土木建設業に従事していますが、専門分野のことは少なくて、昭和のこと、故郷・徳島のこと、延岡のこと、雑多なことを自分の記録として日記代わりに書いています。St.3bの「がんサバイバー」でもあります。
 日々(いや、気のむくままに)読み書き
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リンカーンを観た
2013-04-22-Mon  CATEGORY: 未分類
今朝は、涼しいを通り越して寒かった。
車の外気温をみると6℃であった。



このほど、健康保険協会から「医療費」の明細が送られてきた。

一昨年の10月から去年の12月までの分だ。

早い話が「三百万円近い額を健康保険でお支払いしましたよ」という内容である。

 たしかに健康保険にはお世話になったし、またお世話になるかもしれない。

 健康なときは「健康保険料は高いなあ、一方的に支払うばかりだ」などとうそぶいていたのに、いざ、自分の段になると「ありがたい」などと思う。

 我ながら、つくづく勝手なものだと思う。

 今になると「健康保険料は支払うだけ」というのが、いちばんありがたいと思うが、やはり、我が身にならないとわからないのだから、やれやれである。




昨日は、映画を観に行った。
孫と娘は「クレヨンしんちゃん」
私と家人は「リンカーン」。

「リンカーン」を観るつもりは全くなかったのだが、時間的に「リンカーン」しか選択できなかったのだ。

 ちょっと重いかな、と思いつつも「とりあえず、観てみるか」という気持ちで館内に入った。



 
 久しぶりに映画らしい映画だった。
 理屈抜きに素晴らしい映画であった。

 なにが、どのように面白いか。私の筆力では書けない。

 また、観たい映画だ。


※しかし、館内への入り口で「夫婦50割引き」の証明ために免許証を提示しようとしたら係員の人はろくすっぽ見ようともしないで「結構です」といわれてしまった。
 外見だけでシニア割引が通用するようになってしまっていたようだ・・・・・。


 
 
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同じことのくりかえし
2013-04-11-Thu  CATEGORY: 未分類

手術して、まる1年と4ヶ月が経過した。
昨年の今頃は、ゼロックス抗がん剤治療の副作用がきつくなりはじめた頃だ。


体に現れる副作用は食べ物の味がわからない。和菓子の直接的な甘さ以外は何を食べてもボール紙を食べているようで不味い。最初の一口をくちに入れた瞬間、思わず顔をしかめるような痛みが口に広がるので、一口目を頬張るのがたまらなく嫌だった。

ほかには「頭がふらふらする」などの症状が出た。会社の階段を降りるときなど、手すりにつかまらないと転落するかもしれないという危惧があった。
手と足に、特に冷たいものに対して過敏になり、暖かくなっても、厚手の靴下と手袋はかかせない。散歩しても冷たいか風が首筋にあたると痛くて、散歩が続けられなかった。

両の手のひらは、カサカサして赤っぽい色になりところどころの皮膚がむけひりひりした。
指先は細かな動きをしようとすると筋肉が引きつって動かなくなり、ワイシャツのボタンは一人では止められなかった。
足の裏は、赤っぽく、皮膚は象みたいになり、皮がボロボロとむけ、自分の体ながら、正視するのに抵抗を覚えた。
足指先は、すべての爪の中が内出血して痛んだ。シャワーの水滴が「ぽつり」と指先に当たるだけで「うわっ、痛いっ」と大声を上げる始末。靴下も指先に触らないように慎重に履いた。
朝晩は、手と足にクリームを塗り、足指先は化膿止め軟膏をぬり包帯で巻くのだが悪くなるばかりで、一向によくならなかった。

食べ物はおいしくなくても、空腹感は以前と変わらないので食べてはいたが、体重は減る一方で、一時は60kgを割るぐらいまでに近づいた。多分、抗がん剤は肥満を抑制する働きもあると思う。

抗がん剤の点滴を受ける日の朝は、病院に行くのが億劫で「行きたくないなあ」であり、薬を服用するときは「ああ、飲みたくないなあ」であった。
「まだ、我慢できる」「もう少しの辛抱だ」「肉を切らせて骨を断つ」などと言い聞かせながら治療(?)を続けた。



何回目かの検診のとき、足の裏を診た主治医が「薬、いっとき止めましょうか」と云われ、即座に「お願いします」と休止となった。


もし、再度、医師から薬の再開をいわれても「ちょっと考えさせて下さい」もしくは「いや、まだ休止させてください」と答えるだろう。



 現在は、時折、腹部の縫合跡が引きつったり、ごくたまに、内部の縫合箇所とおぼしき場所に軽い痛みを感じたりするぐらいである。あとは「がん患者」としての自覚など忘れて元気そのものに生活している。

今日は4月11日。
月日の流れが早く感じられる。つい三ヶ月ほど前の年末年始は故郷で正月を過ごしたばかりなのに、昔のような気がする。

 春が来て梅雨になり、暑い夏が来て、わたしの好きな秋が来て、寒い冬が来る。そして、また桜の花びらが風に舞う。

 考えてみれば、同じようなことの繰り返しだ。いいかげん退屈しそうなものだ。

 この、同じことのくり返しいちばんいい。

 日々、同じようなことを繰り返すことで居られるのは、幸せなことである。


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ブログから
2013-04-09-Tue  CATEGORY: 未分類

