・施工すべきではないでしょうか。特に、近年は、建設機械の進歩や大型化などを背景として、高い大規模な盛土が施工されています。もちろん、排水や盛り土材料、施工方法など、現時点での知見に基づいた一定の配慮はなされていまが、やはり「安全第一」を基本として設計施工していくべきでしょう。

 技術的にも、過去の時点でわからなかった事が、施工事例や研究開などで、新しい知見などが、どんどんと判明しています。将来に禍根を残さないように、安全は何物にも勝るを第一とすべきだと思います。いくら、安全な設計にしても、いいと思います。



 
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やかまし村
2009-09-28-Mon  CATEGORY: 映画
やかまし村1

  子供たちの下校中に、馬車がもうもうとホコリを立てて通り越していきます。

 「ゲホン、ゲホン。ひどいホコリだ」

「ひどい太陽のひかりとか、ひどい小鳥の鳴声とはいわないのに、なぜ、ひどいホコリというのかしら」

「誰が、小鳥の鳴声がよくて、ほこりが悪いと決めたのだろう」

「人間は、好きとか嫌いとか、どうして決めたのかしら」

「なら、ぼくたちは、これから、嫌いといわれていうものを好きになろう」

 子供たちは、もうもうと立つほこりの中を楽しそうに歩いていきはじめました。


 

やかまし村 ほこり



やかまし村3

 昨日、ラッセ・ハルストレム監督の「やかまし村の子供たち」をDVDで観ました。六人の子供たちが、きれいなスウェーデンの地方部を舞台に、ひたすら遊んでいるだけの映画です。
 その中の子供たちの台詞が、冒頭の言葉です。

 ラッセ・ハルストレム監督というと、現在公開中の「HACHI (忠犬ハチ)」が話題です。

やかまし村、とても、なつかしく感じられ、ほのぼのとさせてくれる映画でした。私の中では、二回、観ようという映画はあまりないのですが、これは、二回観たくなるような映画だと思います。



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コンクリート打込。
2009-09-26-Sat  CATEGORY: 建設
 今日は、ある、コンクリート打込の流れを説明します。夏場のコンクリート打込です。
 
 まずは、コンクリートの受入検査をします。
 スランプ、塩化物量、コンクリート温度、外気温、空気量、単位水量を測定し、基準内に適合していることを確認して「打込みOKよ」ということになります。

 それに、コンクリートが出荷された時刻、現場に到着した時刻、打ち終わった時刻も、ランダムサンプリングしています。

 私は、個人的に、スランプ試験のときに、形状や表面を確認するようにしています。アバタや形崩れかがないか見ます。そのあと、タンピングをして、均等に崩れていくかどうかを見ます。

 タンピングについては、ヘンな崩れ方をするのは、ほとんど、ありません。

 しかし、表面の粗れやアバタは、各工場で、すこしずつ相違があります。やはり、いい生コンは、表面がきれいです。

 この写真の生コンは、表面の粗さが、少し気にかかります。正直いうと「うーん」になります。しかし、これは受入基準にはないので、他の数値が規格内なら、受入なければなりません。

スランプ1

 崩れ方は「いい」です。
すらんぷ

 コンクリート打込です。打設数量に関係なく、大勢の人で打設します。コンクリート打込は、いわば、最終決戦なのです。これが、もし、ダメなら、今までの苦労は何にもなりません。内部振動機も万一に備えて予備を用意しています。

コンクリート打込

 型枠の内部と外部では「叩き」が行われます。叩いて再振動をかけています。沈下ひび割れが発生しないようにしています。しかし、この「叩き」の時期のタイミングは、結構、難しいものがあります。早すぎても遅すぎても役に立ちません。この適切なタイミングは、経験と勘です。(笑)

叩き

 断面が大きく変化する箇所では、一旦、打込みを中断して、沈下させてから、打ち重ねていきます。
季節や温度にもよりますが30分から1時間程度です。

一時停止コンクリート

 打込みが終わり、表面仕上げがすむと、次は「養生」です。
 シートで覆います。
養生全景

 湿潤と保温の養生です。
 湿潤は、タンクから落差を利用して、水をしたたらせるようにしています。
 コンクリートに接する面は、プチプチシート、つまり、気泡マットで断熱します。その上に、養生マットを置き、ブルーシートで覆うようにしいすま。
湿潤、保温養生

 この、湿潤、保温の期間は、温度ひび割れ解析で決めた条件をクリアーするように、できれば、もっと、長く養生するようにします。


 このコンクリートは、夏場に打込みましたが、現在も、ひび割れは確認されていません。

 しかし、すべて、こうなるかどうかは、わかりません。いくら、念入りに施工しても、ひび割れが生じることがあります。

 その場合は、打込みした職人と私たちで「何で、ひび割れが出たのか」を考え、反省して、次の工事に活かすようにしています。

 公共土木工事におけるコンクリート施工。多分、全国、どこでも、このようなことをしていると思います。









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骨材の最大寸法。
2009-09-25-Fri  CATEGORY: 建設
 左腕の「五十肩」は、あいかわらず、夜中に何回も痛みで目を覚ましてくれます。
 
