土木建設業に従事していますが、専門分野のことは少なくて、昭和のこと、故郷・徳島のこと、延岡のこと、雑多なことを自分の記録として日記代わりに書いています。St.3bの「がんサバイバー」でもあります。
 日々(いや、気のむくままに)読み書き
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「二つめにかかる」から (その2) 緋のみ旗
2011-05-24-Tue  CATEGORY: 「二つめにかかる」から
 午前5時30分起床。雨天。
 昨日から、梅雨いり。




緋のみ旗

「緋のみ旗」は他家(よそ)の宝になり終えしといふとき老母(はは)は坐りなほしぬ
敦盛の血筋といふを疑わず老母(はは)のなげきは「み旗」に罹る



兄の話によると、父の生家には先祖代々にわたって「平家の赤旗」が伝わっていたのだが、それを、事情があって、東祖谷山に手放すことになったらしい。その旗が、有名な「平家の赤旗」として現在に伝わっているとか。

祖母の勘違いなのか、記憶違いなのか、本当の話なのかは、今となっては「藪の中」でわからないが、私の顔を見たことのない祖母は、そのように信じ、子供らに云っていたらしい。

なぜか、徳島には「平家」にまつわる話が多い。一の谷、屋島、壇ノ浦などの近くに位置しているからかもしれないし、もともと平家は西国との関係性が深い。

祖谷地方は平家の落人の集落といわれるし、剣山の頂上の草原は「平家の馬場」とよばれる。また、頂上の「宝蔵石」には、清盛の孫である安徳天皇の宝剣が埋められていると伝えられている。

鋸の目たてをわれば小屋外に木の芽を萌す雨ふれるおと
上菲生和久保の畑は飯粟(めしあは)をつくりて鶏を放し飼ひせる
刀匠は何人ならむ錆びつきし目釘ぬきつつこころは迅る


そういえば父は日本刀が好きで、よく話をしていた。

無銘なれど(金偏に花)うるはしき大刀ぞ母のみ祖(おや)のかんばせをおもふ



母のみ祖(おや)というと、私の曽祖父母、つまり、ご先祖さまか。

唐黍の飯(いい)を食ふべて金なしと従兄弟はいひて息ふかく吸う
汗にぬれ坂のぼり来し白馬は木につながれて尾を振りやまず
すだれごしにゆれる軒端の反魂灯 母生まれし日がおもはれてならず
かたはらの人はねむたしねむたしと夕立の木に背むけて寝る
青昏き谷を降りて草丘に仰げば嶺は白雲の中


昭和初頭の山中での生活がしのばれるような気がする。



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「二つめにかかる」から (その1)
2011-05-21-Sat  CATEGORY: 「二つめにかかる」から
午前5時50分起床。曇り。外気温23度の朝。日中は晴れ間もさしたが全般的に雨模様。
 
 今日は、経営会議。

 午後から、帰宅して、ひさしぶりに散髪をしてきた。




歌集「二つめにかかる」から(その1)
 
はじめに

机の上に「二つめにかかる」という古い歌集がある。父の唯一の歌集だ。
 二つめにかかる

昭和3年から昭和48年まで、十数年の中断をはさんで、時々に詠んだ歌たちが、忘備録として、あるいは生活の記録として書き連ねられている。戦時中のは「つらすぎる」として載せていない。

貞光町を離れ宮崎の地に移る父のためにと、郷里・貞光町の知人、歌友、友人、多くの方たちのご助力で歌集として出版していただいたうえ、歌碑まで建立していただいたのだ。
あらためて、郷里の皆様の温かいお心遣いに感謝の念がわいてくる。

父が生きてあれば今年は107歳になっている。
私は「短歌」のことなど、皆目、わからない。でも・・・・・
これから、時折、この日記において詠まれた歌のいくつかを紹介してみたい。

