土木建設業に従事していますが、専門分野のことは少なくて、昭和のこと、故郷・徳島のこと、延岡のこと、雑多なことを自分の記録として日記代わりに書いています。St.3bの「がんサバイバー」でもあります。
 日々(いや、気のむくままに)読み書き
貞光町 うる覚えの記。 長橋。
2011-04-30-Sat  CATEGORY: 貞光町
天候は晴れ。今は、雨が降っている。
雨といえば、平年に比べて4%ぐらいの雨量で、田植えができないように水が減り続けている。

日中は、暑いほどの外気温だ。

今日は、河川工事をしている現場に社内検査で行ってきた。

明日は、道路巡回に出ることにしている。

ところで、豊後水道を渡ろうかと思っていたが、佐賀の関~三崎フェリーが予約がいっぱいで乗れそうにない。
臼杵から八幡浜、という方法もあるが、、、、、、、、、。




 貞光川に「長橋」とよばれる橋が掛かっている。
 【長橋】
対比今の長橋


 何の変哲もない、どこでもよく見られる「潜水橋」だ。高欄もなければ親柱も、銘板もない。

 本来なら、無名でもいいはずだ。

 でも、きちんと「長橋」という名がある。

 かつて、ここには吊り橋がかかっていた。それが「長橋」で、いかにも、長橋という名にふさわしい、堂々とした吊り橋であった。
 【かつての長橋】
対比昔の長橋


多分、いつかの出水で流されてしまい、今の潜水橋に架け替えられたのだ。同じ場所に現在の潜水橋が架けられ、昔と同じように「長橋」とよばれたのだろう。

私は、吊り橋のころはぼんやりとしか覚えていない。

なんの味気もない「潜水橋」のほうをよく覚えている。
この橋は、遊び場でもあった。

橋面の平滑なコンクリート面が、ローラースケートで滑るのに丁度よく、橋の上で競争したりしていた。大きめの車が来ると、よける場所もないので、潜水橋にぶら下がって車をかわしたこともある。

台風で水が出ると、見に行った。潜水橋の上を濁水が激流となって乗り越えて流れて落ちた。

【貞光町三十年のあゆみ・・から転用】
長橋 洪水


 下流の桑畑の上からは、すぐ足元の渦巻く濁り水の中に、三角網を竹棒の先に取り付けて水の中に突っ込んでは、小魚を網ですくっている人もいた。

 夏の夜は、潜水橋の上まで夕涼みにきた。劔おろしの夜風が天然のクーラーとなり寝苦しい暑さをとってくれたりした。

 何の変哲もない潜水橋だが、それぞれの想いが、ある。


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地震速報
2011-04-28-Thu  CATEGORY: 未分類
 外気温13度の朝。晴れ。

 今朝、地震があった。本社3階が揺れたのは7時3分過ぎ。

 揺れとほぼ同時に、パソコンに設定している「緊急地震速報」の警報が鳴りはじめ、デスクトップに表示された。

 緊急地震速報


 そのあとを追うようにして、携帯が7時4分、宮崎県「地震情報」のメールを受信した。

「2011年04月28日 07:00頃、宮崎県で震度2の地震が発生しました。最新の地震情報は以下をご覧ください」



 緊急地震速報が遅れたのはネット回線を通してなので妥当だと思う。

 宮崎県の地震情報も発生後1分でメール受信。これも、早い。
 役に立ちそうだ。

 震度4が発生すると、河川や道路の巡回出動になる。

 
 高感度地震観測網を見ると、震源地は、延岡市の沖合約50キロぐらい。深さ34キロ。マグニチュード4.0。

震源

 こういう技術、すごいなあ、と思った。




さて、明日からは、休みに入る。

とはいうものの、明日もあさってもその次も稼働している現場がある。

明日かあさっては、現場に行く予定だ。


では。





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寝ものかだり
2011-04-26-Tue  CATEGORY: 未分類
外気温9度の朝。晴天。5時35分起床。