 左をあまり使わないので、こころなしか細くなってきたように思えます。治ったら、筋力トレーニングが必要になりそうです。


 さて、この前、落札した構造物の図面と設計書をながめていました。

 温度ひび割れ解析をしようとは思っていますが、解析しなくても、温度ひび割れが発生するような設計になっています。

 ひび割れを、少しでも、低減させるためには、骨材の最大寸法は40mmにするのがベターなのに、なぜか20mmとなっています。

 鉄筋間隔が小さいので20mmにしているというなら「なるほど」と思えますが、鉄筋の間隔は150mmもとってあります。

 150×3/4=112

充分、40mmでも施工可能です。

 40mmにしたら、材料単価が安くなる上に、温度ひび割れや乾燥収縮ひび割れの低減にもなります。
 なぜなのかなあと調べていたら、設計要領という基準が定められていて、20mmしか設計できないようになっているのです。

 それでいて・・・・・・・・

 このように、ほぼ100%の確率で発生するであろう「ひび割れ」が現場の構造物に生じると、「原因は何だ」「施工が悪い」「補修しろ」「工事成績評点は減点だ」と騒ぐ発注者の方が多いのが実情です。

 施工者は、できるだけの配慮はします。しかし、施工だけで「ひび割れ」を発生させない、というのは、今回の場合は特に至難の業です。

 もちろん、お金をかければ、大幅に低減できます。
 しかし、それを、ボランティアで施工するのは、理に沿わないことです。


 今回は、黙っていないで、発注者には、言うべきことは言おうと思っています。
 もちろん、納得するような、説明をするつもりです。

 では。

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自民党総裁選
2009-09-24-Thu  CATEGORY: 未分類
 新・政権のスタートで、かなり影の薄くなっている感がする自民党総裁選。
 地方分の投票用紙が私にも往復はがきで届きました。

 私は、無党派層の自民党員です。

 過去は、小泉純一郎に一票を投じ、小泉改革にさらされ、その反動で、次は亀井勝一郎いや亀井静香に投票してきました。

 そして、今回。西村、河野、谷垣候補の中から一名を選ぶようになっています。

 自民党は若手に世代交代したほうがいいとは思います。河野さんみたいな人がいいかもしれないと思っていましたが、新聞で、考え方・主義・主張等を読んでみると、現政権の民主党との違いがほとんど感じられません。
 
 それに、小泉改革の継承者みたいに思えます。

 小泉改革がよかったのか、よくなかったのか。
 それは、わかりません。

 ただ、壊すだけは壊して、構築はやらない、それがあの改革のように思えます。

 スマラップアンドビルドは聞いたことがありますが、スクラップアンドスクラップが「改革」の本当の姿みたいに思えます。

 
 
 私は「自民党」を支持しているのではありません。「自民党」の名前に入れるのではなく「再生自民党」が、どうしたいのか、どういう考えを持っているのかを検討して、投票したいと思います。

 公職選挙よりもはるかに一票の価値は低くて、たいした影響などありませんが、投票はしたいと思います。




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休日の遊び。
2009-09-20-Sun  CATEGORY: 未分類
 今日は、一人遊びをしています。

 ひなたは、母親と母親の友人と子供たちで弁当を持って遊びに出かけました。

 私は、庭で、北の大地の友人から「ひなた君に」といただいた「ローディングショベル」を庭に持ち出して写真を撮影したり・・
ローディングショベル2

ローディングショベル

【日立建機 ローディングショベルEX1800 重量180トン、操縦席までの高さ6m、バケット容量14㎥
バケットの幅、約4m・・・】

 ユーチューブの「高田渡の動画」を見ながら、自分のギターでセッションしたりして遊んでいます。
 ギター

 ギターのチューニングさえ、きちんとしていれば、高田渡さんと一緒にバーチャル演奏ができます。

 これは、なかなか楽しい遊びです。

 今日は「生活の柄」「トンネルの歌」「夕暮れ」などを演りました。

  



 昼からは、家人の加勢や、お墓参りなどをしましょう・・・・・・・・・・・・・か。??



