土木建設業に従事していますが、専門分野のことは少なくて、昭和のこと、故郷・徳島のこと、延岡のこと、雑多なことを自分の記録として日記代わりに書いています。St.3bの「がんサバイバー」でもあります。
 日々(いや、気のむくままに)読み書き
母の味ほか
2012-12-20-Thu  CATEGORY: 食べ物
 今朝の外気温は0度。寒いはずである。


 協力会社さんたちも招いてのBCP(事業継続計画)セミナーを企画し、この前、ほぼ一日がかりでやった。

専門講師の発言に「なるほど」と共感。

このように云った。「BCPで最も重要なことは自分が被災しないことです」

当たり前かもしれないが、たしかに、自分や自分の家族、自分の家が被災し大変な状態になっていたら、こころおきなく災害時の出動や復旧作業に出ていくのは難しくBCPの実施は困難だ。

 社屋が壊れたり、現場に被害が及んだりしたら、BCPもあったもんじゃない。

 各自が被災しないこと、現実には難しいかもしれないが、これがいちばん大切、なるほどと思った。





母の味。

 乳母日傘(おんばひがさ)で幼少時代を過ごした母は、父と結婚した頃、ご飯の炊き方も茶碗へのよそいかたも知らなかったという。

 そんな母の料理のレパトーリーは少なかった。もっとも、当時の赤貧洗うが如しの環境のなかでは、物理的に広げられることはできなかったのだろう。

 でも、得意料理はあった。母の味である。
 五目寿司。だんご汁。魚寿司。蒸しだんご。カレーライスなどである。
 五目寿司をつくるときなどは、母の隣に座り、すし飯をつくるはなから、母から「だめっ」と叱られながらも横から手を伸ばして食べていたものだ。

 母のカレーライスは、肉が入ることはあまりなかった。肉の代りは魚肉ソーセージだ。当時は、牛肉も豚肉も高くて、庶民は簡単には買えなかった。


 還暦を過ぎた今も、家人のこさえる五目寿司、だんご汁、団子、カレーライスなど大好物である。
子供の頃の好物は、歳を重ねるほど子供の舌に似かよってくるのにちがいない。
家人にリクエストして、近いうちに魚肉ソーセージ入りのカレーライスをつくってもらおう、そう思っている。


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美馬町のことなど。
2012-12-12-Wed  CATEGORY: 貞光町

 今朝も外気温は0℃であった高千穂はマイナス4.6℃とか。

 寒いはずだ。




貞光町だけでなく、美馬町のことなど。


 子供の頃「きたじ(美馬町)」では和傘が作られていた。大川(吉野川)の川原に沢山並べられていた風景を思い出す。

  こんなイメージ

 和傘


 
 今は、わざわざ「和傘」みたいに「和」と冠を付けないとわからないが、当時は「傘」であった。傘といえば、和傘であった。今の「傘」は「こうもり傘」とか「こうもり」などとよんでいた。

歌謡曲にもある。坂本九のそれである。
♪いつもの駅でいつも会うセーラー服のお下げ髪・・の歌である。その歌詞で「♪~ぬれてるあの娘 こうもりへ・・」にも使われている。

 当時、美馬町は和傘の生産は日本で2位だったとか。


 その美馬町の背後に低い衝立みたいに阿讃山脈が西から東へと続いていて隣県讃岐との県境になっている。そこに三頭山という目立つ山がある。隣町に所属している山だが貞光の人間にとっては、毎日、見慣れている山だ。あまりに身近すぎて忘れられそうな山でもある。遠くから久しぶりに帰郷すると、三頭山の山容をながめてはじめて「帰ってきたのだな」という実感がわく。三頭山はそういう山だ。

 三頭山に一度登ったことがあるが、貞光から一望できるように、三頭山からも貞光を一望できたのに心が動いた。
三頭山の山麓には、あの中央構造線(メジアンライン)が九州、四国、本州のフォッサマグナまで走っている。有名な活断層でもある。露頭も見られる。


その三頭山の山麓と吉野川に挟まれた狭い平地に美馬町の家々や耕作地がある。

美馬町は、古墳や、古いお寺が沢山。古い町だったと思う。

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2012-12-10-Mon  CATEGORY: 未分類
朝の外気温マイナス1℃。

