土木建設業に従事していますが、専門分野のことは少なくて、昭和のこと、故郷・徳島のこと、延岡のこと、雑多なことを自分の記録として日記代わりに書いています。St.3bの「がんサバイバー」でもあります。
 日々(いや、気のむくままに)読み書き
この頃のこと。
2013-03-27-Wed  CATEGORY: 未分類
 外気温10℃の朝。少し肌寒い。

 3月末というところで工事の完成検査が続いている。
 今日も、2件の検査があった。今月はあと2件で「終了」となる。

 この頃の「検査」は、紙ベースの書類だけでなく、パソコンから2台の大画面のモニターに情報を映し出して、検査が行われていく。従来の「紙面」は、補助的な資料だけであるが、還暦の私などは、やっぱり、紙のほうがいい。

 書類の量も、昔と比べて膨大な量になっている。多分2倍ではきかないだろう。

 
 現場での測定も、自動追尾のトータルステーションを設置し、ミラーを置くだけで・・・・・・・・・・・



 ・・・・・・この話題はやめた。




昨日、新しい道が抜けた。
 新道路


昨日の帰りと今朝の通勤で走ってみた。

私にとっては利便性のある道だ。自宅から本社まで、一直線みたいになり、5分は短縮できた。

なかなか、いいではないか。


また、話は変わる。

今週末、当地では「東京ガールズコレクション」なるものが野外で大々的に催されるとか。

県内外から、大勢の人が見えられ、にぎわうことだろう。

 雨など降らなければよいのだが。




 ポスターで出演者の方々の名前を確認したが、還暦の私など、数名の名前しか聞いたことはない。

 
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初体験
2013-03-25-Mon  CATEGORY: 未分類
朝外気温12℃。
寒くもなく、むろん、暑くもなく、そんな朝の風であった。

この、ナマぜわしい忙しい時期のはずなのに、あえて、ゆっくりとした休みを過ごしてみた。

昨日の日曜日は、はじめて「お茶会」なるものに参加したのだ。




毎年参加している家人の同伴として、本来は、習字の生徒であるカナダからの留学生とその友人が行く予定だったが、彼らが行けなくなったので「ほんなら、オレが行くわ」となったわけである。

庵の外観
庵
庵の内部
茶室

お菓子(名前は、失念した)
菓子

亭主の席
かま

お茶
お茶


私より、先に、いただいている方の真似をし、見よう見まねででいただく。


たまには、こういうのもいい、そう思った。

シーンと静まり返ったお茶席に正座し、お茶をいただく。
ゆっくりと非日常の時間を過ごすことができた。何も思わず、考えず、こういう、見るもの聞くもの初めての経験というのは、私の前頭葉は刺激されたにちがいない。


そのあと、東郷町にある、そば屋「美林」に蕎麦を食べにいってきた。
水と蕎麦粉だけの、つなぎなしの蕎麦粉を実に見事に細く切っている。
手練の技だ。
自分も打つのでわかるが、そば粉と水だけの「生粉うち(きこうち)」は、そう簡単には打てない。

そば


つゆは、かつおだしがよくきいていた。
ここで「おっ」と思ったのは、お通しで出された「蕎麦がき」を揚げたものだ。これを、昆布茶みたいな塩をつけて食すのだ。


なかなかいいではないか。

帰宅して、さっそく真似をしてみた。
美味いことは美味い。が、店で食べたほどではなかった。
なぜか。

店の雰囲気か。蕎麦粉の品質か。腕前か。満腹のせいか。

でも、こういう食べ方はいくらでもアレンジができる。
蕎麦がきに出汁を加えてコクを出したり、甘味をつけたり、そのほか、いろいろなことができる、そう思った。
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2013-03-12-Tue  CATEGORY: 未分類
この前、所要で宮崎市まで行ったとき兄に会った。

 延岡と宮崎、90キロぐらいしか離れていないけれど、盆と正月ぐらいしか会うこともない。

 歳も歳だし、いい加減☓☓☓☓したら・・と、日頃から思っていた言葉を口に出してみようと、兄の顔を見たとたん、思わずおかしくなり、言おうとした言葉は引っ込んでしまった。

 なんと、兄のたたずまいの中に「母」がいるのだ。昔は、机に向かう兄の風情に「父」を見たことがあるが、今回は母になっているのだ。それがみょうにおかしくて笑ってしまうぐらいなのだ。

 父も母も二十年も以上前に死去したのだけれど、兄の中にたしかにいる。
 ・・ということは、私の中にもいるのだ。多分。

 考えてみれば「さも当然」である。「さも当然」ではあるが、ついつい、死は何なのだろうと思ってしまう。
 死すれば、筋肉も骨も思い出も感情も何もかもが消滅してしまう。(・・と個人的には思っている。)