 
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昨夜と今日。
2009-09-19-Sat  CATEGORY: 未分類
 昨日の夜は、宴会場からそのまま歩いて帰宅した。
 「行こや」「行きましょう」と、背中に手を回されたり、腕を引っ張られたりしたが、振り切って帰途に着いた。

  付き合いの悪いやつだ、私は。

 Ipodの落語を聞きながら歩く。
 最初は桂歌丸。つづいて馬生と志ん生の親子落語、桂吉朝を聞いた。みんな、それぞれが名人と称されるだけ、歩きながら落語の中に感情移入していた。

 当たり前のことだが、落語は、芸人の正面10m以内で【生】で聴くのがいちばんだなあ、と思う。 

 途中、書店に立ち寄り「バガボンド31巻」を求めて、ポシェットに入れた。半分以上はみ出ていたので、少し不安を感じたが、そのまま、早足で歩いた。

 帰り着いた。かるい汗をかいている。


「あ」

 不安、的中。

 ポシェットの中の「バガボンド」がどこにもない。落としたのである。そのまま、自転車にまたがり、今来た道を逆に走っていくと、道の真ん中に発見。ひらって帰る。汗、びっしょり。シャワーで汗をながして、読みかけの本を広げた。

 そんな夜であった。



 今日の午前中は会議。
 厳しい。
 民間は、新築を手控えるし、企業は設備等を見合わせる。

 従来なら、公共工事が少ないときは民間建築部門で補い、その反対の場合は、公共工事部門で補う、それを繰り返してきた。

 両方がダメになると、どんな企業ももたない。

 もし、公共工事を減らすのなら、景気がよくなるように。景気が悪い場合は、補正予算を投入して刺激してもらいたいけれど、現政権は、いずれも違うようだ。


 とにかく、我々も、軸足を変えていくようにしないといけないだろう。


 明日は、休み。

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コンクリート。斜めシュート打設について。
2009-09-18-Fri  CATEGORY: 建設
 今日は、書くことがあまりありません。
 以前、落書きしていた雑文をみつけたので、それをコピーして、今日の日記とします。

 



斜めシュートによるコンクリート打設

 この頃、ほとんど見なくなったのが「斜めシュート」によるコンクリート打設だ。その昔は、必要のたびに、丸太足場材と波トタンを半円形状に工作して「斜めシュート」を現場で作って使っていた。こいつは、重かった。3人かがりで「よいしょ」と持ち上げて移動していた。場所が広い場合など、斜めシュートを何十本も並べておいて800㎥ぐらいのコンクリートを打設したこともある。
 コンクリート打設は斜めシュートしかなかったのだ。

少し、時代が新しくなると、硬質プラスチック材料で造型された「斜めシュート」が売られ、強くて軽いので多用するようになった。

斜めシュートを使って打設すると、コンクリートは分離する。それに、スランプが低い(硬い)と、シュートを流れない。なので、流れをよくするために、加水などをしていたものである。加水することは、コンクリート本来の品質を悪くするもので、今は、とても考えられない。

今は、斜めシュートは、ほとんど使わない。クレーンとバケットあるいはポンプ打設が主流となっている。木造建築の現場でも、昔は、ただでさえ柔らかいコンクリートに、さらに水を加え、しゃぶしゃぶにして、を斜めシュートから流し込んでいたものだが、今は、どこを見ても、クレーンとバケットである。


コンクリートが日本で使われはじめた初期の頃は、丁寧な施工をしていた。それは、言葉にも残っている。
コンクリートは「流す」とはいわない。「打ち込む」または「打設する」と云う。初期は、超硬練りのコンクリートを文字通り「叩いて」施工していた。

それが、段々と、効率重視、利潤重視、楽をしたい、仕事が増えた・・・などから、雑な仕事に移っていった。
でも、当時の、技術者や作業員はそれが当たり前で「雑な仕事だ」と思ってはいなかった。そういう意識、多分、なかった。それでいい、と思っていた。時代の風潮もそうであった。

しかし、今は、全然違う。
今は、教科書以上の仕事をしていると思う。
それでも、コンクリートはひび割れは発生するし、劣化してくる。

 永く使われる構造物を造りたい。





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PP&Mのこと。
2009-09-17-Thu  CATEGORY: 音楽
PP&MのMaryが亡くなったそうです。

マリー・トラバース氏(米歌手、モダンフォーク・グループ「ピーター・ポール&マリー」メンバー)米メディアによると、16日、白血病のためコネティカット州ダンベリーの病院で死去、72歳。



 私のフォークソングはピートシーガーでもボブデュランでもなくて、PP&Mからでした。

PPM


 パフ、花はどこにいった、虹とともに消えた恋、悲惨な戦争、レモンツリー、500マイル、サンフランシスコベイブルース、わが祖国、悲しみのジェットプレーン、天使のハンマー・・・・・・。
 風に吹かれて、などは本家のボブ・デュランよりもPP&Mで知ったぐらいです。
 今でも、ほとんどの歌を和製英語で口ずさむことができるぐらいです。

 



 私は就寝時には布団に横になり、ipodの音楽を聴きながら寝ることを日課としています。
 今夜のナイトミュージックはPP&Mのアルバムにしたいと思います。


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涼しい朝。
2009-09-16-Wed  CATEGORY: 建設
 涼しい朝でした。
 半袖では、少し寒いぐらいでした。それもそのはず、気温は16度でした。

