土木建設業に従事していますが、専門分野のことは少なくて、昭和のこと、故郷・徳島のこと、延岡のこと、雑多なことを自分の記録として日記代わりに書いています。St.3bの「がんサバイバー」でもあります。
 日々(いや、気のむくままに)読み書き
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少年H  パシフィックリム 風立ちぬ
2013-09-20-Fri  CATEGORY: 映画

雲一つ見えない朝の空が広がっていた。朝の外気温は18度。




今年の夏は3本の映画を観た。順番に「少年H」「パシフィックリム」そして「風立ぬ」。
映画の評価は書けない。書けるほどの感性や語彙を持ちあわせていない。ただ、好きなだけだ。感想は「よかった」「いい映画だった」ぐらいだ。

「いい」「わるい」、「面白い」「面白くない」は人それぞれだ。私が面白くなくても他の人は面白いことと感じるのは当然だし、その逆も当たり前だ。批判めいたことは、自分の主観を押し付けるようで書いてはならないと思っている。

「少年H」
以前、小説で読んだことがある。その映画化だ。とても良心的で気持ちのいい映画であった。
当時の一億火の玉総動員みたいな風潮の中で、少年Hとその家族が、時代の激流に翻弄されながらも、自分たちの生き方を貫いて、それなりに自由に暮らしていたことがすごいなあと思ってみていた。

戦時下の現実はそんなものじゃなかったという(水をさすような)意見もあるように聞いたが、映画のような生き方をしていた家族があっても不思議ではないようにも思える。要は、映画なのだから、素直にそのまま受け止めて「よかった」と思えばいいのだと思う。


「パシフィックリム」ネタバレ注意

パシフィックリムがはじまり10分もたたないうちに「ああ、これは見なければよかったのかもしれない」と、後悔をしはじめた。この映画、映画館で予告編を見て楽しみにしていたのだ。予告編を見て楽しみに思うぐらいだから、こういった類のものは昔から好きなのだ。

 内容は、怪獣と巨大ロボットが、ひたすら戦うだけの映画だ。格闘シーンや破壊シーンは迫力があって凄いものがある。ストーリーとか起承転結などはあまり関係ない。もちろん、父と子の確執や、過去の思い出など、登場人物にまつわる心情的なものも出てくるが、ロボットと怪獣の戦いの前では薄められてしまう。

 そうだ。戦闘シーンだけの映画だと割り切ってみればいいのだ。

 全編に、日本の伝統的な特撮映画のシーンが流れていたのも印象的だった。
 例えば、巨大ロボットと怪獣が戦うのは「ゴジラ対メカゴジラ」の系統だし、最初に登場する怪獣は「ガメラ」に登場した「ギロン」に酷似していた。最終決戦でロボットを決戦場所まで運ぶシーンでは「キングコング対ゴジラ」でゴジラに対抗するため、眠らせたキングコングを富士の裾野までヘリコプターで運ぶシーンを思い出させる。
 怪獣にたかっている寄生虫は「空の大怪獣ラドン」に出てくるヤゴの怪獣をどこか連想させる。また、ロボットのデザインは、昔の「13号発進せよ」の13号に似ているように見えるのは思い過ごしか。ロボットを操作するやり方はTVの戦隊ものに似ている。いたるところに「日本特撮映画」を引用(援用)しているように見えた。こういう映画をつきつめていくと、最終はああいう形になってしまうのかもしれない。

 最後のエンドロールでは「本多猪四郎に捧ぐ」とあったそうだ。
もう見なくてもいいかなと思っていたが、今は、もう一度是非見たいと思っている。なぜか・・。

「風立ぬ」

「風立ぬ」を観た。家人と、それから「ひなた9歳」も連れて行った。映画の感想は書けないが、文字どおり「風」のような映画だった。当時、世界最高の戦闘機ゼロ戦をはじめ、雷電、烈風などを設計した技術屋堀越二郎と結核におかされた女性との出会いと別れを、関東大震災と大東亜戦争を背景に描かれていた。