 でも、こうして違った状態でちゃんと、生き(死に)残っている。

 ということは、何代もの前の遠いご先祖様にしても、その存在は薄まっているかもしれないが、体のあちこちには今も痕跡として残っているのではないだろうか。

 それが「生きとし生けるもの」の宿命みたいなものかもしれんなあ。
・・・・・などと思ったことであった。

 記憶によれば、今日三月十二日は、兄の誕生日である。

 76歳 74歳になるはずである。

 今まで「誕生日おめでとう」なんて、ただの一回も口に出したことはなかったので、今回も、何も云わないでおこう。

 ま、元気にできるだけ長生きしてくれれば、それだけである。

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ついに、この辺りまで来た。PM2.5
2013-03-05-Tue  CATEGORY: 未分類
 
  今年は、久しぶりに「花粉症」の症状が激しい。
  特に昨日はたまらなかった。
 鼻水、鼻づまり、くしゃみ、目のかゆみ・・など。もっとひどくなると、耳穴までかゆくなるかもしれない。

 去年の今頃は、花粉症とは無縁だった。
 なぜか。
 多分、抗がん剤を飲んでいたからだ。
 値段と副作用さえ考えなければ、抗がん剤は花粉症の特効薬かもしれない。

 理屈としては、抗がん剤の薬効で免疫作用が正常に機能しなくなり、異物のスギ花粉が体内に入ってきても、拒絶反応を示さなかったのだと思う。

 ということは、花粉症は嫌でたまらないけれど、私の体は正常な状態に戻っているということとイコールなのだ。

 うってかわって、今日は花粉はあまり飛んでいなかったようだ。

 そのかわり・・・・
20130305_171746.jpg

 大気全体がかすんでいた。
 いつもならきれいに見える山々もぼんやりとしていた。
 黄砂よりも、薄い。

 PM2.5か・・。

 で、調べてみた。

 キャプチャ


 今日になって微小粒子状物質(PM2.5)の数値が急激に上昇している。

 やれやれ、である。

 まだ、花粉のほうがマシのように思える。



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旧商店街のこと 1
2013-03-01-Fri  CATEGORY: 貞光町
ちょうど1年前の今日は、治療のため1週間程度再入院した日になる。
 
 3回目の入院が無いように願いたいものだ。

 


福田呉服店・福島楽器店・井川商店のことなど。

 「元・福田呉服店」
 商店


 福田呉服店では「足袋」ぐらいは買ったことがあるかもしれないが衣類を購入したことはないと思う。
それでも、私たち町内に住む子供たちは、年に一度は必ず「福田呉服店」のお世話になったものだ。
当時、学校の「教科書」は福田呉服店でしか求められなかった。新しい学年に進級するたびに、母と一緒に福田呉服店まで真新しい教科書を買い求めに行った。

 はっきりと覚えていないが、店内はうっすらと暗く、TVの「鬼平犯科帳」に出てきそうな「おたな」みたいな雰囲気だったように思える。
 いつごろからか忘れたが、教科書はお国からの支給品となり対価を支払わなくてもよくなった。

子供心に、なぜ、本屋さんでなくて呉服店で教科書なんだろうと、ちょっとした疑問をいだいたこともある。
ご主人の顔は記憶していないが老舗の店主という感じだった。

「元・福島楽器店」
 商店2


 福田呉服店の数軒北よりに位置している。道路の両側に二層うだつが続く街並みの中で、福島楽器店だけが、白い洋館形式で建てられ異彩を放っていた。それでもなんとなく周囲の雰囲気に調和していた。
福島楽器店は町内ただひとつの楽器店だった。

 ジブリのアニメに出てきそうな、初老の女主人が応対に出られていた。
ここで買うものといえば、学校の音楽で使う「カスタネット」「ハーモニカ」「縦笛」のたぐいである。
中学に入ると、エレキギターなど買えないのに「ピック」、ドラムなど現物を見たこともないのに「ステイック」、などを買った。流行っていたグループサウンズ(GS)の影響と思うが、そんなものを買ってどうするつもりだったのだろう。

 初めてギターを手に入れたのもここだ。アルバイトで貯めたお金で買った。興味の対象がGSからフォークに移っていたので、本当はフォークギターが欲しかったのだけれど、なぜか、クラシックギターを買ってしまった。
そうそう、レコードも販売していた。わが家にはレコードプレーヤーも無かったのでレコードそのものを買うことはなかったが、沢山のレコードが陳列されていたような記憶がある。

「元・井川商店」
商店3

 運動場に行く入口の角地に位置していた。このあたりは、主要な通学路で幼稚園、小中学校に通う児童の大半は井川商店の前を歩いて登下校していた。

 駄菓子屋さんだったが、駄菓子以外にも「ノート」や「かぶせ(鉛筆キャップ)」「ナイフ」などのちょっとした文房具などもおいてあった。

 ここでは、写し(移し)絵、べった、コリスガム、日の丸キャラメル、シガレット菓子・・などを買った。
当時は、幼稚園も4クラスあったし、小学校の全校児童数は800人を越えていた。我々の中学時代の同級生にしたって総勢184名を数えることができる。それが、今や少子化の影響で中学の全校児童数は130名しかいない。いや、まだ130名もいる、というのが正しい表現かもしれない。

時代だといえばそれまでだが「これでいいのかい」というような思いがする。

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