「瓜の木」
さゐさゐと山はあかるく瓜の木の肌なめらかに朝をしぐるる
あかぎれに沁みる山畑のひえ土や草を抜きつつおのれいたわる
あたたかきよその布団のことをいひ囲炉裏に老父の薯焙ります
神前に雪の朝を掛けながす詩軸の文字の墨匂うなり
山蔭のひそけさや夜の明けていて阿蘭陀いちごをふるはす霞
み冬めく朝の山の寂けさを松葉噛みつつ歩をゆるめたる
人形をふるさとの蔵に納め置きて鐵をあつかふという娘の便り
竹林のかたへの茶の木凍み枯れて夕ひそびそと氷雨になれり
堅き樹は堅き音しぬ 山越すとつめたき山の樹をたたきつつ
水涸れて川瀬の底の水苔にとどくひかりは春ぞとおもふ



明治39年、四国のチベット、剣山系の山の中、麻植郡木屋平村川上で次男として生まれた。海抜500mの山峡に点在する古り朽ちた草家に生まれ、十五の春からはカンテラやランプを灯した山小屋で寝起きし、草鞋に脚絆、外縫いのいでたちに弁当を袋に入れて背負い木こりとして山中を歩いた父。
 父


県内の木頭村、一宇、東祖谷、板野郡から長野県、岐阜県の山中を転々、木材搬出、土工、炭焼き、伐採などに従事しつつ、徳島毎日新聞の通信記者をやりながら、かたわら短歌をつくりはじめた。

 その初期の歌が、上に詠まれた歌だと思う。


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人の記憶。
2011-05-19-Thu  CATEGORY: たわいのない話。
午前5時30分起床。天候晴れ。外気温15度の朝。午後からは気温が上がり28度ぐらいになった。




人の記憶というのは、いったい、いつ頃まで遡ることができるのだろう。

小学校へ入学したときの満開の桜と連れて行ってくれたお隣の香川のおばさんの着飾つた和服とお顔を思い出すことができるし、幼稚園の部屋で石炭を投げ合ってガラスを壊したり、大本くんの目に砂をかけて怒られて物置に閉じ込められた罰も記憶にある。
せいぜい6歳ぐらいまででそれより昔は忘れていると思っていた。

しかし、二歳の頃の記憶もかすかにある。印象的な風景は残っているらしい。

と、いうのは、父が連れていってくれた新聞記者時代の勤務先だ。会社の窓から見た、大きな鉄の船の姿をいまも覚えているし、事務所の雰囲気もなんとなく残っている。

Webで調べてみると、父が勤めていた「徳島民報」は、昭和29年の10月に、現在の徳島新聞に吸収合併されて解散となっているので、私は、二歳の頃の記憶が、ぼんやりと脳に刻印されていることがわかる。

はじめて覚えた歌謡曲は「若いおまわりさん」「船方さんよ」あたりだと思う。前者は昭和31年。後者は昭和32年。
歌は4歳の頃を記憶しているようだ。

結構、昔のことを覚えているものだ。



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国歌。時事ネタ。
2011-05-18-Wed  CATEGORY: 未分類
 午前5時30分起床。天候は晴れ。外気温16度の朝。



あまり時事のことは書かないようにしているが、大阪府知事が、国歌斉唱時に起立しない職員は懲戒免職だと云ったとか、云わないとかには、おどろいた。

私は、これを聞いて、釈然としなかった。

なんで釈然としないのか説明はできないが、内田樹さんが明快にブログに書かれていた

 以前、私の子供の水泳の応援に行くと、君が代演奏とともに国旗掲揚があった。誰いうともなくプールサイドは起立した人ばかりになった。私は、国歌演奏が終わるまでは帽子を取った。これは、自然にそうなってしまうものである。

