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土木建設業に従事していますが、専門分野のことは少なくて、昭和のこと、故郷・徳島のこと、延岡のこと、雑多なことを自分の記録として日記代わりに書いています。St.3bの「がんサバイバー」でもあります。
 日々(いや、気のむくままに)読み書き
子供の頃の交通事情
2007-08-27-Mon  CATEGORY: 昭和の話
 子供の頃の交通機関は、もっぱら「歩き」であった。隣町に行くには「バス」に乗った。その頃のバスは、運転手さんと車掌さん、二人一組で大きなバスを動かしていた。
 運転手さんは、運転に専念し、車掌さんは、切符にカチカチと鋏を入れたり、バスがバックする時は「ピーピー」と笛を吹いて、誘導していた。

 



 
 バスでは、吉野川の対岸の親戚に行くとき、よく乗った。駅前で「石仏」行きのバスに乗る。降りるのは「一番坂」のバス停だ。

 当時の駅前は、にぎやかで、日通の取次店、列車通勤の自転車預かり店、おみやげ、お菓子屋、などが並んでいた。

 帰りは、一番坂のバス停で、バスを待つ。時々、店の柱時計を覗き込み、ながら、「今か、今か」と、待っていると、カーブから、バスの車体が現れる、この瞬間がいちぱん好きだった。

 道路は、舗装はされていたが、狭かった。バスが走ると、いっぱいの幅員であった。途中、向うから車が来たりすると、家の軒先に手が届くぐらいに寄り、ゆっくりと、すれ違った。すれ違いが出来ないとなると、車掌さんが降りて、後ろに回り、笛を口にくわえて「ピッピッピツピーーー」と誘導していた。

【近年の一番坂。子供の頃は、舗装などなく、道幅ももっと広い感じがした。】
一番坂


徳島市などに「遊び」に、行く場合は、鉄道である。
 「さだみつ」という小さな停車場。小さいけれど、駅員も沢山動いていたし、駅長さんも、居た。北の隅には、今でいう「キヨスク」みたいな店もあった。
 開札口を通り過ぎて、踏み切りを渡り駅のホームがあった。そこで、列車を待つ。

 シュッシュッシュ。。ポーーーーーと白い煙を出しながら、黒い鉄の塊が近づいてくる。轟音、この瞬間が好きだった。

 そして列車に乗る。
 背もたれが垂直になっている硬い座席が並んでいる。窓際を選んで座る。両方の指をかけ、押しながら引き上げると、窓が開く。

 そうこうしているうちに、列車が動きはじめる。
 シュッ、シュッ、シュッ・・・・とシュッとシュッの間隔が短くなりながら、ゆっくりと進み始める。
 ボーーーーー。
 
 
貞光駅


 汽車が動きはじめる、あの時間も好きだった。

 窓から顔を出して前方を見ていると「ばい煙」の粒が飛んできて眼に入る。
 痛い。
 痛いのに凝りもせず、また、顔を出す。
 川田駅の手前には、短いトンネルがある。トンネルが近づくと、誰ともなく、窓を閉める。閉めないと、煙が、入ってきたものだ。


 今は、何をするにも「車」がある。知らない所も、カーナビが案内してくれる。道路もすべて舗装されていて、広い。

 かくいう私も、近所に買い物にいくとき、車に乗ることがある。(笑)
 バスは、あまり走らなくて、ワンマンカーだ。

 駅は、無人駅となっている。

 何か、今の世の中は、便利になったけれど「人」を粗末にしているような気がしてならない。いや、人だけでなく、すべてのものを粗末にしているのかもしれない。
 人より「金銭」を大事にしている。。。。。。。

 これは、何か、おかしい。

 おかしいと多くの人は思っている。(と、私は思う。)




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