土木建設業に従事していますが、専門分野のことは少なくて、昭和のこと、故郷・徳島のこと、延岡のこと、雑多なことを自分の記録として日記代わりに書いています。St.3bの「がんサバイバー」でもあります。
 日々(いや、気のむくままに)読み書き
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なんとかしないと・・。
2010-09-30-Thu  CATEGORY: 建設
5時35分起床。天候は雨。外気温20度。最低16度、最高28度。 
 今朝は、炊きたてご飯、豆腐とワカメと蕗のみそ汁、納豆と海苔、たくわん漬け、濃茶をいただ来ました。例によって、ご飯と濃茶以外ぜんぶにすだちを絞りかけていただきました。


 午前中は、トンネル補修の中間検査があり、立会いました。

 今日は、目標としていた物件を、また逃してしまいました。

 残念。


 今日の、不調とは別にして、将来のことを考えて(どうすればいいのか難しい判断ではありますが)、やっていこうという、思いを新たににしました。


 
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私説・延岡という地名の由来
2010-09-29-Wed  CATEGORY: 延岡
 午前5時35分起床。晴天。外気温18度。最低気温14度。昨日の最高気温31度。 
 
 今朝は、炊きたてご飯。豆腐とワカメと茄子のみそ汁に半田素麺の割り入れ。納豆に青ネギ、すだち、すだちの皮すりおろし。海苔。濃茶。をいただきました。 
 
 私は、郷里の徳島では、なんでもかんでもすだちをかけて、青皮を摩り下ろしてかけて食べていました。
 
 今朝は、それを思い出してやってみました。 
 
 納豆は、ほのかに甘くなり、味わいが深まります。みそ汁にもよく合います。

 すだちの酢は、かぼすや橙の酢とは違って、深みと上品さがあるように思えます。 



 第二の故郷、延岡という地名について、考えてみました。

 前から「延岡」という地名はどこからきたのか興味がありました。

 岡富、安賀多、南方、祝子、天下、大貫、三輪、吉野、古城、夏田・・・この辺りには、由緒ありげな地名が沢山ありますが、「延岡」だけが、なんとなく浮いているような、何? というように、私には聞こえるのです。

 以前、図書館の郷土史の棚を立ち読みしていたら、延岡という地名の由来があり、諸説が書かれていました。

 「延岡城」という城の名前から「延岡」という地名が生まれたのは一致した見解のようです。

 延岡城は、市街地の中央の小高い山にあります。標高は53mです。今から六千年前頃の縄文海進時代には、古代延岡湾に、、ひとりポツンと佇む小島でした。 その後、地球寒冷化にともない、海面が後退し湿地帯の中の小高い山となって取り残され、現在に至っていると思われます。

 城山



 では、なぜ「延岡城」と命名されたのでしょう。

 
①岡が並んでいるので「並び岡」。そして「延岡」という説。

②岡の形が「鍋」のかたちに似ているので「鍋岡」。そして「延岡」という説。
 
③「野別府岡」から「延岡」という説。 「郷土史研究家 石川恒太郎さん」


③は、補足説明が必要です。

 別府は「ベップ」と発音するだけでなく、宮崎県では「ビュゥ」と読むほうが多いのです。

 「別府」は、昔の「荘園」のことを言います。

「荘園」とは、天皇の認可を得て開墾した場所を指すが、平安末期になると行政が乱れ「荘園」を申請しても、なかなか降りない。なので、法王や上皇に依頼して「認可」を得たほうが早いということになり、別の方から「認可」を得た。
認可状のことを「符」といった。正式とは「別」なので「別符」、別府となった。


 延岡は「野」「別府」「岡」を足し合わせて「ノ」「ビュゥ」「オカ」。延岡となった、という説です。


地名「延岡」の由来・・・・・・・・。

つまり、はっきりしていないのです。

 岐阜城も、以前は、稲葉山城だったのを、織田信長が、中国の地名を参考にして「岐阜城」と改名して、岐阜となっています。

 延岡城も、初代延岡城主、高橋元種が、命名したのだと思いますが、①か② か③なのか、それとも他の由来なのか、諸説があり、はっきりとしていません。


 そこで、私の説です。

 いたってシンプルです。
 
 ①や②に似ています。


 「野辺」の「岡」。野辺にある岡、のべおか、延岡・・。だと思います。

「のべ」「野辺」という言葉は、このあたりでは、あまり使われていませんが、とても、古い言葉です。

 ※「野辺」→野のほとり、野原、土佐日記にも「のべ」が詠われています。

 筑前、いまの福岡県で生まれ育った「高橋元種」が、はるばる日向まで南下してきて、野原の中の、ぽつねんとたたずむ小高い岡を見て、野辺岡、のべおか、と命名したとしても不思議ではないと思うのです。



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秋の空。
2010-09-28-Tue  CATEGORY: 未分類
 午前5時35分起床。天候は晴れ。外気温20度、最低気温は15度。

 延岡は、山あり、川あり、海ありの「三あり」の街です。
 市内の真ん中を通って五ヶ瀬川と大瀬川が日向灘に注いでいます。
 五ヶ瀬川は、高千穂町、五ヶ瀬町など九州山地を源流として流れ下ってきています。