 しかし、起立しなかったからといって、懲戒処分を加えるなど、あまりだと思う。

 こういう問題は、イソップ童話の「太陽と風」にあるように、力づくで抑えこむのではなく、太陽の温かい光みたいなものでないと、根本的な解決にはならないと思う。




しかし、いつから「国旗」と「国歌」が妙な具合になってきたのだろう。

 少なくとも、私の子供時代は、そうではなかった。

 祝日のことを「旗日」と呼びならわしていたぐらい、祝日の国旗掲揚は普通だった。裕福な家庭も、我が家のような貧乏世帯の家でも「旗日」には日の丸をあげていた。

 「国歌」もそうだ。学校にいくと、始業式、終業式など、なにかイベントがあるときは必ず国旗とともに「君が代」が斉唱されていた。
それが、だんだんと、自分たちの周囲には国旗も国歌も少なくなってきているように思える。国旗が翻るのは、思想的に尖鋭的な方々や、そして「オリンピック」だけのような気がする。


 当時の人たちは、そんなに国旗や国歌を疎んでいたのだろうか。当時の「小児としての目線」で思いおこすと、そういう人たちは、あまり居なかったように思う。強制されて「掲揚していた」ということもないし「押し付けられて君が代を歌っていた」ということもない。

「国旗や国歌」は、戦争の旗印になったので疎んじるようになった、という考え方があるが、当時は、今よりも「戦争」の記憶は、もっと身近に、残っていたと思う。それでも、堂々と掲揚したり、堂々と歌った。

近頃は、役所や公的機関で、毎日、国旗が掲揚されているようで、それはそれでいいことだと思う。

・・・と、いいつつ、私の家でも「国旗」を掲揚していないし「国旗」そのものが家にあるのか、家人に聞いてみて、もし、あったら旗日には掲揚してみたいものだ。

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土間
2011-05-17-Tue  CATEGORY: 未分類
午前5時35分起床。天候は晴れ。外気温16度の朝。

 今日は、宮崎支店と支店の現場で、労働安全衛生、環境、品質システムの内部監査に行ってきた。

 久しぶりの監査。ふーっである。




今は、土間のある家屋はあまりみない。

 私の生まれ育った家にも、狭いながら土間があった。いや、ほとんどの家にも、土間があった。

 当時は、土間について何も思わなかったが、今になってみると、土間はいいなあと思える。

 もし、新築するのなら、土間のある家が好ましい。

 そして、ついでに、掘りごたつや地下蔵でもあれば、御の字だ。

 マンションよりも一戸建てが優れている点は、地面(土)の存在だ。人は、生き物は、空気や水と同じように、生きていくためには、地面(土)が必要だ。(・・と思う。)

列島の先住民の家屋、竪穴式住居は、もろに地面だった。人は地面なしには生きられない。

家屋の中に、土の地面があるなんて、わくわくするではないか。

外を外界、家屋を内界とすれば、「土間」は、内界でも外界でもない、そういう中間の空間があるとほっとするような気がする。





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2011-05-15-Sun  CATEGORY: 未分類
 午前6時30分起床。晴天。

 午前中は、小学校の奉仕作業に参加して汗をかいた。
 25,6年前に、一回だけ参加した記憶がある。今回は、溝の蓋をあけて浚渫をした。

ひなたと母親は宮崎に遊びに行ったので、私たちは、大分方面へ。
 特に目的はなかったが、映画でもみるかと「岳」という山岳救助の映画を観てきた。

 


 父の歌集がある。
 「二つめにかかる」というのだ。
 徳島の郷里の皆様のお力で出していただいた、父の唯一の歌集だ。

 落ち着いて、読んでみると、父の若かりし頃のことなどが歌で表されている。

 当時の生活の様子が、なんとなく、想像できる。

 なかなか、いい。




 

 
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感じたこと。
2011-05-14-Sat  CATEGORY: 未分類
午前6時すぎ起床。天候晴れ。
 
 今日は、一日、休んだ。

 明日は、小学校の奉仕作業に行くことにしている。




今日「坂の上の雲 五 」を読んでいた。

 (乃木は専門家に呑まれちょったんじゃ)・・という児玉源太郎の言葉が出てくる。

     専門家について、さらに云う。

 彼らの思考範囲が、いかに狭いかを、児玉は痛感していた。

 「諸君はきのうの専門家であるかもしれん。しかし、あすの専門家ではない」

 専門知識というのは、ゆらい保守的なものであった。


 専門家。

 私も、専門家の端くれに位置しているのだと思う。

 私も「専門家」として意見を述べるときには、上(↑)で児玉源太郎(司馬遼太郎)が、思っているようなことを自覚しつつ、
「いや、それは出来ない」とか「あまり、よくない」と云うことがある。

