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土木建設業に従事していますが、専門分野のことは少なくて、昭和のこと、故郷・徳島のこと、延岡のこと、雑多なことを自分の記録として日記代わりに書いています。St.3bの「がんサバイバー」でもあります。
 日々(いや、気のむくままに)読み書き
渡し舟。
2007-09-06-Thu  CATEGORY: 昭和の話

 小さい頃、吉野川をはさんだ川向こうの隣町に親類がいた。以前は美馬町宗重。近くには段の塚穴という古墳があった。今は、合併に伴い、美馬市美馬町と名を変えている。

 親類の家には祭りがあるたびに遊びに行った。学校も、秋祭りなどの早退や休みは許可されていたものだ。

 親類の家にいくには「徒歩」が唯一の交通手段である。自宅から、歩いて、貞光駅の前を通り、現・貞光工業高校の方向に右折する。踏み切りをわたると、焼き場が見えてくる。焼き場の横の鬱蒼と茂った竹林の中の道をとおり、吉野川の河川敷きに出ると急に明るくなる。砂利や玉石を均して突き固めた道を歩いていくと、渡船場がある。そこが「喜来の渡し」だ。
 ここで、大勢の客や自転車が木造船に乗り込み、対岸まで渡る。吉野川は、このあたりでは「大川」と呼ばれ、とうとうと流れていた。上流には、新しい橋(今の美馬橋)の工事中の橋脚が、水の流れの中に建っていた。
 船から見た川面は、青々として深く、子供こころに、恐い思いがあった。

 対岸に着くと、船を下りて、また、徒歩である。河川敷、田んぼの中の道を、ずーーーーーっと歩いて、親類の家に着く。

 

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 新しい橋(美馬橋)が完成したのは、私が幼稚園か小学1年生の頃だったと思う。と、同時に、渡し舟もなくなってしまった。
 それからの祭りは、乗り合いバスが交通手段にとってかわった。

 橋が架かると、洪水のときでも川向こうに行ける。車に乗ると、いままでよりも短い時間ですむ。

 便利になった。楽になった。

 こういった「便利」「安全」を次から次へと手にして、今に至っている。今や、橋やトンネル、広い道路、このような社会資本がない暮らしは想像できない。しかし、たかだか五十年ぐらい前はそうではなかったのだ。

 便利は素晴らしい。しかし、軟弱になった。軟弱になりすぎた。

 さきほど、家人と一緒に、近くのコンビにまで買い物に行った。普段なら、車で行ったところかもしれない。でも、私が飲んでいるので「歩いていこ」と往復10分ぐらい歩いていった。
 こんな近くでも、田舎ゆえか、すぐ、車に依存するようになっている。


 ただ、漫然と便利や安全を享受するのではなく、失った大切な「何か」も、意識する生き方が必要ではないか、そういう想いがするこの頃である。

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