土木建設業に従事していますが、専門分野のことは少なくて、昭和のこと、故郷・徳島のこと、延岡のこと、雑多なことを自分の記録として日記代わりに書いています。St.3bの「がんサバイバー」でもあります。
 日々(いや、気のむくままに)読み書き
「二つめにかかる」から (その5) 願勝寺のこと。
2011-07-08-Fri  CATEGORY: 「二つめにかかる」から
午前中から午後まで、現場踏査。
 暑かったけれど時折涼しい風が吹いた。




 父の歌には友人を詠んだのも多い。県内、県外に住む歌友の様子が描かれている。

 例えば、美馬町の友人たちをはじめてたずねたとき・・。

 

大川の 夜を渡りて松黒き み寺の古き御門をくぐる



 対岸の美馬町に行くには「吉野川」を渡らねばならない。今は、つるぎ町だけでも三つの大きな橋が架けられているが、以前は、川を渡る主な手段は「渡し船」だった。
上の歌は、多分、夕刻じぶんに貞光から喜来の渡しで吉野川を渡り、畦道を歩きとおして「願勝寺」の山門をくぐったときの情景だろう。



 

初対面の 挨拶(いや)済しとき友「絃二」 くろき眼鏡をはずして微笑(わら)ふ



 その「願勝寺」では、父は、吉本絃二さんとも、はじめて会ったようだ。私も、何回かお会いしたことがある。上品で物静かな印象の方だったように記憶している。


新しき 青き法衣(ころも)にあらためて 朝勤行に「洞」は座を立つ



 「洞」とは、願勝寺のご住職「津田快洞」さんだ。


 小学生の頃の遠足は願勝寺だった。境内の中に建てられた付属博物館や外庭での竪穴住居の実物展示などを見た覚えがある。

 願勝寺の庭は、臥鶴梅といって一本の梅の木が枝や幹を庭全体に広げていた。


 今から40年ぐらい前に、父に伴われてたずねたことがある。

 奥に通されて客間に座った。
 普段はみることはできない奥庭が広がっていた。
 父が「ここの庭の枯山水はすごいぞ」みたいなことを私にしゃべった。
 私は、枯山水の良さはわからないので「ふーん」と、ぼんやりと眺めるだけであった。

 何時間か父と住職は楽しそうに語らっていた。私は、話の内容はまるっきり覚えていないが、二人の話を横で聞いていて、少しも退屈しなかった。

 帰りがけに「ちょっと待って」。住職が一枚の水墨画を「私」に下さった。

 書画の左下に「願勝寺洞」と書かれていた。

 表装をしなければと思いつつ、まだ、表装もなにもしていない。

 探せば我が家のどこかにあるはずだ。

 ところで、旧・貞光公民館付近の道路の真ん中に1200年前の「石棺」が発見されたとき、供養したのは「願勝寺さん」だった。
 近くには「真光寺」もあるのに、わざわざ、対岸の美馬町から願勝寺さんがみえられたのは、父が、友人でもあり、古代史の専門家としての願勝寺さんを呼んだのだろうと思う。


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