 古事記や日本書紀に関連する地名が至る所につけられ、奈良、飛鳥、伊勢などにある地名も「地名相似」というのでしょうか、あちこちに見うけられます。

 五ヶ瀬川という名前も、神武天皇の兄で東征のおりの初戦で戦死した「五瀬命(いつつせのみこと?)」から付けられているのかもしれません。

 その風景を、毎朝、小さな峠から、一望しながら通勤しています。
 それは、西山から、貞光町を一望した光景に「はっ」とするほど似ていることがあります。

 グーグルアースから・・
 延岡市



今ころの季節になると、朝夕の空の光景を見るのが、ひそかな楽しみとなっています。

 市内の朝
朝の街並み

 夕空
 夕焼け

 バックミラーの夕空
バックミラーの夕焼け


ついでに「行縢山(むかばきやま)」の夕暮れ
むかばきの夕空



 では。



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ヘン。いろいろ。
2010-09-27-Mon  CATEGORY: 建設
 5時35分起床 天候は小雨 外気温21度の朝でした。
 
 今朝は、炊きたてご飯、豆腐とワカメと具沢山のみそ汁、たくわん漬け、納豆、茗荷(味噌とマヨネーズ)、濃茶をいただきました。 
 
 今日は、目標(希望)としていた工事が落札できませんでした。基準価格を割り込んで失格となり、残念であるし、くやしい思いをしています。
 済んだことなので、また、切り替えて、次に行くしかありません。




 話は変わります。

先日、地元に就職希望の高校生と話をしていたときのことです。

「役所などは受けないの?」
「成績が一番、二番の者が優先的に役所を受験します」

 ・・・という話を聞いて「ん??」と思ってしまいました。私たちの高校卒業時は、どこを受験しようと「勝手」だったし、学校も「県庁? あなたの学力では難しいと思うよ。あなたは○○工務店の面接をうけたほうがいい」みたいなことは、ひとつもなかったように思います。現に、私とあまり変わらない成績の同級生が県庁に就職していましたし・・。
 また、当時は、役所をバカにしていたようなところもありましたし・・。

 成績のいいものが優先的に役所や大きな企業に受験する。そうでないものは、地元や県外の中小企業に・・・・・というようなことを高校や役所などが、選別し、仕分けし、誘導しているようにも思えました。

「それが、今の世間の常識だ」と言われれば、それが現実の姿なのでしょう。でも、私は、何か違和感を感じます。
 感じるだけで、何が「ヘン」なのかを分析できないし、どうしたらよいのかも考えられません。

でも、おかしい。
そう、思うのは私だけかもしれません。


 
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年金定期便より
2010-09-25-Sat  CATEGORY: 未分類
 午前6時半起床。天候は晴れ。冬ぶとんが恋しくなった朝でした。

 朝は、炊きたてご飯、ハムエッグをいただきました。

 今日は、終日、家にひとりでいました。

 録画していた「バンテージ・ポイント」「ナショナル・トレジャー リンカーン」を鑑賞しました。

 ニコラス・ケイジが登場してくる映画は、当たり外れがありません。ナショナル・トレジャーも血沸き肉踊るという感じで楽しめました。
 前者のほうは、二十数分間に起きた事件を8名の視点でとらえて、なかなかユニークな造りで、これも、楽しめました。

 そのあとは、コンクリートひび割れ報告書(最新の研究)をパラパラ読んでいました。



年金定期便が来ました。
私の場合、落ちはなさそうでした。

標準報酬(給与)は、昭和46年5月に36,000円が最初で、つぎの会社に変わって28,000円、途中で増額し36,000円となり、そのあとは、右肩上がりで上昇しています。

結婚した年は80,000円に上がっていますが、家人のほうが収入が多くて、しばらくは、それが続きました。いつ、家人の収入と私のが逆転したのかあまり覚えていません。

当時は、給料日も何日か、いくら貰っているのかも関心がなく、ただ、ただ仕事ばかりをしていました。


とういうようなことです。


 では。
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特に無し
2010-09-24-Fri  CATEGORY: 未分類
 午前5時30分起床。晴れ。外気温21度。

昨夜は、薄がけの布団をすっぽりとかぶって就寝しました。やはり、半袖、短パンの寝間着では涼しすぎます。


 今朝は、炊きたてご飯、豆腐とワカメと蕗のみそ汁、茗荷の漬物、納豆と海苔をいだきました。

 午後からは、OH&Sの内部監査を実施しました。

 品質、環境、安全・・・と、マネジメントシステムばかりです。今のところ、私が、管理責任者をしていますが早く、後進に道をゆずりたいものです。



 我が家では「カブトムシ」「クワガタムシ「クワガタムシの幼虫」が別々の容器で飼われています。容器の中には、腐葉土と止まり木、木の葉などが入っています。これらの虫さんの世話は、ほとんど私がしています。