 朝、6時40分頃に出社し、7時に会社を出て、コンクリート打設の社内検査のため、市外の現場に向いました。
 今日は、厚さ0.3m、長さ20m、幅8mとスラブ状のコンクリート構造物のコンクリート打込です。勾配は、ほぼ水平ですが、わずかに勾配がついています。

 しかし、現場では、基本に忠実に低い方から高い方向に向って打設しています。現場状況を見ると、高い方から低い方向に打設していくほうが手間がかからず、効率もよくて仕事も速いのですが、誰からとも無く、基本を守った仕事をしていました。

 コンクリートというのは、低い方から高い方に向って打込む、これは、分離しないようにするための基本中の基本なのです。でも、今回のような、わずかな勾配なら「ま、いいか」があっても仕方ないと思っていのに、いきなり、こういうのを見せられると「いいなあ」と思ってしまいます。

 こういうプロの作業員たちならではの仕事を見るのは、気持ちのいいものです。




 ところで、今日、民主党政権が、国民の大多数の支持を受け、とうとう発足しました。

 正直、民主党政権になると、地場中小建設業の私たちは、不安のほうが強いのです。
 小泉政権以上の厳しさがくるのではと恐れています。

 恐れてばかりいても、どうしようもないので、今、できることに最善を尽くしてやっていきたいと思います。


 
 
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昭和という時代 5
2009-09-15-Tue  CATEGORY: 昭和という時代
明かりは暗かった。

夜は、白熱電灯の下で夕食を食べていました。我が家は60Wの電球を使っていたようです。ソケットの横についているレバーを横に回して点灯していました。白熱電灯は「たまが切れる」ことが多かったように思います。それから、少し進歩すると、ソケットの横に紐がぶら下がっていて、紐を引っ張って点灯するようになりました。そして、松下翁の発明した「二股ソケット」もありました。

かなりあとになって「蛍光灯」がはじめて灯ったときなどは、昼間のような明るさにおどろいたことがあります。

  夜の外出は、懐中電灯はありましたが、と同時に「提灯」も使用していました。提灯の内部に蝋燭をセットしてマッチで火をつけて、夜の山道を東山の親戚まで歩いていったこともあります。街灯などはありませんでしたが、提灯の暖かな柔らかい明かりは、大いに役に立ちました。

 こうしてみると「今」と「昭和」を比べたら「今」のほうが、はるかにいいにきまっています。



 今になってみてわかることですが「昔」もいいことはありました。

  当時は、誰しもが頑張ればなんとかなる、といったものがありました。つまり、先行きは右肩上がりしかなかったのだと思います。希望を持ちやすい社会だったのです。だから、貧乏していても、そんなに暗くはありませんでした。

  そして、なにかしら「ゆとり」みたいなものがあり、少しぐらいなら「いいよ」という、ゆるし、がありました。今みたいに、うるさいことはありません。もっと「ゆるやか」でした。今みたいに、殺伐とした雰囲気はなかったように思います。

  今は「いい」か「悪い」か、ふたつしかありません。その「中間」があって、当時の世間は「中間」を認めて、ゆるしてくれた、のだと思います。

 
  

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昭和という時代 4
2009-09-14-Mon  CATEGORY: 昭和という時代
銭湯は社交場だった。

風呂といえぱ、銭湯です。風呂代は大人、小人、洗髪代と分かれていて大人で15円か20円ぐらいではなかったかと思います。家庭に風呂があるのは商家などの裕福な家で、ほとんどの家は、もっぱら銭湯でした。貞光町にも、「南風呂」「中風呂」「北風呂」の三軒の銭湯がありました。遅い時間帯になるとお湯の水面にびっしりと垢が浮いていたということもありました。そうなると、さすがに湯につかる人は少なくて、壁の部分に腰をかけて足湯みたいに両足だけ湯船につけている人ばかりでした。
風呂は、大きな湯船と小さな湯船があり、小さいほうは「くすり風呂」とよばれて湯温が低く白濁していました。


小学低学年の頃、母に連れられて一度だけ「女湯」に入った記憶があります。湯船は「男湯」と対称になっていました。そこに、同級生の女の子の姿をみとめて「もう、絶対に女湯にははいらないぞ」と心で誓ったことなどが記憶に残っています。


 銭湯に来る人の顔は様々でした。今でも印象に残っているのは、熱湯好きの荒物屋のオヤジ、背中一面に彫り物をした町会議員、左肩から先の無い片腕の人・・・・。

 今思えば、銭湯というのは、老人・子供から大人まで裸の付き合いをする一種の社交場という一面もあったのだと思います。


 そこで、子供たちは、風呂上りのコーヒー牛乳のおいしさだけでなく、お風呂に入る手順や体の洗い方など、世間との付き合い方を体で勉強したのだと思います。

 
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秋晴れ。
2009-09-13-Sun  CATEGORY: 未分類
 秋晴れの日曜日。


