土木建設業に従事していますが、専門分野のことは少なくて、昭和のこと、故郷・徳島のこと、延岡のこと、雑多なことを自分の記録として日記代わりに書いています。St.3bの「がんサバイバー」でもあります。
 日々(いや、気のむくままに)読み書き
40年
2011-03-29-Tue  CATEGORY: 未分類
午前5時30分起床。天候は晴れ。外気温3度の朝だ。

 

71年の4月に高校を卒業し、いわゆる社会人として世に出て、今年の4月で40年目になる。
 この40年間、これということは何ひとつしていない。でも、私なりに重ねてきた歴史は誰も否定できないし、後ろ指をさされることはない。
 
 数多くの失敗と反省と自己否定したくなるような後悔の日々もあった。テンションが異様に上がり、「来るなら来てみよ、かかってこい」の時期があったり、きつかったり、楽しかったり、何か別のものに翻弄されたりもしてきた。

 振り返ると「たかだか40年」とも思えるし「40年も・・」とも思える。

 どちらにしても、私にとっては、単なる40年目ではなく、節目の年になるような気がしている。

 とはいうものの、節目にならないかもしれない、なるとしても、どういった節目になるのかはわからないが、多分、私の考えと行動しだいである。

 さて、どうなるのか。変わるのか。何も変らないのか。


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明日はわがみ
2011-03-28-Mon  CATEGORY: 未分類
外気温1度の朝。天候は晴れ。
 桜も、ちらりほらりと咲き始めている。

被災地や、原発の情報を知るたびに、胸の詰まる思いがする。


 こちらでも、単三乾電池やペットボトルの水がどこも品切れになっている。スーパーにもコンビニにも在庫がない。水道局が製造している「天下一の水」は、兄弟都市「いわき市」に全て届けたため在庫はない。

 買い占めとかではなく、ほとんどが、被災地支援や被災地周辺の知人に援助物資として送っているのだと思う。

 

 

 私たちは、知らず知らずのうちに、「いつ、どうなるかわからん」という、薄氷を踏むようなもろさの上で日々暮らしているのだな、とつくづく思う。

 一寸先は闇。
 明日は我が身。

 ウィキによれば・・・
 

887年 仁和地震:8月26日に M8.0 - 8.3 の仁和南海地震が発生。同時期に東海地震と東南海地震が発生したと地質調査により推定されている。京都で民家、官舎の倒壊による圧死者多数。特に摂津での被害が大きかった。



 延岡は、洪水の災害が多いが、地震の記録も残されている。

 「延岡郷土史年代表」には、そのときの記述がある。
 

887年7月  大地震と洪水があり、祝子村千光寺が流失し守護田に移転した。川島の熊野大権現は倒壊した。



  祝子にあった寺院が洪水で流されたとあるが、台風と大震災が重なったのか、それとも大津波が祝子川を逆流して「洪水」という表現になったのかはわからない。

 (祝子といえば、我が家よりも上流の川沿いの集落だ。もし、津波だとすれば、このあたりにも、押し寄せてきたのだろう)

 このあたりは、近年の明治時代にさえ、夏目漱石から「猿と人とが半々に住んでる」「山の中も山の中も大変な山の中」と評価されるほどの辺境の地だ。藤原時代全盛の頃の大昔の出来事として当時の震災の記録が残されているということは、よほど、ひどい天変地異だったことが想像できる。

その、東南海連動型地震は50年以内に90%の確率で発生するといわれている。

 そのときのことを想像しておくことが必要だと、思い知らされる。


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電話をかけた
2011-03-24-Thu  CATEGORY: 未分類
 外気温7度の朝。天候は晴れ。

 
夜は眠れない。朝方、浅い眠りから目が覚めると、今度は起床がつらい。

身の回りのこと、仕事のこと、震災のこと、先行きの閉塞感・・・。

黙りこんだまま、目と目のあいだに皺をよせて、怖く暗い顔をしている自分がいる。

これはいかん、と思うが、なかなかコントロールができない。

しかし、こんなことを続けていてはいかん。

こういうときこそ、目の前だけを見て、前向きに、笑顔で対応しないといかん。

作り笑顔でもいい。

落語でも聞いて、ひなたと遊んで、前向きに取り組もう。



昼休み、東京に住む幼なじみの友に電話をかけた。

水でも送ろうか
水源が違うので、今のところ大丈夫だ。
どうだ、大変だろう
通勤がたいへんだ。電車が70%ぐらいしか運転していない。
自転車は?
この前、自転車で通勤したら2時間近くかかったので、やめた。計画停電は困る。
かえって、こっちの田舎よりも、ある意味不便だな。