 私は、就寝前と起床したときには、必ず、コップいっぱいの水を飲み干す。
 この習慣は、多分、20年以上は続いている。

 しかし、ここ一週間ほど、夜中に喉がカラカラになっていることに気がついて目がさめる。

 と、いって喉が渇いているのではなくて、乾いている。

 なので、糖尿病ではないと思うし、私は、なんの根拠もないが、糖尿にはならないと確信している。

 でも、ヘンはヘンだ。

 今夜からは、枕元にペットボトルを置いて寝ることにする。




ひなたを寝かせるときは、まず、本か絵本を一冊読んでやる。そのあと消灯になり「お話して」と寝物語を頼まれる。

 今夜は「忍たま乱太郎」を読み終わると、恒例の「お話」をせがまれた。

 この頃、創作話もネタ切れ気味なので、落語の「初天神」をアレンジして話してみた。

 話し終わると「そのお話、じーちゃんが創ったやつじゃないじゃん。それ、じーちゃんが聞いているお話じゃん」といわれた。

 つまり「パクったな」というわけである。

「ええっ、お前、じーちゃんの聞いている落語、聞いているの?」
 「うん、聞いているよ」

 このやろう、聞いてないようで、しっかりと聞いているのだ。

 先日は、八俣のおろちの話をはじめたら、途中で「あ、それ知ってる。知ってる。八つのお酒を八俣のおろちに飲ませてやっつける話じゃろ」

「それ、知っているよ」

「・・・まあ、いいわ。続けて」・・・と云う。

 ひなたは、着実に生意気になっている。
 今は「可愛い生意気」だが、いつからか「小憎たらしい生意気」になるのだろう。

 

 今度は、落語の「つる」をアレンジしてみよう。
 
 多分、まだ「つる」は知らないとはずだ。

 しかし、いつか彼が落語の「つる」を聞くことがあれば「あれっ、どこかで聞いたぞ。さては、パクったな」と思われるかもしれない。



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貞光町 うる覚えの記。 けんざん 剣山
2011-04-24-Sun  CATEGORY: 未分類
暖かな朝。

 ここ、二三日、体調が思わしくなかった。
 なぜか、血圧が上がっていた。
 普段の私は、110台なので、ちょっと上がると、きつくなる。以前にも、一回あったが、原因は不明だ。
 そういえば、父にも、同じようなことがあった。父も、血圧は低いほうだったが、何回か、目にしたことがある。
 遺伝か。



「剣山」

 つい「けんざん」と読んでしまう。そういう癖がついている。
 子供の頃「けんざん」と云たびに、父から「つるぎさん」と訂正が入った。

 そう、本当は「つるぎさん」と呼ぶのが正しい。

 当時「つるぎさん」とよんでいたのは、身辺では私の父ぐらいだった。

今は小学校で習う校歌も「♪つーるぎさんによせて・・」と字余り気味に歌っているが、私たちは「♪けーんざんによせて、うーたーわーーん・・」で習った。

なので、今も「けんざん」なのだ。

 剣山は、徳島県のシンボル的な山だ。標高1954.7m。西日本第二の高峰。頂上からは、伯耆大山や京阪神のネオンサインも見えた。

「けんざん」にはよく登った。多分、10回以上20回未満だと思う。登り口は、主に貞光口であるが、木屋平の方からも、垢離取橋、富士の池、一の森を経由して何回か登った。

 初冬には樹氷の中を登り、頂上でホワイトアウトにつかまり、あわや遭難しかけたこともあった。

 また、自転車で頂上まで登ったことも二回ほどある。見ノ越まで自転車に乗り、そこから頂上まで担ぎ上げて平家の馬場を自転車で乗り回したりした。(今は、貴重植物を傷めるため、そんな無法行為は許されない)
 そのときの写真
剣山頂

