【二層うだつの町並み 加工】

TVを見ていたら1970年大阪万博の映像が流れていた。
大阪万博は高校二年生の頃で、校内で参加者を募り大勢の希望者が団体で見学に行くことになった。好奇心は旺盛な方なので行きたかったけれど、家庭の経済事情から「行きたい」とは言いだせないまま、行かないことにした。見学旅行は一泊二日だったと思うが、学校は休校になり、私は家でじっとすることにした。
そこに友人がたずねて来た。
お前は、万博に行ったのではないのかと聞いたら、いや、行かん。万博に行くお金を貯めて大学受験の参考書代に回すので泊めてくれ、という。
うん、いいよと返事し、おかけで退屈な時間からは免れた。とはいえ、友人は万博に行ったことになっているので、町中を堂々と歩くわけにもいかず、家で熱く語り合う青春の日々を過ごした。
万博旅行の日程も終わり、自宅に戻ることになった友人は、土産ものがないだろうかという。とりあえず、探してみるかと、近所の二人で商店を歩いていたら、酒屋に、万博記念の缶ビールが置いてあった。
「コレでいいんじゃないか」と勧め、彼は4.5本を袋に入れて、土産物として自宅に戻っていった。あとで聞いたら、友人の父はよろこんでいたそうである。
友人は、卒業後上京し新聞配達しながら予備校に通い、念願の大学にも入り、様々なアルバイトをしながら卒業し、今は、事務所を開設して女房子供を養っている。
我が友、あらためてみてもみなくとも、たいしたものだと思う。
♪下駄をならして奴が来る、腰に手ぬぐいぶら下げて・・・の世界である。
【万博に行った友から土産にもらったパンフ】

このパンフどおりの実現はできていない。
小学生の頃、学校で半強制的に飲まされた脱脂粉乳へのトラウマがあるのか、今も牛乳は好のまない。
今まで「うまい」と感じて飲んだこともない。飲んで飲めなくもないけれど、飲まないようにしてきた。
「よし、飲んでみるか」と飲むときは、透視に使ったバリウムを体外に出やすくするための下剤の補完とか、胃酸過多でチクチクする胃壁の保護のためなど、薬代わりとして飲んできたぐらいだ。
小学校の頃の風景(モノクロをカラーに加工)

牛乳は原料が「牛」だ。牛だけにウマが合わないのだ。
といって牛乳を完全否定するものでもない。加工製品の チーズも好きだし、乳酸飲料など毎日いただいている。私たちの子供や孫も粉ミルクのおかげで成長することができたし、幼いころの私も、粉ミルクにはお世話になったはずだ。
ただ、なんでもかんでも牛乳というのは摂り過ぎかなと思う。
というのは、孫の給食、ご飯でもパンでもすべて牛乳が出されるということを聞いて、こういうことを感じた次第。
ご飯には牛乳ではなくて、茶柱が起つような番茶だろう、と思う。
まあ、孫は私とちがい牛乳は好きみたいだから、それはそれでいい。
しかし、すべからく、なんでもかんでも「摂り過ぎ」というのは「過ぎたるは及ばざるが如し」だと思う。