あと、震災のこと、都知事選のこと、景気のことなどの雑談を交わした。

ほんなら、何かあったら、言ってきてくれ。
おお、ありがとう。
じゃあな。
またな。



そのあと、ずっと気になっていた、茨木、水戸、千葉、東京の友人にお見舞いの電話をかけまくった。

みんな大変な様子だった。

水戸などは液状化、津波、建物被害そして放射性核物質の飛散など三重苦の被害をうけている。建設会社の職員は地震発生直後から、自宅の片付けも、壊れた会社や工場の被害もそのままにして24時間フル稼働体制で災害対応におわれている様子だ。私にも経験があるが、連日の作業で、疲れはすでにピークを通り越しているに違いない。

災害時には、自衛隊や消防団、警察官の活動は報道されても、専門の建設会社の活躍は、全国どこでも同じように、報道はされない。属する集団が「公」と「私」の違いかもしれないが、「私」の立場といっても、公の立場に属する人たちに負けず劣らない働きをしている。


大きな災害が発生すると「想定外」という言葉が喧伝されるが、今までの災害の歴史を見てもわかるように、こと、自然災害だけは「想定外」などはありえない。

もし、建設業者が無くなったり、おおきく数を減らしたりすると、災害復旧は大幅に遅れる。


もっと、地場の建設会社も大事に扱ってほしいと願う。


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ひさしぶりに
2011-03-19-Sat  CATEGORY: 未分類
 午前6時起床。天候は曇り。社休日。

 このところブログ更新をしていなかった、というより、東北関東の惨状をみていると、更新するきになれなかった。

 自分たちでできることは、今のところ義援金ぐらいしかない。

 自社も、社員全員のかんばを開始したし、会社、会社の所属している団体から、義援金としておくることになっている。

 プライベイトでは、異業種の集まりで、義援金が決まり、来月の総会で額を決めることになっている。

 
 これから先、長丁場なので、その都度、協力していきたいと思っている。


 早く、なんとかなりますように。



 これから先、長丁場である。

 
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2011-03-12-Sat  CATEGORY: 建設
TVを見ていると、すでに、地場の建設会社の何台ものバックホウが、災害対策で稼動している。

 未曽有の大災害のなかで、自分たちの家のことも心配する状況の中で、同業者ながら、頭がさがる思いがする。

 



 

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2011-03-12-Sat  CATEGORY: 建設
午前6時過ぎに起床。晴れ。

 今日は、津波警報が出たままだったので、何かあるかもしれないと出社。

 今日は、社休日であったが、すでに、数名が出ていた。

 昼過ぎまで待機して、午後から、自宅待機にして帰ってきた。

 しかし、津波の映像、ショッキングであった。TVを見ながら震える思いがした。





 茨木、東京、千葉・・・知人、知人がいる。東京への固定電話や携帯はつながりにくい。

 心配である。

 無事をお祈りしたい。

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TTP
2011-03-10-Thu  CATEGORY: 未分類
3/10 午前5時35分起床。天候は晴れ。外気温1度の朝だ。

TTP。環太平洋パートナーシップ。
TTPのことは、よくわからない。

賛成派、反対派の主張は、どちらも正しいように思える。

ただ、いえることは、TTPつまりグローバル化という考え方は、「個」の自立がさらに増加させられていく思想のように思える。つまり「個人」の利益が最優先され、共同体依存度の高い「個」は取り残されていくかもしれないということだ。

それこそ「欧米化」だ。

これでいいのか。

 よく「いい悪いは別にして」とか「好むと好まざるに関わりなく」と云うけれど、私は、こういう傾向は「よくない」と思うし「好まない」のである。

人は、一人では生きられない。相身互い、持ちつ持たれつなのだ。

世の中がPPT化すると、おもしろくない社会が形成されそうに思えてならない。


我々のような、地場の超ドメスティック産業は、特に、相容れないように思える。



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流れの職人
2011-03-09-Wed  CATEGORY: 未分類
 午前5時30分起床。天候は晴れ。外気温3度の朝。

 ブログ更新が滞りがちである。

 


流れの職人のこと

 入社して右も左もわからないまま、はじめて回された現場は県発注の道路改良工事の現場である。
 急峻な山間に二車線道路を抜く工事で、この道路は、現在も幹線道路として供用されている。

 新米の私が少しだけ役に立ったのは、当時、道路曲線にはじめてクロソイドカーブが使われはじめた頃で、前の測量会社で覚えていたクロソイドの知識を伝達するぐらいであった。

 当時の施工方法は、ブルドーザーで掘削、押土をする工事で、硬い岩盤が出現するとダイナマイトを装填して爆破していた。

 今は、大型バックホウで掘削、ダンプトラックで運搬、岩盤は大型ブレーカーで破砕している。法面仕上げは、昔は手作業だったが、今はバックホウの職人技で平滑に仕上げる。


 爆破作業と法面仕上げは二人の「流れの職人」に依頼した。当時の労務単価は、おおよそ女性が800円/日、男性1500円/日だったのに対して「流れの職人」は3000円/日をもらっていた。