秋晴れ うろこ雲

 今日は、お隣の大分県まで「栗ひらい」に行ってきました。

 栗畑を、家人とひなたの三人で上下歩き回る。
 手には、かご 火バサミ 長い竹竿。

 栗

 いい運動になりました。汗、びっしょりです。

 5キロほど収穫しましたが、よさそうなものばかり3キロを選んで、1キロ800円で購入しました。

 この栗たちは、家人の「栗の渋川煮」に加工されて、ご近所や家族の口に入るのです。

 では。




 
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日々読み書きからコピペ。
2009-09-12-Sat  CATEGORY: 建設
  今日は「日々読み書き」から、そのままコピーしました。m(__)m

 ■午前6時20分頃起床。天候は薄曇。室内温度26.5度というところ。

 だいぶ、涼しくなってきた。寝るとき、掛け物はまだ要らないが、明け方の寒むさに対応するため、寝巻きは長袖のほうがいい。

 今朝は、たきたてごはん、目玉焼き、納豆と海苔、白菜キムチ、セロリの漬物、濃茶をいただいてきた。

 ある現場から「協議資料」を見てほしいと依頼があったので出社してきた。午後からは、帰宅して、披露宴参加の準備をすることにしている。

 ではまたあとで。

..9月12日(土) 8:28



■いい、結婚披露宴であった。招待されていた人数は150名前後だったかもしれない。とにかく、多かった。

 私の挨拶は、冒頭にあり、会場に到着した頃から、少しずつ緊張が高まり、新郎新婦が入場し席に着いた頃に、ピークに達したのか、胸の鼓動が体内にこだましているのが自覚できた。

 スタンドマイクの前に立ち「ええいっ」と話はじめた。本当は、もっと長い挨拶だったが、途中で「これは長すぎる」と、略せるところは、とばした。略できないのは、新郎のことである。

 ま、なんとかなった。

 挨拶さえ済めば、あとは、自由自在だ。会場に、なつかしい顔を見つけて話し込んだり、仕事で世話になっている職人さんたちと語らったりした。

 二次会にも誘われたが、そのまま帰宅してきた。

 明日は、休み。新型インフルエンザのリスクが少ない、山での栗ひらいにでも、ひなたを連れていこう。

・・・・・・・ということで本日はこれで失礼いたします。

..9月12日(土) 21:36
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昭和という時代 3
2009-09-12-Sat  CATEGORY: 昭和という時代
 昨日はブログの更新を怠ってしまいました。と、いうより忘れたのです。


 昭和を語るとき、読み返してみると、なんだか暗いような雰囲気になっていますが、当時の実感としてはけっして暗いものではなくて、今よりも、明るいような気がします。

 もうすこし、続けます。




 町には商店街もありました。家並みの裏にいくと、空き地を利用して畑がそこかしこに耕されていました。畑は、肥やしの匂いでした。昭和は、肥やしの匂いがそこかしこに漂っているといった時代でした。

 事実、トイレはすべて汲み取り方式で、尻を洗ってくれるトイレなんて想像もできないような時代でした。そして、農作物の肥料はほとんど下肥を使っていたので、肥やしの匂いはつきものだったのです。また、街角には、大きなゴミ箱が設置されていて、その周りを何匹もの野犬がうろついていたり、夏になると蝿が黒雲のように飛び回っていたりしていて衛生状態は良好ではありませんでした。

ところで、映画「三丁目の夕日」はとてもいい映画ですが、もし、あの映画が匂い付きの上映だとしたら、臭くて辛抱できない人も出てきただろうと思います。

子供の数は多かった。
 昭和の貞光の子供たち。



当時は、子供たちの数が多く、私の通っていた貞光小学校は一学年三クラスで全校児童は八百人を越えていました。当時と比較するために、現在の児童数を調べてみました。
現在の全校児童数は百九十二名となっています。当時の約四分の一以下に減少しています。これをみると少子化が実感できます。

子供の数は多いのですが、毎年、水難事故や病気で数人の子供が命を失うのも多いものでした。病気では伝染病で亡くなる子らもいました。赤痢などが発生するたびに、保健所から白マスクの係員が来て、学校の便所を消毒していました。予防注射は、結核、疱瘡、日本脳炎、ジフテリアなとがありました。また、目の病気も流行することもありました。

 昭和の子供たち


水泳は「川」でした。川で泳ぐ場合は、遊泳禁止区間や遊泳禁止時間があるにはありますが、基本的には自己責任でした。私自身、二回ほど溺れかけて死にそうになったことがあります。私の同級生も溺れて亡くなった子が数名いました。また、病名はわかりませんが、小学校二年の夏休みは、毎日、母に背負われて医者に連れていってもらい、激しい下痢で苦しんだことなど鮮明に記憶しています。

私たちは、そういった、様々な「試練」を無意識のうちにくぐり抜けて、今、生きています。
 こうしてみると、生かされているのだなあ、と思うこともあります。


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昭和という時代 2
2009-09-10-Thu  CATEGORY: 昭和という時代
「昭和」は、お金に乏しくて、衛生状態が悪くて、道路は狭く未舗装でガタガタ道でした。雨の日は水溜りをよけながら蛇行して歩いていました。