 本当のところは、やってみないとわからないのに、わかったふうな事を云う。

 そういうことを同時に意識しつつ、話しているつもりではある。


 何を、優先するのか。どうしたいのか。

 目的、目標をきちんと決めて、対応していく原則だけは、こころしていかないといけない、そう思う。



 

 
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夏日。
2011-05-10-Tue  CATEGORY: 未分類
 午前5時35分起床。天候は晴れ。外気温23度の朝。

 今日は、むし暑くて、外気温は33度まで上昇した。

 今も、暑い。夏の格好をしている。
温度

 


今年の春、久しぶりに花粉症の症状が出た。でも、夕方には、よくなった。
 爽健美茶を飲んだからかもしれないと思った。

 元々、爽健美茶とか十六茶みたいな複雑な味わいは好きではない。自ら購入してまでは飲むことはなかった。
 にも関わらず、飲んだのは、車中で、喉が乾いていて、ほかに飲むものがみあたらなかったためである。

そのあと、不思議なことに、目のかゆみは治まり、鼻水はなくなり、よくなったのだ。

爽健美茶の成分の何かが作用しているのかもしれない、と。


第三者にそのことを話すと「それは、気のせい」という。

同感であるし、「気のせい」で結構だ。

 私の花粉症の症状が緩和されるのなら「気のせい」でもなんでもいいのである。

 昔、少年サンデーに連載されていた「大空のちかい」という戦争漫画で、加藤隼戦闘隊に所属する主人公が、腹痛を起こした現地人に、薬の持ち合わせがなかったので、歯磨き粉を服用させて治したことが書かれていた。

 それを読んで「ふーん、そうなのか」と納得した記憶がある。

 これは効く、と本人が信じたら、気のせいだろうと、鼻くそ万金丹だろうと、それはそれでいいのである。

 花粉症専門ドクターから処方される合成薬よりも「いい」に決まっている。

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世々の道にそむかざる事。
2011-05-09-Mon  CATEGORY: 災害
 午前5時35分起床。晴れ。外気温20度の朝。

 


これからの宅地は、地形なりに街をつくる、コンターライン・シティが望ましいといわれている。
コンターラインとは五万分の一の地図などに描かれている「等高線」のことをいう。つまり、等高線に逆らわないで無理をしないで現地に合わせて造る、という意味合いだ。

 山地を走る道路、以前は、コンターラインに沿って設計し、施工していたので、くねくねとカーブが連続し道路勾配もきつかった。それは、多分、工事費を抑えるだけでなく、今みたいな機械力がなかったので、当時の施工能力にあわせていたという一面もあるかもしれない。

 しかし、今や、違う。
 建設機械の能力や関連する土木施工技術の向上により、コンターラインのことは、あまり考えないで、真っ直ぐで幅員の広い高規格道路がどーんと山の中に造られている。

 一方、林道工事などは、今もコンターラインに沿って造られている道が多い。幅員4~5m、切土面の勾配はそびえるような急傾斜で造られている。一般的にいえば、こういう設計は、自然災害には不利だし、いつ崩れてもおかしくないように見える。
 しかし、以外と壊れていない。

 元々の自然地形を生かしながら造られているからだと思う。
 
 ここまでくると、高校生の頃読んだ、吉川英治の宮本武蔵、「法典ケ原」まで話は飛んでしまう。(この段は、なぜか、妙に、記憶している)

 武蔵は養子の伊織と二人で法典ケ原の荒地を開墾する。今まで相手を倒すだけの剣の修業の方向性を換える。自ら鍬をふるい、あわせて世の中に役立つ(開墾、治水)公共工事に、剣先を向けたのである。
来る日も来る日も、出水による被害を受けないように懸命に努力し、やがて完成を迎えた。しかし、達成感にひたる暇もなく、一夜の豪雨により、一帯は元の木阿弥、瓦礫地帯になってしまった。