 これらは、すべて我が家の庭で、ひなたが捕獲したものばかりです。

 ひなたは、捕獲した虫類は、すぐに容器に入れるため、中には蜘蛛が巣をつくっていたり、ダンゴムシが歩いていたりしています。

 庭には、コウロギやバッタ、鈴虫なども鳴いています。あちこちには蝉の抜け殻がありました。朝になると、梅、ヤマモモ、クロガネモチの木々にはスズメがきて「ちゅんちゅん」と騒いでいます。たいしたことのない庭ですが、アリエッティの立場を想像してみると、こんな狭い庭でも、ワイルドだなあ、と思います。


 明日は、社休日です。
 朝から、休むぞ。


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トンネル補修
2010-09-22-Wed  CATEGORY: 建設
 午前5時30分起床。天候は晴れ。外気温23度の朝でした。(日昼は、厳しい暑さの一日でした)

 炊きたてご飯、豆腐とワカメと蕗のみそ汁、納豆と海苔、茗荷の漬物、たくわん漬け、濃茶をいただきました。

 朝から、35年ぐらい前に造られたトンネル補修工事中の現場に向かいました。
 トンネル補修

 本日の作業は、覆工コンクリートと地山の間の空隙を特殊モルタルで充てんする仕事でした。予定では、ひび割れ注入、ひび割れ充てん、導水板取り付け、メッシュシート貼りつけ、などの一連の作業を施工する予定です。

 私たちは、普段、何気なく車を運転していますが、現道工事の現場に行くと、近くを走行する車は、すべて飛ばしているような感覚を覚えます。

 立場が変わると、感じも全く違ってみえます。


衝撃弾性波に興味があります。コンクリート等の表面に衝撃を与えて、跳ね返ってきた弾性波を解析して、内部のいろいろな情報を得る方法です。
 応用範囲が沢山ありそうで、興味深いのです。

 まだまだ、知りたい、学びたいものがいくらでもあります。


 明日は、彼岸の中日、仕事は休みます。

 

追記: PRです。
  弊社が企画した分譲マンションです。5棟目になります。はじめて自社施工でなく、他社施工にしたマンションです。

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面接試験。
2010-09-21-Tue  CATEGORY: 建設
 午前5時30分起床。天候は晴れ。外気温23度。
 今朝は、炊きたてご飯、豆腐とワカメと具沢山のみそ汁、納豆と海苔、茗荷の漬物、濃茶をいただき、弁当とパソコンを持って、そのまま、現場に向かいました。

 現場での要件を手早く済ませてから、8時過ぎに出社して面接試験を行ないました。

 久しぶりの面接試験。今回は、地元工業高校土木科の生徒二人です。

 以前は、毎年2名から3名、4名を計画採用していましたが、先のことを危惧して雇用を休んでいました。しかし、新人を育てて、今の技術を継承していくべく、雇用することにしました。

 まだ、内定通知はしていませんが、来春は二名の新人が入社してくることになります。
 
 高校生は、まだ子供の部分をかなり持っています。それが、いきなり、現実の社会に出てくるわけですから、彼らのストレスも大変だと思います。
 しかし、石の上にも5年です。ただ、漫然と5年ではなく、自分のいろいろな能力高めながら5年も経過すれば、会社の役に立つようになると思います。
 途中で挫折しないように頑張ってもらいたいと希望しています。

 不得意な科目は何ですかと聞くと「数学」と答えました。

 私は、土木屋にとって数学は重要な科目です。数学がてきないと仕事にはなりません。でも、数学もパソコンも、そんなものは、なんということはない、あとから、どんどん、身についてくるものです。要は、向上する気持ち、やるぞという気持ちさえあれば、そんなものは、なんとでもなるものです。反対に、いくら数学が出来ても、向上心がなかったら、それは、ダメです・・・といいました。

 

 面接試験は、想定内の質問(例えば、自社を選んだ動機、土木科に入った理由など)は、相当、練習をつんできたようで、練習した努力のあとがみえて、ほほえましく思いました。

 想定外の質問には、各自、それぞれ、違った反応があり、失礼かもしれませんが、おもしろい思いをしました。

 また、そちらから質問はありませんか?と聞いたら、A君は「御社は、県内では何番目ぐらいに位置する会社ですか?」。

 多分、受注高のことを聞いているのかなと思いながらも「どういう基準ですか。売上だけなら、7,8番目だと思います。売上だけでなく利益や安定度もあります。でも、社員の質なら、私は、県内で一番だと思っています。それなりの会社なら、みんな、自社がいちばんと思って仕事をしていると思います。それでも、私は、社員の質は、県内で一番だと自負して仕事をしています。

 いい質問だし、おもしろいなあ、と思いました。

 ふたりとも、会話もできて明るい感じがしました。今後、どうなるかは本人次第ですが、頑張って、どこに出しても通用する土木屋になってもらえばと願うばかりです。



午後からは、契約予定の現場を踏査してまわりました。

 ミツバチ

 写真は、踏査途中で見たミツバチの箱です。カメラを近づけて、おそるおそる撮影しました。でも、攻撃はしてきませんでした。

 追記:弊社が、はじめてデベロッパーとなって企画した分譲マンションのホームページです。

→ http://www.kourai-1ban.com/index.html


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日曜日
2010-09-19-Sun  CATEGORY: 未分類
 休みの日でも、体内時計のせいか、5時半前後には、目が覺めます。
 そのまま、布団の上で、枕元のipodのインナーヘッドホンを耳に入れて音楽や落語を聞いています。

