私は「元気」しています。
今日は、昼過ぎまで残務していたのだが、孫だか、子供だか、わからないが彼らの風邪をもらったみたいで、早退してゴロンと横になっていた。
で、夕方からは日課の散歩に出かけた。朝夕の散歩を日課としているのだが、日課を休んだり、中止したりすることのできないたちなので、ちょっとした喉の痛みを辛抱して出かけた。
まず、目に入ったのは日没と野焼き。

そして三羽烏。こいつらは、屋根に止まって私が去るのを待っている。私が居なくなると、道端の渋柿の実を食べに飛んでくるのだ。

帰りは、水かさが減った小川でついばむ「鴨の夫婦」

・・・というようなことでした。
今日は、早めに寝て、明日は休んで、明後日にそなえよう。
では。
私は、元気です。
朝日が昇る前の刹那

夕陽

子供の頃に希望を持っていた人は、全体の70%を越しているそうだ。でも、小さい頃の希望が叶ったのは8%に過ぎないというデータが書かれている本を読んだ。
なら、希望を持っても意味がないのか、というとそうではありません。
挫折して、はじめて、そこからしか始められない希望の調整や軌道修正のプロセスが出てくるのです。挫折して、はじめて分かるものが見えてくる、ということです。
・・・・と、あった。
私の場合、子供の頃なりたかったのは、おさだまりの「蒸気機関車の運転手」や「警察官」など。少し大きくなると、親兄弟に影響されて、新聞記者や土木の仕事に携わりたいと思うようになり、その後、ストイックな生き方に憧れてお寺の僧侶にとも思ったが、つまるところは、土木屋として、子供の頃の希望どおりの仕事をやっていた、ということになる。
土木に進んですぐに分かったこと「この仕事は、自分には向いていない、不向きだ」ということだった。これが、最初の挫折でもあった。
それから、しばらくあちこちと彷徨ったあげく、結局は土木に関連したこの道に進んで来たということになる。
仕事として「土木」を選んだ以上、向き不向きなどは考える暇もなく、はまりこんできた延直線上に、今の私がある、ということである。