土木建設業に従事していますが、専門分野のことは少なくて、昭和のこと、故郷・徳島のこと、延岡のこと、雑多なことを自分の記録として日記代わりに書いています。St.3bの「がんサバイバー」でもあります。
 日々(いや、気のむくままに)読み書き
題名なし
2011-02-28-Mon  CATEGORY: 未分類
天候は晴れ。深夜から明け方にかけて雨が降った。起床したら止んでいた。

今年は花粉の飛散量が多いときいているが、実感できる。久しぶりに「鼻水、鼻づまり、目のかゆみ、くしゃみ」などの症状が出ている。

 以前、花粉症の薬を処方してもらったことがあるが、私の場合は副作用のほうがひどくて、服用を中止したことがあり、じっと我慢するしかない。

 昨夜は出かけるために「自己治癒コンクリート」を録画予約しておいた。後日、ゆっくりと見よう。




では。
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 午前5時35分起床。天候は晴れ。外気温4度の朝。

 庭に出たら、梅の花がちらほらと開花していた。

 橋の上からみた朝日

朝日がのぼるころ

 今日は、出社して現場に行った。

 午後3時頃から帰宅して、久しぶりに散髪をしてきた。




コンクリート診断士の更新登録時には「調査報告書」の提出が義務付けされていたが廃止になり、今年度からコンクリート診断士研修会出席のみでOKということになった。

個人的には、調査報告提出義務は、「継続学習」の意味合いからもユニークな取り組みだなあと評価していた。

そのためもあって、身近な事例から、3つほど調査報告書を作成して準備していたのに・・・・・。

 せっかくの「いいシステム」を廃止するのは、もったいないような気がしないでもない。

 これで、主催者も更新登録を受ける者も楽にはなったと思うが、どんなものだろう。

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貞光工業高校のこと。
2011-02-25-Fri  CATEGORY: 貞光町
 午前5時35分起床。天候は晴れ。外気温10度の朝だ。

 この頃、寝付きがよくなく、睡眠も浅いので、起きるのがすこし苦痛。

 これに効く薬は、ひとつだけ。 そう、あれ。あれが立て続けにうまくいけば、回復する。

帰宅途中にみた夕日。
夕日

 五ヶ瀬川の川面がきらきら。





 貞光工業高校土木には「実習」があった。
 土質、コンクリート、水理などの実習は実習室で授業があった。特に、水理実験室は、当時としは県内の最新鋭施設だったと聞いたことがある。しかし、私は「水理」は、ちんぷんかんぷんで好きにはなれなかった。

 実習の授業があると宿題としてレポートの提出が義務付けられた。このレポート作成が苦手で、実習担当のS講師から、いつも、怒られていた。

 測量の実習は、外である。
 最初は「歩測法」の実習だった。
 きちんと距離を測定してあるグラウンド内のA地点からB地点まで何十往復を歩いて、歩数を数える。そして、自分の一歩の平均的な歩幅を知るわけだ。次の実習は、校内から外に出て所定の地点まで道を歩いて歩測で往と復で距離を測定する。

 伊能忠敬は、二歩で一間のペースで列島を四千万歩も歩いて正確な地図を作った。歩測は、今は殆どやらないが、測量の基本だろう。


 現在、筋力が落ちているので、縮まっているかもしれないが、当時の私の一歩は72センチであった。


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県立貞光工業高校 土木科
2011-02-24-Thu  CATEGORY: 貞光町
午前5時35分起床。天候は晴れ。外気温8度の朝。





今年度いっぱいで、徳島県立貞光工業高校土木科と建築科が閉科になることを知った。
土木科は昭和38年に開設され48年で1491名の生徒を社会に送り出した。

私も、千四百九十一名の一人である。これからは、建築と土木が統合され「建設科」と名前が変わるそうだ。

 「これも、時代の流れか」などと悟りたくはないが、これも現実である。

 当地も、この町にある県立高校一校だけが、県内で唯一「土木科」として残っている。せめて、県内に一校ぐらいは「土木科」を残してほしいなあと願う。



 ふと、昔を思い出した。


 1年生のある日の昼休み。北側の廊下の窓から首を出して、なんとなく「ぺっ」と下に唾をはいたら、数人の3年生がタバコを吸っていて、そのうちの一人と目があってしまった。