 そして7時30頃になって起床。

 今朝は、知人がわざわざ持つてきてくれた出来立ての炊き込みご飯と目玉焼をいただきました。

 天候は晴れでしたが、秋の日差しなので、庭に出て、草むしりをすこししました。

 午後からは、ひなたと家人の三人で廻る寿司を食べ、図書館に行き、ひなたの絵本を15册借りました。

 寝る前の読み聞かせが習慣になっていて、ぼちぼち新しい本に交代したようなわけです。

 そのあと、図書館の隣の「ばんび」という喫茶店に入り、オレンジジュースをいただいたのですが、これが、普通のオレンジジュースとは違つて、うまかったのです。
 オレンジジュース

 グラスの表面が、盛上つているでしょ。

 食べることも飲むこともできるジュースです。

 では。


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いい月だ。
2010-09-17-Fri  CATEGORY: 未分類
 午前5時30分起床。天候は晴れ。外気温20度。最低17度。本格的な秋の訪れか・・とはいうものの、昼間は暑くて、残暑厳しい一日でした。

 今朝は、ご飯、豆腐とワカメと具沢山味噌汁、茗荷、たくわん、納豆と海苔をいただきました。


 午前中は、安全パトロール。建築の現場「町営住宅」「グループホーム」と土木の現場「橋梁工事」三カ所を見て回りました。


 夜は、協力会社の方々を交えた飲み方。

 帰りは、市内から、自宅まで、ぼちぼち歩いて帰りました。

 五ヶ瀬川と月

 きれいな月でした。


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現場。
2010-09-16-Thu  CATEGORY: 建設
 午前5時35分起床。突然、急に、秋がきたみたいなこの頃です。外気温23度。

 
 今日は、橋梁の現場にいってきました。
 所定の場所に支持層が出なかったので、変更になり、岩盤に穴をあけているところです。
 ダウンザ

 本来なら、構造物が立上つている予定でしたが、まだ、掘削も終わっていません。
 難工事になってしまいましたが、現場は、懸命に「いい仕事」を目指してやっていました。

 帰りの、夕焼けは「秋の夕暮れ」でした。
むかばき夕焼け

 月も中天に輝いていました。
半月

 こういう「トワイライト」のひとときが、好きです。

 夜は、異業種の例会に参加。
 今日の、会員の講話は、こごては書けないが、どんな境遇になっても、意欲があれば、なんとかなる、そういう元気をもらいました。


 では。



 
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貞光町 うる覚えの記。 馬車ほかいろいろ
2010-09-15-Wed  CATEGORY: 貞光町
 午前5時35分起床。曇り。外気温24度の朝でした。明け方、半袖と半ズボンの寝間着では涼しすぎて目がさめました。でも、押入れまで上掛をとりにいくのも億劫なので、犬の子のように丸まって寝ていました。

 朝は、炊きたてご飯、豆腐とワカメと南瓜と玉ねぎの味噌汁、納豆と海苔、白菜の漬物、茗荷に酢醤油、濃茶をいだきました。




むかし、むかしのことです。
 むかし、といっても高々四五十年前のことです。

 私の住んでいた街には、一宇村まで一本の街道が抜けていました。その道を、自転車やリアカー、乗合バス、オート三輪などが走っていました。
一宇街道

時々、荷車をひいた馬車が「ぽっこ、ぽっこ、ぽっこ・・」と、ゆっくりと通っていました。

 荷車のいちばん前には、キセルをくわえ、手ぬぐいで頬被りした、おっさんが乗っていました。
 私たち子供は、馬車を見つけると、荷台の後ろに、おっさんから見つからないように、ちょこんと腰をかけて、あちこちと移動していました。


 夕方になり、真っ黒になって、家に帰ると、母が、かまどの前にしゃがんで「火吹き竹」で「ふーっ、ふーっ」と、火をおこして夕餉の支度をしていました。
 母は、耳が全く聞こえない身体障害者だったので、私が帰っても、気づかないのです。当時から、悪戯好きの私が、後ろからそーっと近づき、背中を叩くと「うわー。ああ、びっくりした!!」と、笑顔で迎えてくれました。

「豆腐買ってきて」と二十円を渡され、皿を持たされて近所の東出豆腐屋に買いに行きました。戻る途中、腹が減っていることに気づき、辛抱たまらず、豆腐の上面をツマミ食いしました。このままではバレるので、豆腐をひっくり返して、母親に手渡して、また遊びに出かけました。

 あとで、不機嫌そうな顔をして帰ってきた父に、豆腐のことで、頭を拳骨で叩かれ、こぶができました。

 そんな、日々をおくっていました。

 矢野顕子 作詞作曲「ごはんができたよ」に似た時代かな・・。

♪ごはんができたよって かあさんの叫ぶ声
ボールが見えなくなった とうさんも帰る頃さ
楽しかったよ きょうも
うれしかったんだ きょうも
ちょっぴり泣いたけど
こんなに元気さ
・・・ざっくり・・
つらいことばかりあるなら 帰って帰っておいで
泣きたいことばかりなら 帰って帰っておいで


