今朝は、炊きたてご飯、豆腐とワカメと大根ととろろ昆布の味噌汁、納豆と海苔、濃茶をいただいてきた。
どうも、この頃「肩が凝る」というのを実感する。つい、最近までは「肩が凝るというのはどんな症状?」というぐらいだったのに。で、家人に肩をとんとんと叩いてもらうと、すーっとするのだ。
昼休み、「ゲゲゲの女房」を見ているのを時々後ろからのぞいたりすることがある。
あれを見ていると、リアルタイムで当時の「ビンボー生活」が思い出される。
あんなこともあった、こんなことも・・・・。
でも、ビンボーだったのは、父や母で、私は小さくてあまりわからなかったし、どちらかといえば、何の不自由もなく育ててくれたと思っている。
ドラマには、紙芝居と貸本屋が出てくる。
紙芝居は、私の場合、ほとんど見たことがない。紙芝居を見ている子供たちを後方から眺めていたことのほうが多い。松尾神社の近くや街路の路傍で、おっさんが、自転車を停めてやっていたが、大勢の子供たちの後の方ではよく見えなかった。
なぜ、後ろに居たかというと、お金を持ってなかったからだ。紙芝居を見るためにはお金がかかる。水飴や米菓子などを購入すると前の方で紙芝居を見ることができる。
遠くなると、声もあまり聞こえないし。
(↓・・・・・のような情況であった。写真は「三好・美馬・阿波・吉野川の今昔」から引用)

そういえば、家にも紙芝居があった。黄土色の固い紙に天然色で描かれていた。何枚か欠落があったようだが、今から思えば、あれは忠臣蔵の紙芝居だった。現存していれば「お宝」になっていたかもしれない。
小学校に上がると、視聴覚教室で、担任の先生が紙芝居をしてくれた。いちばん印象に残った紙芝居は「フランダースの犬」だった。ネロやパトラッシュが可哀想で涙が出たことが思い出される。
「紙芝居」という言葉だけで、以上のようなことが浮かんでくる。
貸本屋。
わが、貞光町にも、貸本屋があった。何軒あったのかは知らないが、私の知っているのは専売公社から東浦に抜けていく道の突き当たりで営業していたような記憶がある。
貸本代金は、いくらだったのかも覚えていない。当時の小包の包み紙のようなカーキ色の分厚い紙で、本全体がひとつひとつ丁寧に装丁されていた。今から思うと、何十回も使い回しをするので、本が傷まないための補強だったのだろう。
貸本では「鉄人17号」という漫画があったのを、うっすらと覚えている。
炭酸ソーダを二袋購入することにした。50キロ。
これで4%水溶液をつくる。口蹄疫関連の消毒に使うのだ。
では。