私の育った家は持ち家だったのですが、家業が没落して土地建物を売却後に残った別棟の「養蚕小屋」で、かなり老朽化していました。少し強い雨が降ると、天井から滴り落ちる水滴が畳の上に置いたバケツや洗面器に当たり「ぱちゃ」「ぱちゃ」と音をたてているような環境でした。台風が来たときなど、窓ガラスが吹き飛ばされないように母と押さえていたこともあります。

母。

 テレビ放送は白黒でした。テレビ受像機がある家は少なくて、夜になると、あちこちとTVを見せてもらいに歩いていました。我が家は貧乏なのに比較的早くTVが家に入りました。NHK、四国放送、山陽放送の三局しかなかったような記憶があります。それも、今のように明瞭には写りませんでした。
 電気も水道もありました。子供の頃、電気代の支払が滞り「いついつまでに支払わないと電気を止めますよ」という葉書きを何回か見たことがありますが、止められたことはありませんでした。なんとか都合をつけて支払っていたのだと思います。

 当時の食べ物は、今から考えると、ある意味、貧相でした。
 日本人は米が主食だといわれますが、実質的に主食としての立場を築いたのは昭和30年代頃ではないでしようか。幼い頃の私たちは麦と米が半々のご飯でした。今では「ご飯」というと米100%のご飯が当たり前ですが、当時は、米だけのご飯のことを「しろめし」とか「しろごはん」などと呼んで識別していました。今は、たまに食べる麦ご飯はおいしいものですが、毎日麦ご飯を食べていると、お米だけで炊いた「しろめし」の味と香りは格別でした。

 「おいしい」と感じられるのは、たまに食べるからおいしい、という一面があるのではないかと思います。今などは「毎日ご馳走を食べている」ような感覚になります。

 卵なども貴重品でした。今のように一日何個でも食べられるといったものではなく、一ヶ月に1回口に入ればいいぐらいでした。入院患者へのお見舞いは、紙箱におがくずを敷いて、その中に数個の卵を並べていくのは見舞い品として高級の部類でした。

 牛肉は年に数回しか食べられません。年越しの夜に家族で「すき焼き」が食べられるぐらいでした。動物性たんぱく質で、比較的食べられたのは「鯨肉」でした。

 
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昭和という時代 1
2009-09-09-Wed  CATEGORY: 昭和という時代
 人口減少、高齢化、景気低迷・・といった厳しい時代の先行きに不安を感じつつ、一方では「あの頃はよかった」と、昭和という時代が懐古されています。特に、高度経済成長期の昭和30年代が美化されているように思えます。

 しかし、本当によかったかというと「よかったことばかりではない」です。私も、正直をいえばノスタルジーにかたよる傾向がありますが、現実は、今より貧しくて厳しい時代だった思います。

 ひとつだけいえるのは「希望が持てた」ということではないでしょうか。一生懸命にやればなんとかなる、そういう時代だったような気がします。今は、希望さえ持ちにくくなってきているような気がします。

 当時に流行った歌も時代を表わしています。

植木等「♪銭のないやつぁ俺んとこに来い。俺もないけど心配するな。見ろよ、青い空、白い雲。そのうち何とかなるだろう」
ドリス・デイやペギー葉山の「ケセラセラ」・・・・・などが象徴的です。
吉川英治も「朝の来ない夜はない」と云っていました。

私にとっての「昭和時代」は、昭和30年代から50年代の高度経済成長期の徳島県になるだろうと思います。

思いついたとき、当時を振り返ってみたいと思います。

 では。


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おしえてもらったこと。
2009-09-08-Tue  CATEGORY: 建設
 私は、以前、会社に居られた上司(以下、熱血先生とよぶ)から、厳しく指導されてきました。「眼の中に指を突っ込む」といわれますが、目の中に指を突っ込んでかき回されたぐらい叱責を受けてきました。
 この熱血先生は建設省のOBでした。厳しくて熱くて冷静で情の深い筋の通った人でした。厳しくて情け深い、熱くて冷静、こうして文章にしてみると、矛盾していますが、とにかく、そういう人でした。
 教えてもらったことは山ほどありますが、今日は「精一杯」です。

 「精一杯やれ、一生懸命にやれ、もし、それでいい結果が出なくても、それはそれでいいじゃないか」という言葉です。自分が納得できるくらい努力したのなら、及ばなかったとしても「いいのだ」ということです。

 
 そして「いとう君。正論がいちばん強い」といって、退社するまで「正論」を通した人でした。


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新聞記事から。
2009-09-07-Mon  CATEGORY: 建設
 徳島新聞の記事から。。。。。。。。。。