 「やられる」

 あわてて首を引っ込めて教室に戻ったら、ドカドカと先輩たちが教室に入ってきた。
 「こらっ。今、唾吐いたのは誰か。出てこんか。顔は見とんぞ」とシーンと静まりかえった教室内をねめまわした。

 仕方ないなあと「自分です」と立った。

 「お、お前か。こっちこい」と連中に囲まれ、あちこち小突かれながら廊下に連れだされた。
 
 絶対にやられる、いやだなあ、と覚悟していたら助けが入った。

 何故か、私立高校に行っているはずの中学校の先輩のIさんが突然目の前に現れたのだ。

 「おい、どしたんか」と私に声をかけた。

 Iさんは中学時代から「ワル」で通っていた。私とは、柔道部の先輩と後輩の関係でよくしてくれていた。

 「あ、Iさん。」

 今まさに、私を殴ろうしていた先輩たちに「こいつは、わしが知っているものじゃ。何もすな」と注意して、先輩連中を連れてどこかに行ってしまった。

 風の様に現れ、風の様に立ち去った。

 あとから聞いたところによると、県下のやんちゃな高校生の中のボス的な存在になっていたらしい。


 ところで、私を殴ろうとしていた先輩だが、無事に卒業して隣町の建設会社に就職された。最初の会社に入社してすぐに再会したことがある。会って話をしてみると、本当は、後輩思いのやさしい先輩であることがわかり、学生時代との落差におどろいたことをおぼえている。
 
 ・・というようなことを思い出した。
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経験。
2011-02-23-Wed  CATEGORY: 建設
午前5時35分起床。天候曇り。外気温10度の朝。
 夜明け前、突然の雨音で目が覚めた。

 朝方はやんでいたが、予報通り3時過ぎから再び雨になった。




実務経験重視。

ひと昔前までは、配置技術者を決める判断材料は「あいつなら出来る」「あいつに経験させたい」「育成したい」という要素を考慮して決めていた。たとえ、経験がなくても、会社や先輩がフォローすれば、十分にやっていける。そういう判断で若いものを優先して配置したこともある。

 しかし、今は「同種の工事を経験はあるか」「何件ぐらい経験したか」「一級土木の資格を取得して10年以上経過しているか」と、いった「経験重視」にならざるを得なくなっている。

発注者は「実務経験を積んだベテラン」の配置を強く求めていて、経験が足りないと仕事が取れないのである。

極端かもしれないが、発注者の考えに同調すれば「もはや、新卒者は要らない」のである。


 しかし、思い起こしてみると、今のベテラン技術者も、昔は「若手」だった。ある日突然ベテラン技術者にはなるのは不可能だ。

「まだ若いけれど、あいつにこの現場をやらせてみよう」という、ひとつひとつの実践の積み重ねがキャリアとなり「ベテラン」と呼ばれる技術者として活躍している。

 以前は、毎年、高校・大学の卒業生を新規採用し「まだ若いけれど、あいつにこの現場をやらせてみよう」と長い年月をかけて育ててきたが、今という時代は、そんな悠長な時間をかけるような「余裕」はなくなっている。



 このまま、企業や配置技術者の「経験重視偏重」が続いていくと、新規採用や若手雇用などできなくなり、この業界も、一般社会以上に、少子高齢化が進展していくに違いない。

 今の制度は、品質確保を重視するあまり後継者育成をやりにくくしている。

 落語に登場する大店は、丁稚奉公で育成し、手代、番頭、分家独立・・という制度があった。
 落語にでてくる大店も、企業も、納税義務だけでなく、右も左もわからないような子供を、仕事を通じて、ベテランに育てていく、社会的な義務みたいなものもあるはずだが、いまのままでいくと、そういうことも廃れていくような危惧がある。

「鶏が先か、卵が先か」みたいなもので、鶏も大切だが、卵も大事、両方共大切なのだ。

 
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貞光町 うる覚えの記。 北川医院。
2011-02-22-Tue  CATEGORY: 貞光町
 午前5時33分起床。天候は晴れ。外気温3度の朝。
 朝と昼の温度差がはげしい。日中は、多分、17,8度ぐらいになった。

 


一枚の写真から・・・・・・

 貞光町うる覚えの記。北川医院。
 医院

 一枚の写真から。北川医院のことなど。

これは、北川医院の玄関だ。

 先生は、町長もつとめた「北川伝蔵先生」だ。
 貞光に来られる前は、伊豆諸島の新島でお医者さんをしていた。それが、なぜ、貞光に来られたのかは知らない。
 北川先生と我が家の祖父は親交があり、祖父が死去し私の父母の時代になっても、父や母とは親しくしていた。
北川医院には、鎧兜や木刀、掛け軸、日本刀など多くの骨董品があったが、私の祖父さんが贈呈したものだったと耳にした。

