土木建設業に従事していますが、専門分野のことは少なくて、昭和のこと、故郷・徳島のこと、延岡のこと、雑多なことを自分の記録として日記代わりに書いています。St.3bの「がんサバイバー」でもあります。
 日々(いや、気のむくままに)読み書き
スポンサーサイト
-----------  CATEGORY: スポンサー広告
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
ページトップへ
「二つめにかかる」から (その4) 祖母、剱山、藤井蔵相
2011-06-21-Tue  CATEGORY: 「二つめにかかる」から
 梅雨明けは、まだ先のようだ。




二つめにかかるから

「ありあけの カンテラの灯に病む母の あをき額よ もう夜の明けむ」


 「病む母」とは、名前も顔も知らないが私の祖母だ。血(ジーン、ミーム)のつながりは孫のひなたにも、私の兄の孫にも引き継がれていることを思うと不思議な気持ちになる。

「雪しずく」より

「渓ふかき 朱塗りの橋に ふる雪の かそかなるおと ききとめにけり」


朱塗りの橋とは木屋平側からの剱山登山口に架かる「垢離取橋」のことだ。

貞光口、見ノ越方面の方が交通の便がよいので、貞光口が剱山の玄関口とよばれているが、古来は、木屋平川上にある垢離取橋が剱山への表玄関とされていた。私が、はじめて木屋平側から登った頃には、屋根のついた朱塗りの木橋があった。それが「垢離取橋」だ。

橋の下の谷川の冷たい水につかりながら「六根清浄」を称え「垢離」を落とし、体を清めてから入山するのが修験者の習わしだと父から聞いたことがある。
垢離取橋から富士の池宮。「胸突き八丁」とよばれる急坂を登り追分。一の森・二の森を経て山頂に向かう。
剱山は、平家伝説だけでなく、石鎚山と同じ山岳信仰の山で、修験者の修行道場でもあったようだ。

父が住んで居た家は「垢離取橋」とそう距離は離れていないので、このような歌が詠まれたのだろう。
今は、昔の垢離取橋は大水で流失しコンクリート橋に架け替えられ、地名も「垢離取」となっている。垢離取に「橋」と名がつけば朱塗りでなければならない。そこで「橋」がとれて「垢離取」という地名になったのかもしれない、などと勝手に想像している。

「帝人事件 かまびすしきに 清貧の藤井蔵相は みまかりにけり」



当時の政界を揺るがした汚職事件と、地元出身の清貧の政治家を対称的に詠んだのだろう。

藤井蔵相をWikで検索してみた。藤井蔵相とは、徳島県麻植郡牛島村出身の政治家。高橋是清に懇願されて蔵相を引き受けた人だ。(藤井裕久とは関係ない。)

自分は、これまで、徳島出身の藤井という大蔵大臣がいたことは知らなかった。
徳島県には、三木武夫をはじめ後藤田正晴や仙谷由人などが著名だが、清貧を貫きとおした政治家が居たのだ。
今の政治家に爪の垢を煎じて飲ましたい。
藤井蔵相は1935年に50歳の若さで死去している。


スポンサーサイト
ページトップへ  トラックバック0 コメント0
コメント

管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
TB*URL
<< 2017/10 >>
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -


余白 Copyright © 2005  日々(いや、気のむくままに)読み書き. all rights reserved.
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。