土木建設業に従事していますが、専門分野のことは少なくて、昭和のこと、故郷・徳島のこと、延岡のこと、雑多なことを自分の記録として日記代わりに書いています。St.3bの「がんサバイバー」でもあります。
 日々(いや、気のむくままに)読み書き
清貧  父のことなど・・。
2010-11-04-Thu  CATEGORY: 貞光町
 午前5時30分起床。晴れ。外気温7度の朝。

 今朝は、炊きたてご飯、豆腐とわかめと白菜のみそ汁、納豆と海苔、赤かぶ漬、イカキムチ、濃茶をいただいた。




故郷、貞光から、父の写真が一枚、送られてきた。

 ありがたい心遣いに感謝。


 父のことなど・・・・・・・・・


 子供の頃、わが家にお金はあまりなかった。
 父は、徳島市内の新聞社で記者をしていたが昭和30年代のはじめ頃に、徳島新聞と合併し、父の勤めていた新聞社は解散した。

 会社が解散した当時、徳島の児童公園に誘われたが断り、父は、貞光町で、独立して小さな新聞を発刊しはじめた。たしか、徳島新潮か徳島新報というような名前だった。しかし、商売にはならず、失敗した。(・・と思う。)

 その後、無職の日々がつづいたのだと思う。

しばらくして、町の商工会の事務局に勤務が決まり、そこで仕事をしていた。
父の給与は(安かったと思う・・)なぜか、時々、一ヶ月、二ヶ月ぐらい遅れることがあり、収入ゼロのこともあったようだった。

 父が留守をしていた時、借金取りみたいな人が訪ねてきたことがあった。耳の聞こえない母が、強い剣幕で対応し追い返したことを今も覚えている。

 父は、仕事以外に、金銭の伴わない、いろいろなことを依頼されて、引き受けていた。

 近所の稲刈り、食堂の看板の文字書き、お菓子のパンフレットの文章立案、コピーライターみたいな事、年賀状の宛名書き、PTAの役員、相談事、新生児の名付け、文化財保護委員、貞光町史の編纂、短歌会・・・。

 いつも、忙しそうにしていた。

 収入はいつも相変わらずで、経済的には、楽ではなかったと思う。



 「清貧」



 子供の私から父を見ていると「清貧」という言葉がいちばん似合うように思える。


 そういう父を、私は誇らしく感じていた。

 お金はなくても、貧乏を恥じたことは、ただの一回も無かった。

 ただ、お金持ちになりたい、とは思っていた。

 今現在、お金持ちにはなっていない。


 でも、それでいいかなと、今は思っている。




明日は、私的の用事で、休む。



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