 先生からは、時々、くさやの干物をおすそ分けしていただいたが、これが、強烈な匂いであった。
先生は、上品でやさしくて温厚な方で、わたしも「のぶちゃん、のぶちゃん」と優しく接してもらった。
我が家にも、よく、遊びに来て、父と話をしていた。

TVの野球中継を見ながら・・

「ボールを打ったのに、なんで、あの選手は走らないのですか」
「あれは、ファールといって、白線から外に出たら走らなくてもいいのですよ」
「ああ、そうですか」

・・・・といった会話を、ナイター中継を見ながら、父と先生がしていたことが印象に残っている。

医院の二代目は養子の一善先生になり、医院から病院に変わった。
東側に木造で病室が建てられた。
その後、栗尾菓子店の倉庫があった場所に、鉄筋コンクリートの病院が造られた。


小学校4年生の頃、北川伝蔵先生が亡くなられた。
私は、みんなと一緒に、大須賀にある焼き場まで行った。

焼き場の中で待機していると焼き場の係の人から「こっちきてみない」と手招きされて、焼き場の後ろに回り、覗き窓から、北川先生が炎の中で焼かれているのを目撃した。
人体の焼ける臭い、煙突からの黒煙、燃え盛る炎と人体と思われるもの。。。。

焼かれて「お骨」になった人を見たのも、北川先生が初めてだった。




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とりあえず、ブログ更新。
2011-02-21-Mon  CATEGORY: 未分類
午前5時30分起床。天候は晴れ。外気温8度の朝。

 体調がおもわしくない。

 やわではないと思っていたが、やわなのだなあ、と実感している。

 ブログ更新も、無理にはやらないことにした。


 では。
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岡城。
2011-02-20-Sun  CATEGORY: 未分類
午前7時過ぎに起床。天候晴れ。朝粥を食べる。

 家にいても気分がすぐれないので、みなで大分方面に向かう。

 今日は・・・ここ。↓ ↓
岡城阯

 竹田にある「岡城阯」だ。
 
 おかしろ

竹田

岡城

 広大な城跡だ。

 ここには「土井晩翠」の碑がある。
城

 荒城の月の歌詞だ。滝廉太郎が竹田で生まれた。

 近くには「広瀬神社」がある。
 日露戦争の軍神、広瀬中佐を祭っている。

 荒城の月、仙台出身の土井晩翠は青葉城を、滝廉太郎は岡城を思いうがべながら、創作した。

 ふるさとを思うこころは、みな同じ・・・・・・だ。







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まご
2011-02-19-Sat  CATEGORY: 未分類
  5時40分起床。天候晴れ。外気温1度。

 朝は寒かったが日中は暖かだった。

 朝、西の空に「お盆のような」月を見た。
お盆のような月

 月が沈むと入れ替わるように、弘法大師像の五光のように東の空が赤く染まった。
お大師さま



 我が子の子供、つまり「孫」といると「養っている」のではなく、こららのほうが「元気をもらって養ってもらっている」ということを感じる。

気分的に沈み込んだ夕方、満面の笑顔で迎えてくれ、わたしの背中に飛び乗ったり立ち上がると足元にまとわりついてくる。

 そして、今日は◯◯君と遊んだ、、などと報告してくる。

 沈みがちな気分も忘れさせてくれる。

 ひなたと一緒に風呂に入り背中を流してあげながら「この子から、いろいろなものをもらっているのだなあ」と感謝している。

 夜は、ひなたの寝姿を見て「なんで、こんなに可愛いのか」といつも思う。



 以前、私は、ひなたを叩いたことがある。

 叩いたあとすぐに後悔の念にかられた。ひなたのしつけのためにあえて叩いたのではなく、一時の感情で衝動的に叩いてしまったのだ。

 そのあたりの暴力団となにも変わらないではないか、これはDVではないのか、自分に問うた。
 自分の中にある暴力性を感じた。

 もう、二度と絶対にひなたを叩いたりしないと決意した。

 
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下水道。
2011-02-17-Thu  CATEGORY: 建設
午前5時30分起床。天候は雨。外気温8度の朝だ。