 初めて「けんざん」に登ったのは小学4年生の夏休み。父が連れていってくれた。

父は剱山中で生まれ育ったので、一般の人が知らないような道も知っていて、牧野富太郎博士の案内人をつとめたことや、頂上付近でソロモンの宝を発掘していた変人の話もしていた。

 明治橋、立道商店の前のバス停から「葛籠堂」行きの徳島バスに乗った。
終点の桑平でバスを下車し登山開始。

一日目の工程は夫婦池を経由して見ノ越に向かう。夫婦池には国民宿舎は建てられてなく、路端の茶店で「あめゆ」をいただいた。

 当時、夫婦池は池の周囲がコンクリートで固められていた。その、有り様を見て父が「何でこんなことするのか」と憤りつつ落胆していたのが印象に残っている。

夫婦池から、平坦な山道を1時間ばかりで歩くと見ノ越に着く。

見ノ越は宿坊で泊まる。当時は、米は宿泊者が持参して炊いてもらう木賃宿の名残が残っていた。父も、持参した米をお寺に預けていた。

翌朝、見ノ越を出発して西島神社。
父が「この岩屋に、法月弦之丞が囚われていた」と、まことしやかに鳴門秘帖の話をしてくれた。
「西島はん」からは、すぐに頂上には向かわず、刀掛けの松付近から行場に向かった。
 
 鎖場
ぎょうば




貞光では、神社や祠を「・・はん」と敬称をつけて呼んだ。松尾神社は「まつのはん」、東山にある神社は「ひがっしゃまはん」西の山の神社は「にっしゃまはん」。なぜか、八坂神社は「ぎおんさん」だった。




不動の岩屋、鎖場、胎内くぐり、蟻の塔渡りなどを回って、頂上のすぐ下の大劔神社でご神水を飲み、頂上ヒュッテに入った。


帰宅したからは、二三日は、足の筋肉が痛くて、たまらなかった。


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貞光町 うる覚えの記。 柔道対ボクシング。
2011-04-20-Wed  CATEGORY: 未分類
外気温6度の朝。晴れ。

 どうも、体調がよくない。
 胸焼けがする。
 食欲がない。

 でも、まだ、頑張れるように思える。

 原因はわかっている。でも、原因はいますぐ取り除けない。
 とりあえずは、やれるまでやるしかないのだろう。




 子供の頃、異種格闘技の試合を観たことがある。

 異種格闘技の試合は、猪木Vsモハメド・アリが最初ではない。
 多分、かなり昔からあった。

小説「姿三四郎」では、柔道の姿三四郎は空手やボクシングと戦っている。


小学校4年か5年生の頃なので、昭和37,38年、半世紀ぐらい前のことになる。
現・貞光駅の西側にあった広場の野外特設リングで行われた。多分、現在の貞光歯科の近く、現・貞光食糧の倉庫近辺のような気がする。

ここで何名かの友人たちと、柔道VSボクシングを観戦した。私たちは入場料(いくらか忘れた)を支払いリングサイドの近くで見た。後ろを振り返ると、街道を挟んだ南側の山の斜面には、大勢の人たちが貼りついて、こちらを見物していた。

前座は小人(こびと)のプロレス。六人のタッグマッチ形式の試合で、動きが早くて面白い印象があった。

いよいよ、メインイベント。

初めて間近で見る外国人選手らは、体が大きくて赤身かかった胸毛や金髪や青い目が鋭くて、強そうに見えた。
試合前のシャドーボクシングのときの「シュッ、シュッ」という音が印象的で、対戦する日本人柔道家を威嚇していた。
対する柔道家の人たちは、痩せて小柄で貧相に見えたが表情だけは精悍だった。

私たちは、もちろん、日本人を応援するのだが、はじまってみると、ボクシングのほうが圧倒的に優勢で、額から流血している柔道家もいて、なんとなく日本人の体格的な弱さを見世物にしているように思えて不愉快だった。どちらが勝利したのかは覚えていないが、ボクシングのほうが優勢で、現実を教わったような気がした。