 後日、録画していた「プロフェッショナル仕事の流儀」を見た。宮崎監督が編集をしながら独り言をつぶやくシーンがあった。

「だけど 子供が通路を走るだろうな・・・」


「・・・・走るよな、これは・・・」


「子供を連れてくるのがいけないんだ!!」

「でも、連れて来ちゃうからな。」

「わからない映画を見るっていうのも、子供の経験だよな」



 思わず「そんなことなかったですよ。じっと観ていましたよ」と心の中で返答した。

 「ひなた」は通路を走ることもなく、最初から最後までじっと見ていた。どこまでわかったのかどうかはわからないが、最後の荒井由実の歌う「飛行機雲」のエンドロールが終わるまでじっと見てくれていた。

 「ひなた」にとっては、はじめて聞いた歌のはずなのに、昨日も「♪空にあこがれて 空をかけてゆく あの子の命は飛行機雲・・」などと鼻歌を歌っている。それがおかしかった。

 私としては、機会があれば、再度見て、今少し理解を深めたいと思った。

この映画のキーワード。
 計算尺。製図台。T定規。屋根瓦に登ること。汽車。町並み。草原。
私の時代よりも過去の話だが、なつかしく、きれいな風景があった。

「最後に」
 持論だが、わかりにくい映画は、わかりやすい映画よりも記憶に残る。


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40年。
2013-09-08-Sun  CATEGORY: 建設
昨日の9月7日で丁度入社40年になっていた。

 入社当時、こんなに長く勤めることになろうとは予想だにしなかった。1年くらい辛抱してから、好きなこと(今から思えば何だったのだろうと思うが・・)をしたいと思っていた。そんな生半可な気持ちで二つ目の仕事をはじめたのだが、いつのまにか自分なりに懸命にやってきて、今になってきている。

 周囲の大勢の人たちに迷惑をおかけし、なおかつ、お世話になりっぱなしで40年を迎えることができたのだ思うし、これからも、同じようにお世話になり、迷惑をおかけしていきていくのだろうと思う。




半世紀ぶりに東京オリンピック開催か・・。
 前回の東京オリンピックは小学校6年生だった。担任の藤川先生が「みんな、二度と日本でオリンピックを観ることはないのだから、観ておかないといけないぞ」と、毎日、教室から視聴覚教室にみんなを連れていきTV観戦をさせてくれた。藤川先生ご存命なら、なんというだろう。


 


 
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イヤホーンを外す
2013-09-05-Thu  CATEGORY: 未分類
やっと秋が来たな、と思われるこの頃。


ちょっと油断していたら、イレウスの一歩手前になりかけていた。
黒木病院


「イレウスもどき」だ。本格的になると大変なので、ならないようにしないといけない。術後二年近くになったし腹の調子もよかったので調子にのりすぎたようだ。

全く関係ないが、イレウスというとG3(ガメラ3)に出てくる「イリス」を、ついつい思い出してしまう自分がおかしい。



しかし、体重というのは食べた量にきちんと正比例するものではないみたいだ。一昨日の夜、はじめてイレウス気味になり、野菜ジュースしかとってなかった。なのに、夕方のいつもの時間に測定すると67.5kgと昨日よりも少し増えているのだ。

昨夜は、ことさら時間をかけて普段どおりの夕食を食べた。夜中に痛くなるのは勘弁したもらいたいのでおそるおそる咀嚼したのだ。結果、何も起こらないまま爽やかな朝が来た。

医師から処方された大建中湯を調べてみた。イレウスに対処できそうな服用薬といえば、これしかないみたいだ。本当のイレウスにはなっていないが、腹部を温める効能もあるみたいなので、薬嫌いの私も、さすがに今回は、二週間分、真面目に服用してみようと思っている。



以前は、アイポッドやスマホの音楽とか落語をイヤホーンで聴きながら散歩をするのが日常化していた。でも、今はやらない。イヤホーンから流れてくる音楽を聞いていると周りの音が聞こえてこない。向こうからくる人に「こんにちは」と挨拶されても聞こえないので黙ったまま頭を下げるだけだ。例え見ず知らずの人でも「こんにちわ」「おはようございます」「暑いですね」と声をかけられているのに、黙ったまま会釈で返すのはいかがなものかと思ってしまう。

