土木建設業に従事していますが、専門分野のことは少なくて、昭和のこと、故郷・徳島のこと、延岡のこと、雑多なことを自分の記録として日記代わりに書いています。St.3bの「がんサバイバー」でもあります。
 日々(いや、気のむくままに)読み書き
貞光町 うる覚えの記。 馬車ほかいろいろ
2010-09-15-Wed  CATEGORY: 貞光町
 午前5時35分起床。曇り。外気温24度の朝でした。明け方、半袖と半ズボンの寝間着では涼しすぎて目がさめました。でも、押入れまで上掛をとりにいくのも億劫なので、犬の子のように丸まって寝ていました。

 朝は、炊きたてご飯、豆腐とワカメと南瓜と玉ねぎの味噌汁、納豆と海苔、白菜の漬物、茗荷に酢醤油、濃茶をいだきました。




むかし、むかしのことです。
 むかし、といっても高々四五十年前のことです。

 私の住んでいた街には、一宇村まで一本の街道が抜けていました。その道を、自転車やリアカー、乗合バス、オート三輪などが走っていました。
一宇街道

時々、荷車をひいた馬車が「ぽっこ、ぽっこ、ぽっこ・・」と、ゆっくりと通っていました。

 荷車のいちばん前には、キセルをくわえ、手ぬぐいで頬被りした、おっさんが乗っていました。
 私たち子供は、馬車を見つけると、荷台の後ろに、おっさんから見つからないように、ちょこんと腰をかけて、あちこちと移動していました。


 夕方になり、真っ黒になって、家に帰ると、母が、かまどの前にしゃがんで「火吹き竹」で「ふーっ、ふーっ」と、火をおこして夕餉の支度をしていました。
 母は、耳が全く聞こえない身体障害者だったので、私が帰っても、気づかないのです。当時から、悪戯好きの私が、後ろからそーっと近づき、背中を叩くと「うわー。ああ、びっくりした!!」と、笑顔で迎えてくれました。

「豆腐買ってきて」と二十円を渡され、皿を持たされて近所の東出豆腐屋に買いに行きました。戻る途中、腹が減っていることに気づき、辛抱たまらず、豆腐の上面をツマミ食いしました。このままではバレるので、豆腐をひっくり返して、母親に手渡して、また遊びに出かけました。

 あとで、不機嫌そうな顔をして帰ってきた父に、豆腐のことで、頭を拳骨で叩かれ、こぶができました。

 そんな、日々をおくっていました。

 矢野顕子 作詞作曲「ごはんができたよ」に似た時代かな・・。

♪ごはんができたよって かあさんの叫ぶ声
ボールが見えなくなった とうさんも帰る頃さ
楽しかったよ きょうも
うれしかったんだ きょうも
ちょっぴり泣いたけど
こんなに元気さ
・・・ざっくり・・
つらいことばかりあるなら 帰って帰っておいで
泣きたいことばかりなら 帰って帰っておいで


 
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