思えば、こういう類の見世物はよくあった。
祗園さんのまつりのときは、手刀で自然石を割ったり、板の上の五寸釘を額で打ちつけて貫通させる荒業なども見られた。

 こういった芸(芸か?)は、小学校の講堂で全校児童を集めて見せたくれたりもした。今なら考えられないが。当時の先生方は、融通のきく方が多かったのだろう。




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科学映像館
2011-04-19-Tue  CATEGORY: 未分類
外気温10度の、涼しい朝だ。五ケ瀬町では雪が降ったようだ。




帰宅してから、科学映像館という配信映画を見ていた。

 ここから、多くの貴重な映像が配信されている。

 今日は「和傘の里」を観た。

 貞光町の対岸、美馬町郡里の和傘つくりの記録映画だ。

 ひとつひとつ、いくつもの工程を重ねて、職人の腕で、りっぱな和傘ができるまで、映像としてまとめられている。

 美馬町の願勝寺や段の塚穴も出てくる。

 
 郡里は、吉野川の護岸の竹林を使って300年前から和傘をつくり、かつては、日本第一の生産をほこった。

 子供の頃、吉野川の河川敷に、何十本もの和傘が整然と並べて干してあったのを、今も覚えている。


 配信映画のレパートリーをみると、福島第一原発の工事の様子や、徳島県の橋梁工事の様子、半田手延べそうめん、なども、レパートリーに入っている。

 なかなか、よさそうだ。




 
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貞光町 うる覚えの記。 池。
2011-04-18-Mon  CATEGORY: 貞光町
温かい朝だ。

 


あれは何歳の頃だったのだろう。

 東山に池があり、その池に火を吐くガマガエルが居るという話を耳にして、上級生が先達者になり、五、六人の悪童仲間と「火を吐くガマガエルを見に行こう」ということになり、大きな握り飯をこさえてもらって見に行ったことがある。
 池の名前は「まる池」だったように思うが、定かではない。

 場所も、はっきりと覚えていない。東山にある神社の近くだったような気がする。

 貞光川に架かる長橋を渡り左に曲がる。少し歩いて、今度は小径を右折して東山の坂道にとりかかる。はっきりとした道はなく、藪をかきわけてガヤガヤと進んだ。

 しばらく登ると、薮の生い茂った隙間から下のほうに、かすかに池の湖面がみえた。

 年長者のリーダーが言った。

  「ここだ」

 おそるおそる、池をうかがった、亀も蛙もなにも居ない。

 何もなく、見晴らしもよくなくて、静かに池だけがあった。

 僕たちは池をあとにして川原まで下りて、みなで握り飯を食べて、帰宅した。
それ以後、二度と行くことはなかった。

 池は、今から思えば、ため池のような気もするが、今もあるのかしら。




話は変わる。

今年も、三度目の正直になるかどうかはわからないが、性懲りも無く技術士試験を受けようと思っている。戦歴は過去二回とも、A・B評価で「あと一歩」だった。
今回は、最後のつもりで受けてみたい。

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門前の小僧 2  アイスクリーム 追記:地震速報
2011-04-16-Sat  CATEGORY: 未分類
午前7時起床。晴れ。
 今日は、大師祭で「休み」となっている。朝から休むことにした。
 でも、稼働している現場があるので、いつものように作業服に着替えた。

 現場から電話があり、午前中は現場に出かけた。




高田渡

 いつ、聞いてもいいなと思う。
 ドキュメンタリーDVD「タカダワタル的」も、いい雰囲気をだしている。
  (これは、ぽすれんから100円でレンタルすることができる)

