土木建設業に従事していますが、専門分野のことは少なくて、昭和のこと、故郷・徳島のこと、延岡のこと、雑多なことを自分の記録として日記代わりに書いています。St.3bの「がんサバイバー」でもあります。
 日々(いや、気のむくままに)読み書き
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外気温7度の朝。最低温度は5度ぐらいまで下がっている。
 ここで、これぐらいなら、被災地は、もっと寒さが厳しいだろう、と思う。

 昼間には、汗ばむほどの温度に上昇した。




父は、よく新生児の名づけを依頼されていた。命名した数はかなりの数になると思う。

 父の命名は、字画数は考慮しなかった。路傍の馬頭観音や弘法大師などは尊崇していたが「字画による姓名判断は迷信」ときりすてていた。

 徳島市に金沢先生という方が居た。父も母も金沢先生のことは「金沢先生」と呼んでいたので、そうとう偉い人かもしれないと思っていた。

一度、父に連れられて金沢先生のお宅をたずねたことがある。

湯のみを両の手で包み込むように持って、お茶を飲んでいる姿に気品があって美しくて「いいなあ」と見惚れてしまった。

金沢先生は「歌は、きみさん(私の母)のほうが、うまい」と父にしゃべっていたのが印象に残っている。

その娘さんの名前も父がつけた。


 命名した名前の中で、今も記憶している名は共通したものがあった。それは「水」である。
 なんで「水」なのかはわからない。

 たとえば女の子の名では「みぎわ」「水都(みと)」。男子では「潤」などというのもあった。

 女子の名前は、○○子全盛の頃に「みぎわ」とか「みと」とか、やさしくて個性的で情緒があっていい名前だなと子供子頃にそう感じた。

 でも、父は自分の4男(私)の名づけはひとに頼んだ。理由は、自ら命名した次男、三男が早世したことから験をかついだのだ。

 で、私の名は、友人の郡大さんが付けてくれた。郡大さんは、武市さんの子息の名付け親でもあり、両方に共通しているのは「まさ」である。

 で、私は「のぶまさ(信政)」に決まったのである。

 思えば郡大さんも武市さんも政治家志向なので「政」になったのかなと思う。

 武市さんは私を見るとニコニコしてくれたし、郡大さんは会うたび小遣いをいただいたものだ。

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