土木建設業に従事していますが、専門分野のことは少なくて、昭和のこと、故郷・徳島のこと、延岡のこと、雑多なことを自分の記録として日記代わりに書いています。St.3bの「がんサバイバー」でもあります。
 日々(いや、気のむくままに)読み書き
ルーツ3
2011-06-30-Thu  CATEGORY: たわいのない話。
暑い毎日だ。




私の曾祖父(母方)は貞光町史の中で「天保10年(1839)11月20日生。大正8年(1919)3月29日没。彼は、定満谷口の城主山倭家長吉の末裔阿波介金郷の後孫である。後略・・」と記されている。

 それで「阿波介金郷」を調べてみた。

この人は、平重盛に重用され、その孫である山倭屋重成は「阿波の三郎」と呼ばれ、衛士として安徳天皇に仕え、屋島の戦いで戦死したとか。(1185年3月)

 その子は阿波守護・小笠原長経に従い、そのまた子孫である彦兵衛は天正5(1577)年 12月5日、貞光城主・小笠原長定に殺害され、居城谷口城を追われた。

孫の重愛・重定らは流浪し、岩倉城主・三好康俊に仕え、その後、谷口城を回復。のちに、土佐から長宗我部元親が侵攻してくると所領を差し出して恭順した。

天正13(1585)年には、長宗我部親吉が、豊臣軍 の侵攻に押されて土佐へ撤退する途中、重愛・重定らは親吉を襲撃し、殲滅した。この功績を賞されて定満谷の政所に任じられたという。

その子孫が、白浦に移ったといわれている。
私の旧姓は「白浦」である。徳島県に1家、広島県に1家、京都にも1家、宮崎県に2家・・は知っているが、全国的には、少ない「姓」のひとつだろう。
白浦(しらうら)という姓は、どこからきたのだろう。白浦の「浦」は「海」を連想させるが、近辺に海などは関係するようなところは全く見当たらない。
ご先祖様が「白浦」と名乗ったのはどうしてか。なぜ「白浦」なのだろう。


今は、地名として「白村」があるが、白浦と白村の関連はなんなのか。白浦が先か白村が先か。

本当のところは、わからない。
でも、こうして、たずねることができることは、ありがたいことだと思う。

スポンサーサイト
ページトップへ  トラックバック0 コメント0
コメント

管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
TB*URL
<< 2017/08 >>
S M T W T F S
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -


余白 Copyright © 2005  日々(いや、気のむくままに)読み書き. all rights reserved.