土木建設業に従事していますが、専門分野のことは少なくて、昭和のこと、故郷・徳島のこと、延岡のこと、雑多なことを自分の記録として日記代わりに書いています。St.3bの「がんサバイバー」でもあります。
 日々(いや、気のむくままに)読み書き
明日はわがみ
2011-03-28-Mon  CATEGORY: 未分類
外気温1度の朝。天候は晴れ。
 桜も、ちらりほらりと咲き始めている。

被災地や、原発の情報を知るたびに、胸の詰まる思いがする。


 こちらでも、単三乾電池やペットボトルの水がどこも品切れになっている。スーパーにもコンビニにも在庫がない。水道局が製造している「天下一の水」は、兄弟都市「いわき市」に全て届けたため在庫はない。

 買い占めとかではなく、ほとんどが、被災地支援や被災地周辺の知人に援助物資として送っているのだと思う。

 

 

 私たちは、知らず知らずのうちに、「いつ、どうなるかわからん」という、薄氷を踏むようなもろさの上で日々暮らしているのだな、とつくづく思う。

 一寸先は闇。
 明日は我が身。

 ウィキによれば・・・
 

887年 仁和地震:8月26日に M8.0 - 8.3 の仁和南海地震が発生。同時期に東海地震と東南海地震が発生したと地質調査により推定されている。京都で民家、官舎の倒壊による圧死者多数。特に摂津での被害が大きかった。



 延岡は、洪水の災害が多いが、地震の記録も残されている。

 「延岡郷土史年代表」には、そのときの記述がある。
 

887年7月  大地震と洪水があり、祝子村千光寺が流失し守護田に移転した。川島の熊野大権現は倒壊した。



  祝子にあった寺院が洪水で流されたとあるが、台風と大震災が重なったのか、それとも大津波が祝子川を逆流して「洪水」という表現になったのかはわからない。

 (祝子といえば、我が家よりも上流の川沿いの集落だ。もし、津波だとすれば、このあたりにも、押し寄せてきたのだろう)

 このあたりは、近年の明治時代にさえ、夏目漱石から「猿と人とが半々に住んでる」「山の中も山の中も大変な山の中」と評価されるほどの辺境の地だ。藤原時代全盛の頃の大昔の出来事として当時の震災の記録が残されているということは、よほど、ひどい天変地異だったことが想像できる。

その、東南海連動型地震は50年以内に90%の確率で発生するといわれている。

 そのときのことを想像しておくことが必要だと、思い知らされる。


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