朝外気温10℃。今朝も、昨日の朝ぐらい寒く感じられる。
土曜日の「春の嵐」が通過してからこっち「寒」へと後戻りしたみたいに感じる。

技術屋日記で「仕事と家庭は両立」ではなく「仕事と家庭は倒立だ」みたいなことを知った。
 これは、今の私の生活スタイルにぴったりだ。
そうはいっても、会社と社会の区分をきちんとメリハリつけているか問われると「そうはいえない」部分がかなりあると思うが、このところ(といっても、何時ごろからなのか、10年、20年も前からか・・?)の自分は、自然にそうあろうとしてきたように思える。

 若いうちは、家庭も仕事もごっちゃにしていた。
それは、ただ単に仕事量に自分の能力が追いつけなかったこともあるが、時代というか社会の要請みたいなのものや、当時の考え方みたいなものが、若い体力と熱意に任せて、仕事のほうに向きっぱなしだったのだと思う。

 でも、加齢とともに、それは、いつのまにか「会社と社会は別」という生き方になっているように思えるのだ。



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校歌に思う
2013-04-07-Sun  CATEGORY: 貞光町

徳島には四国、いや西日本第二の高峰「剱山(つるぎさん)」という名高い山がある。
 
生まれ故郷は「貞光町」であったが、平成大合併により「つるぎ町」に名称が変わった。

この周辺の小中高の校歌の歌詞には、必ずと言ってよいほど「つるぎさん」が使われている。



貞光小学校校歌

「けんざんによせて あおがん みがけ力あわせて この土に生まれし子らの 理想は萌える木綿麻のツツジ・・」。



 歌詞の一番と二番がごちゃまぜになっているような気がするが、素晴らしい歌詞だと思う。

 以前は「つるぎさん」ではなく「けんざん」と唄われていた。

 本当は「つるぎ」の方が正しいかもしれないが、個人的には、やはり「けんざん」だろう、と思う。


貞光中学校校歌

「秀麗あおぐつるぎさん 理想の雲にひははえて 輝く虹よ よぶ虹よ・・」
「熊野の森のときわぎと 根をつちかわん たくましく・・」
「吉野の川の 澄む水に こころの珠をみがきつつ・・」



 中学になると「けんざん」から「つるぎさん」に変化する。これは、これでいい。いや、中学生になると「つるぎさん」でなくてはならない。

 つまり「劔山」は、なにがなんでも「つるぎさん」ではなくて、その場その場、雰囲気、言葉の前後など、各人の自由な好みで「つるぎさん」であり「けんざん」でいいのだと思う。

 どちらにしても、小学校校歌に負けず劣らず、いい歌詞ではないか。


 貞光小学校は、私たちが在校していたは800人以上の子供がいた。多い時は全校児童は千人を越していたと聞く。
 中学校の方は、現在は全校生徒数は約130名。私たちの同級生は184名を数える。
今や、全生徒数が当時の一学年にも満たない。

 少子化時世に対応すべく、合併、統合、廃校を行い、校歌も、校訓さえも、微妙に修正させられている。

 やむを得ないが、どこかさびしい。

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脱脂粉乳
2013-04-03-Wed  CATEGORY: 食べ物

 まごの「ひな」は春休み中である。毎日、宿題をほったらかして遊んでいる。
 来週から3年生の新学期をむかえる。

 学校では、給食があり「ひなた」も、日々、お世話になっている。今や全国ほとんどの小中学校で、ちゃんとした給食が実施されているようだ。


 私が子供の頃の学校には今のような給食制度はなかった。昼休みになると、「町」に住んでいる家の子供たちは自宅に帰り昼食をとっていた。
 昼を食べ終わると午後の授業を受けるため再登校するのだ。たまに、10円硬貨を手に、学校とは反対方向の尾花精肉店に行き、ほかほかの「コロッケ」を買って食べながら午後からの登校をするのも、ひとつの楽しみであった。

 小学校の上級生になった頃「脱脂粉乳」が出されるようになった。落としても割れる心配のないアルミの器になみなみと注がれて木の机の上に置かれた。パンの一切れも何もついていなかった。アルミの器に入った粉乳だけが、ほかほかと白い湯気をたてていた。

 口元を近づけると「うっ」となり、とても飲めるものではなかった。先生から「絶対に残すなよ」と言われていたので、無理して飲み干したこともある。

 学校側は、あまりにも人気がないので脱脂粉乳をココア風味に整えるなどの工夫をこらしてくれたが、脱脂粉乳がベースなので「うっ」というのは変わらなかった。むしろ、キンキンに冷やしてくれていたら、一息に飲み干すことができたかもしれないと思う。

 私にとっては脱脂粉乳の時間は憂鬱でしかなかった。

 でも、クラスには、たいてい、飛び上がり者が一人や二人ぐらいは居る。私の場合はけいぞう君という健康優良児が私の粉乳まで飲んでくれたのでなんとか助かっていた。

 けいぞう君は「地獄で仏」のような存在であった。


 脱脂粉乳は、突然に我々の前に姿を表して、いつのまにか無くなってしまったという印象だ。脱脂粉乳のトラウマはしばらく続いた。


 ひなたに「給食、おいしい?」と聞くと「うん。おいしい」と答えが返ってくる。


 それを聞くと、今の学校の給食制度は「いい制度かもしれないな」と思ったりするのだ。

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