土木建設業に従事していますが、専門分野のことは少なくて、昭和のこと、故郷・徳島のこと、延岡のこと、雑多なことを自分の記録として日記代わりに書いています。St.3bの「がんサバイバー」でもあります。
 日々(いや、気のむくままに)読み書き
お金のこと。
2011-10-30-Sun  CATEGORY: 昭和の話
今日も雨が降った。
この前21日と昨日の29日は、市内にゲリラ豪雨が降った。道路冠水、小規模ながけ崩れ、床上床下浸水。。

 土のうを設置したり、交通整理をしたり、土砂を退けたりであった。

 


お金のこと。


子供の頃、わが家の前の道路で、何かのお使いの帰りに、五十円玉を落としたことがある。小遣いが5円から10円が相場だった時代、50円は大金であった。

 辺りを探していたら、あとから父も来て二人で這いずりまわって探した。暗くなっても、街灯の明かりの下で遅くまで探したものの、見つからなかった。

父から厳しく怒られることを覚悟したが、叱られなかった。
「怒られなかった」という安堵もあったが、怒られなかったことが、かえって、きつかった。


話は変わる。

加川良の歌に「百円札」という歌がある。


 

♪お年玉袋の百円札
はじめてもらった百円札
はじめて手にした百円札
大金だとおもった百円札
・・ざっくり・・

 百円札は大金だった。

 東山にある白村堂の「おごま」に行くと、母屋のおっさんが、必ず一枚の百円札をくれた。それが楽しみで、毎年、登った。

 新しい年がくると、名付け親の郡大さんがお年玉袋を持ってきてくれた。袋の中には百円札が入っていた。上級生になるに連れて枚数も増えていった。


百円札の対局にあるのが一円だ。

引き出しから、百円札と一円札を引っ張り出して見てみた。
100円

一円札




 一円札は使った記憶がおぽろげにしか残っていない。デザインは思い出せない。広げても、シワだらけで印刷もはっきりしなかった。

 今になって、調べてみると、肖像は二宮尊徳となっていた。

 両袖口は、鼻水の糊でピカピカのバリバリになっていた服を着て、母からもらった、しわくちゃの一円札と1円玉を手の中に握りしめ、岡本さんの中庭を走り抜け、津司さんの前庭を通って広い通りに出て、東出商店まで走っていった。

 二個で1円のニッケ飴玉や芋飴を買った。おばさんが紙袋に入れて、紙袋の上端を両手でつまみ、くるくると回してわたしてくれた。

 小遣いは一日5円だったり10円だったり、無かったりで不確実だった。

 自分たちで小遣いを稼いだこともある。
くず鉄を拾い集めてスクラップ屋さんに売るのである。
一升瓶やビール瓶を拾って売る。針金、古釘などの鉄クズを拾って売る。なかでも「アカ(銅)」は宝みたいなもので「アカはにないか」と、四六時中目を光らせながら遊んでいた。アカはめったに見つかるものではないが、たまに道端で発見することもある。
「アカ」が見つかると、集めてボロ屋さんに持って行くと百円近くになることもあった。
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