 徳島市内を流れる「新町川」。

 阿波踊りのおはやしの中にも「新町川まで行かんかこいこい」というのがある。
私が徳島にいた頃は、それは、ほんとうに汚い川だった。

 この川の深浅測量をしたことがある。もう、40年近く前のことだ。河川幅いっぱいにロープを張り、ゴムボートに乗り込み、距離と深さを測定していく仕事だ。

 水は濁っていて、透明度はゼロセンチ。ごま油のような臭いがたちこめていた。測量をするとき、川の水が口の中に入ったり、腕や顔にかかることがあった。体が悪くなるようで気持ち悪かった。

 しかし、いまはきれいな川になっている。


 我が家の近くを流れている谷川がある。蛇谷川とよばれている。
10年ぐらい昔は、家庭の下水が直接に流入していたのか、近くに行くと悪臭が漂っていた。
それが、今は、清流が流れている。

 河川の中の中洲の草むらには、鴨が巣をつくって子育てをしている。小魚も沢山や泳いでいるし、上流に行くと夏は蛍さえ飛んでいたりしている。

 なぜ、浄化されたか。
 下水道が完備されほとんどの家庭が供用しはじめたからだ。

 下水は、処理されて海に排出される。海が汚染されないかという不安も残るが、下水道という社会資本は、役立っていると、思う。
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利己的。
2011-02-14-Mon  CATEGORY: 未分類
 2/14 午前5時30分起床。天候は小雨。外気温4度。

 前々から????と思っていたが「疲れすぎて眠れぬ夜のために・・内田樹」を読んでいて

 すとんと腑に落ちたことがある。

 利己的に生きる、ということだ。

 

 
 
 ところで、昭和の名人、古今亭志ん生の落語に「黄金餅」がある。

息子の志ん朝や談志も演じているけれど、個人的には、やはり、志ん生のがいちばんいい。

で、この前、久しぶりに聴いた。


 あらすじだけ追いかけると、とても、映像化できないような陰惨きわまりない描写もでてくる。
限りのない欲や、よいこともすれば悪いこともする、・・といった、人間の持つ「業」みたいなものが、話しの中に盛り込まれている。


 
 西念坊主が亡くなり、葬礼を長屋で出してやろうということになって、大家が主人公の金兵衛に云う。

「他人(ひと)にするんじゃねえ。みんな自分にするんだ」

 はじめて、この咄をはじめて聴いたときから、強く印象に残っている言葉だ。

「利己的」とは、この科白そのものだと思う。


「他人(ひと)にするんじゃねえ。みんな自分にするんだ」

 ちなみに、志ん生の黄金餅 ↓  ↓

 



 
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打込み。
2011-02-12-Sat  CATEGORY: コンクリート
午前5時35分起床。天候は晴れ。外気温4度の朝。雪がすこし舞っていた。

 会社にはいかないまま、現場に直行。

 三次元図面

 今日は、赤で着色した箇所のコンクリート打込みだ。

 一日中、風が強く、しかも冷たかった。

 打込み現場は、周囲を寒冷紗で覆っているため、寒くもなく・・といった環境であった。
打込み

 


市内でみた風景。

 明日は、西日本マラソン。TV中継車が準備をはじめていた。
西日本
 中継用の大型モニター
 マラソン

 
 A君が、私を見つめていたので「何?」と聞くと「ここ、二三日で、老けたことないですか」と云う。

 ここ、二三日というより、ここ1年ぐらいの間に、白髪と皺が増えている。

 それも、自然。

 母に似れば、そう長くないうちに、真っ白になるかもしれない。

 全部、真っ白になるのもいいのではと思う。




 

 
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諸行無常。
2011-02-11-Fri  CATEGORY: 未分類
午前5時40分起床。天候は晴れ。外気温3度の朝だった。

いつものように出社した。

会社には、誰もいない。

午後3時頃に帰宅した。




 私の住む「延岡」は水郷の町だ。九州山地から流れ下った、北川、祝子川、五ヶ瀬川の大きな河川の河口が一点に集中し太平洋に注ぎこんでいる。
 マップ


 平野部が少なく北と西には急峻な山地がひかえている。太古の昔、海であったところに人々が暮らしている。
交通の便はよくないが、水だけは豊富なので、大量の工業用水を必要とする工場群があって工業地帯を形成している。
  太古の延岡(アースダイバー風に・・)
 縄文海進の延岡