 彼こそ、吟遊詩人という名にふさわしい人だと私は思う。


 で、先日の休みのこと、街からの帰りしな、ひなたにアイスクリームを買ってあげようと近所のコンビニの前に車を止めた。

 突然,後ろの席で、ひなたが「♪アイスクリーム 私の恋人よ~」と口ずさみはじめた。

「え? タカダワタル? なんで?」と、同時に思わずふき出してしまった。

もうすぐ七歳の子どもが、口ずさむような歌じゃないじゃないか。

いつのまに覚えたのだろう。

私の影響だろうなあ。いかんなあ。

 【アイスクリーム 高田渡】

 


追記

 PCで利用できる「緊急地震速報」のフリーソフトがあったので、紹介しておく。
 Internet Explorerが適用と書いてあるが、firefoxでも使えた。
 
 すぐれものだと思う。

 地震速報

 入手先は ステトラジー株式会社様





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小雨模様の朝。
2011-04-15-Fri  CATEGORY: 未分類
外気温11度の朝。曇り。雨が降りそうだ。

 今日から三日間、大師祭が行われる。
 この三日間は「雨の特異日」で、いままで三日間が晴天であった年はない。
 なので「南無大師遍照金剛」をもじり「雨大師遍照金剛」といわれたりする。




通勤途上でいつも見ている民間の宅地造成が完成し販売されはじめていた。入り口には看板が建てられプレハブの販売事務所らしきものも設置されている。

この宅地は、高台に位置しているものの、半分以上は谷地形を盛土して造成されている。高さ20mぐらいの盛土部分には4区画の見晴らしのよい宅地が出来上がっている。その一区画でスエーデン式の地盤調査が行われていた。
どなたか、購入したらしい。

高台なので津波被害のリスクはほぼゼロに近い。しかし、50年以内に90%の確率で起きることが想定されている、南海・東南海連動型地震が発生したときに、この盛土構造が耐えられるのだろうかと、ふと不安になる。

私なら、絶対に選ばない土地だ。

たとえ、高台に位置していても、不自然に見晴らしのよい宅地はリスクが大きいことがあることを知るべきだ。

もしも、このような宅地が自然災害で壊れたら、誰が責任をとるのだろう。販売会社か、造成を許可して検査を行なった自治体か。
答えは、自己責任が原則なの購入された方の責任である。民間宅地の災害は公的資金では補償されない。

個人的には、こういうリスクの高い(・と思われる)宅地の造成を許可して検査する公的機関の道義的責任があるように思えるが、法令や構造令から逸脱していない限り責任は問えない。つまり、責任の問えない「人災」のような気がする。


新しく、宅地を購入する多くの人たちは、価格と利便性で選ぶ。しかし、これからは「安全性」も考慮すべきだ。

今回の東日本大震災により、原発被害と津波被害がクローズアップされ、「地震災害」≒「津波災害」のような印象が強いが、地震による被害は、津波だけではないし、自然災害は地震災害だけではない。

新しく、宅地を求めるようなときは、求めようとする宅地を丁寧に調べてからにするべきだと思う。
いろいろな災害事例などから、地震、津波、洪水、豪雨などに遭遇した場合、土地や建物はどうなるのかという想像力を働かせなければならない。

というものの、我が家は、平屋の建売住宅を何回も増築して強引に二階建てにしたものだし、地面は、低地湿地帯の上に何メートルも盛土して造成した宅地になっていて、人のことは云えた義理ではないが・・・・・・・・。

日本列島は、自然災害の多い国土なので、どこに住んでいようと、何らかの災いを被る確率は高い。しかし、限られた国土の中で、想像力を働かせて、できるだけ安全な場所に住むことができるように、公私共に努力すべきだと思う。


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外気温7度の朝。最低温度は5度ぐらいまで下がっている。
 ここで、これぐらいなら、被災地は、もっと寒さが厳しいだろう、と思う。

