土木建設業に従事していますが、専門分野のことは少なくて、昭和のこと、故郷・徳島のこと、延岡のこと、雑多なことを自分の記録として日記代わりに書いています。St.3bの「がんサバイバー」でもあります。
 日々(いや、気のむくままに)読み書き
今と昔。
2010-07-02-Fri  CATEGORY: 建設
午前5時30分起床。天候は曇り。室内温度26度、外気温24度の朝。
朝は、炊きたてご飯、具沢山の味噌汁、納豆と海苔、白菜キムチ、濃茶をいただいた。


 昼食の弁当を食べ終わったら、口の中に違和感がある。舌先でさぐると固いものに触れた。取り出してみると「歯」だった。
親知らずの歯であるらしかった。跡は、斜め方向にぽっかりと小さなクレーターが出来ていた。痛みも出血もなかった。抜けたというより根元から「もげた」という感じだ。

 今更、床下に投げて「生えてこい」とお願いしても、絶望的なので、こいつは、記念にとっておくか。



北川一号橋
北川一号

北川一号2



これを担当したのは、今から32年前の、昭和53年から54年にかけてだ。
北川一号3


意外と傷んでいない。錆汁もエフロエッセンスも見られない。

橋台2基。橋脚5基。
直接基礎2基。鋼管杭基礎2基。オープンケーソン基礎3基。

 何もかもが初めての工事。鋼管杭を打ち込んだのも初体験だったし、何より、こんな構造物はやったことはなかった。

 オープンケーソンの沈下計画図を、近代図書かオーム社かどこかの専門書を基に作成した。
 クレーンを月極でチャーターして、自社が持っていたクラムシェルでケーソンの掘削を行なった。

 施工は、ほぼ直営施工。足場も支保工も、自分たちで組み立てた。

 もちろん、数々の失敗もした。

 途中、洪水で築島が流されて仮設矢板が飴のように曲がって倒れたりもした。

 ケーソンの沈下が途中で止まり、重しを乗せて爆薬を仕掛けて沈めたり、

 ケーソンが大きく傾いたり、ボイリングを起こしたり、

 型枠支保工が、打設途中で倒壊しかかったり、

 型枠がバレそうになったり、、、

 

 幾多の困難に出くわした。

 こういう工事を経験したのは誰も居なくて・・・・・・。


 当時は、今のような光波測量やGPS測量などは考えられなかった。
 当時も、光波測量機器はあったけれど、使わなかった。

 巻尺とレベルとトランシットでのアナログの測量だ。

 直線ならもっと簡単だったのに、カーブが入っていた。

 P2とP3橋脚は、50mテープでは届かないぐらいのスパンがあった。

 測量も大変だった。


 7基の構造物、ひとつひとつが記憶に残っている。


 試行錯誤のくりかえしだった。

 ど素人が、教科書を見ながら、ああでもない、こうでもないと

 施工した。

 今は、技術や経験や技能が蓄積されているので、当時みたいな苦労はしないかもしれない。



 今は、重要路線として、供用されている。



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