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土木建設業に従事していますが、専門分野のことは少なくて、昭和のこと、故郷・徳島のこと、延岡のこと、雑多なことを自分の記録として日記代わりに書いています。St.3bの「がんサバイバー」でもあります。
 日々(いや、気のむくままに)読み書き
貞光町 うる覚えの記。貞光川での水泳。
2010-07-24-Sat  CATEGORY: 貞光町
 午前6時10分起床。天候は晴れ。社休日。

 今日は、技術士筆記試験の準備のため、終日、市立図書館にこもっていた。
 すぐ、眠くなる。
 
 


 暑い。
 暑くなると、昔は川で泳いだものだ。
 子供の頃は、プールなど見たこともない時代で、夏休みになると、台風で増水している時をのぞいて、ほぼ毎日、貞光川で泳いだ。

 どいの岸、一本松、しもがん、おくがん、変電所・・という場所で泳いでいた。
 初心者や泳ぎのできない子供は「どいの岸」で泳いだ。ここは、水がきれいだった。丸太杭と玉石で作った護岸があった。流れが速くてスリルもあったが、水深が子供の胸ぐらいしかないので、溺れることはなくて安全な泳ぎ場であった。
 【変わり果てた、どいの岸】
 どいのきし

  【変わり果てた変電所】
 変電所

  【一本松】
 一本松

  【おくがん】
 おくがん

  【おくがんと結麻橋木綿麻橋(昭和30年前後)】
貞光川 奥岩とゆうま橋

  【結麻橋木綿麻橋(ゆうまばし)】 
 ゆうま橋

 貞光川は、結麻橋木綿麻橋から変電所までが水泳許可区間だった。1時頃に、旗が上げられる。その旗を見て「今日は泳いでいい」「今日は増水しているので泳いではダメ」という判断基準があった。

 私たちは、毎日、唇が紫色になるまで水につかっていた。雷が鳴って夕立になっても水の中に居た。でも、お盆になると、川で泳ぐ子供は、ほとんど居なくなるのが常だった。水浴びはお盆まで、というルールがあったのだ。

 私が最初に川に浸かったのは潜水橋(長橋)の下である。父が、連れていってくれた。メガネ型の水中メガネを付けて浮き輪の中に体を入れて遊んだ。今でも、楽しかったことだけを覚えている。

 それから、どいの岸、一本松、しもがん、おくがんで泳いだ。変電所でも泳いだが、家から近い、一本松などのほうが多かった。

 当時は、水難事故が多かった。同級生や先輩、後輩の子供が溺れて亡くなったりしていた。少なくとも、私の同級生でも、二人ほど亡くなった子がいた。

 学校の行事でも、水泳があって先生が引率して「一本松」や「しもがん」「おくがん」で泳いだ。背の立たない場所だったので、生徒を見守る先生も気が抜けなかったろう、と思う。

 今も、プールや海で泳ぐのは苦手だ。プールでは50m泳ぐのは疲れるが川は疲れない。海は、塩辛い。川なら、たいてい心配ない、ような気がする。とはいっても、長く泳いでないことや体力落ちているので、本当は、泳げないのだろう。

   泳げるような気がするだけだ、多分。







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