土木建設業に従事していますが、専門分野のことは少なくて、昭和のこと、故郷・徳島のこと、延岡のこと、雑多なことを自分の記録として日記代わりに書いています。St.3bの「がんサバイバー」でもあります。
 日々(いや、気のむくままに)読み書き
台風一過
2011-09-21-Wed  CATEGORY: 未分類
 台風一過の朝。(9/21の朝)
 虹


 二三日、雨が降り続いた。昨日は、豪雨だった。
 久しぶりに、河川巡視、道路巡視、鉄道災害の復旧などで一日が暮れた。

 6年前の台風のあとの激甚災害事業のおかげもあるのか、大きな災害はなかった。

 台風がいっきに「秋」を引き連れてきたようで肌寒かった。




 久しぶりにとれた河川工事の現場を見に行った。

 足を滑らすと、背が立たない深い箇所も見受けられる。

「泳ぎの苦手な者は川に近寄らないことや、救命胴衣を必ず着けるようにしないと・・」などという会話になった。




 40年ぐらい昔、小雪の舞い散る吉野川に飛び込んだことを思い出した。

 大歩危の近くで河川測量をしていたときのことだ。あの辺りは、両岸が岸壁になっていて、私は、対岸の崖にしがみついて、簡単な横断測量をしていた。そのとき、ちょっと下をむいたときに、胸のポケットから野帳が滑るように飛び出し、足下の淵に落ち、ゆっくりと流れていった。

 野帳を紛失すると、今まで数日間の仕事がフイになってしまう。

 あとさき考えず、安全靴を履いたまま、眼下に流れる吉野川に足から飛び込んだ。

ズボーン!!

 手足を必死に動かしながら寒さも忘れ、流れていく野帳に追いつき確保して岸に上がった。
同僚から引っ張り上げてもらった途端、急に、寒さが押し寄せて全身が震え始めた。

 すぐにライトバンの中に入り、下着だけになり、ヒーターをフルにして躰を温めた。そのあとは、寒さで仕事にならないので切り上げて帰社した。

 なんとか、数日間の仕事はフイにならなかった。


 小さい頃から、貞光川の水浴びで鍛えられていたからこそ、厳寒の吉野川に安全靴、ジャンバー姿で飛び込んでも溺れなかったのだと思う。

今、同じことはできないだろう。年寄りの冷や水。


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ひなたとの会話から
2011-09-17-Sat  CATEGORY: 未分類
台風5号の「ハンマー投げ効果」という現象で、昨日、今日と強い雨が降り続いている。

 各地の雨量、河川水位、雨雲レーダー、降雨予想などを見ている。






先日のひなたとの会話

 ひなたが、HDDに録画している、アラジンが主人公のディズニーアニメを観ていた。

 このところ、ひなた、お気に入りのアニメだ。



「ひなた、風呂に入るぞ」

「待ってよ。僕、見よっとよ」と不満そうな声。

「そんなの一時停止してあとから観ればいいじゃん」

「先のことはわからん」

「どちらかというと、じいちゃんのほうが先はわからんぞ。ひなたより歳をとっているから、じいちゃんのほうが先は短いぞ。ほらほら、早く、入るぞ」




「ねえ、ねえ、じーちゃん」

「何?」

「もし、じーちゃんが死んだら、僕にお手紙書いて」

「えー、そんなことできるじゃろか」

「できるよ。ゾロリのママも、天国でそうしているよ」

「うーん、あれはお話だからなあ。まあ、できたら、そうするよ」

「うん、約束ね」

「はい、はい。さ、風呂に行くぞ」

「うん」

  ついつい、むずかしい約束をしてしまった・・・・・・。


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スダチのこと
2011-09-13-Tue  CATEGORY: 食べ物
 連日、ちょっとした雨が降ったりやんだりしている。今朝もそうだった。すぐに青空が広がったと思うと小雨。




スダチのこと

「すだち」の語源は、酢橘(すたちばな)から来ていると、司馬遼太郎か何かの本で読んだことがある。

 その「スダチ」が、38年前にお世話になっていた会社(四国ボーリング工業/脇町)の社長から、沢山送られてきた。社内におすそわけしてから、自宅に持ち帰った。


 今朝は、納豆と味噌汁にすだちをしぼった。納豆は、甘みが増す。
食卓は「徳島の秋」になった。

 今は、どうなのかしらないが、私が居た頃は、同郷の人たちの多くが、何でもかんでもスダチほ絞って食べていた印象がある。

 ソーメン、さんま、うどん、ラーメン、漬物、ほかいろいろ。飲食物すべてが「スダチ」をかける対象だったみたいだ。




 山川町の上流部、美郷村に測量に出かけると、山の畑は「すだち」ばかりであった。すだちのトゲが刺さらないように腰をかがめて仕事をした。

 [すだち]を取ることはなかったが、山の畑で測量をしていると、梨、柿、栗、みかんなどに出くわすことが多い。黙って取っても怒られはしなかった。

 しかし、たった一つのルールがあった。

 それは「その場で食べる」である。


「その場で食べる」
これは、最低限の決め事で、野外で仕事する者たちの暗黙のルールだったのかもしれない。ちぎって袋に入れたり、ポケットに大量に詰め込む行為は、泥棒と同じで自他共に許されなかった。
地元の人たちも「取ってもかんまんでよ(取ってもいいですよ)」と声をかけてくれた。
でも「その場で食べる」という決まり事を破ることはなかった。

 追記:
BSプレミアム 9月14日(水) 午後9:00~9:44、明日の夜だ。
ドイツのハイデルベルグ紀行が放送される。
ハイデルベルグ、実は、ヨーロッパに長年留学していた貞光町出身の先輩が「僕の思い込みかもしれませんが、貞光町は、ハイデルベルグに似ている」とおっしゃられたのを思い出したのだ。
ハイデルベルグは、ふるさとの山河のイメージに似ているのだろう。

