土木建設業に従事していますが、専門分野のことは少なくて、昭和のこと、故郷・徳島のこと、延岡のこと、雑多なことを自分の記録として日記代わりに書いています。St.3bの「がんサバイバー」でもあります。
 日々(いや、気のむくままに)読み書き
貞光町 うる覚えの記。松尾神社。
2010-07-31-Sat  CATEGORY: 貞光町
 午前5時45分起床。天候は晴れ。外気温25度の朝だ。 
 頭痛、喉の痛みに、右耳の奥、両目の奥にも鈍痛を感じる。食欲もあまりない。 
 体調不良の朝だ。 
 
 今朝は、炊きたてご飯、豆腐とワカメと白菜と玉ねぎ、納豆と海苔、茗荷、濃茶をいただいた。食卓の上をしばらく眺めていたが「よしっ」とばかりに、箸を持って食べた。




松尾神社の脇の側溝の清掃作業の写真である。道路は未舗装、凸凹道を乗り合いバスやオート三輪、時には、馬車も走っていた。
 【三好・美馬・阿波・吉野川の今昔・・より写真引用】
 松尾神社昔


 地域の人たちが、側溝の蓋を開けて、溜まった土砂の浚渫をしている。舗装がされてないので、雨が降ると、すぐに土砂が流れ込み溜まる。日常的にこうやって維持しないと側溝としての機能が果たせなかったのだろう。

 社会資本があまり整備されていなかった時代、はじめの頃は、個人が投資して、橋などを架けて、賃取り橋として、使用者からお金をもらうことがあったようだ。貞光川にも賃取り橋があったと「貞光風土記」に記載がある。

 

余談だが、徳島道吉野川SA、美濃田の淵には、むき出しのコンクリート橋脚がそびえ立っている。あれも、有料の橋として、地元の有力者の人たちがお金を出し合って計画し着手したものの、資金難やその他いろいろな事情で、工事が頓挫し、撤去されないまま残っている。今は、どことなく風情のある、土木遺産の景観として新たな役割を負っているようにも思える。
 (今という時代、膨大な財政赤字が増え社会資本整備にお金がかけられなくなっていて、国交省は民間の資金とノウハウを活用して社会資本整備や保全を行うとしてPFIやPPPなどを積極的に推し進めようとしている)⇒昔に帰っているみたいだ。。。。。。。。



しかし、インフラ整備が求められ、とても、個人ではまかないきれなくなったため、国や県や町が代わって行うようになった。しかし、初期の建設費用は公が負担したが、維持は、こうやって使用者負担が当たり前であった。

 私は、この辺りの舗装工事をしているところを見た記憶がある。かなり前だ。そのことから推し量ると、この写真は、さらに古く、昭和29年頃から昭和30年の写真ではなかろうか。
左には、消防ホースのようなものを何人もの人が手に持って歩いている。火災の直後かもしれない。松尾神社の西側には「火の見櫓」が立っていた。これから、火の見櫓にホースを上げて干すのかもしれない。

 火の見櫓といえば、火事が発生すると、半鐘が叩かれた。半鐘の音は、町中に響き渡たる。かなり遠いところまで音は届く。

「ジャン、ジャン、ジャン・・」。火の見櫓で叩く半鐘の音は、危機感を、さらにあおるような音色だ。鐘の調子で、何らかのメッセージも伝えていたようだが、詳しくは知らない。

 松尾神社では、阿波踊りシーズンの頃になると、境内に仮設の舞台が設営され、町内からいくつもの「連」が出て、踊りを競った。

 【2005年の松尾神社界隈】
 松尾神社2005年


境内には、見上げるほど、大きな「楠の木」がご神木としてそびえていた。でも、落雷か台風などで損傷をうけて、今は跡形もなくなって、駐車場みたいになっている。

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