 大谷川の除草奉仕 継続に危機 地元業者、経営難で手回らず 2009/9/5 10:13


  美馬市脇町を流れる大谷川の雑草を刈り取る除草ボランティアが、継続できるかどうかの岐路に立っている。10年前から地元の建設業者が協力して続けてきた が、公共工事削減などで各社の経営が厳しくなり、除草作業まで手が回らなくなったため。大谷川はうだつの町並みや脇町劇場などに面した市の観光名所で、今 後草が伸び放題になるのではないかと地域住民はやきもきしている。

 大谷川は通常は水が流れていないため河床は雑草が伸び放題。夏には人の背丈を超すほどの高さにもなる。このため、2000年に県内で開かれた全国ボランティアフェスティバルを機に地元業者10社程度が協力して年1、2回、除草してきた。

 作業は吉野川に流れ込む河口からデ・レーケ砂防ダムまでの約1・1キロを7区画に分け、1社が1区画を担当。1区画につき期間は1週間程度かかり、草刈り機のほかに重機も使うため、費用は約100万円かかる。

 しかし、この10年で参加業者の中には倒産した社もあり、除草できない区間も出てきた。ある業者は「来年以降は無理だ」とこぼす。

 この状況に対し、河川を管理する県も頭を痛めている。「ボランティアがなくなれば今と同じ状態で維持するのは難しい」(県西部総合県民局)という。“市の顔”ともいうべき場所だが、市も管理者の県に対応を委ねているのが現状だ。

 ボランティアを呼び掛けた藤田建設工業は「10年続けてきたが今の形態ではもう限界。ただ、このままにしておくのはできないので何とか新たな仕組みをつくることができないか、県や市に呼び掛けたい」と話している。


 徳島に居たとき、大谷川を測量したことがあります。
 オデオン座の前の河川敷で弁当を使ったこともあります。
 デレーケの砂防ダムも今も案内できるほど知っています。
 当時は、草茫々ではなかったような・・。

 しかし、記事は現実です。



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秋晴れ。
2009-09-06-Sun  CATEGORY: 未分類
 今日は、ひなたがお世話になっている「たんぽぽ保育園」の運動会が体育館でありました。

 ひなたは、前の保育園(登園拒否した保育園)の頃は、徒競走は常に先頭を切っていましたが、少し野生的な、今の保育園に移ってからは、お尻から数えたほうがはやいぐらいになっています。でも、合うのか、毎日、元気良く通園しています。

 昼食は体育館の外の木陰でとりましたが、吹き抜けていく風が涼しくて、すっかり秋の様相です。

 【秋の夕暮れ 行縢山】
秋の夕暮れ

 行縢山(むかばきやま)。伝説では、行縢山と命名したのは「日本武尊」です。熊襲征伐に来たときに、山の形を見て「むかばき」に似ているとして「行縢山」になりました。




話題は急に変ります。
新聞やTVを観ていると、なんとなく不安を感じてしまいます。民主党でいいのだろうか。国民大多数は「民主党」を選んだので、任せるしかないのですが、本当によかったのだろうかという不安がぬぐいきれません。

 時代が大きく変る、というのは、変らなければならないと思っていても、やはり、いくばくかの不安があります。

 ひなたたち、次の世代のためにも、今よりも、よくしてほしい。






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けいこ
2009-09-04-Fri  CATEGORY: 未分類
 けいこ

 今朝ぐらいから、車の中で、来週の土曜日にお招きにあずかっている結婚披露宴の来賓挨拶のけいこをはじめています。

 新郎は、親子三代でお付き合いさせていただいている、協力会社の三代目(予定)です。
何を話題にするかといえば、やはり、三代にわたって一緒に仕事をしていることをメインにお話しようと構想しています。
 披露宴には同業他社の方も大勢みえていられると思いますが、多分、三代にわたって一緒に仕事をしたというのは「私」しか居ないだろうと思います。

 創業者はすいぶん以前に勇退して弟子である長男に譲りました。あとの子供たちも、それぞれが独立して、すばらしい職人に育っている。そういうこともお話しようと思っています。
職人の父を息子たちが越えて、その父を孫らが追い越していく・・。

ぜひ、そうあってほしいと思います。


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36年前の今日。
2009-09-03-Thu  CATEGORY: 未分類
 雷鳴が響いています。夕立です。



 私にとって、36年前の今日(9月3日)は特別な日です。私の誕生日であると同時に、徳島から延岡に移住してきた日でもあります。

 マツダファミリア1200クーペのハンドルを握り、友人のKを助手席に乗せ、高知県宿毛からフェリーに乗り、佐伯に着いて、国道10号を延岡まで南下してきました。

 はじめての長距離ドライブ。
延岡市の北のはずれ「和田越峠」に到着したときは、肩と首筋がかちかちに固まっていました。
日豊本線には、まだ、蒸気機関車が走っていてSLの煙突の煙を見ることができました。

