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土木建設業に従事していますが、専門分野のことは少なくて、昭和のこと、故郷・徳島のこと、延岡のこと、雑多なことを自分の記録として日記代わりに書いています。St.3bの「がんサバイバー」でもあります。
 日々(いや、気のむくままに)読み書き
見えなくなったもの。貞光町 うる覚えの記・・
2010-09-04-Sat  CATEGORY: 貞光町
 午前6時15分起床。晴れ。いつものように、朝食をいただいて出社しました。

 昼休み、事務のNさんが「妖怪ってほんとうにいたのですかね」「見たことあります?」とTVドラマ「ゲゲゲの女房」を見て、問いかけられました。

 「妖怪は見たことはないけんど、大きな火の玉が飛んでいるのは見たことがある。そいつを、走って追いかけたら山の斜面にぶつかって消えた。それと、子供の頃、山の中腹に点々と灯る、キツネの嫁入りはみたことがあるなあ」と答えました。



 貞光町うる覚えの記「松原さんのおばさんと狐の嫁入り」

 
 自宅のすぐ北側に、小さな谷が流れていました。西の山からくねくねと街を下り、、我が家の前を流れ、貞光川にそそぎ、さらに下り、四国三郎「吉野川」に合流していました。
 貞光 谷


  谷の、向こう側にある石井さんの物置小屋に、かれこれ五十歳を過ぎたぐらいのおばさんが、一人で住みはじめたのはいつ頃からでしょう。

 狭い土間に板を敷き、その上に、むしろを敷いただけの簡素な住まいで、寝起きしていました。

 
 やさしくて、もの静かなおばさんでした。私の父も母も近所の人も「松原さん」と呼んでいました。

 松原さんは、読み書きはできなかったようで、時々、届いた手紙を持ってきては父や母に読んでもらったり、父が、返事を書いてあげたりしていました。

 近所の子供たちからは「松原のおばさん」と呼ばれていました。

 今から思えば、松原さんは、水道も電気もひいていない小窓も無い小屋で、一人、何を思い、暮らしていたのでしょう。

 

 もっとも、当時は、水道をひいていない所帯も残っていて、近くの井戸までバケツや薬缶を持っていき、水をくみ上げてかえる、そういう暮らしをしていました。松原さんの職業は失体(失業対策事業)で、土木工事の人夫として生計を得ていたようでした。



 私が、小学校4年生ぐらいの夏休みの夜、松原さんの家の前で、何気なく、東の山を見ていたら、黄色っぽい小さな灯りが、点々と斜めに連なって、ぼんやりと光っているのがみえました。
 あれ、なんだろうと思いながら、見ていると、今度は、真横に、点々の灯火が移動して、ひかりはじめました。

 子供心に、不思議な気持ちで眺めていたら、家の中から出てきた松原さんは「あれは、狐の嫁入りでわだ」と、指を指して教えてくれました。そのあ と、松原さんと二人並んで見つめていました。黄色い灯火は、あちらこちらとしきりに移動していましたが、やがて消えてしまいました。

 その後、狐の嫁入りは、今になるまで見たことはありません。あれが、最初で最後でした。

 翌日の朝、灯火が連なっていた山のあたりを見ると、そこは、東山神社のある付近でした。


 この写真の後方の山の中腹に明かりが灯ったのです。
 
 昭和35年頃




 数年後、松原さんは、いつのまにか居なくなってしまいました。どこに行ったのだろうと、住んでいた家の前を通るたびに、思い出していました。

 そして、こういう自然現象(?)も見えなくなってきています。


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