 施工中、硬い岩盤が出ると、削岩機で孔をあけてダイナマイトをつめて爆破する。あとは、斜面にロープ1本でぶら下がり、ピックハンマーやツルハシで、掘削したあとの斜面を平滑に仕上げていく。
 ピックハンマーのノミ先やツルハシの先端がまるくなると、鍛冶屋になって、コークスと吹子で真っ赤に加熱しトンテンカンと叩いて鋭くしていた。

 この職人たちは、元・鉱山夫だったようだ。私も、同じ飯場で寝泊りしていて、湯飲み茶碗の焼酎を前に、いろいろな話をしてくれた。

 昔は、ノミの先に玄能を風呂敷に包んで肩にかけて全国を旅したか。岩盤に孔を空けるときは、ノミ先を岩盤にあてて、ハンマーで叩いて孔を開けるのだ。
 削岩機などが普及していない時代は、ノミとハンマーだけで削孔していた様子がうかがえた。

 ある日、飯場の風呂に入った。浴室のガラス窓ごしに湯気の中に背中一面の彫り物が目に入り、入るのを遠慮したことがある。
 彫り物は、任侠の徒だけでなく、れっきとした職人も彫り物をしていたのだ。

 
 この職人さんからは現場で捉えた猪をさばいて、そのまま生肉を食べることを教えてもらった。猪の生肉は生姜醤油で食べたるのだが、やわらかくてうまかった。

 猪肉にジストマが生息していて危険と聞いたのは、後日のことで、ジストマのことを知ってからは食べていない。

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門前の小僧
2011-03-07-Mon  CATEGORY: 未分類
 午前5時30分起床。天候晴れ、外気温8度の朝。


 昨日、ひなたを連れて街に出た。行きも帰りも車中のBGMは「落語」。ひなたのリクエストは「寿限無」だったがipodの中から「寿限無」を見つけるのは骨がおれるので「また、今度ね」と、流れにまかせて桂文朝の「かぼちゃ屋」をかけていた。

 帰宅してガレージに駐車しエンジンを切った刹那「あ、今、いちばんいいところだったのに・・」とひなたのつぶやき声。

「え!? お前、落語聞いとったと?」

「うん」
 
 そういえば、特に気にはしなかったが、時々、笑い声が聞こえていたようだ。
ひなたも、門前の小僧みたいに、いつのまにか落語が少しだけわかるようになっていたみたいだ・・。

 それにしても「南瓜屋」とは。。。おつではないか。

 桂文朝は早世した噺家だが、7歳の児童をして「南瓜屋」で笑わせるとは、すごいの一語につきる。



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貞光町 うる覚えの記。 お好み焼き 井村
2011-03-01-Tue  CATEGORY: 貞光町
午前5時30分起床。天候は曇り。外気温12度の朝。
 日めくりカレンダーは早くも3月1日になっている。まさしく光陰矢のごとし。大晦日まで10ヶ月しかない。

この頃、不調が連続している。ジリ貧、という文字がかけめぐっている。
 
 しかし、落ち込んではいられない。

 これから、である。




貞光町 うる覚えの記  お好み焼き 井村 のことなど。

我が家の近所に「井村」というお好み焼き店があった。
美馬セイヒツと天神屋の間の「天神小路」とよばれる細い道の東端に位置していた。

この写真の道の突き当たりにあった。

いむら今

当時の写真を探してみた。

あった。

これだ。

いむら

部分を拡大してみると・・・。
かくだい

 誰かが写っている。どなただろう。



 白い障子窓のすぐ左手に玄関があり「お好み焼き」ののれんが下がっていた。
 毎年、秋が深まると玄関に暖簾が下がる。秋から冬の終わり頃まで季節営業していたようだ。

 暖簾をくぐり引き戸をあけて店内に入ると、玄関の土間を改造して大きな鉄板が置いてあり、三方を囲むように長椅子があった。
 6人も入れば満員になるぐらいの広さ。ま正面には井村のおばさんが立ってお好み焼きを焼いた。
メニューは「卵焼き」「肉焼き」「肉玉焼き」「うどん焼き」「イカ焼き」などであった。焼き方は大阪焼きである。

「肉玉焼き」がいちばん値段が高くて、なかなか食べられなかった。
 当時の「肉」は高級品というイメージであった。

ソースは「甘口」と「辛口」が置いてあった。「辛口」はウスターソースだった。

兄が帰省するたび、友人たちと井村にお好み焼きを食べに行ったが、たまには、私もお相伴にあずかったりした。

 私、一人で行くこともあった。赤銅鈴之助の漫画本を読みながら、お好み焼きを食べた。
おばさんから「これ、食べみらんで」と、冷えて固くなった五目ずしにアツイ茶を注いだのを勧められていだいたことを今も憶えている。

 そういえば「街的ということ」という本に
お好み焼き屋は街の学校だ、と書かれていたが、そうなのかもしれない。


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