 延岡の自然災害の記録を見ると、8月、9月に集中して洪水被害が多発している。

6年前にも延岡市内が水浸になった。5年前には竜巻が市街地を7キロ近く縦断し大きな被害をうけた。


ついで、地震。
沖合の日向灘は地震の巣だ。
また、地形に関係しているらしく竜巻も時々発生している。


 
 古今集より

 

 世の中はなにか常なる飛鳥川 
      きのうの淵ぞ きょうは瀬になる  (詠み人知らず)





 明日は、コンクリート打ちがあるので、立会に行く。

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貞光町 うる覚えの記。 永尾先生。
2011-02-09-Wed  CATEGORY: 貞光町
 午前5時35分起床。天候は曇り。外気温10度の朝だ。
 路面は湿っていたが、相変わらずの「煙霧」なので晴れだが曇りだかはっきりしない空模様。

 空が明るくなると、昨日よりは、視界良好の晴天となった。




貞光町うる覚えの記  一枚の写真から。
 棟方志功


 左腰に手を当てメガネをかけて熱弁をふるっているのは「棟方志功さん」だ。
場所は、貞光小学校の職員室。いつのことか、はっきりとしない。多分、50年ぐらい前、昭和30年代だと思う。

・と思いつつ、Webで「貞光町 棟方志功」で検索してみると・・・・

・・・・まずは志功と徳島との関わりについて見ていくことにしよう。 昭和三一年の暮れ、十二月十五~十七日の会期で「棟方志功芸業展」(徳島芸術鑑賞会主催)が徳島市憲法記念館で開催された。十六日夕方、展覧会に合わせ来徳した志功は、徳島市建設会館で開かれた座談会に出席。次のようなことを語っている。 「私が板画を始めたのは伊原宇三郎画伯にすすめられたのがキッカケです」、いっそ絵をやめて人のやらないものに手を出したら、との伊原の言葉が板画を始める契機になったという。 なお、この来徳で志功は『徳島新聞』夕刊に「歳末徳島」を五回連載(十二月十八日~二八日)したり、貞光へ講演会に行ったりもしている。



 昭和31年の暮れに、貞光町を訪問されことがわかる。

 いつか、この「歳末徳島」の連載記事を読んでみたいものだ。当時の「貞光町」のことを書かれている可能性がある。

 ところで、写真には、知った人が写っている。一人は、棟方志功さんの腕の影に隠れてたる方で、はっきりとはしないが「F先生」のようにみえる。

 もう一人は、左から二人目の永尾先生だ。

 当時、貞光町には「永尾医院」「北川医院」「谷医院」「古城医院」などがあり、北川医院と古城医院には同級生も居た。

 永尾先生は「永尾医院」の先生だ。

 小学生の頃、家で昼食をとり、ふざけながら登校していたら、自転車と正面衝突して、口の中を切ったことがある。
 近くに「永尾医院」があり、口を両手で押さえ血をぽたぽたと垂らしながら、永尾医院に行き、勝手に上がってどんどん奥に進んだら、永尾先生が奥様と二人で食事をとられていた。私の姿を見てびっくりされていたが、そのまま、診察室に連れていかれ、麻酔をかけないまま四方から押さえつけられて、前歯の歯茎のつけ根と下唇の下、合計8針を縫っていただいた。

 激痛だったが、体を固くしてじっとしていた。
 あとから「よう、頑張った。たいしたものだ」とほめていただき、子供ごころにうれしくなった。

 永尾先生は、北川医院の「北川伝蔵先生」に感じが似ていて、温厚でやさしい先生であった。
多分、教育委員会に関係されていたのだと思う。

 ほかの町の医院と同じで、内科も外科も小児科も耳鼻咽喉科も、なんでもこなしてくれたオールマイティのお医者さんであった。

  今も貞光町には「永尾病院」がある。ご子息が跡をついでおられるのだろう。

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意味のないことをだらだらと書いた。
2011-02-08-Tue  CATEGORY: 未分類
午前5時33分起床。天候は晴れ。外気温3度の朝だ。

 今日も「煙霧」がかかっていた。

 夕方からは、久しぶりに雨が降った。弱い雨だ。

 今日は、完成検査があり、立ちあってきた。

 いい検査であった。

 検査官との会話がスムーズに行われていた。




手提げ提灯はいつごろまで日常生活で使っていたか。

昭和38年、小学校五年生の頃には、まだ、使っていた。

 なぜ、そう断定できるかというと、子供の頃、手提げ提灯で足元を照らしながら、東山の山道を「白村」にある親戚(母屋)まで、北海道から帰郷した客人の道案内をしたことがあり、その道中、二人で柔道一代を歌いながら夜道を登ったからだ。