 昼間には、汗ばむほどの温度に上昇した。




父は、よく新生児の名づけを依頼されていた。命名した数はかなりの数になると思う。

 父の命名は、字画数は考慮しなかった。路傍の馬頭観音や弘法大師などは尊崇していたが「字画による姓名判断は迷信」ときりすてていた。

 徳島市に金沢先生という方が居た。父も母も金沢先生のことは「金沢先生」と呼んでいたので、そうとう偉い人かもしれないと思っていた。

一度、父に連れられて金沢先生のお宅をたずねたことがある。

湯のみを両の手で包み込むように持って、お茶を飲んでいる姿に気品があって美しくて「いいなあ」と見惚れてしまった。

金沢先生は「歌は、きみさん(私の母)のほうが、うまい」と父にしゃべっていたのが印象に残っている。

その娘さんの名前も父がつけた。


 命名した名前の中で、今も記憶している名は共通したものがあった。それは「水」である。
 なんで「水」なのかはわからない。

 たとえば女の子の名では「みぎわ」「水都(みと)」。男子では「潤」などというのもあった。

 女子の名前は、○○子全盛の頃に「みぎわ」とか「みと」とか、やさしくて個性的で情緒があっていい名前だなと子供子頃にそう感じた。

 でも、父は自分の4男(私)の名づけはひとに頼んだ。理由は、自ら命名した次男、三男が早世したことから験をかついだのだ。

 で、私の名は、友人の郡大さんが付けてくれた。郡大さんは、武市さんの子息の名付け親でもあり、両方に共通しているのは「まさ」である。

 で、私は「のぶまさ(信政)」に決まったのである。

 思えば郡大さんも武市さんも政治家志向なので「政」になったのかなと思う。

 武市さんは私を見るとニコニコしてくれたし、郡大さんは会うたび小遣いをいただいたものだ。

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小学校入学。
2011-04-13-Wed  CATEGORY: じーさんのひとり言
外気温7度の朝だ。

今日はひなたの入学式。早いもので、もう、小学校一年生になる。
家人は4時過ぎに起きて赤飯を炊いた。

私は自分の子供たちのときの入学式には行った記憶がない。

ひなたのときぐらいは「入学式に行くぞ」と楽しみにして張り切っていたのだが、突然、急用が入り、行けなくなってしまった。

ひなたの入学式のことを思っていると、51年前の小学校の入学当日の記憶のイメージがよみがえった。
 満開の桜があった。
 どこの桜の木だったのだろう。

 貞光幼稚園の裏手の坂道に桜の木々があったような記憶があるが、その桜かもしれない。


 入学式に同伴してくれたのは、両親ではなくて、近所の香川のおばさんが一緒に行ってくれた。

 なんでだろう。


 なぜか、その二つが脳裏に焼き付いている。


 ひなたの奴、明日から、小学校に登校だ。
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仁義礼智忠信孝悌の世界。
2011-04-09-Sat  CATEGORY: 未分類
 午前6時20分起床。天候は晴れ。
 今日は、社休日で、稼働している現場はあったが、朝から、終日、休みをとった。

 夕方、ひなたの自転車乗りはじめを応援した。補助輪を外して、近くの公園で「自転車デビュー」としたのだ。
 最初は3mで倒れていたのが、最後には20mぐらい走れるようになった。

 しかし、私は、息が切れた。はあはあ。



 三国志のDVDを借りてきて、時々、ひとりで観ている。

 最初は、退屈しのぎに、名場面だけ観ればいいやと思い、Vol.12の関羽が曹操の捕虜になり、絶大な恩を受けたお返しに、敵対する袁紹軍の猛将「顔良」「文醜」を一太刀で斬る巻を選んだ。そのあと劉備の所在を知った関羽が劉備の奥方たちを守りながら、たった一人で5つの関所を破りながら劉備の元に駆けつけるくだり・・。

 これらが、思った以上に、なつかしく、そして、面白いのだ。やめられなくなり、そのあと、次々と「三顧の礼」まで借りて見てしまった。

 遠い昔、吉川英治の「三国志」に夢中になった時期があり、三国志のストリー展開はほとんど記憶している。
 本と同じで、見はじめたら、なかなか、やめられなくなってしまった。


