土木建設業に従事していますが、専門分野のことは少なくて、昭和のこと、故郷・徳島のこと、延岡のこと、雑多なことを自分の記録として日記代わりに書いています。St.3bの「がんサバイバー」でもあります。
 日々(いや、気のむくままに)読み書き
この頃、ふと感じたこと 「お互い様」
2014-09-25-Thu  CATEGORY: 未分類
元気です。

 自分たちは、さも「一人で大きくなった」ような顔をして歩いているが、けっしてそうではないことは誰もがわかっている。多くの人は親や兄弟・親戚・近所の人・教師、友人知人たちそのほか不特定多数の人たちのおかげで「今」があるのだと思っているはずである。

 仕事も全く同じことで、自分一人でやれることはたかがしれている。才能豊かで優秀な人でも一人の力には限界がある。 特に、現場の施工運営などは、発注者、設計者、材料納入者、職人さん、重機のオペレーター、型枠工、鉄筋工、現場補助者、社員、家族、さらには近隣の人たちと、多くの人たちの協力があってはじめて現場施工というプロジェクトが完結する。
 そうした、みんなの奮闘努力の結果として、企業の利益や発注者からの高い評価などもおのずからついてくるし、時には表彰を受けることだってある。「いい仕事」になるためには、もちろん責任者の質は重要で大きなものである。しかし、そういった素晴らしい成果のうしろには大多数の皆さんの協力の賜物だということを自覚することが大切だと思うのだ。

  また、多くの子供たちは親や教師から「人に迷惑をかけてはならない」と教えられながら大きくなってきた人も多い。ロビンソンクルーソーみたいに絶海の孤島での生活ならまだしも、自分一人だけでは生きていくのは至難の技だ。一人だけでは生きられない以上、望むと望まざるに関係なく、知らないうちに多くのに人に迷惑をかけながら、というのが現実の姿ではないだろうか。つまり、私たちは、他の人たちに迷惑をかけながら、お世話になりながら、一方では他の人たちの助けや支えになりながら、お互い様で生きている、そういう立場だと思う。


 それを考えるとき、自分たちは思い上がりの気持ちが自然に失せて謙虚になってくるはずである。云いふるされていることだが「実るほど頭を垂れる稲穂かな」と古人はいっている。

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気晴らし
2014-09-22-Mon  CATEGORY: 未分類
 元気です。

 南の海上に渦巻状の雲の塊がみえている。
 キャプチャt

 多分、台風17号になろうとしている奴だ。今でコレなら、列島に接近してくる頃には大きな勢力になっているかもしれない。
 要注意だ。




言葉の使い方について、気になる言葉がふたつほどある。
 ひとつは「いただく」という言葉だ。私も時々使わせていただいている敬語のひとつだ。
「・・・していただきます」「・・いただきました」「・・・・していただきたい」なんでもかんでも「いただく」が使われている。
あの、高倉健は「死んでいただきます」などと言わなかった。「死んでもらいます」であった。

「いただく」でなくて「もらう」のほうが適切な場面はいくらでもあるように思える。
もらうといただく。何が違うのか説明はできないが「なんでもかんでも、いただく を使っていれば無難だろう」などと思わずに考えて使う方がいいと思う。


もうひとつは「・・・とすれば」という言葉である。これは、不祥事が発覚した時に「・・とすれば、謝ります」という使い方が多い。「・・・とすれば」は仮定もしくは条件付けである。不祥事は現実に起きているのにも関わらず「もし、起きたとすれば、ゴメンね」となる。あつかましい。
 謝っているようでほとんど謝ってなどいないように見える。

 
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元気です。
2014-09-21-Sun  CATEGORY: 未分類
元気です。

今日は、元気している、その一言のみ。


 ということで本日はこれで失礼いたします。


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夕暮れ
2014-09-09-Tue  CATEGORY: 未分類
元気です。

 ♪黄昏(たそがれ)が その日の夕暮れと折り重なるほんのひと時 そうやってたかだか三十分か一時間~・・
 高田渡 夕暮れより



 散歩していたら、今宵はスーパームーンだった。
スーパームーン

ふと西の空に目をやると 夕焼雲。
夕暮れ

 高田渡の「夕暮れ」を口ずさみながら帰宅した。

 夕暮れ

 

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2014-09-04-Thu  CATEGORY: 未分類
 元気です。

 昨日、還暦+2歳となった。同時に、徳島、貞光から当地に来てあしかけ41年目となった。

 家族から祝ってもらった。

 またFBにも、広くて薄い紐帯からお祝いのメッセージやコメントをいただいている。

 ありがとうございます。


 今までの人生の三分の二は当地で暮らしてきたことになる。

 家人の場合は「ここ」がふるさとだ。

 だが、私のふるさとは、41年間住み慣れた「ここ」ではなく、生まれて21年間暮らした四国の山間部の貞光だ。

 「ふるさとは遠きにありておもうもの・・」

 遠きにありて、懐かしい山や川や友人・知人に思いを馳せるのも、含蓄があって、なかなかいいものだ。

こればかりは「ここ=ふるさと」である家人には真似しようとしてもできない。

どうだ、うらやましいだろう。

「ここ≠ふるさと」者の特権だ。



当地ではいろいろな経験をさせてもらった。

 振り返ると、ちょっとした入退院はあったにしても、全体として、健康に生きてこれたなあと感謝している。

 これからも、元気で、もうちょっと まだまだ、頑張っていきたい。

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