以前より体重が10k程度少なくなっているせいなのか、今年の寒さは身にしみる。

おもしろい地質図がある。

地質図Nabi

全国の地質、地すべり地帯、活断層ほか。

見ても、あまり分からないが、でも、面白い。




いつものところに年末用の蕎麦粉(新そば)を発注した。昨年は「病み上がり」ということもあって体力に自信がもてなかったので、4kしか注文しなかったが、今回は7kほど頼んだ。
おい、打てるのか? そんなに必要なのか?・・・と自問自答しながら迷いに迷い、発注してしまった。
 
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地場中小建設業
2012-12-08-Sat  CATEGORY: 建設

まさしく、建設業は「現場で稼いでいる」である。

 現場は、毎日、動き変化している。じっとしている現場はあまり無い。ごくごくたまに、大きな問題もなくスムーズに完成する現場もあるがほんの少しである。数年間に1件あるかないかぐらいだ。ほとんどの現場は、大なり小なりの問題が毎日起きている。それらを解決し乗り越えていった先に「完成」がある。

 今のような難しいご時世の中、現場を制約する条件は広範囲でひとつひとつが深い。昔は、工期、工期に追われるばかりだったが、当時と違い、今は高度成長期の頃の現場運営の比ではないように思える。やること、やらねばならないことが多い。

 現場を担当されている技術者の皆さんや第一線で働いている皆さんには、ほんと、頭が下がる思いがする。様々な制約のなかで懸命に動いている現場担当者に対して手を合わせたくなることもある。
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点検ずみ
2012-12-07-Fri  CATEGORY: 未分類

年末、佐賀関から三崎港までフェリーで渡り、三崎港から八幡浜に出て大洲から高速道路に乗ることにしている。
 八幡浜から大洲まで途中に「夜昼トンネル」がある。このトンネルは、41年前に完成した長いトンネルで、笹子トンネルと同じ吊天井タイプとなっている。
で、調べてみた。

 さすがである。

  すでに点検済みとか。

 

国と同等の緊急点検を実施済み。結果、軽度の変状を確認(60カ所)したが、落下の恐れなし。年内に対策を実施予定。・ボルト締め付け39カ所:12/4完了・つり金具補強(増設)21カ所:年内完了予定"



・・・・・ということで安心して通行できるようだ。

 

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うた
2012-12-06-Thu  CATEGORY: 未分類

 手術して1年以上になる今も、腹部の縫合跡にひきつるような痛みが走ることがある。右足の親指の先端の痛みはひと頃ほどではないが、今も、完治はしていない。まちがって敷居などにけつまずいたりすると大変だ。思わず「うっ、痛いっ」と口走るほどの激痛がしばらく続く。
 今頃のように寒くなると、ちょっとした疼きが続く。これら足指の異常は抗がん剤の後遺症だ。多分。

 でも、不健康ではない。同世代の病気もちの方よりも「健康」だと思っている。




さて、朝日新聞の、歌や俳句の投稿欄をながめるのが、この頃のちょっとした楽しみになっている。出社前のあわただしい朝の時間に、これらをちらっと読んで出る。

例えば、2012/11/11朝日新聞、朝刊から引用

「飯三合炊けたと夫のはずむ声たまの入院悪くはないか」
「届けたる財布の中身調べいる警官は吾を立たしめしまま」
「沖縄の怒りがただちにわがものとならぬ鈍さを沖縄に恥ず」
「キャタピラー進行するため地に敷かる古畳にも炉を切りし跡」
「行く秋の日向を通る人ばかり」
「ぼつぼつと一雨ごとの冬支度」



「そうだ、そうだ」と共感できる作品や「いいなあ」と思われる作品ばかりだ。児童の作品の入選も目立つ。
 朝、ほんの少しだけ微笑ましい気分になれる。

 この「ほんの少しだけ」というのがいい。

 しかし、こういうのを作れる才能が、私にもあればいいのになあと少し残念。

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ふと、思い出した。
2012-12-04-Tue  CATEGORY: 貞光町

