土木建設業に従事していますが、専門分野のことは少なくて、昭和のこと、故郷・徳島のこと、延岡のこと、雑多なことを自分の記録として日記代わりに書いています。St.3bの「がんサバイバー」でもあります。
 日々(いや、気のむくままに)読み書き
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ありがたいことである。
2014-11-22-Sat  CATEGORY: たわいのない話。
元気しています。


朝の車外気温8℃。
あと、10日もすれば師走。師走がくれば正月はすぐそこだ。時の流れは加齢に比例して加速度を増しているような感覚がする。

 3年目、定期検診の結果。早い話、「異常なし」であった。

 主治医のM先生「3年目ですか。早いものですね。今回は特にありませんでした。マーカーもいいですね、腹部胸部のCTにも異常は見られませんでした。よく、頑張っておられます。3年経ったので、今後は検診の間隔も少し長くなります。その後5年目を迎えることになりますが、5年過ぎてからも再発とか転移とかありますからね。気をつけていきましょう。次は3ヶ月後にしましょう」

 主治医の、よく頑張っている、という評価は正直にいってうれしいものがある。思わず「ありがとうございます」と返事した。
 私自身は「頑張っている」と云えるほど、たいしたことはやっていない。どう考えても、日常生活全般における家人の私への気配りが「異常なし」につながっているとしかいいようがない。

 ありがたいことである。

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3年前の記録 ③
2014-11-20-Thu  CATEGORY: たわいのない話。
元気しています。

11/16/2011(水)
晴天。
手術の日。
あれよあれよという間に「当日」となってしまった。昨夜は早めに(10:30頃)に就寝し、朝の4:30頃に小用で目が覚めた。深夜、看護士が見回りに来てくれたのに気が付かないままだったので、ぐっすりと眠れたのだろう。
今日も、あれよあれよという間に、手術室に運ばれ、まな板の上の鯉となり、指示されたとおりに体を動かして、手術されるのである。
手術する側、される側、どちらも大変だなあと思う。あとは、手術が成功し、元のままに生活できるように願いたいだけである。

9:00過ぎ、看護婦長さんが部屋に見えられた。「よろしくお願いします」と挨拶をかわす。
9:40頃、担当看護士が来て、血圧、体温、採血を行う。点滴は、NaClからぶどう糖主成分に替わったみたいだ。

正確には記憶していないが13:00頃に、看護士さんが来て、肩に注射を打たれた。麻酔の効きをよくするとか。

14:00前、パジャマから手術着に着替えて、TVなどでおなじみの恰好にお色直し。

14:00頃。手術がはじまる時間が近づいてくる。お隣りのKさんがお見舞いに来てくれた。家人と二人から、見送られて手術室に。ベッドのまま、運ばれる。
 手術室担当の看護師さんたちに、手術室で引き継がれ、移動ベッドに移される。手術室に運ばれてから、幅の極端に狭い手術台に乗せられる。

ここで、体を左横にして、エビのように丸くするように云われる。
「ちょっと痛いです」といわれ、背中に注射を打たれる。これを硬膜外麻酔という。
 たしかに「ちょっと痛い」。

 そのあと、麻痺した背骨付近に、カテーテルが挿入され、仰向けに寝る。
 頭にキャップをかぶせられ、血圧測定装置、血中酸素濃度測定装置、心電図センサーなどを装着される。
「伊藤さん、今日はどこを手術しますか?」と手術担当看護士さんから聞かれる。
「盲腸部の腫瘍を切除する手術です」と真面目に答える。何か笑いが出るようなことを口にしたかったけれど、気の利いたことも浮かばなかった。そういう余裕はなかったのだろう。

「それでは、麻酔をかけます」といわれる。
「はい。わかりました」

いよいよ、だ。

「全身麻酔とは、意識を失うということ。意識を失うとは臨死みたいなもの。擬似的な臨死体験を得られる絶好のチャンスかもしれない」と、好奇心がもたげてきた。
「よし、意識を失うということはどういうことなのか。意識を失ってしまうまでのブロセスはどんなものか」を克明に記憶し、味わうつもりで「はい、わかりました」と返事をした。

 しかし、次に目がさめたのは「伊藤さん、目を開けてください。手術は無事に終わりましたよ」であった。え、なんだったの?という感じであった。

 走馬灯も大川の流れもお花畑もなにも記憶しないまま、せっかくの貴重な体験はそっけなく終わってしまっていた。

 そのまま、ベッドに移され、病室まで運ばれた。時刻は18:00頃。

 そこで家人たちと対面。私はピースサインをした。

・・・・・ということで、昔の日記はこれで終わり。

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3年前の記録②
2014-11-16-Sun  CATEGORY: たわいのない話。
今日も、元気です。

昨日の、つづき

 11/15/2011(水)
晴れ。午前6時起床。生まれてはじめて病院のベッドで一夜を過ごした。右腕に刺した点滴の針が気になり、あまり、眠れなかった。点滴のせいか、夜中に3~4回ぐらい小用で起きた。

 深夜、3回ぐらい、看護師さんがハンドライト片手に物音を立てないように部屋に入ってきて、点滴の状況や私の様子を見に来た。私は目が覚めていたのだが、突然「こんばんは」というのもバツが悪いので、眠った素振りをしていた。

 朝は、6時過ぎから6時20分ぐらいにかけて、東の空が紅にもえる。思わず、デジカメを取り出して撮る。

 少し寒い。カーテンを開けると急に部屋の中が寒くなる。
 腹がへる。何か食べたいが、術前なので、絶食だ。
 
 登校前の孫と電話で話をした。

 9時半頃から、2リットルの下剤を飲む。また3時ころにも下剤が出る。
 明日は、いよいよ手術だ。

 午後から家人が来てくれた。

肺機能検査。オペ室看護師による術前の具体的な説明。主治医である院長先生による説明。太ももの付け根の動脈からの採血。
 徐々に、明日の本番が現実のものとして近づいてくる。

