貞光に帰郷したとき早朝の国道192号沿いにあるローソンでお世話になった。
町にある、唯一の(多分)コンビニだ。乳酸飲料や暖かいコーヒーを購入したのだ。
親戚に行くために、貞光川沿いの国道438号を遡っていたら、狭隘な現道を拡幅する工事が行われていた。

この頃では、すっかり見なくなってしまったコンクリートを打ち込むための「斜めシュート」が路肩から何本も下に向かって設置されていた。
朝の早い時間帯で、仕事にはかかる前らしかった。ちょっと先の、やや広いところで車を止めて振り返ってみたら直下の貞光川にバックホウや資機材が見えた。
やりにくい場所だなあ。仕事をされている方たちすごいなあ、しかし仕事大変だろうなあ、などと思いつつ、現場を眺めさせてもらった。
こうやって道路が拡幅されていくと、通勤が楽になるし、緊急時などの利便性も上がるなど、はかり知れない効果が生まれると思う。
で、「近くのコンビニがつぶれたときと うちがつぶれたときと どっちが、悲しんでくれる人が 多いだろうか?」を耳にしたとき、この情景のこともよみがえってきたのだ。
特に意味はないけれど、ブログ名称を変更。
ほとんど読んだこともない永井荷風の日記「断腸亭日乗」をぱくって「断腸庭」としてみた。
私の場合は、永井荷風と違って本当に腸を断しているのだからいいだろう。
(この際、青空文庫で、断腸亭日乗も読んでみようと思う)
先週の木曜日。
コンクリート診断士の総会。列車ダイヤが乱れていて講話の開始に間に合わなかった。講師はこの業界ではとびきり有名な先生。新たな知見はなかったが、やはり、それなりに面白かった。コンクリートの初期ひび割れと耐久性の関連がはっきりしていない、というのは面白かった。調べると0.2mm程度の初期ひび割れは厳しい環境の現場においても、あまり支障はないという論文もあったりしている。なら、何がコンクリートの耐久性に影響しているのだろうか。私見だが、多分、コンクリート表層の緻密さの程度だと思う。緻密過ぎてもいけないのだが・・。
講話をほとんど聴いてタクシーで空港に行き福岡まで飛ぶ。福岡空港から地下鉄赤坂駅で降りて、宴会の場所に向かう。ひぐまさんなどなつかしい顔ぶれにお会いする。
金曜日。
8時前の新幹線で新山口まで移動。迎えにきてもらって協会の理事会に出席。コーヒーを飲みながら1年ぶりに、高知のOさんと会話する。会は途中退席し再び送ってもらって新山口駅から博多まで新幹線で移動、乗り換えて会場のある吉塚駅まで行く。
「ひのさん」にはじめてお会いした。ひのさんが私をどう思われたかはわからないが、私のひのさんへの感想は一言でいえば「格好いい」である。格好いいといっても、姿かたちなど見てくれのことではない。魅力というか、迫力というか、佇まいというか、私には「格好いい」と感じられたのだから仕方ない。何が恰好いいのかと問われても「格好いい」から恰好いいとしか答えられない。多分、ひのさんご自身の内面から醸し出されている雰囲気だと思う。機会があれば、また、お会いしたい。
冒頭の、近くのコンビニがつぶれたときと うちがつぶれたときと どっちが、悲しんでくれる人が 多いだろうか?
これはショックな言葉であった。この言葉は重い。このような視点は大切だと思った。
次に、現道工事に伴う近隣住民への徹底した心遣い。さすが、ひぐまさんのお弟子さんだけはある。まだ若くて、将来楽しみな人材である。
ひのさんのCIMを活用した住民説明や変更協議。本当の技術というのはこういうものかもしれないと思った。
そして我が社の発表。他社と比べると内容が薄く見劣りがするのはやむを得ない。しかし、発注者と一緒に発表した事、現場代理人の現場に対する思いが少しは伝わったことなど、良い点も見受けられた。
しかし、何よりも、大勢の前で堂々と発表する機会に恵まれたこと、全国からおいでになっている他社の熱い人たちとコミュニケーションがとれたことなど、本人にとってはいい経験が出来たのがよかった。
S組社長の「かわいい子には旅をさせろ」である。
思ったよりも長引いて今も院内にいます。昨日は院内の廊下を歩き回り1万歩を数えることができました。
あとわずかで復帰できると思います。
多少の不安は残りますが、社会生活の中で体調を整えていけばいいと考えています。
剣山
私たちは、子供の頃から「けんざん」といいならわしていました。
校歌は「けんざんによせて~」でした。中学・高校の校歌では、さすがに「つるぎさん」といったような大人っぽい呼び方になりましたが、小さい頃に刷り込まれた言葉からはちっとやそっとでは抜けられません。
「剣山」なら「けんざん」と自然に呼んでしまいます。劔山と旧字なら「つるきさん」と呼びます。
で本来の名前は、つるぎさん(劒山)です。
頂上には、源平合戦に敗れて生き残った平家の人たちが、再起を目指し安徳天皇を報じて馬の軍事訓練に励んだといわれる「平家の馬場」があったり、頂上のすぐ下には、三種の神器の一つ「劔」を埋めたといわれる宝蔵石があったりする、伝説の山です。
元の名前は「タローギュウ」と云ったともいわれています。
劔山本来の表玄関は木屋平側のほうなのですが、今は交通の利便性などから、裏玄関の貞光の方から登るのが一般的なっています。平成大合併で貞光町も「つるぎ町」と改名しています。徳島県のシンボル的な山です。
つるぎ町から見ノ越まで車で1時間半ぐらい。今は、見ノ越が登山口になっています。
日本百名山にもカウントされています。この山の特長は「多分、日本でいちばん簡単に二千メートル級の山に登ることができる」ことだと思います。
登山してみるとわかりますが、延岡にある標高830メートルの行縢山に登るほうが「きつい」ぐらいです。
とはいうものの、二千メートルの山なので、いくら簡単に登れるといってもバカにしてはいけません。低い山には見られないリスクもあります。
私は見ノ越から歩いて頂上に向かいました。大多数の人たちは見ノ越からリフトに乗ります。西島神社のちょっと上まで行くことができます。そこから1時間も歩けば二千メートル級の頂上をきわめることができるのです。
貞光の町から望む剣山。

貞光町から望む剣山。拡大。

剣山の頂上(平家の馬場)から眺めた貞光町。

見ノ越から頂上までのストリートビューもあります。 →グーグルマップ