土木建設業に従事していますが、専門分野のことは少なくて、昭和のこと、故郷・徳島のこと、延岡のこと、雑多なことを自分の記録として日記代わりに書いています。St.3bの「がんサバイバー」でもあります。
 日々(いや、気のむくままに)読み書き
貞光町 うる覚えの記。貞光会館のことなど。
2010-06-18-Fri  CATEGORY: 貞光町
 午前5時35分起床。天候は小雨。室内温度25度、外気温24度の朝だ。昨夜は、蒸し暑くて寝つけなかった。
今朝は、炊きたてご飯、豆腐とワカメと玉ねぎ味噌汁、納豆と海苔、イカの塩辛、濃茶をいただいてきた。

 午前中は、大分の県境まで、鉄道の案件の現場踏査に行ってきた。かっぱを着たが、蒸し暑くて、汗でびっしょりとなる。



貞光町、うる覚え。

 貞光会館のこと。。。。

 松尾神社の近く(道路を挟んで東北方向)に、貞光会館という映画館があった。

貞光劇場のライバル館として、都会的な雰囲気で映画を上映していた。当時としては、珍しいグリル(レストラン)も併設されていた。しかし、火災により、休館になり、いつか開館するかもしれないという期待をよそに廃館となってしまった映画館である。

 営業期間は短かったと思う。多分、三、四年ぐらいで幕を閉じたのではないか。

 小林旭の渡り鳥や三木のり平が主人公の「孫悟空」や三船敏郎の「日本誕生」をここで見た覚えがある。調べてみると、孫悟空や日本誕生は1959年4月、10月に東宝で制作されている。地方は、都市部で封切りされてから、一年ぐらい遅れて配給されるので、それを考慮すれば1960年前後が全盛期だったのだろう。

 しかし、1961年7月に公開された東宝制作の「モスラ」は、貞光劇場で見た記憶があるので、やはり、1961~1962年前後の火事で休館になり、廃館になったものと思われる。

 ここも二階建てで、貞光劇場は二階席で観たい場合は10円程度の特別料金を支払わねばならなかったが、貞光会館は二階に上がっても、料金は取らなかった。

 子供心に、貞光会館は気前がいいと思ったりした。

 入り口は、間口が広くとってあり、大きなガラス扉から中に入ると、右側に映画の券を購入するところがあった。
 椅子は、貞光劇場のような長椅子ではなくて、固い木製の、背もたれだけが折りたたむ椅子であった。

 スクリーンの手前には、畳敷きの広間があり、ステージで手品を観た記憶がうっすらと残っている。

 残念ながら、私の手元には、貞光会館の写真はない。

 どなたが、営業されていたのだろう。。。。。。良心的な都会風のしゃれた映画館であった。

・・・・・・以上は、私の記憶。。。。。

以下「昭和39年発行の貞光町史 p-894」には貞光会館のことが記述されていた。

貞光会館。代表者は大垣保夫。昭和三十年、映画館として開館して、営業七年目の昭和三十七年十月、映写室から火を出し全焼はまぬがれたが、その時から休館し現在に至っている。

(西暦になおすと1955~1962年)

 貞光劇場のことも書かれている。

 

創設は大正九年で藤本伝助、津司豊の共同経営であったが、太平洋戦争中は閉館、終戦後昭和二十一年より藤本伝助の単独経営となり現在に至っている。楽屋を入れると木造二階建て十七間に八間、一三六坪で(二階は別)入場者八百人という地方では大規模の劇場に属する。
 演劇、映画を兼ね、東宝、東映、松竹、日活の四社と契約しており、今では美馬西部ただ一つの映画館である。開館以来四十七年という無声映画時代からの同館も、近来テレビ普及の影響をうけ経営も楽ではない。


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コメント

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貞光町
コメントななに | URL | 2010-06-18-Fri 22:29 [EDIT]
自分より歳を重ねられている人たちが、私が生きてきた社会の前の時代をいかにも楽しそうに語ってらっしゃることをうらやましく感じることがあります。
「そうそう、そうやったなぁ」みたいに、先輩達が生きてたそのころの話に同調できないもどかしさに悔しさを覚えます。
貞光会館には、幼いころ親父に連れられて行った記憶があるような、ないような、、、入ったところ?にらせん階段があったような?・・・そんな記憶しかありませんが、まさに貞光会館が存在した頃に自分が生きていたことは確かであり、G3さんと同じ時を同じ場所で過ごしたかもしれません。
柳川のじいさんが記した「貞光町風土記」を最近また読み直しています。
ななにさん。
コメントG3(じーさん) | URL | 2010-06-18-Fri 23:23 [EDIT]
ななにさん。
 コメントありがとうございます。

 >らせん階段があったような?

二階に上がる階段のこと、あまり記憶になかったのですが、なぜか、丸い柱があったような覚えがあります。なるほど、合点がいきます。多分、それが「らせん階段」だったのでしょう。

>同じ時を同じ場所で過ごしたかもしれません。
ほんと、そうですね。すぐ、近くで過ごしていたのですね。

>柳川のじいさんが記した「貞光町風土記」

柳川さんの「貞光風土記」。いい本ですね。私も持っています。柳川武夫さんは、父の知り合いで、我が家にも、ちょいちょい遊びに来ていました。
水前寺清子の「涙を抱いた渡り鳥」を知ったのは、柳川さんから教えてもらいました。。

 また、柳川さんの、多分、孫娘が私と同じ歳で、幼稚園の頃、一緒の机てした。小学校入学前に引越しされていきましたが、なつかしい思い出です。
 
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