 こんなこと想像もできなかった。まして、自分が。やはり、そのひとの立場になってみないと本当のところはわからない。そう、思う。

 シンガポールから帰ってきた兄から「どうか」と電話がかかってきた。
 「うん、大丈夫」と返事した。

 ベッド生活になり、長時間下肢を動かさずにいると血管が圧迫されて血の巡りが悪くな、エコノミー症候群になるリスクが高くなる。その予防のため、特殊な靴下を履かされる。膝から下の足の部分を締め付ける靴下だ。締め付けると血流速度が増し、血行促進が図られるのだ。
 ついで、ゴム風船を渡される。呼吸の訓練をするように指示される。術後「痰」の処置のために膨らませて訓練しておくのだ。

 明日の手術は、執刀医が院長先生と医師(女性)がひとり。麻酔医(女性)が一人。看護師が4名の7名が担当してくれるとか。

 手順はこうだ。
 午後1時半頃から、手術着に着替え部屋のベッドに横になったまま手術室に運ばれる。それから別の運搬用ベッドに乗り換え、さらに手術台に移される。手術台は人間がやった横たわることができるぐらい幅が狭い。
頭に帽子をかぶせられて、背中に管を通す。心電図のセンサー、血液中の酸素濃度測定する器具、血圧計などが取り付けられ、そのあと、全身麻酔がかけられ意識不明になる。酸素呼吸器をつけられ、気管に管を通され、鼻孔から胃まで管が入る。膀胱にも管が入る。

 そして手術。二時間から三時間。右側の結腸部やリンパ節を切除し、小腸と吻合する。いちばんのリスクは小腸との吻合。
・・というような手術とか。

 術後は、麻酔をとかれて自己呼吸が出来るようになったら、気管からのチューブは取りはずされる。
 翌日は、躰を起こす稽古。その次は、立つ練習・・と続く。

 今日の夜は、孫が見舞いにきてくれた。ベッドで写真を撮った。

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3年前の記録 ①
2014-11-15-Sat  CATEGORY: たわいのない話。
元気です。
いたって元気です。

今日は、11月15日。思えば、3年前の今日、はじめての入院を経験していた。

3年目の節目をむかえる。

当時の日記(記録)をそのまま転記してみる。


11/14/2011(月)
晴天。
今日から入院。
入院

 孫を児童クラブに預けてから9:00AMに病院へ。個室が午後にならないと空かないので荷物を持って四人部屋のベッドで待機。その間、身長、血圧、胸部・腹部レントゲン写真を撮られる。

 腕に二種類の皮下注射を打つ。アレルギーの確認である。これといったアレルギー症状はなかった。
検査


  肺機能検査を一度試みるが、肺機能検査機器のトラブルで延期となった。肺機能検査とは、肺活量測定みたいなものである。
 家人は、仕事があるので11時頃に一時帰宅。

 四人部屋は静かだが、隣室の四人部屋からは、入院患者の携帯電話の声が、あからさまに耳元で会話しているみたいに聞こえてくる。かなりの大声で会話していた。

 15:00頃、下腹部の毛剃りがある。最初は電気カミソリで剃り、ついでカミソリで剃る。そのあと、細かな毛を、粘着テープで取られる。
 15:30頃、浴室に案内され、シャワーを浴びる。明日から、一時、シャワーは使えなくなるので念入りに体を洗った。
 16:00頃、120号室に案内され、正式に自分の個室を与えられる。窓を開けると眼下に五ヶ瀬川が流れ数羽の鴨が泳いでいた。対岸には城山が小高くそびえている。なかなか、ロケーションのいい部屋だ。
ベッド

 16:00過ぎに点滴開始。看護婦さんの話によれば、これから、途切れることなく点滴が続くという。点滴は生まれてはじめての経験になる。

 点滴の針が入りにくい。血管が細くて表面から深いところに位置しているようだ。左腕に何回か点滴針を挿入しようとしていたが「右腕にさせてください」と右腕に入れる。二回目に成功し点滴がはじまる。
点滴

窓の外をみると、夕暮れの亀井橋や対岸の堤防上を自転車や車が走っている。それを見て「健康はいいなあ」と思う。
 

 
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はじめて知った(その2) 校歌
2014-11-06-Thu  CATEGORY: 貞光町
元気です。




はじめて知った(その2)

徳島県のつるぎ町の山間に休校になった端山小学校猿飼分校がある。残念ながらも世界農業遺産登録の選にもれてしまった地区内に、位置している。

 ここの校歌が素晴らしい。

 日々巡回しているブログの一つ「にし阿波暮らし」で教えてもらった。

どなたが作詞されたのだろう。個人的にとてもいい歌詞だと思う。

以下、紹介する。

友内さんがいつもみている
まばゆい雪の日
かすんだ春の日
じっと見ている
みんな仲良く 大きくなろうね


木綿麻(ゆうま)の谷がぴちぴち聞こえる
明るい夏の日
まっ赤な秋の日
どんどん流れる
力いっぱい 勉強しようね


いんべ(忌部)の神だ われらの祖先は
だんだん山畑
天つく黒植林
古いこの土地
自分の力で りっぱにしようね




 剣山でなくて「友内山」というのがいいし「われらの祖先は忌部の神だ」もいいし「みんな仲良く大きくなろうね」や「力いっぱい勉強しようね」には、思わず「うん」と返事したくなる。

 こういう素晴らしい校歌も休校になり、廃校になると忘れ去られていくのかな。

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