似ていると思うのか、そうでもないと思うのか、これは見ないとわからない。

録画しておいて、あとから、ゆっくり見ようと決めた。
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炭鉱 その1
2011-09-12-Mon  CATEGORY: 「二つめにかかる」から

 今朝は、弱い雨が降っていた。




父は、戦時中、報国隊の隊長として、北九州の炭鉱で石炭を掘っていたことがある。
 そのときのことが詠われている。


 

報告隊長の肩書きをもち 人率い 着きたる炭山(やま)は雪降りており

 掘進・採炭・充填のうちの炭壁を掘り崩す採炭を我が隊は採る

 永遠にぬばたまの闇の底にライトを消して坐りてみたる

 掌(てのひら)に 地底の羽虫這わすとき 遠ゐる吾が子が幻に出づ

 レンバーの震動むしろ快し炭層ふかくわがノミは入る

 レンバーをひたと躰につけノミ先を凝視(みつ)むる原田金助 鍾馗のごとし
 
 掘り貫きし 巌の窄(せま)き坑道をくぐりゆくとき風吹きやまず

 通風のとびら 踵を撃つごとくばたん!と閉づる あとのひそけさ

 天井の重圧徐々に加わるや生松の梁ぱりぱりと裂く

 落盤の音も聞き馴れ一心に炭掘りくづす 炭掘りくづす



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停電
2011-09-08-Thu  CATEGORY: 昭和の話
午前5時20分起床。

 
 節電とか省エネが叫ばれている。

 子供の頃は、ちょいちょい停電があった。停電の原因は「台風」だけでなく、何でもないような日にもあった。
その頃の各家庭には、停電を見込んで「ランプ」や「ろうそく」が備えられていた。

 ちゃぶ台の真ん中に百目ローソクを灯して、家族で食卓を囲むのも、普段の日には経験できないことで、わくわくして面白かった。

 当時も、電気エネルギーに依存した生活を過ごしていたと思うが、依存度が今よりもずっと低かった。

 たまには、停電になり、ロウソクの灯火の下で一家団欒の食事をとるのも乙でいい。

 暑くて眠れない夏の夜は、団扇を片手に川べりに夕涼みにいくのも悪くない。


 6年前の台風で被災したときは、停電が数日間続いたが、水道の水は断水もなくて利用できた。

 大きな不便は感じなかった。

 そのときは、電気 < 水 だな、と思った。




 
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大人
2011-09-07-Wed  CATEGORY: 未分類
肌寒い朝だった。

明け方、夏用の掛け布団を探して、ひなたと家人にかけた。私のは、どこかにあると思うものの、探すのが面倒くさいので、そのまま、丸くなって二度寝した。

しかし、台風12号。平成、最悪の台風だといわれている。死者行方不明者あわせて100名を越えた。
紀伊半島の災害は深刻だ。日本有数の多雨地帯、豪雨地帯。
「なぜ」という疑問と同時に「だからなのか」という思いもある。

  想定外。

人智や、経験では測ることのできない、豪雨だったのだろう。こういう「想定外」は、どこにいても、明日は我が身なのだろうと思う。

今も、列島のはるか南の海上には、次の熱低、そして台風になりそうな雲の塊が衛星写真にとにえられている。




夜、孫のひなたとシャワーを浴びていたら、ひなたが質問する。

「ねえねえ、じーちゃん。いつ、年寄りになったの?」

「まだ、年寄りにはなってない」

「じゃ、いつ、大人になったの?」

「・・・・・法律的には20歳だけれど・・」

 あとが続かない。

 大人の定義とは何なのか。

 自分の場合、大人になったのは20歳ではなかったことだけは間違いない。

 今も、大人かと問われると、大人ではないときがあるように思える。


 自分が、大人に近くなったのは、多分、30代後半のようだ。


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59年目、そして38年目。
2011-09-06-Tue  CATEGORY: 未分類
秋の到来を実感できるような涼しい朝だ。

 耳をすませても蝉の鳴く声もわずかに聞こえてくるぐらいだ。そういえば、今年は蝉の声が例年よりも少なめだったような気がする。未だ、ツクツクボウシも聞こえてこない。

紀伊半島では台風12号により千年に一度みたいな大雨が降り甚大な被害をもたらせた。東日本震災に続き今回の災害。つくづく自然災害の多い国土だと再認識させられてしまう。



私はというと先日の9月3日が50代最後の誕生日であると同時に、住み慣れた徳島県貞光町から延岡に越してきた日でもある。

 38年前の9月3日の夜、免許取り立ての自分は、徳島県からファミリア1200クーペに乗り、高知県宿毛からフェリーで渡り、疲労困憊状態で延岡にたどり着いたのだ。
 
 

 とうの昔に、貞光で暮らした時間を追い抜き、延岡での時間のほうがはるかに長くなっている。それでも、原点は、徳島であり、貞光だと思っているところがあって、高校野球でも、どちらかというと宮崎県代表よりも徳島県代表を応援しているし、ラグビーなら、必ずといっていいぐらい一回戦で敗退する母校の貞光工業高校に声援をおくっている。

 もちろん、終の棲家は、家族の居る、長年住み暮らしてきた「ここ」である。でも、気持ちの一部は「貞光」にもある。未練たらしいように思えないでもないが、そうなのだから、仕方ない。

 38年目を迎えて・・


 私は今日まで生きてきました。
   ・・・・・略・・・・・・・
 そして、今、私は思っています。
 明日からもこうして生きて行くだろうと

 
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