海援隊の歌ではありませんが「おもえば遠くへ来たもんだ ふるさと離れて36年  」

ちょっとだけ住んでみるかと思いながら来た延岡。
すぐにどこかに行こうと思いながら来た延岡。
俺は定住はできないなどと本気で思っていた延岡。
入社して三ヶ月目「この会社、絶対辞めよう」と決意した延岡。

それが、今は、孫のひなたが「行ってらっしゃい」と手を振り見送ってくれる毎朝。

私は、いままで生きてきて、後悔はありません。
家人とめぐりあってよかったと思っています。

今夜も、家人、娘、息子、ひなた、で祝ってくれました。


ここ、延岡は、すっかり、終の棲家になりそうです。(笑)



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小説を読む。
2009-09-02-Wed  CATEGORY: 未分類
 今日は、高速道路工事の完成検査がありました。
 9:45にはじまり、お昼をはさんで16:45まで、かかりました。
 書類は、相変わらず多く、衣装ケース3箱にきっしりでした。写真は、電子データで保存していますが、それでも7000枚ぐらい管理しています。橋台2基、函渠工1箇所、切土工事、法面工事で工期がおよそ1年。
 検査官は、ていねいな検査で、理にかなった検査でした。しかし、最近の検査は、マニアックになってきているように思えます。



このところ、ずっと「小説」を読んでいます。
小説を読むなんて、ほんと、久しぶりです。もう、十年以上も読んでなかったように思います。

読んでいるのは「東天の獅子」全四巻。夢枕獏の作品で、講道館柔道が主人公です。

 創始者・喜納治五郎は東京大学を卒業し学習院大学の先生をしながら「喜納塾」と「講道館」を開きます。月謝は無料です。塾に掛かる費用は、英文翻訳で稼いだりします。

 喜納治五郎は、日本の最高学府の最新の教育を受けながら、日本古来の柔術を学びます。

 明治維新で、西洋の新知識がどんどんと入ってきます。喜納治五郎は、西洋の先進的な学問を勉強しながら、これからの世の中は西洋知識がどんどんと入ってくるからこそ、大事なものを失ってはならない、だから、古来の柔術が必要だ、というのです。
 武士の時代が終わり、必要が無くなり、滅びようとしている柔術を「柔道」として生き返らせようとするのです。
 文武両道。柔道と柔術。西洋学問と日本文化。・・・・・・・・・。

もちろん、筋書きそのものも面白い。講道館四天王。武田惣角、沖縄空手、古武術などが登場してきます。夢枕獏の格闘シーンも満載で、おもしろい小説です。

 あと、150頁で全巻読了です。




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防災訓練に思う。
2009-09-01-Tue  CATEGORY: 建設
 防災訓練。
今日、9月1日は、防災訓練が行われました。
弊社も朝の6時半から、いつ「訓練開始」の連絡があっても動けるように準備していました。7時45分に連絡があり、巡視班が出ていきました。


私たち公共工事に携わっているものは、自然災害が発生した場合や発生すると予測される場合は時間をいとわず出動して対策に当たったり、被災後の片付けやインフラの復旧に携わったりしてきました。
近年では、4年前の洪水、3年前の竜巻災害時にも出動して活動しています。

TVや新聞においては、自衛隊や地元消防団やボランティアだけが活躍しているように報道されていて、建設業の活動について報道されることはほとんどありませんが、我々も寝食を忘れて活動していたりします。
我々も、結構、目だった働きをしているつもりですが「当たり前」なのでそれはそれでいいのだと割り切っています。

台風などで大雨が予想されると、家の事はさておいといて、どんな時間帯であろうと早めに会社に行って待機をしてきました。

ある程度予想がつく災害の場合はいいのです。家を出てくるとき、家のものにも指示をして出ればいいのです。

しかし、地震の場合は、そうはいかないように思います。

やはり、家族の安否が第一です。家族の安否をほったらかして、災害の対応ができるかというと、自信がない。


むかし、震度4の地震で、三回ほど出動したことがあります。一回は真夜中。二回は休日の昼間でした。

震度4なら、対応できます。食器棚の湯飲みが落ちて割れる程度の揺れですから。

しかし、震度5、震度6などの強い揺れが襲ってきた場合は、家族や家の安全が第一になります。そられの、安全を確保、確認したあとであれば、自分のことはあとに置いてでも、対応できるでしょう。


さらに、もうひとつ。

従来のような災害復旧の手伝いができるかどうか、これには不安があります。

例えば3年前の竜巻災害時の業者数よりも大幅に減っています。同様の対応は物理的に困難な気がします。それに、各社の人員削減や新規雇用の凍結も響いてきて、人口減少、高齢化になりつつあります。今の日本社会と同じです。

数が少なくなってくると、災害発生時において、各社の負担が以前よりも大きくなるということです。以前のような出動態勢が組めるか。台風と地震がほぼ同時に発生したらどうなるか。




発生してみないとわかりません。

「もしも」の場合は、とにかく、やれる範囲で懸命にやる、それだけです。



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