 
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言葉。
2010-09-14-Tue  CATEGORY: 未分類
午前5時35分起床。天候は晴れ。一点の雲も見当たらない空でした。外気温20度、いかにも秋らしい涼しい朝でした。
 今朝は、炊きたてご飯、豆腐とワカメと玉ねぎと茄子の味噌汁、納豆と海苔、白菜の漬物、茗荷、濃茶をいただきました。

 管総理が代表選を大差で勝利しました。

 小沢氏の敗因は世論のなせるところだと思いますが、その、世論を形づくったマスメディアに負けたのかもしれません。

 


この頃、強く印象に残った言葉。

 Twitterで紹介されていた言葉。
 

日本の親は、「人に迷惑かけちゃダメですよ」と教えるが、インドでは、「お前は人に迷惑かけて生きているのだから、人のことも許してあげなさい」と教えるそう。前者は、息苦しさを、後者には、ホッとするものを感じる。




 司馬遼太郎 竜馬がいく8巻より

 「しかない、というものは世にない。人よりも一尺高くから物事をみれば、道はつねに幾通りもある」





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2010-09-13-Mon  CATEGORY: 未分類
 午前5時30分起床。天候は晴れ。外気温25度の朝だ。
今朝は、炊きたてご飯、豆腐とワカメと玉ねぎと茄子の味噌汁、納豆と海苔、白菜の漬物、濃茶をいただいてきた。

 昔、お世話になった会社の社長から今年もすだちが沢山送られてきました。

すだち

 いくつか、おすそ分けしました。
 夕食に、焼き魚、吸い物が出てので、さっそく、すだちを絞りかけました。
 すだちの皮は、大根おろし器で摩り下ろして、冷奴にかけて醤油といただきました。

 ひさしぶりに故郷の香りがしました。



 前の会社は、高校を卒業し、隣町の建設会社に就職し2ヶ月で辞めさせられ、プー太郎生活の後に、1年7ヶ月ほどお世話になり、37年前に辞めた会社です。当時の社長は亡くなられて、今は、当時は同僚であった社長の長男が二代目を引き継がれて経営されています。

 この会社では社長から「仕事」についての基本を教わりました。私を雇用してくれた当時の社長に恩返しもできないまま退社し現在に至っているようなところです。

 社長は県土木部を途中で辞めて、測量・ボーリング調査の会社を立ち上げた方です。私は、仕事の基本を、ここで仕込まれました。時には大声で怒鳴られたり、落ち込んだときには細かな心遣いをしてもらったり、交通事故を起こしたときは、経済的援助もしてもらいました。

 現・社長に電話をかけてお礼の言葉を伝えました。そして、雑談。

 いつのまにか「○○ちゃん」「しらうら君」と昔の口調で話をしました。

 近い将来の再会を約しました。

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釼山に登ったこと・・など。
2010-09-12-Sun  CATEGORY: 未分類
 午前6時15分起床。天候は晴れ。残暑厳しい日曜日でした。
 今朝は、白粥をいただきました。副食は、白菜の漬物のみです。

 今日は、ひなたの友人を連れて、みんなで大分の山中に栗ひろいに行ってきました。。。。。。。

 



徳島には剱山という西日本第二の高峰があります。標高1954.7m。
 
 貞光町や一宇村、木屋平村、西・東祖谷山村にとっては、シンボルの霊峰です。特別の思い入れがあります。

 吉野川、剱山は、校歌の歌詞にも定番のように使われています。

 私がはじめて登ったのは11歳の夏休み、父に連れられて登りました。
 
 貞光からバスにゆられて、一宇村桑平つづろ堂でバスを降ります。そこから、徒歩です。

 夫婦池を経由して見ノ越の寺で宿泊。翌日、行場を巡りながら、頂上まで登りました。

 行場には「蟻のとお渡り」「胎内くぐり」「鎖場」などがありました。ほかにもあったかもしれませんが私が記憶しているのは以上の三つだけです。行場とは、文字通り、行者さんたちが修行したポイントです。

 父は木屋平村川上で生まれ育ち、牧野富太郎博士のガイドをしたこともあり、剱山系には通曉していました。

 一回だけですが、木屋平口からも登山したこともありました。
 
 木屋平村川上の垢離取川には屋根のついた橋が架かっていました。そこから、富士の池、一の森を経由して山頂。帰りは、見ノ越から、間道を歩いて富士の池まで降りた記憶があります。
 

 冬は、友人と二人で頂上に登ったと同時にホワイトアウト状態になり、遭難しかけたこともあります。

 若気のいたりで、二回ほど、自転車で登ったこともあります。貞光町から見ノ越まで自転車に乗り、見ノ越から頂上までは自転車を担ぎ上げました。
 剣山頂

 今は、こんなことはできませんが、当時は平家の馬場(頂上の草原)を自転車で駆け回りました。

 今の頂上
 つるぎライブ2

今は、見ノ越から西島神社までリフトがあり、ちょっと歩くだけで2000メートル級の山を体験することができます。
 
頂上からは、京阪神のネオンサインや、伯耆大山も見えます。


また、登ってみたいものです。



 