数年前、貞光町を訪ねたときの話。

故郷に行くのに昔の写真を持参した。50年前と現在の比較写真を撮りたかったのだ。でも、思うようにはいかなかった。

で、仕方ないので、写真に写っている人物や本人の関係者を探して、届けることにした。


まずは「しーちゃん」。一つ年上の女の子である。多分50年ぐらい会ってない。
調べてみると、今も町に住んでいる様子だ。
ご自宅を探して訪問した。

ピンポーン。

玄関の戸がガラガラと開いた。顔が見えた。昔のしーちゃんの面影が少し残っている。

私は挨拶も省略して・・・

「しーちゃん。写真あげる。これは、しーちゃん。これは、はじめ君、りょう君の写真もあるよ」と本人と兄弟の写真を手渡した。

写真を見ながら・・・・・・・

「ええーっ。何で? 何で? 何で知っているの?」
「おれ、おれ」とオレオレ詐欺みたいな返答をする。
「えエーっ? 誰? 」
「わからんとけ? 本当に分らんと? 」と答える。
「うん。わからん」
「ほな、これ見せるわ。コレが俺」
写真を見て「えーっ。のぶ君? のぶ君じゃね」
「やっと、わかったな。そうそう、のぶちんよ」
「うわー、ありがとう」
少しだけ昔話をして、もう、会えることはないだろうと思いながら「ほんなら、また」と後にした。
 

その夜。
「ふみ」に写真を届けるために、元の家に行った。どうせ、居ないけれど家族に渡せば、届けてくれるだろう。
「ふみ」とは同級生の女の子である。

 背の高い子で幼なじみである。
 多分、この辺りだったよなあと、家の前まで行ったら、反対側の真っ暗闇の路地から突然人が現れて、家の中に入ろうとした。
私は、思いきって声をかけた。
「あのー。失礼ですが、ここは、Iさんですか」
「はい、Iです」と私の顔をじっと見る。

「あ、どこかで見た。知っている。ちょっと待って」と私の顔を見て、懸命に思い出している様子。
「あ、あんた、白浦ののぶ君だろ?」
「はい」
「わしは、Iでわ。あんた、知っとる。あんたのお父さんには世話になったし。お兄さんのみきちゃんにも会いたい」

「ふみちゃんの同級です」
「そうよなあ。」
実は、私は、ふみちゃんの兄は記憶にない。でも、向こうは自分の事を知っている。
「実は、ふみちゃんの写真を届けにきたのです」と渡すと・・

「まあー、上がってきない。ちょっとぐらいならいいじゃろ」と私を家の中に連れ込む。

急な来客に、奥さんが手料理をつくってくださり、酒宴になり、熱弁をふるい、酔っ払って帰ったのである。

・・・・・というような事を、ふと思い出したので書いてみた。

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病室
2012-12-03-Mon  CATEGORY: 未分類
仕事からの帰途、私が入っていた病室の窓に明かりがともっていた。どなたか、入院されたみたいだ。
 
 昨年の同じ日は、まだ病院のベッドに居た。日記をみるとこう書いてある。

  12/3/2011(土)曇り。
体重、いよいよ69.5kgになった。60kg台突入だ。どこまで下がるのだろう。このところは1日1kgのペースで減り続けている。明日は68kg台になるのかしら。




 結局、体重は、60.2kまで下がった。しかし、抗がん剤を休止してからは増加に転じ、ずっと67k台から68k台をキープしてきている。
 食べ物は「よいと云われる」菜食玄米などはやらない。野菜・果物・肉・魚・豆腐、お菓子・コーヒー・ココア・ヨーグルト、塩こうじなど、何でもしっかりと食べている。

 腸の調子は、完全回復とまではいかないが、八割九割方までは回復しているような自覚がある。


 ところで、入院していた時、院内のあちこちに張り紙や掲示板にある「患者様」というのが目についた。私だけかもしれないが「患者様」の「様」という敬称がどうも目障りだ。こそばゆいのである。

 だからといって「患者諸君」とか「患者ども」とか「患者めら」というのも、おかしい。
 単に「患者さん」あるいは「患者の皆さん」でいいのではないだろうか。
 医師と患者の関係は、お店の主人とお客様ではない。昔は「先生様」だったかもしれないが、今は「先生」である。

  医師と患者は「先生と患者さん」が最もふさわしいと思う。

  ・・・・・ということで本日はこれで失礼します。

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