土木建設業に従事していますが、専門分野のことは少なくて、昭和のこと、故郷・徳島のこと、延岡のこと、雑多なことを自分の記録として日記代わりに書いています。St.3bの「がんサバイバー」でもあります。
 日々(いや、気のむくままに)読み書き
貞光町 うる覚えの記。 石橋。
2011-05-08-Sun  CATEGORY: 貞光町
 午前6時起床。単行は晴れ。

 今日は日曜日。
 ひなたは、近くの海まで同級生と同級生の祖父に連れられて行った。
 昼過ぎに帰宅して「ボク、釣った、釣った・・・」と興奮しながら釣果をみせてくれた。
 アジかイワシか知らないが20センチぐらいの魚が三匹釣れていた。

 私は、魚釣りは全くやらないので、ひなたに魚釣りだけは教えることができない。

 ひなたは興奮気味に、そのまま同級生の家に遊びに行っている。




貞光の家の前には小さな谷川が流れていた。
 貞光 谷

 西の山から街中をくねくねと東進し貞光川に合流した。
 僕たちは谷川に降りて遊んだ。谷の石垣をよじ登ったり、水に濡れないように飛んで歩いたりした。時には、はい縄の餌にするための蛭を採取したりした。谷に溜まった土砂を棒でほじくると蛭が取れた。当時は、汚いところと思っていたが、蛭はきれいな環境にしか生きられないらしく、当時の谷川は、清流だったようである。

 小学校の六年生ぐらいになると、山から竹を切りだしてきて、棒高跳びならぬ棒幅跳びで対岸に飛び渡ったりして遊んだ。

 中学生のときなどは、深夜、外から聞こえてくる人のうなり声で出たら、近所のお婆さんが谷に落ちて上がれず助けを求めているのを発見し、父と二人で助け上げて、父が背負って病院まで運んだこともある。

 昔は、谷の上には大きな自然石の版が二枚掛け渡されていた。それが橋であった。
 橋は、すぐ上流に木製の橋も架けられていた。これは、谷向かいの宅地からこっちの宅地に渡る橋で、ひょっとしたら私橋かもしれない。これは、気がつかない間になくなってしまった。

 何歳ぐらいのことか覚えていないが、谷の護岸工事がはじまった。
コンクリートミキサーや砂利、砂が積み上げられ、正月が来たような感じで、大勢の人がたち働いているのを見て、子供ごころにわくわくして、毎日、変化していく谷の工事を眺めていた。

私が「土木屋」を目指したのは長兄の影響も大きいが、幼い目で眺めた工事も影響しているかもしれない。

空石積みの護岸は自然石とコンクリートで固められた。その工事のおりに石橋の替りにコンクリート床版が架けられた。撤去された石橋は、持っていく場所がなかったのか、我が家の庭の一隅に仮置きされた。(母は、置かしてあげてる、と云っていた。)

 この石は、広くて、頑丈で、すべすべして、頼もしくて、腰をおろすのに丁度いい高さだった。子供たちの遊ぶ「べった(めんこ)」や「ラムネ(ビー玉)」のステージになったり、道を通る人の一服する場所となったりで風景の中に溶けんでいた。

 写真の人は「私」ではない。
 石


 石との別離は突然にやってきた。私たち一家が、貞光を離れる数年前に、近くのK病院が新しく増新築することになり、ご自宅の庭に「石」をと懇願されたのだ。
 池なら2枚でなく一枚と思っていたら、学校から帰ってきたら二枚ともなくなっていた。

 個人の庭に移転されてしまうと、もう、二度と目に触れなくなる。なんとなく物悲しい気持ちがした。
 
 多分、今も、その庭にあるのだろうなあ。

 
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