土木建設業に従事していますが、専門分野のことは少なくて、昭和のこと、故郷・徳島のこと、延岡のこと、雑多なことを自分の記録として日記代わりに書いています。St.3bの「がんサバイバー」でもあります。
 日々(いや、気のむくままに)読み書き
ひなたを看病しながら。
2010-05-06-Thu  CATEGORY: 未分類
 午前5時40分起床。天候は曇に近い晴れ。室内温度21度、外気温18度の朝だ。 
 今朝は、家人も本調子ではないので「寝ておけ」と言って、仏壇への供えをすまし線香を立て、炊きたてご飯、フリーズドライの味噌汁、納豆で朝をすませた。 
 
 ひなたは深夜の2時半頃に解熱剤を入れたら、5時頃には37度台に下降、出掛けには36.9度。帰宅したら、普通に戻っていた。解熱剤はあまり使いたくなかったのどが40度以上の熱で苦しそうにしていたので、使うことにはしたのだ。 

 横になってきつそうにしているひなたを見ながら、私の子供の頃を思い出し、外部から体内に侵入してきた異物と闘いながら、耐性とか免疫化とかを身につけているのだろうなあと思った。

 ウイルスと闘っているひなたを看病しながらいろいろなことを思った。
 
 私は健康体で強い。ただし、今のところ・・・・・。
 特に、外からのウイルスや細菌などの攻撃には「めっぽう強い」という、あまり根拠のない自信を持っている。

 私らの子供の頃は、衛生環境はよくなくて、蠅、蚊、のみ、しらみ、ねずみなどが身近に居た。回虫,サナダムシ、ギョウ虫などの寄生虫をお腹に飼っている子供はどこにでもいて、食あたり、赤痢、疫痢、天然痘、チフス、日本脳炎、ジフテリアなどに子供が罹り、不幸にも、毎年、何人かの児童が亡くなることもあった。

 それに、当時は、食べ物は貴重で、少しヘンな匂いがしても捨てることはもったいないので「これぐらいなら大丈夫」と、食べていたし、食べさせられていた。おかけで、今でいう「食中毒」には、毎年一回ぐらいは罹っていたりしていた。

 そういう、リスクの高い時代を、運良く、なんとかしのいで生きてきた世代は、何らかの耐性を身につけているのかもしれないと迷信みたいなことを思っているのだ。

 それで、何が言いたいかというと、私にもわからないのである。当時を懐かしんでいるだけかもしれない。

 ただ、思うのは、当時は「勢い」があった。子供の数も多かった。私の通った小学校でも全校児童数は八百名を越えていた。(現在は全校児童は192名で四分の一以下まで減少している)

 衛生、食料、交通、通信、道路・・などの社会的インフラは「これから」というところであったが、人だけは多かった。そして、みんな、なにしからせわしなげに働いていて、今の途上国みたいな「勢い」があったように思える。
「勢い」というのは「足りない」ということと「人口の多いこと」が大きく作用する。

 日本は、人口が大きく減って、下り坂みたいになっているが、やがて、反転し、再度人口が増えてくるに違いない。そして、昔の「勢い」が再来するに違いない。
そう、思っている。

 では。


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