土木建設業に従事していますが、専門分野のことは少なくて、昭和のこと、故郷・徳島のこと、延岡のこと、雑多なことを自分の記録として日記代わりに書いています。St.3bの「がんサバイバー」でもあります。
 日々(いや、気のむくままに)読み書き
意味のないことをだらだらと書いた。
2011-02-08-Tue  CATEGORY: 未分類
午前5時33分起床。天候は晴れ。外気温3度の朝だ。

 今日も「煙霧」がかかっていた。

 夕方からは、久しぶりに雨が降った。弱い雨だ。

 今日は、完成検査があり、立ちあってきた。

 いい検査であった。

 検査官との会話がスムーズに行われていた。




手提げ提灯はいつごろまで日常生活で使っていたか。

昭和38年、小学校五年生の頃には、まだ、使っていた。

 なぜ、そう断定できるかというと、子供の頃、手提げ提灯で足元を照らしながら、東山の山道を「白村」にある親戚(母屋)まで、北海道から帰郷した客人の道案内をしたことがあり、その道中、二人で柔道一代を歌いながら夜道を登ったからだ。

 Webで調べたら柔道一代は昭和38年のヒット曲だった。それで、手提げ提灯は、少なくとも昭和38年頃までは、日常的に使用していたことがしのばれるのである。

 S.38年というと、今から、たかだか48年前のことだ。

 いま、手提げ提灯を求めようとしてたら、千円や二千円ではあがなえない。万を越すのかもしれない。

 我々の器械にしてもそうだ。

 学校で習ったのは、バーニヤを虫眼鏡で読むトランシット。そして、巻尺。

 計算は、真数表、対数表と算盤、手回し計算機、計算尺。

 図面描きは、T定規と製図板。

 今は、自動追尾のトータルステーション。パソコン。情報化機器。
 図面は、CAD。


 まさしく「一生にして二世を経るが如し」である。


 早く正確に便利になった。これだけ効率化合理化が進むと、時間があまる筈なのに、足りないぐらいだ。

 

 けっして、楽にはなってない。


 
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コメント

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コメントななに | URL | 2011-02-09-Wed 07:56 [EDIT]
幼いころ、同じように親父とちょうちんで足元を照らしながら大泉の道を登った思い出があります。
何故かは忘れましたが、あるポイントがあって、そこで道端を照らしながら親父と話をしたということを思い出されます。
今でも部落の集会に行くため同じ道を歩いていますが、足元を照らすのは携帯電話となりました。
コメントG3 | URL | 2011-02-09-Wed 18:53 [EDIT]
ななにさん。

 携帯電話の灯り、6年ほど前、自宅が床上浸水になり停電が重なったことがありますが、携帯電話の灯りは、かなり役に立ちました。

 提灯の灯りもいいですね。
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