土木建設業に従事していますが、専門分野のことは少なくて、昭和のこと、故郷・徳島のこと、延岡のこと、雑多なことを自分の記録として日記代わりに書いています。St.3bの「がんサバイバー」でもあります。
 日々(いや、気のむくままに)読み書き
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町史を、読んだ。
2007-08-30-Thu  CATEGORY:
 また、個人的な昔の話である。
 歳をとったせいとはいいたくないが、夜になると「望郷」の念がわいてくるのである。
 故郷を離れて三十四年になろうとしていて、こっちで暮らした時節のほうが長いのだけれども、やはり、G3という人間の「根っこ」の部分を創ったのは、生まれ育った場所(パトリ)なのである。

貞光町史


 ・・ということで、今夜は、貞光町(つるぎ町ではない。)というパトリの歴史、つまり「貞光町史」の頁をパラパラとめくっていたのである。

 この分厚い史料の編纂には、私の父も携わっている。そして、父のことも母のことも、掲載されている。
 それに、私の祖父や曽祖父、ご先祖様も書かれている。
 祖父や曽祖父は、吉野川開運の草分けで、高知県の山奥で伐採した木をか、吉野川の流れを利用して、徳島市まで運ぶ、といった「博打打ち」「悪党」みたいな商売をしていた。典型的なハイリスクハイリターン事業をやっていたのだ。

 私が子供の頃は、とっくに没落してしまったあとで、ボロ家なのに、妙に骨董品の多い、家庭であった。
 母が、曽祖父、祖父の血を引いていて、高知で生まれた。父は、劔山中のふもと「木屋平村」で生まれ、短歌で知り合って「恋愛結婚」で、父が養子に入ってきたのである。
 父は、正直一途というか「清貧を楽しむ」みたいなところがあり、当然のこと、貧窮家庭に育つたのである。
 もっとも、当時は、どこもかしこの家庭も同じ様なもので、みんな、お金は持っていなかった。

 でも、今みたいに、お金が無くても、暗くはなかった。その頃も、大きな格差はあったけれど「格差」とか「格差社会」といったキーワードも無かったのである。

 ところで町史である。
 子供の頃の写真、街並み、などが、沢山、掲載されている。

 いつか、ゆっくりと、貞光の街並み、路地、細道、山、川、学校などを、たずねて歩いてみたいものだ。


 おしまい。
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