 Webで調べたら柔道一代は昭和38年のヒット曲だった。それで、手提げ提灯は、少なくとも昭和38年頃までは、日常的に使用していたことがしのばれるのである。

 S.38年というと、今から、たかだか48年前のことだ。

 いま、手提げ提灯を求めようとしてたら、千円や二千円ではあがなえない。万を越すのかもしれない。

 我々の器械にしてもそうだ。

 学校で習ったのは、バーニヤを虫眼鏡で読むトランシット。そして、巻尺。

 計算は、真数表、対数表と算盤、手回し計算機、計算尺。

 図面描きは、T定規と製図板。

 今は、自動追尾のトータルステーション。パソコン。情報化機器。
 図面は、CAD。


 まさしく「一生にして二世を経るが如し」である。


 早く正確に便利になった。これだけ効率化合理化が進むと、時間があまる筈なのに、足りないぐらいだ。

 

 けっして、楽にはなってない。


 
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書くことなし。
2011-02-07-Mon  CATEGORY: 未分類
午前5時33分起床。天候は晴れ。外気温2度の朝。

 ここ数日のあいだ、黄砂みたいに視界が不良になっている。黄砂ではなさそうだし、新燃岳の火山灰でもないみたいだ。
 なんなのだろう。




特に書くことが思い浮かばない。思考停止。


 徳島県外の方が書かれた貞光町のことを紹介しているブログがある。

 2011年 初旅 阿波の国 徳島へ 二層うだつの貞光 町歩き編

 キャンピングカーで放浪の旅


 以上おわり。



 
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休日。
2011-02-06-Sun  CATEGORY: 未分類
 天候晴れ。午前6時過ぎに起床。布団の中で音楽や落語を聴いていた。
 7時過ぎに起きて、白粥を炊いて食べた。

 お昼前から、隣の日向市に行った。

 工業港の近くを通ってみると、見慣れない船影が見えたので立ち寄ったら護衛艦が停泊していた。
 
 護衛艦「しらね」
 イージス艦

 船体は、近くでみると、凸凹が目立ち、かなり老朽化が進んでいるように思えた。

 近くに行くと、乗船もできるのでタラップを上がってみた。
 イージス艦 しらね

 近くでみると、お、大きい。

 あと3年で退役になるとか。。。。。。




大相撲が危機的状況になっている。

勝ち負けを金銭でやりとりするのは許されることではない。

 今回のことで大相撲は改革に突き進んでいかざるを得ないわけだが、いわゆる「単なるグローバル化」だけはしてほしくない。

 相撲ぐらいは、勝ちか負けかだけの二元論ではなく、伝統文化として、残してほしいと思う。








 


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鉄筋組立完了。
2011-02-05-Sat  CATEGORY: 建設
 午前6時20分起床。天候は晴れ。外気温5度の朝だ。

ぼーっ


 今日は晴れであるが、新燃岳の火山灰が舞っていて、視界は不良。黄砂よりもひどい。110キロも離れたところでコレだから、現地や近辺は大変だと思う。

 午前中は現場に。
鉄筋

目地

ガラス

養生


鉄筋組立が終わり、型枠組立へ。




目がかゆい。

火山灰だけでなく、花粉も舞っているようだ。





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一枚の写真から。
2011-02-03-Thu  CATEGORY: 未分類
午前5時30分起床。晴れ。外気温マイナス1度の朝だ。
 
日中は、寒さがやわらいできたようで温暖であった。

午後から、造成の現場に行った。
造成

造成2



一枚の写真から。

父

 古ぼけた一枚の写真がある。多分、七、八十年以上前、昭和のはじめだ。
 作業服、行者、普段着、スーツ姿の妙に取り合わせの四人の男達いる。

 左から二人目、両腕を組んだ白装束の蓬髪が私の父である。撮影場所は分からないが、四国は剣山中のどこかであることは間違いない。

 父は「阿州 劔山中 孝常道人」としか書かれていない封書が大阪から届いたといって自慢していたぐらい、剱山中を住処として暮らしていた。

 明治末期、四国の山奥生まれの私の父は、山間労務者(木こり)、剣山系の山岳ガイド、炭鉱夫、地方新聞記者、地方紙の発行、町の商工会職員などを務めた。
 
 実直で、曲がったことのできない性情で、潔い一生を過した。世話好きで金銭的には不器用きわまりの無い人だった。


 父、母、私、家人、私たちの子供、そして「ひなた」。命のリレー。考えれば考えるほど、不思議だ。無数の偶然の積み重ね。それを「縁」というのか。

 
頭は天然パーマ。腕も足も胸も髭だらけで、時々、頬ずりされると髭がチクチクして痛かった。七輪に火をつけるとき腕まくりした二の腕を燃え上がった炎の中に突っ込んで髭をパチパチと燃やし、燃えかすの髭を手でなで落としていた。

