土木建設業に従事していますが、専門分野のことは少なくて、昭和のこと、故郷・徳島のこと、延岡のこと、雑多なことを自分の記録として日記代わりに書いています。St.3bの「がんサバイバー」でもあります。
 日々(いや、気のむくままに)読み書き
いろいろ
2011-01-07-Fri  CATEGORY: 未分類
 午前5時30分起床。天候晴れ。外気温1度の朝。

 自宅近辺でみた夜明け
明け方

 市内での夜明け
しらじらあけ

 帰宅にみた三日月
夕月

 冬空は移り変わり行く情景がいい。




昨日は、宮崎市まで車を運転して新年挨拶や知人の見舞いに行ってきた。
行きは2時間で目的地に到着。帰りは、なんと1時間45分で帰りついた。

ほんの一部だけ開通している高速道路を走った。
なるほど、早く着ける。

はじめて高速道路の効果が垣間見えた。
延岡と宮崎が全線開通したら、1時間とちょっとで行き来できるという実感がわいた。

高速道路はA地点からB地点に移動するにはもってこいだ。
仕事にはいいが、「旅」には適してない。




専門化について考えている。

私が子供の頃のお医者さんは、盲腸の手術から眼病、虫歯抜き、出産まで広範囲に診てくれた。なんでもこなすことのできる、まるで「赤ひげ」みたいなオールマイティの先生が普通だった。

しかし、医療技術は、専門化し、専門分野ごとに深く高度に進化していった。

そのおかげで、医療技術は発達し、昔なら絶対に助からない病人や負傷者も命を長らえることができるようになった。とても、素晴しいことだ。

しかし、その反面、専門以外は「知らない」「私の責任ではない」という縦割り的な思考が出てきた。
大きな病院になると、脳外科、外科、内科、それぞれが独立してお互いに牽制や遠慮しあい、横の連携や情報共有などがスムーズに動いてない。

ハイブリッドが必要だ。

今、ちょっとしたことがきっかけとなり「設計」と「施工」について考えている。

昔は設計と施工は一緒だった。腕のいい大工職人は設計能力を持っていたし、設計能力がある職人は腕のいい大工であった。(・・・・・と思う。)

昔は、今みたいに「設計」と「施工」は分ける必要がなかったのだと思う。

小説にも出てくる。
幸田露伴の「五重塔」に登場する大工の十兵衛は、谷中の寺に五重塔が計画されている話を耳にする。すでに工事は、十兵衛の恩人、番匠の源太が見積もりを提出し、ほぼ決定しているにも関わらず、五重塔は百年に一度、一生に一度の仕事、どうしても自分がやりたいと決意し、アポなしでお寺に飛び込み上人に願い出る。

「五重塔の仕事を私にさせていただきたい」

五重塔の五十分の一の模型までこしらえてプレゼンをする。お上人はその熱意にほだされ、結局は、源太と十兵衛が話し合い、共同企業体の話も拒絶し、十兵衛が無理強いを通してしまう・・・・・・・・。

昔は、設計も施工も同じだった。(・・・・と思う。)

それが、いつからか、設計と施工に分離されるのが当たり前になってしまう。

物事が専門化していくことは、必要なことだ。技術の高度化、効率化には避けて通れない。

しかし、お互いがお互いを知らない、知ろうとしないのは、いいことではない。

・・・・・・・



考えがまとまらない。

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