土木建設業に従事していますが、専門分野のことは少なくて、昭和のこと、故郷・徳島のこと、延岡のこと、雑多なことを自分の記録として日記代わりに書いています。St.3bの「がんサバイバー」でもあります。
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たまには「母」のこと
2012-04-27-Fri  CATEGORY: 未分類
朝の外気温10℃。

今朝も快便。乳酸菌とか麹菌とか納豆菌とか、発酵食品のおかげかなあ、と思う。

今朝は、肌寒い。運転席に座り、外気温をチェックすると10℃となっていた。この時期、10℃は、寒く感じられる。

明日は、午後から宮崎市まで列車で移動。久しぶりに県の技術士総会・懇親会に出席しようと思っている。
アルコールは飲まないので、用事がすんだら、早めに帰宅しようと思っている。




母のこと。


私の母は、幼い頃、満州に渡って馬賊になりたいという夢を持っていた。でも、両耳が完全に聞こえなくなり、京阪神で当時の先端医療を受けたのだけれど、耳の聞こえないままでであった。
私の知る母は、暇ができたらいつも本を読んでいた。町の図書館から借りてきた本を食い入るようにして読んでいた。

天気がよいと、庭にたらいを出して、水道から水をバケツで運び、洗濯石鹸と洗濯板で洗濯をしていた。
炊事は、おくど(釜戸)の前にしゃがんで火吹き竹でご飯を炊いたり、だんご汁をこしらえたりと調理をしていた。得意料理は、五目ずし、甘酒、蒸し団子、肉の入っていないカレーライス、握り寿司などが思い出される。五目ずしと握り寿司や甘酒などはハレの日の料理だが、親戚の人達にも好評であった。

私から思う母の印象を一言でいえば「贈与」である。私への無償の贈与である。
親鳥が、巣のひな鳥を懸命に養うように、私が大きくなり家庭を持ってからも、母が死去するその日まで「贈与」し続けてくれた。

もしも、あの世というものがあるとしたら、今も、私を見守り続けてくれている。

小さい頃、私が腸チフスにかかり苦悶していた夏休みも、懸命に看病してくれた。重くなった私をおんぶして北川医院の送迎をしてくれた。
一時、我儘放題になったときも、何も云わず、ひたすら「与える」であった。

聞いたことはないが、母は、三味線や琴も弾けたという。
字は、父よりも上手であった。
金沢治先生にいわせると、歌は、父より「きみさんのほうが上手い」であった。
父も母も、歌詠みだった。それが縁で、結婚し、私や兄が生まれた。

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