 五千年の昔、先住者として列島に暮らしていた縄文人は、こんな人たちだったかもしれない。
酒はそれほど強くなかった。父の酒の弱さは私が継いだ。

 母は、高知生まれで酒は強かったらしい。その酒の強さは、兄が引き継いだ。

 私が、父から受け継いだのは天然パーマと酒の弱さ、そして、真面目の真似ごと。
 私も真面目だと人から言われもするが、父の、本当の真面目さ、誠実さの前では薄汚れてみえる。父の愚直は兄のほうが多く受け継いでいる。


「人を恨まず おのれを愧じず こんこんと湧く真清水と生きてゆくべし 」と詠み、そのとおりに生き抜いた父であった。


 父や熱血先生の生き方、考え方に深く共鳴する。そう、ありたいとは思う。

 でも、かられのような生き方はできない。

 私は、私の生き方しかできない。

 それでいい。


 




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空震
2011-02-02-Wed  CATEGORY: 未分類
午前5時35分起床。天候は晴れ。外気温2度の朝だ。

今朝、そろそろ起きようかなと思案していたら、突然、部屋の中の障子や外側のサッシガラスが鳴動した。時間にして5秒から10秒ぐらい。

 枕元の携帯をのぞいたら丁度5時30分だった。

 これは「もしかすると」と起きてTVを見ると新燃岳の爆発的噴火が5時25分に発生し噴煙の高さが二千メートルまで達した・・と報道された。

やはり、あれは「空震」だった。

いや「空震」ではなく「空振」だそうだ。

個人的には、地震などの災害を連想させる「空震」のほうがふさわしいように思う。

 新燃岳から我が家までの直線距離ほぼ111km。到達時間5分(300秒)。これを速度に換算すると音の速さで空気の振動が伝わってきたことになる。

今回の空振の強さは299・6パスカルだという。

噴火に伴う空気中の圧力変化によって空気の振動が波のように伝わる現象が空振。パスカルは圧力を表す国際統一単位。秒速1メートルで動く1キログラムの物 体を秒速2メートルにするのに必要な力(1ニュートン)が、1平方メートルに加わる圧力が1パスカル。その100倍が1ヘクトパスカル。気象庁火山課によ ると、人が音による空振を感じるのは10パスカルからとされ、数百パスカルになるとガラスが割れることもあるという。



 発生源から110キロの距離を伝わるにつれて減衰し数十パスカルの圧力となって我が家まで達したのであろうことが推測される。

 空震だけでなく、このあたりも、うっすらと火山灰も積もった。駐車していた車のフロントガラスから外が見えないぐらいだ。

 ここで「こういう状態」としたら、現地や現地周辺はいかばかりか・・・・・。

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2011-02-01-Tue  CATEGORY: 未分類
午前5時30分起床。天候は晴れ。外気温マイナス3度の朝。

毎朝、まず、洗面所で水道で顔を洗う。水道の水は手が切れるように冷たい。でも、気持ちがいい。

 桂三木助の「芝浜」にも、主人公の魚屋が、人っ子一人も居ない夜明け前の冬の芝の浜で、海水で顔を洗い「ああ、気持ちがいいなあ」というのがあるが、ほんと、そうだなあと思える。

(塩水で顔を洗うだろうかという疑問はあるが、とにかく、冷たい水にかわりはない・・)


 外に出ると、東の空が明るいのに小さく驚く。出かける時間が遅くなったのかと疑うほど明るい空だ。
この今の時期、明け方の空は、毎朝、1分いや10秒毎に移り変わるみたいで、変化の速度がやけに早く感じられる。
 【日向灘、愛宕山、煙突】
朝ぼらけ

 今日は、技術提案の仕上げと現場と発注機関に行ってきた。

 今日は、これまで。
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