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暑かった。
2010-09-11-Sat  CATEGORY: 未分類
 午前6時15分起床。晴れ。

 今年は、台風が一個も接近してこない、珍しい夏となっています。いつもなら赤道付近に台風の卵みたいな積乱雲の塊が連なって見えるのに、今年は、あまり見えません。

 そして、バカみたいな猛暑が、秋になっても続いています。このまま、冬という季節がくるのだろうか、心配になります。

 


技術的体験論文について、どのようなものを書くのかは、頭の中でできています。
 普段のことを書くしかないので、いまやっていること、やったことを、まとめてみたいと思います。


 明日は、栗ひらいに行く予定です。


 では。

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完成検査
2010-09-10-Fri  CATEGORY: 建設
午前5時起床。空模様は晴天。外気温24度。

今朝は、炊きたてご飯、豆腐とワカメと短冊切りの大根の味噌汁、納豆と海苔、濃茶をいただき、弁当だけを持って、パソコンは置いたまま、自宅を出ました。

出社途中の東の空です。
朝焼け

今日は、山奥で1年間かかった現場の完成検査がありました。
完成すると「何のことはない」ように見えますが、このあたりは、着手前は絶壁でした。
検査


この現場は、落札したとき「何で、こんな工事を受注したのか」と私がトップに喰ってかかったいわくつきの現場でした。
しかし、なんのかんの言っても、落札した現実は変更できなくて、取つた以上は「いい仕事」をしなければなりません。

電気も電話も無く、携帯も届きにくい、やけに鹿と猿の多い、難工事の現場でした。

完成まで1年間、検査員の講評は「現場もよく出来ていました。書類も丁寧に整理されていて、間違いも見当たりませんでした。1年間、ありがとうございました」という評価をいただきました。

担当した主幹、技師からも、同様の言葉をいただきました。

現場を担当した職員には、こころからお疲れ様でした・・・です。
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もんてこいよ
2010-09-08-Wed  CATEGORY: 貞光町
 午前5時35分起床。空模様は晴れ。外気温26度の朝でした。少しずつ、日が短くなっています。 
  
 今朝は、炊きたてご飯、豆腐とワカメと玉ねぎの味噌汁、納豆と海苔、白菜キムチ、濃茶をいただいてきました。 

 


もんてこいよ

 つるぎ町(どうも、この町の名称、いまだに慣れない)が、合併五周年記念事業として「もんてこいよ」という漫画を発行されていました。

 表 まんが


早速、ダウンロードして印刷して読ませてもらいました。

「大切に すべてが残されてきたんだ」

「この町は とても美しいと いま思えた」


いい。じつに、いいじゃありませんか。

末尾


 どなたが企画されたのか、素晴らしいユニークな事業だと思います。
 もし、できることなら、これ一回で終わるのではなくてシリーズ化されるといいなあと思います。

 話題性があって、個性的で、評判になりそうな予感がします。
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新人
2010-09-07-Tue  CATEGORY: 建設
 午前5時35分起床。空模様は曇り空。外気温26度。 
 今朝は、炊きたてご飯、豆腐とワカメと茄子の味噌汁、納豆と海苔、白菜キムチ、濃茶をいただきました。

 今日は、社内検査のために、片道2時間ちょっとかかる山中の現場に行ってました。大変な環境の中で、難工事を1年かかり、やっと完成にこぎつけました。

 


来春、久しぶりに高校生が入社してくるかもしれません。正式には、今月、面接試験をして、決定します。

新規採用は、ほんと、久しぶりです。私とは40年もの年齢差があります。
以前は、毎年、定期雇用していたのですが、情況が厳しくなり、ひかえていたようなわけです。しかし、いくら、厳しくても、会社の技術ミームを次世代につないでいかないと、将来は、もっと厳しくなります。 

 危惧されるのは、辛抱できるかどうか、です。

 先日、企業訪問があったとき、高校生と引率の先生には「石の上に5年」と伝えました。5年間辛抱ができれば、なんとかなる、そういいました。
 
 せっかく「縁」があって入社した会社なのに、急激な環境変化とストレスに耐えられず、を早く辞めることになることです。

昔の人たちは「石の上にも三年」という諺を伝えてきましたが、今は、そういうこともあまり言わなくなっているように思えます。

 学生生活から社会人としての生活への環境変化によるストレスは、私も経験してきましたが、大変なものです。しかし「石の上にも三年、いや五年」で、辛抱し我慢しながら働いていれば、段々と環境に順応し仕事を覚えてくるようになります。

 仕事の向き不向きなど適性や能力など、今からわかる筈がりません。「石の上に五年」で、辛抱しながら、おいおいと自分の適性や能力が分かってくるし、能力などは仕事で身につけていくものです。

 いわゆる「技術」というのは、後付でいいのです。その気があれば、たいていのことは、何でもできるようになるのです。
 そして「その気」というのは、実際の仕事をして、はじめて「その気」にさせられる、「その気」にならざるを得ない、そういうことを積み重ねて、能力や技術力が身についていくのだと思います。