そこで、武蔵(吉川英治)は云う。

 

「きょうまでおれは、土や水に対して、おこがましくも、政治をする気で、自分の経策に依って、水をうごかし、土を拓こうとしていた」
「・・・・間違いだった! 水には水の性格がある。土には土の本則がある。――その物質と性格に、素直に従いて、おれは水の従僕、土の保護者であればいいのだ。


 
 【世々の道にそむかざる事】

・・・・・と悟った。・・というのである。

 今は、建設技術の高度化、建設機械の大型、高機能化などで、施工技術は格段の進歩を遂げているが、今回の東日本震災をみると、いくら技術が向上していても、所詮は「人為」であり、基本は「法典ケ原」なのだろう。

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貞光町 うる覚えの記。 石橋。
2011-05-08-Sun  CATEGORY: 貞光町
 午前6時起床。単行は晴れ。

 今日は日曜日。
 ひなたは、近くの海まで同級生と同級生の祖父に連れられて行った。
 昼過ぎに帰宅して「ボク、釣った、釣った・・・」と興奮しながら釣果をみせてくれた。
 アジかイワシか知らないが20センチぐらいの魚が三匹釣れていた。

 私は、魚釣りは全くやらないので、ひなたに魚釣りだけは教えることができない。

 ひなたは興奮気味に、そのまま同級生の家に遊びに行っている。




貞光の家の前には小さな谷川が流れていた。
 貞光 谷

 西の山から街中をくねくねと東進し貞光川に合流した。
 僕たちは谷川に降りて遊んだ。谷の石垣をよじ登ったり、水に濡れないように飛んで歩いたりした。時には、はい縄の餌にするための蛭を採取したりした。谷に溜まった土砂を棒でほじくると蛭が取れた。当時は、汚いところと思っていたが、蛭はきれいな環境にしか生きられないらしく、当時の谷川は、清流だったようである。

 小学校の六年生ぐらいになると、山から竹を切りだしてきて、棒高跳びならぬ棒幅跳びで対岸に飛び渡ったりして遊んだ。

 中学生のときなどは、深夜、外から聞こえてくる人のうなり声で出たら、近所のお婆さんが谷に落ちて上がれず助けを求めているのを発見し、父と二人で助け上げて、父が背負って病院まで運んだこともある。

 昔は、谷の上には大きな自然石の版が二枚掛け渡されていた。それが橋であった。
 橋は、すぐ上流に木製の橋も架けられていた。これは、谷向かいの宅地からこっちの宅地に渡る橋で、ひょっとしたら私橋かもしれない。これは、気がつかない間になくなってしまった。

 何歳ぐらいのことか覚えていないが、谷の護岸工事がはじまった。
コンクリートミキサーや砂利、砂が積み上げられ、正月が来たような感じで、大勢の人がたち働いているのを見て、子供ごころにわくわくして、毎日、変化していく谷の工事を眺めていた。

私が「土木屋」を目指したのは長兄の影響も大きいが、幼い目で眺めた工事も影響しているかもしれない。

空石積みの護岸は自然石とコンクリートで固められた。その工事のおりに石橋の替りにコンクリート床版が架けられた。撤去された石橋は、持っていく場所がなかったのか、我が家の庭の一隅に仮置きされた。(母は、置かしてあげてる、と云っていた。)

 この石は、広くて、頑丈で、すべすべして、頼もしくて、腰をおろすのに丁度いい高さだった。子供たちの遊ぶ「べった(めんこ)」や「ラムネ(ビー玉)」のステージになったり、道を通る人の一服する場所となったりで風景の中に溶けんでいた。

