土木建設業に従事していますが、専門分野のことは少なくて、昭和のこと、故郷・徳島のこと、延岡のこと、雑多なことを自分の記録として日記代わりに書いています。St.3bの「がんサバイバー」でもあります。
 日々(いや、気のむくままに)読み書き
西都原考古博物館
2010-05-11-Tue  CATEGORY: 未分類
 午前5時35分起床。天候は曇り。室内温度21度、外気温18度の朝。 
 
 今朝は、炊きたてご飯、豆腐とワカメとほうれん草の味噌汁、納豆と海苔、ちりめんじゃこの佃煮、濃茶をいただいた。 
 

 今日は、片道二時間半の山間部の現場に行ってきた。昼前に到着し4時過ぎまでいた。
林道

 

西都原古墳群(サイトバル。宮崎では原のことをバルという)の一角に「県立西都原考古学博物館」がある。高校二年生の夏休み、建て替えられる前の博物館には行ったことがある。当時は、古代のことなど全く関心はなかったので、ほとんど記憶にはない。

で、この前の日曜日、新装あいなった「西都原考古学博物館」に行ってみた。

西都古代博物館

感想は「素晴らしい」の一言につきる。

 施設そのものも、お金をかけた見事なものであるが、展示物も刺激が与えられるような展示方法というか、また、ゆっくりと時間をかけて一人で訪ねてみたいと思わせる空間であった。
 縄文
 やじり
 弥生
男

 館内には、数名のボランティアの方が常駐され、詳しく解説をしてくれたり、親切に案内をしてくれたりしている。

 展示物には説明が書かれてあり、いったいどなたが書かれたのか、その説明書きが、また、実にいい。
 説明書き


その説明書きを少し記録してきたので、いいなあと思った語句を下に引用してみる。

人を思うことは素晴らしい
 歩く速度は、人を想うことができる。馬を駆ける速度は風に抱かれ自然と一体になれることができる。しかし、車の速度では、人を想いやることができない。


 

車社会は、しばらくの間、山を障壁としてきたように、山がつなぎ目として人と人との交流を支え、地域と地域を結びつける場所であったことを、私たちは永い間忘れていた。山は閉じられた場所ではないのだ。
 山には山の歴史がある。山間に住まう人々には、平野に住まう人々とは異なる歴史がある。



かつて、縄文と弥生の間に「闘争」が想定された。北部九州において、東北など東日本の流れとは別に、縄文時代後期に入り逆行するように土偶祭式が盛んになることを、新たな波としての弥生文化に対して縄文文化の伝統を維持しようとする決意の表れと理解する考えである。弥生が豊かで縄文が貧しかったかについては、単純には結論は導き出せない。しかし、たとえ縄文が貧しかったとしても、そのためにもろ手を挙げて豊かさになびくものではないことを、心の隅に留めておくべきである。



米を尺度にしたとき、米文化と異なる文化は
停滞あるいは後進とみなされ
誰もそれを不思議とは考えなかった。

文化を先進だとか後進だとか、
発展だとか停滞だとか、
そうした尺度で計ってはならない。
それは人間の価値を計るべきでないことと同じなのだ。



 コラムから引用

歴史は変っていくものではなく、重ねられていくものではないか、という思いがわたしにはある。流布する歴史年表とは別に、いわば不可避的に描かざるを得ないわたしの歴史年表は、旧石器文化の上に縄文文化が重ねられ、さらにその上に弥生文化が、そしてその上に古墳文化が、というように重層化していくものとして想定されている。こうして見た時、わたしたちはいままでと違った歴史像を描くことができる。・・ざっくり・・



こうした施設などが県北にもあるといいのだが、今も今後も造られることはないだろうなあ。



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