かも


両の耳からイヤホーンを外すと、きちんと挨拶を返すことができる。挨拶を返したり、ちよっとした立ち話をするのはランダムに流れて来んでくる音楽よりもいい。川面を渡る風の音、水鳥の羽ばたく音、セミや虫の声、子供の泣き声など聞こえてくる。何かを考えたり思ったりしながら歩くときもイヤホーンなど邪魔になるだけだ。


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思えば遠くきたもんだ。
2013-09-03-Tue  CATEGORY: 未分類
 おかけざまで、今日、還暦プラス一歳となった。

 ケーキ


 そして、40年前の今夜、徳島県美馬郡貞光町からファミリア1200クーペを駆って当地に着いた。

 前の会社(現・株式会社エスビーシー)の社長(当時)から「早く帰ってこいよ」。

「はい。すぐにもんてきます」で40年・・・・・か。




ということで、私にとって、海援隊の代表作といえば、これ! しかない。

 

 「思えば遠くへ来たもんだ」武田鉄矢

 踏切のそばに咲く コスモスの花ゆらして
 貨物列車が通り過ぎる そして夕日に消えていく

 十四の頃の僕はいつも 冷たいレールに耳を当て
 レールの響き聞きながら はるかな旅路を夢みてた

 思えば遠くへ来たもんだ ふるさと離れて四十年
 思えば゛遠くへ来たもんだ この先どこまで行くのやら

 ・・・・・以下、略。





 さらに、もうひとつ。 「頑是ない歌」中原中也

途中、思わず「くすり」と笑いたくなる、大好きな詩だ。

 

思えば遠く来たもんだ
十二の冬のあの夕べ
港の空に鳴り響いた
汽笛の湯気は今いずこ

雲の間に月はいて
それな汽笛を耳にすると
竦然(しょうぜん)として身をすくめ
月はその時空にいた

それから何年経ったことか
汽笛の湯気を茫然と
眼で追いかなしくなっていた
あの頃の俺はいまいずこ

今では女房子供持ち
思えば遠く来たもんだ
此の先まだまだ何時までか
生きてゆくのであろうけど

生きてゆくのであろうけど
遠く経て来た日や夜の
あんまりこんなにこいしゅうては
なんだか自信が持てないよ

さりとて生きてゆく限り
結局我ン張る僕の性質さが
と思えばなんだか我ながら
いたわしいよなものですよ

考えてみればそれはまあ
結局我ン張るのだとして
昔恋しい時もあり そして
どうにかやってはゆくのでしょう

考えてみれば簡単だ
畢竟(ひっきょう)意志の問題だ
なんとかやるより仕方もない
やりさえすればよいのだと

思うけれどもそれもそれ
十二の冬のあの夕べ
港の空に鳴り響いた
汽笛の湯気や今いずこ






 
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株式会社エス・ビー・シーのこと①
2013-09-02-Mon  CATEGORY: 未分類
以前、勤務していた四国ボーリング工業㈱の会長、俱ちゃんから、今年もたくさんのスダチが送られてきた。我が家の分を確保し、徳島の秋を社内におすそわけをした。

今年は、四国ボーリング工業を退社してちょうど40年目になる。私の在社期間は2年にも満たない。在社中は迷惑をおかけしただけだ。それでも、今もこうして、温かなお心遣いをしていただいている。うれしい限りである。


久しぶりに「四国ボーリング工業」で検索してみると社名が変更されていた。
 新しい社名は「株式会社エス・ビー・シー」である。いい名前だ。私にとっては、この「エスビーシー」は懐かしく響いてくる。どういうことかというと、在社当時、会社の持ち物にマジックインキ等で社名を書くとき四国ボーリング工業と書くのは長らったしく時間もかかることから、誰がはじめたのか思い出せないが、みんな「SBk」と略記していたのだ。

 エスビーシーという名前は、会社の創成期とこれからの新しい息吹のふたつが表現されていて、見事でなあと思えるのである。

   つづく

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