 写真の人は「私」ではない。
 石


 石との別離は突然にやってきた。私たち一家が、貞光を離れる数年前に、近くのK病院が新しく増新築することになり、ご自宅の庭に「石」をと懇願されたのだ。
 池なら2枚でなく一枚と思っていたら、学校から帰ってきたら二枚ともなくなっていた。

 個人の庭に移転されてしまうと、もう、二度と目に触れなくなる。なんとなく物悲しい気持ちがした。
 
 多分、今も、その庭にあるのだろうなあ。

 
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ひなたの質問の答え
2011-05-06-Fri  CATEGORY: 未分類
 午前5時35分起床。曇り。昼過ぎから雨。

 
 


この頃のひなたは、即答しにくいよう質問を投げかけてくることがある。

 先日は、散歩の途中、突然、ひなたが「日本でいちばんえらい人は誰 ? 」と聞いてきた。
 
 咄嗟には答えが思いつかなく、ちょっと考えてから「天皇陛下と皇后陛下だろう」
「やはり、日本でいちばんえらいというと、あの方達だ」と言った。
 
 「じゃ、学校でいちばん偉い人は?」と重ねて聞いてきた。

 「ひなたは、どう思う? 」と聞き返した。

 懸命に考えている様子だったが、答えはなかった。

 私は「学校でいちばんえらいといえば、毎朝、校門の前で、おはようございます、と挨拶してくれる校長先生じゃろ」

ひなたは「うん」と言った。

「でも、ひなたにとっては、やっぱ、担任の先生だろう」と答えた。

 「じいちゃんは、担任の先生がいちばんえらいと思う。そう、担任の先生がいちばんえらい。だから、先生の言うことは、よーく、聞いたほうがいいよ」と言った。

 いい、悪い。えらい、えらくない。好き、嫌い・・・・・・・。

 こういったことは、おおかたのところ、相手側の問題ではなく、受け取り側であるこちらの問題ではあることが多い。

 こちら側から肯定的かつ積極的に「あの方は、いい人だ。信頼に足るべき人物だ」と評価し、思い込むことが、大切なことだと思う。
 アバタもえくぼ的に信頼することにより、こちら側も気持ちがいいし、すべてが前向きにとらえることができると思う。

 そのように思い込めるということは、子供にとっても先生にとっても、幸せなことだと思う。これからの子供(ひなた)にとって、そういう出会いやきっかけが多ければ多いほど、前向きに進んでいくことができると思う。

 
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題名なし。
2011-05-05-Thu  CATEGORY: 未分類
天候くもり。

 今年の連休は、ずっと、ひなたと一緒だった。
 5月1日には、満七歳の誕生祝をした。もう、七歳。私も、年をとるはずだ。

 近くの公園。大分の遊園地。山の中・で、遊んだ。
 おかげで、私自身も、気分がやわらいだ。

 今日は、母親が休みなので、母親と一緒だ。




先日の「朝日」に、盛土宅地、地すべり集中という見出しで、東日本大震災における、丘陵地の造成宅地の地すべりのことが書かれていた。
 その中に、同様の大規模造成地は全国に一千箇所以上あると見られるものの、対策が遅れている、という記事が目についた。

 これは「大規模な造成地」であり、大規模の定義が何ヘクタール以上なのかは知らないが、中小規模の宅地まで広げると、どのくらいになるのだろう、おそらく、無数にあるのだろうと思う。

 私が、この仕事に就いた頃は、盛土宅地など、たいした問題ではなかった。
 もっと昔は、宅地造成の規制もなく、技術基準も示されないまま、無造作に、宅地が開発され、地震や台風に遭遇してきても、たまたま、今まで無傷の、旧い宅地も多く残されている。
 
 しかし、宮城県沖地震、阪神淡路大震災、中越地震などの結果から「盛土はヤバい」ということがわかりはじめ、ほぼ、手付かずのまま今に至っている。

 これから、新しく宅地を求める場合は、専門家に相談するなり、自分で得心のいくまで、調べるなどが必要と思う。

 より安全な宅地というのは、大雑把にいえば、縄文海進時にも、陸地だったようなところがいいように思える。

 
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