今朝も、冷たい朝だ。こう、冷たいと、手足足先が痛む。いまだ、頭の芯も重たい。思考能力まで衰えてはいないようだが、ぼーっと感はなくならない。せめて、はやく、暖かくなってほしいなあと願う。
ゼローダを毎朝、毎夕7錠ずつ服用しているが、飲むたびに「これ、飲んでいいのか」「飲みたくないなあ」「しかし、服用しないといけないのだろうなあ」「ま、飲んでおくか」という葛藤みたいなものが生じ、最終的には、医師のすすめるままに、言うことをきいて服用している。
この「ふらふら感覚」「頭の重さ」の感覚、なにに例えればいいのかと思っていたら、ふと、酔っ払った状態に似ているのに気づいた。単なる、酔っ払いと違うのは、テンションが高いわけでもないし、理性と感情のバランスが崩れていたり、我を忘れたりするようなことはない。あえていえば「乗り物酔い」のようにもある。
私は、生来の「いやしごろ」のおかげか、食欲だけは旺盛である。食欲減退も副作用のひとつだがそれがない。
食欲旺盛といっても、自由気ままに食べられるわけでもなく、食べたいもの、食べる量を自制しているが、もし、制約を解いたら、なんでもかんでもバクバク食べるであろう。
夕方、突然の来訪があった。
会社に、さとっちゃん夫婦がたずねてきた。土曜日に鹿児島県志布志にフェリーで着いて、鹿屋、知覧をたずねて阿蘇から高千穂を通って、延岡に来たという。そして、今日、大分からフェリーで帰るという。
ただ、お前の顔がみたかった、という。
さとっちゃんも奥さんも私も、同じ小学校で机を並べた同級生で、対面するのは、四五十年ぶりである。奥さんのほうは、小学校時代と顔はちがっていたが、あいかわらずきれいな人であった。さとっちゃんは、学生時代から今の奥さんに目をつけていて、大学を出てから、いち早く、かっさらったのだ。
今も、明るく、さとっちゃんを支えている様子に、ここも「いい夫婦だなあ」と思った。
さとっちゃんの顔は、さとっちゃんのお袋に似ていて、しかも、当時そのまま年を重ねた、という感じであった。
二、三十分の「束の間」の間、立ち話をしたが、つもる話は、二三十分ではとても足りない。
今年か、来年か、とにかく近いうちに、ゆっくり再会することを約して、彼らは、疾風のように現れて疾風のように去っていってしまった。
昨日は、3時過ぎから早退した。しろくじちゅう、めまいに襲われているようで、帰宅したのだ。
抗がん剤の治療は、私の場合は予防的な治療なので、癌細胞が縮んだとか、消失したというような成果はわからない。定期健診で5年以内に再発しなければ「ほぼ完治」ということになる。
ひなたが、朝刊を読んでいる私のそばに来て「じーちゃん。春がきたよ。だって、鶯の鳴き声が聞こえたきたもん。」という。
そうか、うぐいすの初音か。
「ふーん、ほーほけきょと鳴いていた?」
「うん」
高校野球、鳴門が一回戦を勝利した。いい、試合だった。ヒット数は洲本高校が多かったが、少ないチャンスをものにして10回裏に逆転で勝った。

今年も、正月には長兄の家に年始挨拶に行った。距離にして90kぐらいしか離れてないのに、兄と会って話をするのは、盆と正月の2回ぐらいだ。
そのときに感じたことだが、故郷を離れて40年近くにもなるというのに、いまだに故郷を忘れられない自分がいる。長兄も同様に18歳で家を出たまま55年間経過しているにも関わらず、高校野球は宮崎よりも、徳島県代表を応援するという。
こうして、故郷を引きずりながら生きている。こういう心情は時間の経過とは無関係なのかなと思う。
高校野球、ラグビーなどの全国大会で真っ先に応援するのは徳島県内の高校であり、ラグビーは貞光工業高校である。
そして、時折、つるぎ町やつるぎ町近辺にお住まいの方たちのブログや「西阿波情報」を拝見させてもらいながら故郷の変遷を県外から見ている。
こうして、離れたところから、遠い故郷をいくつしむことが出来るのは、恵まれている。
三つ子の魂というものがあるとしたら、私も長兄も「根本のところ」は故郷で育まれてきた。
終の棲家は今居る場所であり、貞光町は二度と再び暮らしていく場所ではないけれど「ふるさと」と呼べる場所は貞光町でしかない。
今年の選抜は「鳴門高校」が出場する。
今の状態は、免疫力低下しているので、以前のようにはできない。
いたんぽ
イタドリのことを貞光では「いたんぽ」とよんでいた。ちなみに、宮崎県北では「さど」とよばれている。
これを、あちこち、よく取りに行った。
「いたんぽ」は皮をむいて、そのまま食べたり塩をつけて食したりした。酸っぱくて、そんなおいしいものでもなかったが、今みたいに食べ物が豊富ではなかった当時は、子供にとっては、重要な食べ物であった。
イタドリをWikで調べてみると、外来種だとか。
以前、徳島に行ったとき吉野川SAの売店で袋に入れた「いたんぽ」を売っていた。

おお、今も、普通に、このあたりでは食べているのだなあ。
3/16/2012(金)雨。
朝の外気温9℃。
通勤途上にこぶしの花の蕾が白く点々と咲いているのを見た。まだ、朝や夜間は温風ヒーターが恋しいけれど、そんなことおかまいなしに「春」は少しずつ近寄ってきている。
季節は巡る。春夏秋冬春夏秋冬・・・・。
私自身を、季節に例えれば、秋にさしかかった頃なのだろう。
秋というと、実りの秋、読書の秋、食欲の秋、スポーツの秋、芸術の秋・・。
夏ほど暑くなく、冬ほど寒くない。
五行でいえば、秋は「白」「西」「金」。五臓でいえば「肺」。五腑でいうと「大腸」。
ひなたが友人とWiiでスーパーマリオなるゲームに熱中しているのを見ていて気づいたことがある。
自分たちの子供の頃の遊びとシンクロするところがあるなあ、と。
もちろん、こういうTVゲームは無かったが、自分たちは、スーパーマリオみたいな時間を、汗をかいたり、怪我したり、服を汚しながら楽しんでいたのだ。
チャンバラ、撃ち合い、コマ回し、鬼ごっこ、かくれんぼ、秘密基地作り、石のぶつけ合い、水浴び、缶蹴り、竹馬、ラムネ(ビー玉)、べった(めんこ)、相撲、喧嘩・・・。
こういった子供の遊びの基本は、今も昔も同じなのかもしれないと思った。
違うのは、バーチャル度100%がひなたたち現代の遊びとすれば、自分らの子供のころは、バーチャル度がもっと低かったことだけだと思う。
WilやDSなど現代の遊びは、少子化、利便性、技術の発達、車社会・・そういうめまぐるしい環境の変化のなかでは仕方ないことのようにも思える。
とはいうものの、休みの日などに、子供たちを外に連れ出すと、鎖から外された子犬のように、走りまわって遊んでいる。
本当は、外で走り回る、それが子供なのだと改めて思う。
ただ、バーチャルだろうと、そうでなかろうと、当時も今も、子供は、こういう遊び(学び)をしながら、成長していくのだと思った。