・・・・・というような、今の会社で三つめの私は、高校生や先生に話したのでした。


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堤防のこと。
2010-09-06-Mon  CATEGORY: 建設
 午前5時30分起床。空模様は曇り。外気温は27度でした。 
 
 今朝は、炊きたてご飯、豆腐とワカメと玉ねぎと南瓜の味噌汁、烏賊の明太子和え、濃茶をいただきました。




五年前の今日、9月6日は、台風14号で延岡市内が水浸しになり、隣の諸塚町では深層崩壊が発生した日です。我が家も、床上60センチまで水に浸かりました。

 ということから、水防の話を書きます。

 


堤防の肩に「煙突」のようなものが立てられています。 川の裏側に向けて、おおむね50m間隔で設置されているようです。
排気管

拡大してみますと・・
排気管アップ



 これ、何でしょう。(笑)

   潜望鏡? 煙突? 観察孔? 何かの取り入れ口?



  答えは・・・・↓






 答えは、空気抜きの排気管です。

 この堤防は、平成9年9月の台風23号で大きな被災を受けた北川町で、激甚災害に指定されときに整備された堤防です。弊社も、このあたりで仕事をさせてもらっていました。

 ところで、堤防が決壊する原因には、水の浸透によるもの、水の流れで削られるもの、水が越えてくるもの、などがあります。

 なかでも堤防の上を水が越えると簡単に破壊されてしまいます。
 
  参考動画 越流による破堤シュミレーション → ここ

 堤防の天端を、増水した水が越える(越水といっています)と、堤防は、いとも簡単に破壊されてしまいます。(これを破堤といいます)


 通常の堤防は、水が堤防を越えることは想定されてないので、堤防の天端や堤防の裏側は、表側(川が流れている側)と比べて「ちゃち」な造りになっています。なので、堤防を水が越えると、水の勢いで堤防が崩壊し、流失したりします。
 そうなると、一挙に泥水がなだれ込み、人命財産に大きな被害をもたらします。

 でも、この写真の堤防は、越流してもいいように設計されています。水が越えることを許容しているのです。
こういう作り方を「越流堤」といいます。

 写真で見る限りは、どこにでもある、普通の堤防と同じです。でも、実は、かなり頑丈に造られています。表も裏も天端も、コンクリートやアスファルトですべて覆われて固められています。もしも、洪水が発生し、水があふれても壊れないように出来ているのです。
 
 はやくいうと、全身に鎧を着せたようになっています。でも、そのままにしておくと、美観的にも問題があるということで、土をかぶせて芝を生やしています。

 スーパーマンがズボンを履いてシャツを着ている、つまりクラークケントの姿をしているようなものなのです。

 でも、このままで増水すると、堤防の中の地下水もじょじょに上昇してきます。すると土中の空気の逃げ場が無くなるわけです。

 例えば、お風呂の中で、洗面器を逆さにして沈めて遊ぶと、洗面器の底に強い空気圧がかかります。そんな状態になるのです。

 空気の逃げ場がないと、せっかく頑丈に造ったはずの堤防が、内部から「ぽんっ!!」と破裂したり、堤防の天端が浮き上がるなど、自ら堤防が破れてしまい、ものの役には立たなくなるのではないかと考えたわけです。

 そこで、土の中の空気を逃がすための排気管を取り付けている、というわけです。

こういう形式の堤防は、全国でもそう多くはないと思いますが、土木技術のひとつです。



 
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運動会のこと、そして立川志の輔独演会のことなど。。
2010-09-05-Sun  CATEGORY: 未分類
 午前6時15分起床。空模様は晴れ、でも、不安定。

 今日は、ひなたの保育園最後の運動会に家族全員で参加してきました。
 ひなた運動会

 
 ひなたは、私に似れば足は早くないし(遅いし)、私の息子や娘に似れば足は早いのですが、今日のところは、特別早くもなければ、遅くもないといったところでした。


 リレーで対抗馬の子がバトンを落としたのを、置き去りにして走らないで、落ちて転がったバトンをひらってあげて手渡し、そのまま一緒に走り、なんとか1位で、次の走者(私の息子)につなぎくことはできました。

 その姿を見て「いいなあ」と思ってしまいました。

 また、小さな子の面倒をみてやったり、いったい、誰に似たものでしょうか・・。家人かな・・。




帰宅したら、前から予約していた「立川志の輔独演会」のチケットを知人が持ってきてくれました。

 舞台から2列目のほぼ中央です。いと、うれし。

チケット

 本来なら、このあたりに志の輔さんが来ることは難しいのですが、主催者である延岡落語一八会さんの熱意と、昨年、見えられた談春さんの力添えがあって、実現したそうです。

 何を話してくれるのでしょうか。新作?、古典? 両方?

