土木建設業に従事していますが、専門分野のことは少なくて、昭和のこと、故郷・徳島のこと、延岡のこと、雑多なことを自分の記録として日記代わりに書いています。St.3bの「がんサバイバー」でもあります。
 日々(いや、気のむくままに)読み書き
国歌。時事ネタ。
2011-05-18-Wed  CATEGORY: 未分類
 午前5時30分起床。天候は晴れ。外気温16度の朝。



あまり時事のことは書かないようにしているが、大阪府知事が、国歌斉唱時に起立しない職員は懲戒免職だと云ったとか、云わないとかには、おどろいた。

私は、これを聞いて、釈然としなかった。

なんで釈然としないのか説明はできないが、内田樹さんが明快にブログに書かれていた

 以前、私の子供の水泳の応援に行くと、君が代演奏とともに国旗掲揚があった。誰いうともなくプールサイドは起立した人ばかりになった。私は、国歌演奏が終わるまでは帽子を取った。これは、自然にそうなってしまうものである。

 しかし、起立しなかったからといって、懲戒処分を加えるなど、あまりだと思う。

 こういう問題は、イソップ童話の「太陽と風」にあるように、力づくで抑えこむのではなく、太陽の温かい光みたいなものでないと、根本的な解決にはならないと思う。




しかし、いつから「国旗」と「国歌」が妙な具合になってきたのだろう。

 少なくとも、私の子供時代は、そうではなかった。

 祝日のことを「旗日」と呼びならわしていたぐらい、祝日の国旗掲揚は普通だった。裕福な家庭も、我が家のような貧乏世帯の家でも「旗日」には日の丸をあげていた。

 「国歌」もそうだ。学校にいくと、始業式、終業式など、なにかイベントがあるときは必ず国旗とともに「君が代」が斉唱されていた。
それが、だんだんと、自分たちの周囲には国旗も国歌も少なくなってきているように思える。国旗が翻るのは、思想的に尖鋭的な方々や、そして「オリンピック」だけのような気がする。


 当時の人たちは、そんなに国旗や国歌を疎んでいたのだろうか。当時の「小児としての目線」で思いおこすと、そういう人たちは、あまり居なかったように思う。強制されて「掲揚していた」ということもないし「押し付けられて君が代を歌っていた」ということもない。

「国旗や国歌」は、戦争の旗印になったので疎んじるようになった、という考え方があるが、当時は、今よりも「戦争」の記憶は、もっと身近に、残っていたと思う。それでも、堂々と掲揚したり、堂々と歌った。

近頃は、役所や公的機関で、毎日、国旗が掲揚されているようで、それはそれでいいことだと思う。

・・・と、いいつつ、私の家でも「国旗」を掲揚していないし「国旗」そのものが家にあるのか、家人に聞いてみて、もし、あったら旗日には掲揚してみたいものだ。

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