 たった一人で数万もの軍勢にも匹敵するといわれる、猛将関羽や張飛の人間臭さが等身大に思え、現実味があって、これもいい。
 敵役の英雄「曹操」、これもいい。三国志は「曹操」が主役かもしれない。

 時々「なんで人は、こんなに争うのだろう」という想いもよぎるが、深く考えないことにして、それを押しやって観る。

 さて、いよいよ「三顧の礼」により「諸葛亮孔明」が颯爽と登場してきた。あとは、長坂の戦いで、一丈八尺の蛇矛を構えた「張飛」の一睨みで迫り来る百万の曹操軍を撤退させる場面や、乱戦の中で劉備の子息を助ける「趙雲」の獅子奮迅の活躍があり、赤壁の戦いに続いていく。

【張飛 長坂橋】
張飛


 でも、長坂から赤壁の戦いのシーンはあとにする。こうなったら最初からきちんと見なおそうと思い、昨日は、第一巻から借りてきた。黄巾の乱、董卓、呂布、曹操から、劉備、関羽、張飛の三兄弟の桃園の誓いから観なおしてみようと思う。

 映像を観て思ったことだが、本当は「三国志」は活字で読んだほうが、面白さは上かもしれない。と、いって、今さら読み返すのも面倒ではある。

 
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タバコとガン
2011-04-07-Thu  CATEGORY: 未分類
午前5時30分起床。曇り。外気温8度、だったと思う。

 
  私の男系の血縁には「ガン」に罹った者が多い。

  父も、そして兄もそうだ。それに加えて、父方の家系には「ガン患者」が多くて、ガン遺伝子みたいなものが流れているのかもしれない。
 私は、死ぬとすれば事故死かガンかもしれないと、がん保険にも加入している。

 ただ、父や兄と違うのは、私はタバコを吸わない、ということだ。

 父はガンで胃袋を三分の二切除する手術の前日までタバコを吸っていたし、兄は、大手術してからも、今も、ことなげに煙をくゆらしている。

 兄は、つい、この間まで自分がガンで手術したことを知らないでいたという暢気な男なので、気にしなかったのかもしれない。

 タバコを吸うという行為は、考えてみると奇妙な行為だ。煙を吸い込むのは不自然極まりない。私も20年前までは一日30本ほど吸っていたのでタバコを吸う人の気持ちはわかっているつもりだったが、どうみてもヘンな行為だ。


 タバコを吸わないメリット
 ①火事の原因者になる可能性が低くなる。
 ②ライターとか忘れても気にならない。
 ③毎月1万円のお金を他のものにまわすことができる。
 
 
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先人の言葉
2011-04-01-Fri  CATEGORY: 未分類
起床、午前5時30分。天候は晴れ。外気温5度の朝だ。

 毎朝、外気温が1度のペースで上昇しているようだ。

 今日は、久しぶりに入社式。

 わが土木部には2名、建築部に1名、3名の新人が入社してきた。

土木部に入社した二人と私の年齢差は40年。




戦前の物理学者「寺田寅彦博士」の言葉。

 

いやが上にも災害を大きくするように努力しているのはだれあろう、文明人そのものなのである。

 文明が進めば進むほど天然の暴威による災害がその激烈の度を増す。




岩手県宮古市姉吉地区の碑

「高き住居は児孫(じそん)の和楽(わらく) 想(おも)へ惨禍の大津浪(おおつなみ) 此処(ここ)より下に家を建てるな」


石碑の裏面には

「明治二十九年にも昭和八年にも津波は此処まで来て部落は全滅し生存者僅かに前に二人後ろに四人のみ 幾歳経るとも要心あれ」



碑に刻まれた、先人の文字のおかげで、今回の津波では碑まであと50mまで迫ったそうだが、集落は被災しなかったという。




明日は、二人の新入社員へ、少し厳しい事を交えて、話をすることにしている。


 


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