土木建設業に従事していますが、専門分野のことは少なくて、昭和のこと、故郷・徳島のこと、延岡のこと、雑多なことを自分の記録として日記代わりに書いています。St.3bの「がんサバイバー」でもあります。
 日々(いや、気のむくままに)読み書き
技術の伝承。
2010-05-15-Sat  CATEGORY: 建設
 午前6時起床。天候は晴れ。室内温度19度、外気温13度の朝。 
 
 今朝は、炊きたてご飯、豆腐とワカメと筍の味噌汁に卵を割り落とし、納豆と海苔、大根おろし、濃茶をいただいた。 




 少し前、 NHKBSで「仕事をなめるな」というドキュメンタリーをちょっとだけ観た。江戸指物の技を伝えようとする親方と、彼のもとに弟子入りした大学出のフリーターの若者に仕事を教えるというルポだ。その中で親方が「いくら技術を教え込んでも、職人としての考え方がないと駄目だ」みたいなことを語っていた。
そうだよなあ、と思う。

 技術(テクニック)は年々変化していく。三十年前の方法と今の方法とでは、違っている。器具も方法も違ってきている。今のほうが、より便利に、より早く、そして複雑になってきているように思える。

で、何にしてもそうだと思うが、変えてはならないものがある。それが、考え方だとか姿勢だとかよばれるものだと思う。

公共土木工事が減り、大学や高校でも「土木工学部」「土木科」という名前は無くなろうとしている。企業も、以前のように毎年毎年計画的に新卒採用をするわけにもいかない。いや、新規採用を凍結せざるを得ないところまできている。

そういう状態が進むとどうなるか。

 連綿と伝わってきた「技術者」としての姿勢や考え方が将来に伝わらなくなる。

こういった考え方を含めて「技術」とよぶとすれば、各社で醸成されてきた「技術」が途切れてしまうことになる。
それならどうしたらよいのか。どうしていいのかはわからない。ただ、企業として、勇気と決断を持って「新規採用」に踏み切っていくしかないのだろう。

 右も左もわからない、社会のこともあまり知らない若者に仕事を教えていくのは、面倒なことだし、せっかく、教えても途中でやめるかもしれない。それでも、やるべきだと思うし、今までだって、そうやってきた。

 個人差にもよるが入社して三年から五年程度は、給与を支払うといっても、企業としては個人に対しての投資であり贈与でもある。しかし、一人前になり、企業の原動力となっていく。

 もし、途中で退社し他社に移っても、社会のため、個人のため、しいては地域のためになることと割りきって、えいやっで進めていくことがいいと思う。




来月、16、17日と上京することにした。

ある工法協会の理事会や総会を東京で開催するというのだ。私は、理事で、副会長(名のみ)をしていることや、先のことを考慮して行くことにした。

できれば、 久しぶりに浅草へも訪ねてみたい。

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