私の中では「名人」のひとりでから、とても、楽しみです。


 しかし、こうなると、来年の開催は、どうなるのでしょう。

 立川談春独演会・・・立川志の輔独演会・・・と来ると、あとは、あの方しかいないではないですか。(笑)

 ほんと、どなたが、見えられるのでしょう。



 では。
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見えなくなったもの。貞光町 うる覚えの記・・
2010-09-04-Sat  CATEGORY: 貞光町
 午前6時15分起床。晴れ。いつものように、朝食をいただいて出社しました。

 昼休み、事務のNさんが「妖怪ってほんとうにいたのですかね」「見たことあります?」とTVドラマ「ゲゲゲの女房」を見て、問いかけられました。

 「妖怪は見たことはないけんど、大きな火の玉が飛んでいるのは見たことがある。そいつを、走って追いかけたら山の斜面にぶつかって消えた。それと、子供の頃、山の中腹に点々と灯る、キツネの嫁入りはみたことがあるなあ」と答えました。



 貞光町うる覚えの記「松原さんのおばさんと狐の嫁入り」

 
 自宅のすぐ北側に、小さな谷が流れていました。西の山からくねくねと街を下り、、我が家の前を流れ、貞光川にそそぎ、さらに下り、四国三郎「吉野川」に合流していました。
 貞光 谷


  谷の、向こう側にある石井さんの物置小屋に、かれこれ五十歳を過ぎたぐらいのおばさんが、一人で住みはじめたのはいつ頃からでしょう。

 狭い土間に板を敷き、その上に、むしろを敷いただけの簡素な住まいで、寝起きしていました。

 
 やさしくて、もの静かなおばさんでした。私の父も母も近所の人も「松原さん」と呼んでいました。

 松原さんは、読み書きはできなかったようで、時々、届いた手紙を持ってきては父や母に読んでもらったり、父が、返事を書いてあげたりしていました。

 近所の子供たちからは「松原のおばさん」と呼ばれていました。

 今から思えば、松原さんは、水道も電気もひいていない小窓も無い小屋で、一人、何を思い、暮らしていたのでしょう。

 

 もっとも、当時は、水道をひいていない所帯も残っていて、近くの井戸までバケツや薬缶を持っていき、水をくみ上げてかえる、そういう暮らしをしていました。松原さんの職業は失体(失業対策事業)で、土木工事の人夫として生計を得ていたようでした。



 私が、小学校4年生ぐらいの夏休みの夜、松原さんの家の前で、何気なく、東の山を見ていたら、黄色っぽい小さな灯りが、点々と斜めに連なって、ぼんやりと光っているのがみえました。
 あれ、なんだろうと思いながら、見ていると、今度は、真横に、点々の灯火が移動して、ひかりはじめました。

 子供心に、不思議な気持ちで眺めていたら、家の中から出てきた松原さんは「あれは、狐の嫁入りでわだ」と、指を指して教えてくれました。そのあ と、松原さんと二人並んで見つめていました。黄色い灯火は、あちらこちらとしきりに移動していましたが、やがて消えてしまいました。

 その後、狐の嫁入りは、今になるまで見たことはありません。あれが、最初で最後でした。

 翌日の朝、灯火が連なっていた山のあたりを見ると、そこは、東山神社のある付近でした。


 この写真の後方の山の中腹に明かりが灯ったのです。
 
 昭和35年頃




 数年後、松原さんは、いつのまにか居なくなってしまいました。どこに行ったのだろうと、住んでいた家の前を通るたびに、思い出していました。

 そして、こういう自然現象(?)も見えなくなってきています。


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五十八歳。
2010-09-03-Fri  CATEGORY: 未分類
午前5時35分起床。天候は晴れ。外気温25度の朝。

 今日で58回目の誕生日を迎えることができました。日数でいうとこの世に生まれ出て21182日目ということになります。

 
 58年前というと、日本がサンフランシスコ平和条約により、中国やソ連などをのぞいた諸外国から「独立国」として正式に承認された年です。


 そして、私は37年前の今日の夕暮れ、マツダファミリア1200クーペを運転して、徳島県貞光町から、延岡にたどり着いた日でもあります。

 その日から、私の第二の人生がはじまったようなわけです。
 いろいろと紆余曲折があって、今があります。この先、どうなっていくのかわかりませんが、すべてを受け容れて、前向きに生きていければと望んでいます。

会社では部署からお祝いをいただき、土木の事務のNさんからは「多分、見るにみかねて」新しいカード入れをいただきました。
 祝

 また、広くて薄い紐帯の方々からもお祝いのメッセージをいただきました。

 家に帰ると、家族全員で祝ってくれました。

 ありがたいことです。



 この世を去る日まで、精一杯、やっていけるような人になりたいものです。

 追記:河川工事の落札も決まりました。逆転で取りました。まずは、これも、よかったです。

 では。

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書けない。
2010-09-01-Wed  CATEGORY: 未分類
 午前5時33分起床。今日の空模様も、降ったり照ったりの天気でした。

 今日も、一日、現場に行ったり来たりしていました。

 日記を何回か書きかけて、どうも、自分の気持にぴつたりとこないので、本日も、雲の写真を載せるだけにします。

 現場の空(弊社の、橋梁下部事の現場です)
現場の空

三階の窓越しの空
三階の窓からの空

 この頃、モノクロの写真がマイブームになりつつあります。

 では。

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